2章‐3 死の静寂
フォルセの愛馬は駿馬だ。地上戦が得意なフォルセではあるが、乗馬したとしてもその武勇はまったく衰えない。むしろ、馬の速さが加わってさらに無双することができる。左手で握った手綱と足で器用に馬を操り、右に持つ身の丈ほどの剛槍を振るえば、後に残るのは無残に倒れ伏す敵だけだ。
フォルセは橋を渡りきると、速度を落とさず槍を水平に構えた。前方から多数の騎士が行く手を阻もうと立ちはだかった。
「押しとおる!」
フォルセは呟くように宣言すると、そのままの速度で騎士に突っ込んだ。
槍の一閃で多数の騎士が落馬する。ロキシーも横合いから突き出された剣をあしらっている。
「はいはい、お邪魔ですよー」
ロキシーは巧みに返り血さえ避ける余裕がある。適当に見えてその剣は確実に相手の急所を突く。そのあたりは、さすが歴戦の騎士だ。
「ハルシュタイル騎士よ、即刻この地から立ち去ってもらおう!」
フォルセは大きく槍を振るった。「豪快、豪快」とロキシーが呟く。思慮深いがフォルセも根っからの、豪快で大雑把な鉱山の街の民だ。
「ロキシー、中央を突破する。ついてこられるか?」
「ついて行きますとも、戦場で迷子になるのは嫌だよ」
こんなときまでロキシーは軽口を叩く。
戦いは圧倒的にキシニア勢の有利だった。元々の士気が高く無傷のカルネア騎士に比べ、損傷も多く長時間戦い続けのハルシュタイル騎士の士気はこれ以上ないほど落ち込んでいた。そもそも、住民を殺された黒豹たちは怒りに震え、その気迫にハルシュタイル騎士は押され気味だ。だがそれでも技量は確かだ。剣の国として勇名をとどろかすハルシュタイル騎士の名は伊達ではない。
フォルセとロキシーは鬼神のような強さと連携で、あっという間に敵中央部にまで入り込んでいた。
「【黒豹】!」
前方から声が響く。それは女性の声だった。フォルセは槍を振り上げ、突進してきた騎士の剣を防いだ。段違いの強さにフォルセが押し返す。フォルセはその女性を観察する。
「指揮官か」
「アイオラ・レインヴァルよ」
女性が短く名乗り、剣を引く。非常に妖艶な女性だが、それに加え凛とした佇まいでもある。女といえども、油断はできない。
「わぉ、美人」
ロキシーがそんなことを言い、フォルセが一瞥くれると彼は黙り込んだ。
「街中に入りこんだ魔物や騎士は一掃させてもらった。これ以上は無意味だ、去れ」
フォルセの言葉に、女騎士アイオラは首を振る。
「貴方の実力を試させてもらうわ。一応、データを取るのも仕事の内でね」
「大口を叩くからには、それに見合った実力を示してくれるのだろうな」
「紳士的じゃないわね」
「生憎と、紳士も淑女もいない街で育ったからな」
フォルセが微笑む。アイオラも微笑んだ。お互いに、敵同士の将が浮かべる笑みにしては穏やか過ぎる。しかしフォルセの笑みには怒りが隠され、アイオラの笑みには鋭さが隠されている。
アイオラの軍刀が唸る。フォルセはそれを受け止め、すぐに槍を振り払った。
アイオラの剣術は速さを活かした一流のものだった。苦戦するかと思われたのだが、フォルセの槍が一撃でアイオラの手から軍刀を弾き飛ばしてしまった。アイオラもなかなかの騎士だが、虫の居所が悪いフォルセに戦いを挑んだのは、いささか運がなかった。
「あ・・・・・・!」
アイオラが茫然とする。フォルセは女騎士に槍を突きつけた。
「撤退しろ。いずれ、街の民を大勢死なせたことには礼をしよう」
「あら、怖いわね」
アイオラは肩をすくめつつ馬首を翻した。徐々にハルシュタイル騎士は退き、やがて平原の向こうに騎影が完全に見えなくなった。
「副長にはお粗末な騎士でしたねぇ。ま、俺だったら負けてたかもしれないけど」
ロキシーがのんびりと論評する。アイオラの腕は確かにロキシーと同等だった。砦の騎士の中でロキシーの剣の腕は上位にある。フォルセは平原を見つめたまま言う。
「砦を襲ったのは陽動で、本隊は街に潜入した方だったらしいからな。こんなもので良かったんじゃないか」
駆け寄ってきた騎士に、フォルセは手早く指示を出した。
「ハルシュタイル騎士を追え。国境を越えることを確認したい」
「了解しました」
騎士は頷き、馬を駆った。フォルセはロキシーを振りかえる。
「戻るぞ」
砦に戻ると、すぐにホールでが負傷者の治療が始まった。ユリウスの姿を見つけたフォルセは足早に歩み寄った。
「セオンは?」
「さっき目が覚めたよ。今も起きていると思う」
「分かった」
ユリウスが弟の背中に声をかける。
「随分フォルセの心配をしていたよ。質問ばかりじゃなくて、そういう話もしてあげてね」
「・・・・ああ」
フォルセは頷いた。
そうして医務室に向かった。寝台に身を起していたセオンはフォルセを見、疲れたような笑顔を見せた。
「フォルセさん。・・・・・無事で良かった。戦場に出たってユリウスさんに聞いて、俺・・・・・」
フォルセは微笑み、寝台の傍の椅子に座った。
「身体の調子はどうだ?」
「大丈夫です」
セオンの答えに「そうか」と頷き、フォルセは窓から視線を外に送った。
「戦いは終わった。みんな無事だ」
「そうですか・・・・・」
セオンは答えた後少し黙り、不安げにフォルセを見上げた。
「あの・・・・何も聞かないんですか」
「何もって?」
「俺のこととか・・・・聞かれるの、覚悟していたんですけど」
フォルセは腕を組んだ。
「いまはお互い喋る気分じゃないかと思ってね。話せるなら話してほしい。記憶はすべて戻ったのか?」
セオンは小さく首を振る。
「すべてではないんです。スファルのことや、俺自身のことを、少しだけ・・・・それですら確信を持てなくて、疑わしくて」
「ゆっくりでいい」
セオンは沈黙し、口を開いた。
「アルセオール・・・・それが本当の名です。ハルシュタイルの第4王子として生まれました。スファルは、幼い頃から俺の面倒を見てくれた人です」
「セオンとは愛称か?」
「はい。そう略してくれたんです。えっと・・・・・」
セオンは考え込んだが、すぐに「思い出せない」というように首を振った。
「第4王子は行方不明ということになっている。何があったんだ?」
セオンは記憶をまさぐりながら答える。
「・・・・・殺されかけました」
「殺されかける?」
フォルセは眉をしかめる。
「高いところから突き落とされました。けど、その前後を覚えていなくて・・・・・すみません」
「謝らなくていいよ。何か思い出せたら教えてくれ。・・・・無理をさせたな。今日はもう休め」
セオンは頷き、素直に寝台に横になった。立ちあがったフォルセは少年に尋ねる。
「・・・・スファル殿を、ここへお連れしようか?」
「いえ・・・・もう少し気持ちを整理したいんです」
「そうか」
セオンにしてみれば、やはり自分はハルシュタイル人で敵だったということにショックを受けているはずだ。
フォルセが扉のノブに手をかけた時、背後にくぐもった声がかけられた。
「フォルセさん、ヒンメルさんは・・・・・?」
フォルセは動きを止め、答えた。
「無事だ。・・・・・君のことを心配していた」
「俺は間に合わなかったのに、なんで・・・・・」
セオンの声がか細く消える。フォルセは改めてノブに手をかけ、肩ごしに振り返って声をかけた。
「セオン。気に病むなとは言わない。それでも・・・・死んだ者たちのため、前だけを見ろ」
「・・・・・っ」
「・・・・・もう休め」
「はい・・・・・」
フォルセはその返事を聞き、医務室を出た。
ホールにいた負傷者はだいぶ減り、静かになっていた。駐在の騎士はこのキシニアにかなり愛着のある者が多く、手当てをしてもらってすぐ街の片付けの手伝いに行ったのだろう。フォルセの指示を待たずに独断行動をしたわけだが、フォルセは咎めないしむしろ有難く思う。
「街に行く?」
ユリウスが歩み寄ってきた。手には往診用の医療鞄がある。フォルセは無言で頷いた。
市場へ出ると、軒を連ねている店の店員が後片付けに追われていた。大勢の騎士も手伝っている。家屋の倒壊が激しく、もはや住める状態ではない住宅もある。もう遺体は片付けられていたが、あちこちに血痕が残っていた。
「フォルセ」
ひとりがフォルセに気づき、あっという間に近くにいたみながフォルセの傍に集まってきた。
「大丈夫か? 顔色悪いぜ」
「少し休んだ方がいいんじゃない?」
「こっちなら平気だからよ」
フォルセは投げかけられる優しい言葉のどれにも答えを返さなかった。ただ民たちをぐるっと見まわし、見つけてしまう。いつも一緒にいた少年ふたりの内の片方がいないこと。肝っ玉母さんとして旦那を尻に敷いていた妻が、夫の傍らにいないこと。可愛くて幼い孫の手を引いて歩いていた祖父がいない。元気のいい居酒屋の看板娘がいない・・・・・。
フォルセは拳を握りしめた。そして、傍に集まっている大勢の民に深く頭を下げた。それは騎士としてではない。キシニアの民として、言葉を紡いだ。
「私の力不足です。たくさんの人を犠牲にしてしまった・・・・・償いは必ず。もう二度とキシニアを戦場にしない」
キシニアはフォルセの故郷だ。そこに住む民は、みなフォルセのことを良く知っている。両親を失ってひたすら、強くなることを望んだ少年。揺るがない意思を持ちながら、時に繊細で脆くなってしまうことがある少年。それが彼の過去の姿だった。今は副長という重い責任を負っているために、毅然とした態度を崩さなくなった。それでもやはり変わっていない。フォルセはとにかく優しくて、強いゆえに弱い。
キシニアの人々はそんなフォルセに労わりの言葉をかけた。フォルセは深く吐息をつく。
「・・・・ヒンメルさんのところに行ってくる。兄さんは怪我人の治療を頼む」
「うん」
ユリウスは頷き、作業に戻った。フォルセの足音が離れていくのを感じながら、ユリウスの表情も暗くなっていた。
「死を間近に見る仕事とはいえ、辛いねぇ・・・・・」
誰にともなく、ユリウスは呟いた。それは医者である自分のことでもあり、騎士であるフォルセのことでもあった。
宿屋の石段に座っていたヒンメルは空を見上げている。先程までの騒がしさが嘘のように、キシニアは死に閉ざされている。つい数10分の魔物の襲撃で、いったいどれだけの人間が死んだのだろうか。
あと1秒遅ければ。そのくらいの偶然で、娘は死んだのだろうか。
「ヒンメル・・・・・さん」
不意に声が聞こえ、ヒンメルは視線を動かす。フォルセがそこにいた。
「おう、フォルセ。顔色が悪いじゃないか。怪我でもしたのか?」
フォルセは疲れた笑みを浮かべ、静かに首を振った。
「みな、そればかりですね」
フォルセはゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。ヒンメルも立ちあがる。
「俺なら大丈夫です。それより」
「良い。何も言うな」
ヒンメルはフォルセを制した。フォルセは口をつぐんだ。
「お前のせいじゃないんだよ、今回の襲撃は全部。色々背負いこむのが好きみたいだが、自分に関係ないことまで背負うな」
「関係ないなんて、そんなことはないです。現に、街へ敵の侵入を許してしまいました。籠城した意味がありません」
「そんなに自分のせいにして、責められたいのか?」
問われたフォルセは言葉に詰まり、それから肩の力を抜いた。
「そう・・・・かもしれませんね」
ヒンメルはじっとフォルセを見つめ、拳を固めるとぽかりとフォルセの頭を小突いた。フォルセが驚いて顔を上げる。ヒンメルが笑う。
「これで良いか?」
「ヒンメルさん・・・・・」
「ん?」
「・・・・宿屋は、どうするんですか」
もっと違うことを言いたかったのだが、咄嗟にそんなことを聞いてしまった。ヒンメルは笑う。
「続けるさ。ここでやめたらテルファに怒鳴られる。あいつは死んだ母親に似て、強気で頑固だからな―――」
ヒンメルの声が小さくなる。彼は顔を背けた。
「・・・・・大嫌いだ」
「・・・・・」
「魔物もハルシュタイルも大嫌いだよ。俺の手でぶっ潰したい。だが、そんな力はないんだ。だからお前に任せる」
フォルセは黙っている。
「今回は・・・・・フォルセもユリウスも、それからセオンも。みんな無事で良かった。心の底から安心しているんだ。みんな、俺の息子みたいなもんだからな」
「それでも・・・・っ!」
「フォルセ。お前を憎んで、殴って蹴って、テルファが生き返るなら俺はいくらでもできるよ。でもできないんだ。だからな・・・・自分を卑下するな」
ヒンメルがフォルセの頭に手を置く。
「11年前、両親を失ったお前とユリウスを・・・・・俺は励ましたつもりだった。けど、俺は肉親を失ったお前たちの気持ちは全く分かっていなかった。だから、『勝手なことばかり言って調子が良すぎる。あなたは何もわかっていない』って、ユリウスに怒鳴られたことがある」
「兄・・・さんが・・・・?」
想定外だった。あんなにも優しいユリウスが、そんな激情を露わにしたことがあったなど。
「だがな、今は分かる。お前たち兄弟は、こんな気持ちをずっと抱えて、ずっと耐えていたんだな―――」
「・・・・っ!」
「フォルセ。お前はすごいよ。それでも街のためにって頑張っている、その姿をキシニアのみんなが知ってる。だから、一人で背負うことないんだぜ?」
その言葉を聞いて、フォルセの中で何かが弾けたように感じた。視界が霞み、足から力が抜ける。フォルセはヒンメルにすがり、力なく地面に膝をついた。
「フォルセ・・・・・」
フォルセはうなだれている。涙の雫が、地面に滴り落ちていた。
「・・・ごめんなさい・・・・・ごめんなさい・・・・っ」
弱々しく、フォルセが声を出す。ヒンメルは息を詰まらせ、彼をそっと支えた。彼が涙を見せたのは、フォルセとユリウスの両親が死んだ、15歳のあの時以来だった。
物陰からそれを見守っている者がいる。ロキシーだった。と、後ろから腕を思いきり引っ張られた。
「いてっ、なんだよ・・・・・」
そこにいるのはランシールだ。ランシールが危険な笑みを見せる。
「上官の後をつけて回るなんて、悪趣味ですね」
「なんつー言いがかり。俺は副長を心配しているんだぜ?」
「ええ、知っていますとも。副長に何かあれば、きっとロキシーさんはすぐ退団でしょうからね」
「そう、それが目下最大の俺の恐怖」
とてもそんな風に見えない。ランシールは溜息をついた。
「しかし、良いもん見たねぇ」
ロキシーが腕を組んで物陰からフォルセらの様子を伺い見る。改めてランシールは「悪趣味だ」と再確認する。
「副長は・・・・・騎士の前では絶対にあんな姿を見せませんよ」
「だろうなぁ。あんな無防備な姿、初めてだ。ずっと平然としていたが、やっぱり無理しているんだろうな」
ロキシーがしみじみ言う。ランシールも俯く。
「そりゃそうですよ。だってここは副長の故郷だし・・・・副長は街の人をとても大切にしていますから」
「ふうん。ランシールって副長さんと付き合い長いの?」
「・・・・子供の頃からの付き合いです。僕の生まれ故郷はキシニアではありませんが」
滅多に他人の事情を尋ねないロキシーが珍しい。それだけロキシーがランシールに興味を持った、ないし心を許しているのだろうか。
「・・・・もう、戻りましょう」
ランシールがロキシーを促して踵を返す。ついてくる確信はなかったが、ロキシーは素直にそれに従った。