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遠き空の下  作者: 狼花
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2章‐1 悲劇

 地響きが起きた。地震とは明らかに違う、強烈な振動だ。ソファに寝転がっていたユリウスは仰天して飛び起き、セオンも顔を上げる。


「攻めてきたんでしょうか」


 セオンの言葉にユリウスは首を振った。


「襲撃を受けたなら必ず警鐘が鳴る。でもまだ鳴っていない・・・」


 言葉の最中で、外から悲鳴が響いて来た。セオンが立ち上がった。


「様子を見てきます」

「セオン、駄目だよ! 無暗に外に出ちゃ・・・・!」


 止めたが、セオンは既に外へ駆けだして行った。後を追おうと立ち上がったが、再び襲ってきた激しい地響きでユリウスは態勢を崩す。立ち上がることもできない、強い揺れだ。


 家が軋んでいる。そう思った瞬間、扉が開け放たれた。誰なのかを確認する前に、ユリウスは腹部に強い一撃を喰らった。目の前が真っ暗になり、意識をなくした。


 セオンも激しい揺れに苦労しながらも、なんとか【黒い豹】の近くまではたどり着いた。とそこに、見なれた男性の姿が見える。


「ヒンメルさん!」


 ヒンメルはセオンに気づき、安堵の息をついた。


「セオンか、無事だな」

「何が起こっているんですか?」

「俺にもさっぱり―――」


 ヒンメルが言いかけたその時、少し離れたところにある十字路から、獣が飛び出してきた。魔物である。


「魔物・・・・・!? なんだって街の中に!?」


 ヒンメルが言葉を失う。魔物は逃げ惑う住民を追いかけ、むさぼり喰らう。そのあまりに惨い情景にヒンメルが顔色を失う中、セオンは平然としたままだった。


「テルファは? 家の中ですか?」

「それが、買い出しに出たままで・・・・・俺も探しに行こうと思っていたんだ」


 セオンはヒンメルに向き直った。


「この先は危険です。店にいてください」

「だけどな、危険なのはお前も同じだろ」

「俺は平気です。テルファは必ず連れて帰ります」


 セオンは軍刀を引き抜いた。そして市場へ向かって駆けだす。その後ろ姿を見送ることしかできないヒンメルは舌打ちし、怒鳴った。


「くそぉっ! フォルセ、なんとかしろぉ!」


 その声は果たしてフォルセに届くか。


 今や街中が魔物で溢れていた。どこから入って来たというのか。森へ続く西の城門が破られたのだろうか。あそこにはいつだって騎士が控えていたはずなのに―――。


 しかし、森に住む魔物とは明らかに違う。3か月前にセオンが斬り捨てた、あの強い魔物に似ている。


 市場の通りに出ると、そこは嵐が去った後のような惨状だった。魔物の姿はないが、倒れている人が多く、店も倒壊して品物が転がっている。セオンは足早に市場を歩いてテルファを探した。


 細い路地の入口付近で、店の壁に背を預けて座っている少女を見つけ、セオンは駆け寄った。腹部が血にまみれ、意識のないテルファだった。


「テルファ!」


 セオンが何度か呼びかけると、テルファは薄く眼を開けた。セオンを認識すると、少し微笑んだ。


「セオン・・・・・」

「良かった。すぐ店に戻ろう。ちゃんと傷の手当てをしなきゃ―――」


 セオンがテルファの手を握ると、テルファは少しだけ握り返してきた。


「もう無理・・・だよ―――セオン、逃げて」


 テルファの言葉を聞いて、セオンは首を振った。


「そんなこと言うな―――」


 テルファの身体が急に重くなる。セオンはテルファを抱き起こした。セオンは叫んだ。


「駄目だ、テルファ!」


 テルファの唇が動く。もう声は聞こえなかった。ただその動きから、伝えたい言葉は分かる―――。


 冷たくなっていく。セオンは生命を失った少女の身体を抱き締めた。


 と、テルファの身体がにわかに光った。その光はテルファから抜け、宙を漂う。光とは言い難い、赤く昏い炎だ。


『魔物は怨念の塊、もしくは怨念を食い物にする』


 いつかのユリウスの言葉がよみがえる。どれだけ優しく暖かな人間だろうと、暗い感情を持たない人間はいない。だとすれば、この炎はテルファの「負の感情」だ。


 不気味な気配を感じる。セオン、否テルファを狙い、魔物が路地の裏から、市場から、ふたりを取り囲んできたのだ。


 魔物は引き寄せられる。黒い感情を求め、辺りを彷徨っているのだ。魔物は生物ではなく、負の感情の塊というユリウスの考えは正しかった。


 セオンはテルファを抱き起こすと、軍刀を構えた。


「お前たちなんかに―――渡すものはない!」


 セオンは軍刀を振りかざした。


★☆


 騒ぎを聞きつけたフォルセらは市場に向かっていたが、途中でフォルセはランシールらに指示した。


「私はセオンのところへ行ってくる。お前たちは市場へ行ってくれ。私もすぐに行く」

「はいはい」


 ロキシーは頷き、既に使い物にならなくなっているランシールを引きずっていった。今回ばかりは、フォルセも目を逸らしたくなるほど残酷な絵図だった。あたりには大勢の人が遺体と化して倒れている。直接その姿を見てはいないが、どう見ても魔物の襲撃である。


「魔物は一体どこから・・・・・」


 フォルセはそう思いつつ、家を目指した。


 そうして自宅にたどり着いた時、フォルセは妙な寒気を覚えた。気味悪いほど静まり返っている。フォルセは扉を開けた。


 室内はかなり荒らされていた。棚は倒れ、扉は開きっぱなし、かなり大勢の人間が入り込んだ足跡もある。


「兄さん!?」


 壁際に倒れている兄を見つけ、フォルセは駆け寄った。抱き起こして揺さぶると、ユリウスはすぐに意識を取り戻した。


「フォルセ・・・・・」

「何があったんだ?」


 フォルセは冷静だったが、それは表面上のことだけだ。


「分からない。急に誰かが入って来て、僕は一瞬で・・・・・」


 そこまで話したユリウスははっとして室内を見回した。少年の姿がないことに気づき、ユリウスは顔色を失う。


「セオン・・・・! セオンは、どこに・・・・!?」

「部屋にはいないようだ。外か・・・・」

「ああ・・・・様子を見てくるって出て行っちゃって、止められなかったんだ。多分、テルファのところだと思うんだけど・・・・」


 フォルセはユリウスを支えて立ちあがった。幸い、ユリウスに怪我はない。ただ一時的に意識を失っていただけだ。


「・・・・・とりあえず、今回の騒ぎは人為的なものだということだな。入ってきた奴らはきっと、セオンを探していたんだ」


 根拠はないが、ほぼ確信していた。ユリウスも頷く。


「ついにハルシュタイルの手が伸びてきたってことかな・・・・・フォルセ、ところでどうしてここに?」

「隊長にセオンを守れと命じられた。だから俺はセオンを探す。歩けるか?」

「僕も医者だからね。助けられる人は助けるよ」


 ユリウスもついて行くということである。


 フォルセとユリウスは家を出て、まず【黒い豹】へ向かった。店先にヒンメルが、所在無げに佇んでいた。


「フォルセ!」


 気づいたヒンメルが破顔する。フォルセはヒンメルの傍に駆け寄る。


「セオンを見ませんでしたか?」


 単刀直入に問いかけると、ヒンメルはすぐ頷いた。


「ああ、セオンの奴、ひとりで市場に向かったんだよ。テルファを探して・・・・・」


 フォルセは眉をしかめたが、すぐヒンメルに向き直った。


「有難う御座います。ヒンメルさん、危険ですから店の中にいらっしゃるように」


 フォルセは小さく頭を下げ、身を翻した。ユリウスも後を追う。


★☆


 セオンの手から軍刀が滑り落ちた。そのまま身体が前のめりになる。それでも地面に片手をついて倒れるのだけは防いだ。


 ここまで何匹の魔物を斬り捨てたか、正確に覚えてはいなかった。ほぼ無意識で、身体にも少なからず傷がある。


 腕の中のテルファは冷たい。もう二度と目を開けることをしないのだと改めて認識し、セオンは目を閉じた。


「テルファ・・・・・」


 と、新たな気配を感じた。ゆっくりとセオンを包囲しているのは、紛れもなく人間だった。


 セオンは僅かに顔を上げ、彼らを見やる。銀色の装飾がある騎士の制服。だがそれは、見なれた【黒豹】のものではなかった。そもそもカルネア連合のものではない。


 セオンは軍刀を引き寄せると、テルファを抱き抱えたまま立ち上がった。


「さすが名高き【魔狩(まが)り】。見事な戦いぶりです」


 冷たくて残酷な声音。セオンはぼんやりと相手を見つめる。


「・・・・お前たち、兄上の手の者か」


 そう問いかけ、セオンは自分で不思議に思う。いまの台詞は自分の意思で言ったものではなかった。だって、セオンは「兄」など知らない。言葉づかいも声音も、自分のものではあるが明らかにセオンの意思ではない。


「俺を捕えるために、魔族(まぞく)を放ったのか」

「その通りです。貴方が降伏すれば我々は撤退します。犠牲になるべきではありませんか?」


 俺は誰なんだ。魔族ってなんだ。浮かびかけた疑問を、セオンは無理矢理振り払う。そんなことはいま気にすることではない。


「そうかもしれないな。だが―――」


 セオンは軍刀を持ち上げ、無造作に構える。騎士たちもセオンの殺気を読みとり、剣を構えた。


 騎士が斬りこんでくる。セオンはその攻撃を軽く受け流し、軍刀を振り上げた。血しぶきと共に騎士が倒れる。セオンの軍刀は確実に、騎士の頸動脈を断ち切っていた。セオンの剣技は凄まじかった。多数の騎士相手に剣一本で対等以上に渡り合っているのだから。


 銃声が響いた。セオンの反応が遅れ、右腕を銃弾がかする。態勢が崩れた瞬間に騎士がセオンを拘束した。軍刀をもぎ取られ、テルファも無造作に引きはがされる。


「離せ・・・・」


 セオンが低い声で脅すように言う。騎士は何も答えず、仲間に合図した。騎士がセオンの傍に歩み寄り、小型の銃のようなものをセオンの首筋にあてた。セオンが抗うが、拘束は固く逃げられない。


 騎士が引き金らしきものを引く。小さな音がセオンの耳に聞こえ、僅かな痛みが首筋に奔る。それと同時にセオンの意識が途絶えた。薬を塗った針をセオンに突き刺したのだ。


 ぐったりと力を失ったセオンを抱え、騎士が呟く。


「次、目覚めるときは、懐かしいハルシュタイルの荒野ですよ。『殿下』」


 少し離れた場所にある建物の影に隠れていたロキシーは、傍にいるランシールの手から銃をひったくると、まともに照準も合わせずに引き金を引いた。ランシールが真っ青になる。銃弾はセオンを抱えている騎士の足元に跳ねた。騎士たちが一瞬で身構える。


「何者だっ」


 騎士が怒鳴り、その声に応じてロキシーが路地から姿を見せる。部下の騎士たちも彼の周囲を固める。


「敵地の真っ只中にいてその台詞はないんじゃないの、ハルシュタイルの騎士さんよ」


 もっともである。ロキシーは部下を振り返る。


「団体様がお帰りだ、案内してやりな」


【黒豹】たちが前に進み出る。ランシールも銃を構えた。


 完全に先手を奪われたハルシュタイル騎士は総崩れした。すべて完膚なきまでに叩きのめされ、ロキシーが念入りにとどめを刺して回る。


 セオンを抱き抱えたランシールが安堵の息をついていると、傍にひとりの少女の遺体があることに気づく。


「この子、あの宿屋の・・・・」


 ランシールは言葉をつぐんだ。ロキシーが市場を見まわした。彼ともあろう者が、非常に深刻そうな顔をしている。


「にしても、ひっどい有様だなぁ。魔物もいねぇが、人もいねぇ。最悪だ、ったく」


 ロキシーも不機嫌そうだった。そこで警鐘が鳴り響いた。いよいよ、ハルシュタイルが攻めてきたのだ。激しい砲火がこちらまで伝わってくる。


 魔物の襲撃を受けて混乱に陥っているときに砦を攻める。ふたつは偶然などではなく、仕組まれたものという線が濃厚だろう。


 しかし、いったい誰が、どうやって魔物を操れるのだろうか?


「ランシール! ロキシー!」


 フォルセとユリウスが駆けてきた。部下の騎士たちが一斉に敬礼する。


「みな大丈夫か?」

「はい・・・・・」


 ランシールが沈んだ声で頷く。大量の死を見せられ、気分が沈んでいる。ユリウスは真っ先に倒れたセオンの傍に駆け寄り、セオンの身体の傷を確認してから、ロキシーが持ってきた銃をいとも簡単に分解していく。「作るのは大変だが壊すのは簡単」という意味である。


 銃の中に入っていたのは透明な細い筒だった。その筒の中には透明な液体がある。その蓋をあけて液体の匂いを嗅いだユリウスは顔をしかめる。


「こりゃまた厄介なやつを・・・・」

「なんだったんだよ?」

「毒だよ。僅かな量でも神経を麻痺させる強いものだ。命に影響はないけど、さて・・・・」


 ユリウスが腕を組む。ロキシーが肩をすくめた。


「あんたって、毒の知識まであんの?」

「薬っていうのはね、正しい使い方をすれば正しい薬に、間違った使い方をすれば毒になるものなんだよ。この毒だって、ちゃんと使えば解毒薬になる」


 ユリウスは言いながら毒薬を地面にこぼして捨ててしまった。そうして振り返ると、フォルセが息絶えたテルファを抱き起こしているのが目に入った。ユリウスが沈鬱な表情になる。


「テルファ・・・・・ヒンメルさんに、なんて言えば・・・・」

「セオンは、この子を守ろうと・・・・・」


 ランシールの震える声に、フォルセが頷いた。


「だろうな」


 ロキシーが頭の後ろで腕を組む。


「簡単だなあ。あんま悲しくないの? 世話になってた子でしょ、そのお嬢ちゃん」


 途端にユリウスがぽかりとロキシーの頭を殴った。ロキシーが頭を押さえる。フォルセは疲れたような笑みを見せた。


「・・・・すまない。薄情な男だと軽蔑してくれ」

「副長・・・・・」


 ランシールが不安げに呟く。ユリウスもランシールも、勿論ロキシーだって、彼らの副長がそんな薄情者だとは思っていない。むしろ誰よりも優しいのだ。フォルセは振り返り、部下に告げた。


「市街の巡回と民の安全確保にまわれ。魔物は完全に追討しろ」

「はっ」


 騎士たちは頷き、駆け去った。と、ランシールがはっと顔を上げて銃を構えた。臆病さゆえか神経が過敏なランシールは、いつも真っ先に敵に気づくのだ。


 街の入り口の方から数名の騎士が歩み寄ってくる。ハルシュタイル騎士だった。先頭の騎士は指揮官らしく、堂々とした威圧感のある壮年の騎士である。


 フォルセがテルファをロキシーに預け、前に進み出る。そして騎士に槍を突きつけた。


「そこで止まれ」


 静かだが怒りに満ちた制止の声。騎士は大人しく歩みを止めた。フォルセは槍を握る手に力を込め、騎士を睨みつける。


「まだ・・・・殺し足りないか」

「誤解しているようだが、我々は先程の奴らとは違う。我らの目的はただひとつ、セオンさまを渡してもらおう」


 騎士の言葉を聞き、フォルセは身構えた。


「理由など関係ない。―――第一大隊副長フォルセ・ミッドベルグ。私が貴様らを冥土へ叩き落とす」


 それを聞いたロキシーが「やば、副長マジ本気じゃね?」とひきつった笑みを見せる。騎士は前に進み出て剣を抜きながらフォルセを見やる。


「ほう、カルネアの【黒豹】か。お相手できるのは光栄だ」


 フォルセは何も言わなかった。ひとつ息をつくと、強く地面を蹴った。


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