5.えしゃく? なんだそりゃ
お伽話に登場する彼らは、いつも黒い髪と黒い瞳で描かれ甘い言葉で人を惑わした。
ときには、善良な農夫から一反の野畑を奪い去り。
ときには、幼子をその親元から奪い去る。
そんな曰くつきの闇色の瞳をヤマトは持っていた。
ヤマトはもう十分に体力が回復していた。だが、瞳を見た村人達の反応が不安でまだ連れ出せていなかった。ただ、瞳よりも目立つ美しい金の髪が救うだろう、とも思っていた。
――なのに、だ。
初めそれに気付いたとき、疲れ目の見せた幻だと思った。次に見たとき、少し広がりをみせたそれに眉を寄せた。そして、今。疑い様もなく、存在する黒にどうすることも出来ずにいた。
「ヤ、ヤマト」
呼びかけた相手が振り返る。綺麗な金の髪。……の根元が黒いのだ。
頭を抱えて地にうずくまってしまいたくなるのを堪える。今日こそは聞かねばならぬのだ。
いや、この葛藤をもう7日ほど続けているのだが。
そんな自分に嫌気を感じてため息がこぼれた。それに、ヤマトが敏感に反応する。眉根を寄せて、その大きな体を屈めこちらを覗き込む。
いつのまにやら目の前にある黒の瞳に、小さく首を振ってみせた。彼の目を見てしまうと、魔族との結びつきなんて馬鹿なことは、言えなくなった。今日もまた誤魔化して、その場から逃げ出す。日に日にはっきりと姿を見せる闇色が、この一見穏やかにも見える生活の綻びを突き付けていた。
薬研の下で種子の殻が潰れ、硬い殻から柔らかな胚珠が現れる。次第に荒さが消え滑らかなにるにつれ粉末に粘りが出る。色が朱色から鈍色に変わる頃に、乳鉢へと移す。先に煎じた薬種と合わせ、よく混えたころには粘りが消えて一つの塊にまとまっていた。それを延べ棒状に伸ばし、溝をつけた板の上に並べる。同じく、溝のある板を被せて数度転がせば、美しい粒薬が出来上がった。
葦籠に油紙に包んだ粒薬を収めて蓋をする。机の上には同じ籠が4つ積まれていた。量の手に乗るほどの籠の中身が、自分の暮らしを支える最大の糧だった。
土壁に貼った依頼書に目を向け、その日付けを確認する。納期には十分な余裕かあった。この辺りでは滅多なことでは手に入らない濁りのない和紙に、流麗な文字が並ぶ。送り主は懐かしき学び舎だ。かの地に残った唯一の知人が自分の窮地を思い、薬種の依頼を流してくれていた。
大口を叩いて出て来たくせに、未だにまともな仕事も出来ない自分に歯噛みする。
どう足掻いても、女だという事実は変わらないのだから、誤魔化すことなく、正面から勝負を挑んだ。
それを笑う者はこちらから笑ってやった。
けれど、眉根を寄せながら学舎に残るよう引き止めてくれた者とどう向き合えば良いのかは、分からなかった。強がることしかできなかった。
あの時と全く変わらない自分の振る舞いに、もはや苦笑すら浮かばない。
出来上がった薬種を前に物思いにふけっていた耳に戸を叩く音が聞こえた。
外ではヤマトがポクくん相手に「さっかー」という球蹴りをしているはずだ。見知らぬ遊びを教えてくれるお兄さんにポクくんはすっかり夢中だった。
昼のさなかだから戸の閂も外してある。ヤマトなら戸を叩くわけがない。誰だ、と訝しみながら開けた戸の向こうにはよく見慣れた顔があった。
「ああ、ちょうどよかった。お願いしたい荷が出来て――」
「先生、早馬です」
3日に一度はやってくる顔馴染みの御用聞きは、言葉を遮って一通の書簡を差し出した。
「早馬」と聞いて首をひねる。そして、書簡に添えて差し出されたものに、眉を寄せた。黒地の袋は中の重さにだらりと垂れていた。
「薬代はまだのはずだが……」
「共に渡せと言われています」
訝しみつつ金子の袋を受け取る。ずしりとした感覚に、困惑が増す。慌てて金品の内容改めの封書を切った。
「は?」
そこには常の額の数倍の数字が並んでいた。
「……早馬だと?」
忙しなく書簡の方を開ける。「楼」の一字が見えて、続く言葉に息が詰まった。
「……すまない、荷は後日に頼む」
「あの、外に馬を待たせてありますがどうしましょう」
「いらない、連れて帰ってくれ。それから、この書簡については忘れて欲しい」
手持ちの金から幾ばくか握らせ、御用聞きを追い立てるように戸を閉めた。真っ直ぐにかまどへと向かい、手にした紙に目を落とす。
『逃げろ』
何度見ても簡潔な一語だけ。つまり、それほど急を要していたということだ。送り主は学舎の知人だった。忠告を受けた理由は明らかだ。禁呪を犯したことが学舎に暴露たのだ。
自然の理を歪める、それが禁呪だ。歪みによる綻びが生ずるのは当然である。おおよそ、天読みの連中たちが凶事を感じ取ったのだろう。そして、易者の占で私が導き出された、というのが筋だろう。
ひとつ大きく息を吸い込む。空気を吐き出すと共に、一息に書を引き裂いた。
小さく裂ききると、かまどの火へくべる。あかく燃える炎に怯えるように縮んだ切れ端たちは、一瞬の後に弛緩し、炎へ溶けてゆく。無表情で書簡が灰と変わるのを見届けると、机へ向かった。
ヤマトが目覚めてすぐに、覚悟は決めていた。ただ、ヤマトだけは逃がしてやりたかった。思いつく伝手はソンガさんひとりだ。通りすがりの行き倒れを助けた彼等なら、と望みを託す。せめてもの償いに書付と共に飛脚から受け取った金子を残そう。恐らく、逃走資金にと奴はくれたのだろうが、今はどう使おうが私の勝手だ。
学舎へ引き連れられて、牢に繋がれた私を見る呆れた顔が目に浮かぶ。
苦笑して、すぐさま行動に移す。殴り書きの手紙をしたため、ヤマトの荷を皮袋に纏めた。書付はすぐに燃すようにとも告げる。
間に合うだろうか。都からここまで、馬を駆けて3日。部隊が動いた後に早馬を出したとすれば、集団が着くのもほぼ、変わらぬはずだ。
焦る気持ちを抑えて、出来た用意を手に裏庭への戸を開けた。
「ヤマト」
平静を装って、遊びに興じる二人に声をかける。ヤマトは忠告した通りに律儀に頭巾を頭に巻いたままだ。この地方の男たちがよくする布を巻く風俗だった。これならすぐに黒髪が露見することはない。
寄ってきた二人に荷を差し出した。
「これをソンガさんに届けて欲しい」
こてんとポクくんが首を傾けた。
「お父さんに?これ、なぁに? 」
「私からのお願いごとだよ。よろしく、と伝えてくれないか」
「ふうん。いいよっ」
理解しきれないようすながら、滅多にないお願い事にポクくんはうれしそうに首を縦に振った。それからと、隣で立ち尽くすヤマトに向かう。
「ヤマトにも一緒に行ってほしい。助けてもらった礼を伝えて来い。元気な姿を見せればソンガさんも喜ぶ」
「お兄ちゃんも来るのっ!やったぁ! 」
ポクくんが嬉々として声をあげた。言葉を理解できず、眉を寄せるヤマトに「一緒だよぉ」と必死に内容を伝えようとする。
ああ、大丈夫だ。二人のその様子を見て張り詰めた心が少し癒された。
「さぁ、行っておいで」
「うんっ」
ほらっとポクくんが差し出す手をヤマトが握る。ふと、ヤマトが視線をこちらへ向けた。
「じゃあな」
最後まで、面倒を見てやれなくてすまない。別れの言葉にしてはあっけない。しかし、言葉に出来ない思いを微かに浮かべた微笑にのせた。ヤマトは陽の光に眩しそうに瞳を少し細め、小さく頭を下げてから、背を向けて歩き出した。
――そういえば、頭を下げる仕草の意味を聞いていなかった
どうでもいいことが思い浮かんだ隣で、遠くから近付きつつある馬音を感じていた。