表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

第二戦 【巡る街(巡り待ち)】

第二戦 【巡る街(巡り待ち)】









 目が覚めたときには、もう彼の姿はどこにも無かった。代わりにベッドの脇に置いてあったメモには、奇麗で男らしいどんなんだで、『先に帰らせてもらう。悪いが住所は勝手にチェックさせてもらった。これは電車代だ、使え。あー、別にお前の住所、悪用しようなんて気は無いから安心しろ。』だそうだ。これと言うのは、多分メモの上に乗っていた万札一枚の事だろう。・・・電車代にしては高い気がする。というか、それ以前に彼は私の話しを聞いていたのだろうか。私は絶対に、どんな理由でも金を受け取らないと言ったはずだ。彼もその事に頷いていたと、私は記憶している。ならばこれは彼の善意か嫌味か、はたまた皮肉かもしれない。どのみち一万円なんて大金を、この場に置いていく訳には行かない。ここで拾うのも気分は悪いが、他所の顔も知らぬへのへのもへじさんに拾われるのは、更に不愉快極まりない。私は大人しく、吐き気を催しながらも万札を懐に仕舞いこんだ。もちろん、それだけだ。使う気は無い。帰りの電車代くらいはちゃんとある。これは今度会った時にでも返しておこう。そうしよう。


多分。またいつか。いつになるか解らないが、多分。またいつか。会うと思う。彼に。


 ホテルを出ると、強い日差しが私の脳天を突き刺し、足元まで照らした。時刻は8時。まだ太陽は高くないはずなのに、いつもよりも眩しく感じられた。晴れ晴れとしている。気持ちがいい。久しぶりの感覚だ。一晩寝ただけで、とんだ心情変化だ。自分では、彼のどこを気に入ったのか、正直はっきりとは解らない。だけど、恋では無いのは実感できた。胸がトキメクとか、古臭い物言いだが、そんな事は感じない。恋をする乙女は美しく奇麗になるとも言うが、鏡を見ても美人に成った気はしなかった。

 だけど、何処か自分に安心できた。まだ、こんな自分が居たとは正直嬉しい。地面はいつくばって、人を欺き騙し、下手な作り笑いばっかり浮かべて、人間味なんて大分昔に捨ててしまったはずだけど、一尺くらいの乙女心は残っていたようだ。もう少しだけこの余韻に浸っていたいとこだけど、いつまでもここに居るわけにはいかない。今日は土曜日。毎朝9時15分からNHK教育TVでやっているドラマの、5話一括放送が10時からある。見逃すわけにはいかない。とっとと帰らなければ。私はちょっと小走りアーンド、無いに等しい、自分でしか解らないようなスキップで駅に向かった。ルンラルンラ。今日も太陽が眩しい。月が奇麗。



 家、正確にはアパートに着いたのは9時30分だった。うん、余裕で着いたね。後30分、何して時間を潰そうか。ちょっと考える。そうだ、携帯の電源を切りっぱなしだった。着信があるかも知れない。電源を入れて見る。迷惑メールが3通。出会い系からのメールが5通。8通奇麗さっぱりデリート。そして比奈からメールが一通。内容を確認。

『あかりは無事に家に届けたよ〜ん♪友恵は今なにしてる?私は竜太とプチ飲み会!いやぁ、話してみると中々良い男じゃないか、竜太。気に入ってしまったよ。ウフフ。今日は泊まらせちゃおうかな!』

以上。

そして竜太郎からメールが一通。・・・・・あれ??竜太郎にはメルアド教えていないはずだけど。さては比奈から聞き出したか?

『おうおう、雪野友恵!てめぇ、今までなんでこんな良い女を紹介しなかったんだ(怒)。スゲェ話しが会うじゃないか。こりゃ掘り出し物だな。お、妬いた?妬いたか?(笑)んじゃんじゃ、今日は比奈嬢んとこ、泊まっちまおうかなぁ!』

・・・・以上。てか、私は竜太郎に比奈を紹介するほど、仲は良くないはずだ。こいつ何か勘違いしてんじゃねぇか?なんで私があんたに妬かないといけないのよ。・・・・・だけど、比奈もこんな男を気に入るとは、物好きだ。後のメールが無い所を見ると、多分竜太郎は泊まったのだろう。ふむ、これはいささか面白い展開になってきましたな、ワトソン君。

 とりあえず返信しておこう。・・・・いや、月曜日に直接聞いた方が面白いだろうな。そうしよう。私は返信を取り消し、受信一覧に戻る。あかりからも一通メールが来ていた。

『さっきはごめんなさい。ご迷惑かけました。』

馬鹿丁寧なところ、あかりらしい。そして長ったらしくない所も、まさにあかりだ。これには返信しておこう。

『いいよ、全然大丈夫。気にしてない。あかりの寝顔可愛かったよーv 惚れちゃいそうだった!』

うん、最後の二文はどの程度あかりの動揺を誘うか、気に成るとこだな。

以上、全メール確認。後20分、何して時間潰そうか・・・と考えても特に思い付かなかったので、テレビでも見ることにした。ちょど今は朝のニュースの時間だ。なんか特集みたいな物をやっていた。『宇宙ステーション、初公開!』だそうだ。そういえば、NASA

さんは月に宇宙ステーションを建設中だった。どうやらその4分の1程度が完成し、途中経過を画像付きで報告しているようだ。ま、だけど私には縁の無い話だな。宇宙旅行なんて、まだまだ大分先だし、出切る様になったとしても、私が払える額での宇宙旅行は、私が生きている内には無理だろう。

「では、以上でニュースを終わります。御機嫌よう。」

・・・・御機嫌ようって何よ、あんた。良いけど・・・

 それでもって、ようやく10時がやってきた。とりあえず、今はこのドラマを楽しむ事にしよう。このドラマは数少ない私を楽しませてくれる些細なことの一つだと、今はそう思って置こう。

































 読書に勤しむ私の耳に、携帯の着信が鳴り響く。せっかく久しぶりに読書に目覚めたのに・・・などとは思わなかった。別に私は本の虫では無いし、読書に憩いを見出すほど、本を愛してはいないので、私は無造作に詩織も挟まず、読みかけの本を閉じた。おそらくこの本は、最低3ヶ月は再び開かれる事は無いだろう。ご愁傷様。

「もしもー?」

と、本に心の中で拝んで、携帯を耳と口に近づける。ちなみにこの挨拶は、某青色のネコ型ロボットが、不思議な袋から『もしもBOX』なんて言う秘密道具を出したことで、私の中で流行った挨拶だ。ま、今となっては古い思い出だ。使ったのは、おそらく5年振りである。

『もしもー』

と、合わせて返事を返してくれる、心優しい、心安らぐ女性は小学からの腐れ縁、川島比奈である。と、思いたいところだが、すっとこどっこい。意外や意外。別人だ。女性どころか、男の声である。私の番号を知っている男なぞ、居る筈がない。私が教えていないのだから、至極当然である。なのになのに、私の携帯に男から電話がかかってくるという、この実際事実現実のこの矛盾は、どう言うことであろうか。数秒考える。

『もしもー?』

いきなりの沈黙に、相手は戸惑ったか、同じ言葉を繰り返してくる。さて、この声に聞き覚えは無い。少なくとも私の知り合いでは無い事は解った。ならば自分がどう言うことをすれば良いのか、おのずと選択肢は限られてくる。


1.無視して切る

2.適当に相槌を打って見る

3.素直に誰なのか問う


 ま、こんな所か、さてどれを選ぼうか。

『えー、どうしたのかな?もしもし。』

本格的に黙り込む私に、相手の男は相当困惑しているようだ。うむ、このままほっておけば、あっち側から切ってくれるかもしれないが、・・・さて、どうしたものか。私としては好奇心で、相手が誰か気に成る。相手の声は聞いていて、若々しい。私と同じくらいの年齢だと思う。よし、思い切って聞いて見よう。

「失礼ですけど・・・」

行き成り沈黙を破った私に、相手は驚き『わっ!』と奇妙な、男らしからぬ声を上げた。しかし私は構わず、

「どなたです?」

と、訊いてみた。するとだ、今度はあちらさんが沈黙を作ってしまった。20秒ほど、息遣いしか電話の向うから聞こえてこない。で、キッカリ20秒後。

『清水・・・だけど。』

あぁ・・・・あぁ!

 なるほど、そりゃ・・・忘れるわな。あんたなんか覚えているわけ無いじゃない!と、逆ギレに意味は無い。さて、どう反応したものか、今度はそっちに困ったが、困るだけ無駄だろう。思えば竜太郎ごときに気を使う必要は無い。

「あぁ、竜太郎ね。何?」

とりあえず、普通に返す。普通ならここで相手は怒る所だ。しかし竜太郎は

『いや、今から遊ばないか?』

彼も普通に返してきた。どうやら私の性格を理解して来ているようだ。うん、良い事だ。私の性格、性質を知らずに、私と付き合おうなんてのは文字通り愚考にして、愚行だ。

 しかし、遊ばないか?とはどう言う事だろうか。彼の性格をちょこっと思い出してみるが、さてどうだろう。別にいやらしい遊びとか、そんな事ではなさそうだ。では彼の言う遊びとは

「いったい、何よ?」

考えるだけやはり無駄だろう。彼とは全然親しくないので、考えて解るわけも無い。

『いや、ちょっとブラッとしないかと思ってな。散歩だよ。つっても、三歩歩く事じゃないぞ。』

電話の向うで彼がケラケラ笑っている。・・・一瞬反射的に引けたは。

「私、悪いけどそんな悪趣味じゃない」

『うわ、さりげなく酷いな!』

別にさりげなく無いわよ。直接馬鹿にでも解るよう、酷い事言ったつもりなんだけど。

『良いじゃん、ちょっと聞きたいたい事があるわけだよ。な?クラムのケーキ奢るからよ。』

「残念無念再来年。私、あそこのケーキ好きじゃないの。」

『うそ!マジで!?うわ・・・変わり者―。』

私と散歩しようなんて、あんたもよっぽど変わり者よ。

「それに何よ、聞きたい事って?別に電話で聞くわよ。」

『あー?嫌だ。あるだろ、直接会って話したいって時ってさ?今のオレは、まさしくそう言う状況。シュチュエーションなんだよ。』

と、言われても。そう言う状況。というか感情?になったことは、私には無い。だからそんな事を言われても、全然解らん。

「解らないわよ。そう言う事とは縁遠いの。良い?切るわよ。」

『わっ!待てよ・・・な!お願い!頼れるのはお前だけなんだよー。隣席のよしみ、頼むよー。な?な?』

電話の向うで、土下座して懇願哀願する彼の姿が目に浮かぶ。うむ、ここまで私を頼りにするのは、あかりぐらいだと思っていたが・・・。

「・・・・」

時刻のほどを確認する。現在時刻午後5時になる20分前だ。さて、どうした物か。思えば断る理由は、ことさら無い。しかし考えれば、その逆も然り。受ける理由も全然無い。迷う所だ。

『ダメか・・・・?』

「・・・・はぁ。」

そんな、あんた女かと思うほど、情け無い声を出すんじゃない。お前はそんな馬鹿声出すような男では無かったはずだろう?・・・・そうか、そんな情け無い声が出るほど、切羽詰まってる訳か。

 私って・・・・意外に甘い人間だったんだな。

「解ったわよ・・・はいはい。聞きますよ。」

その言葉に、電話向うの彼が、『え?マジ?本当に!?ドッキリとかじゃないよな?』

 私って・・・・やっぱり信用が無い人間だったんだな。

「嘘かどうかは・・・自分で決めなさい。で?どこで待ち合わせする?」

極端に解るよう、私は「はぁ・・・」と深々な溜息を吐く。自分でも知らなかった、こんな甘い人間だとは・・・クラムのケーキよりも甘い。甘いもの苦手な私。なるほど、自分が嫌いになるわけだ。

『ヘッヘ、実はもうお前のアパートの前に居たりして。』

「なぬ!?」

私は慌ててベランダに駆け出た。下を見る。意外でもなんでもなく、実際事実現実。清水竜太が手を振っていた。

・・・・何故ここを知っているのか。今思い出せば・・・何故私の番号を知っているのか。

 どうやら、こちらからも聞かねば成らぬ事が、山積みのようだ。


















現在時刻、午後6時30分。位置は渋谷。もちろん此処に連れてきたのは、彼だ。竜太郎こと、清水竜太。こんな所に連れてくるとは・・・出来れば此処は、?私情?でしか来たく無い所だ。デートのつもりでも有るのだろうか?まだ明るいし、時間も早いから、例の犯罪云々は見えていないが、9時以降にでも成れば、それらは正面に、惜しげもなく、堂々と表れる。その時刻になる前に、なんとか帰りたい・・・・と思うが、それなら最初から誘いを受けるなと、自分で自分を責める。決して彼が饒舌な男だとは思わないが、彼の言う?相談?が終わったあと、何かしら有るかも知れない。非常に考えにくい事だが、その相談と言うのが私に対しての告白かもしれない。と、なると・・・もしかしたら相談の行為の後の行為が出てくるかもしれない。そうなると、9時までに帰宅とは、いささか無理になるだろう。ま、この可能性は極めて薄いが・・・。

歩きながらそんな事を考えていた私、横を見る。私の隣を歩いているのは、もちろん竜太郎本人・・・・の筈だが。何故か彼は無口だ。無口な竜太郎が居るものか?なにか不審、何か怪しい。

と、そんなこんなの内に、私たちはマックの中に入った。正確には彼が先に入り、私がその後に続く。どうやら彼はここで私に相談とやらをするつもりだ。むぅ、どうせならもう少しまともな所にして欲しかった。いくら私の好き嫌いが激しいと言っても・・・ま、彼も学生、金が無いのだろう。仕方ない、大目に見てやるか。

「奢るよ、何が良い?」

ようやく彼が口を開いた。が、どこかどんよりと、というか、落ち着いている感じでいつもの様な元気が見られない

「普通のチーズでいいよ。あ、ポテトは付けてね。」

「おう」

5分程して、彼は盆に自分の分(多分あれは、ダブルチーズバーガーだろう、でかい。)と、私のチーズバーガーと、ポテト。そしてドリンク二つ乗っかっている。一本は私の分だろう。出来ればコーラは止めて置いて欲しい。あれを飲むくらいなら、泥水コップ一杯飲んでやるは・・・。

「おまた。」

彼は盆を机の上に置き、私の正面に座る形になる。私はチーズバーガを手に取り、包装紙を捲り取る。っと、食べる前に・・・飲み物を確認しておかないと。私はストローを刺し、その穴から中を覗き込む。・・・・ゆらゆらと揺れる茶色の飲み物・・・・コーラかと思ったが、香りが微妙にする。どうやらこれは、コーラじゃなくアイスコーヒーのようだ。有り難い。よかったよかった。

 ストローで上品にアイスコーヒを吸い上げ、喉に流し込み、チーズバーガーに齧り付く。美味しい。やはり日本人として、マックは美味しく食べないと。

「で、本題の方に入ってもいいか?」

竜太郎はドリンクの蓋を取り、普通に直接喉に流し込む。この動作がカッコイイか下品かという議論でもすれば、賛否両論分かれるだろうな。

「本題聞かされなかったら、私が来た意味無いじゃない。」

「そうだな。」

「で?何よ。聞きたいことは。」

とりあえず竜太郎からの愛の告白だけはありませんように。

「実はよ、比奈嬢のことでさ・・・。」

・・・・あぁ。なーる。そうか、そう言えば比奈とこいつは昨晩、良い関係になったのだっけ。

「ふーん、比奈の事ねぇ。で?具合はどーだったの。」

「・・・・は?」

「だから具合よ。」

「?いたって健康だけど。」

「誰もあんたの体調なんて聞いてないわよ。じゃなくて・・・・。」

鈍感。こいつは探偵にゃ向いてないな。免罪の常習犯になること間違いない。

「したんでしょ?比奈と。」

「はぁ!?」

と、彼は周りも気にせず、そんな素っとん狂な声で叫んだ。うむ・・・今日初めて聞く、普段の彼の元気な声音第一声。なぜか周りの視線が竜太郎にではなく、私に向いている事は気にしないで置こう・・・・。

「いつ、俺が?なんで!」

「なんでって・・・メールに泊まるみたいな事書いてあったじゃない。」

「はぁ?なんですか君は。あれをマジに取ったのか?おい、んなことしたら、オレは七淵学園在学男子生徒の標的の的だぞ。狙い撃ちだ。ドカーンて。死んじまうって。」

比奈と付き合うのは命がけ。元比奈の彼氏が、そんな事を言っていたのを思い出す。比奈と居ると、命が幾つ有っても木っ端の意味しかない。と、2年程前の比奈の彼氏・・・つまりは比奈の初代彼氏は、そんな事を病室で語っていた。

故に、比奈と付き合ったことのある男子3人。全員は1ヶ月以内の内に比奈と別れている。それは彼らが臆病風を吹かし振ったのもあれば、比奈が相手の身を案じ、振ったのもある。後者は最後の一人。つまり去年の彼だ。

「確かにそりゃ・・・そうだね。じゃあ何?比奈が好きってのも嘘?」

「いや・・・あれはマジ。本当に、好きになっちまったよ。」

彼は俯きながら、目を逸らし、だけど照れている感じは無くそう言った。どうやら、ホントのホントに好きならしい。そして悩んでいるらしい。何に悩んでいるかなんて、そんな事は言わなくてもいいだろう。

「だから、どうすりゃイイのかなって。」

「それを、わざわざ私に聞きに来たの?」

「まぁ・・・な。」

馬鹿らしい。そんなこと、私に聞いてどうするのよ。私は・・・

「私は男を好きになった事なんて一度も無いの。つまり恋心を知らないの。」

だから、私にそんな相談は無駄。無意味。

「・・・?おいおい、そんなバレバレの嘘。言うなよ。」

「本当よ。」

「でも今、気にかけてる奴は居るんだろ?」

どこか、いやどこかじゃない。確信的に彼は断言した。

「なんで、そんな事言えるのよ?」

「だって・・・今動揺したじゃん。」

動揺。

そんな・・・何を言っているんだ。こいつは。もともと鈍感なコイツなことだ。例え。例え私が恋をしていても、気づく筈はない。愚人の言う事を気にする事は無いんだ・・・。無いはずだ。彼は鈍感な人間の筈だ。だけど、・・・確かに・・・自覚できるほど、脳が知覚できるほど、凄まじく、私は今、動揺した。

気に成る男。

 そんな男、居ない筈だ。私の胸の中には、誰も居ない筈だ。

「そんな・・・こと無いわよ。」

私は手元にあった飲み物を、飲み干す。いつの間にか、その蓋は取れていた。

「そうか。オレが深入りする事じゃないから、良いけど。」

「そうよ。」

心臓の鼓動が、徐々に激しくなって行く。なんで、何故だ。落ち着け、私の心臓。

「それで・・・オレさ、――――。」

 もう、彼が何を言っているのか。周りの音が一切入ってこなくなった。私はただ神経を目だけに集中させ、窓の。ガラス張りの窓の外を歩く?彼?の姿を捉えた。

 高くない。むしろ低い身長。薄い黒色の、無造作にセットされたショートヘアー。そして、ここから見える。彼の顔左半分に埋め込まれた、空と海の色を混ぜたような青の瞳。間違いなく彼だ。

 比口=リワン=直人。

「・・・・ゴメン、竜太郎。」

「え?」

「私急用があったの・・・ゴメンなさい。もう帰らせてもらうは」

「え?えぇ・・・?」

私はしどろもどろになる竜太郎に一言。

「でも、安心して。多分比奈も、あんたの事は嫌いじゃないわよ。」

「?それってどう言う・・・って、おい。」

駆け出す私の背に、竜太郎の言葉が跳ねた返ったが気にしない。マックを出て、私は直人の背を追った。酷く、不自然にも足がいつもより軽く感じられ。心臓は、酷く、不自然にいつもより重く感じられた。

彼の背は、どんどん私から離れていく。

私の足は、どんどん彼に近づいていく。


























 勢いで追いかけてきたけど。結局声はかけないで、私は物陰に隠れながら後を追う。古臭い探偵がやっているような尾行の真似事をやることになってしまった。思えば、彼を追いかけた理由が解らない。というか理由が無いような気がする。かっと胸が熱くなって、頭が真っ白になって、気がつけば足が動いて、目が彼を捉えていた。

 竜太郎は、私に気に成ってる奴が居るんだろ。と言った。そんなことは無い、そんな奴は誰も居ないと思った。だけど、だけど・・・こう言う事なのだろうか?人を、異性を気にするって言うのは、つまり今の私のような事なのだろうか。私は何も、比口=リワン=直人を好きとかは言わない。ただ、ただ正直に考えて考えてみれば、確かに彼を気にしている、彼に興味を持って、好奇心を疼かせている気はしてきた。というか、多分そうなのだろう。今の私の行動は、それ以外に考えられない。でもそれだと、何故彼に興味を持ったのか・・・彼に興味を持てる機会は、もちろん昨夜しか無い。たった一晩・・・その一晩が大きかったのだろう。初めて他人と一緒に居て落ち着けた。それも異性で。・・・異性で・・・・・・・。

(あぁ・・・!もぅ!)

うじうじ考えるのは私らしく無い!考えて解る様な事じゃない。私の精神は数学では無いんだ。


 気がつくと、彼は人気の無い・・・代わりに嫌気の漂う場所に歩を進めてきた。なんだか、周りを見回すと自分がもの凄く浮いてる感じがする。人の形をした異形達。そんな物に自分を合わせる必要は無いはずだが、向うの方たちはそうは行かないようだ。彼等は吐き気のする様な目で私を見ている。否、気配をビンビン送ってきている。本当に吐きそうだが、そんな事すれば、間違いなく私は只では済まない。そうでなくても、今何かされても違和感なんて全く無い状態なのに。

「おい。」

あぁ・・・来てしまったようだ。振り返る。いかにも!って感じのアンちゃんが3人と、女が2人。5人揃って5レンジャー。

「はい。」

とりあえず仏頂面で返答する。変な表情するよか、良いだろう。

「んだ、オメェ。」

はぁ・・・んだと言われても。なんと答えれば良いのか。学生証でも見せればいいのだろうか。そんな物持ち歩いて無いんだけどなぁ・・・・。

「七淵高校の、在学生ですけど。」

こんな感じでいいだろうか。

「あ?おいおい、学生がイケネェなぁ、んな所でなーにやってんだよ。補導しねぇとな、ホドウを。」

あんたらも学生にしか見えないんだけど。何こんな所ほつき歩いてるのよ。

「・・・・。」

振り返る。彼の姿は無かった。見失ったか・・・となると、もう此処に居る理由は無い。さて・・・どうしたものだろうか。こいつらにのこのこ補導されようとは思わない・・・けど1対5か。まして相手は5レンジャー。勝てそうには無い・・・無駄傷は付けたくないし、ここで反抗して、後々痛い目見るのも嫌だ。迷いどころ・・・・。

「おぃ、なんとか言えよネェちゃん。」

野球帽を被って、唇にピアス付けた男がズィと私に近づいてきた。・・・・こんな所、来るんじゃなかったなぁ。私とした事が、失敗失敗。この失敗は一生悔いる事になりそうだ・・・。

「んー?よく見れば可愛らしい顔してんじゃネェか。え?」

私よりも背の高いその男は、腰を折って、顔を私に近づけてきた。レロリと真っ赤な舌を出して。

と、その時。

手に、ゴリッっと。

鈍い感触が伝わった。

「うっ・・・・!?」

野球帽ピアスの男は、腹を押さえ、2.3歩後退った。

 あぁ・・・また、やってしまった。何もしないで置こう、何もしないで置こうと思っても、こう言う輩には、もう性質的に受け付けられない体質だ。危機を感じれば、その場しのぎの対処を取る。たとえそれが後々、悪い結果に繋がると分かっていても、例外じゃない。いつもそうだ。それで、後悔する事になってしまう。今まで一体、何回こんな事があったのだろうか。今まで妊娠しなかったのが、すごく不思議だ。

「っめぇ!」

あー、大人気ない・・・・じゃない。男らしくないな、女の子相手にそんなムキになるなんて、馬鹿らしい。

 別の男が掴みかかってきた。女2人は、タバコを吹かして、微笑しながら見ている。どうやら彼女等は不参加のようだ。となると、3対1になるわけか・・・でも、やっぱり部は悪いなぁ。

「おぉ、只じゃ済まネェよ。ネェちゃん。何やったか解ってるか?ん?ホントに学生かよ、脳はあんのか?」

「あんたこそ。」

思い切り。冷たい目で見てやった。私の本性を表してやった。

 一瞬だけ、男は怯んだ。

 その隙に、思い切り股を蹴ってやる。

「!!?」

彼はなんとも言えない、爽快な表情でその場に膝立ちの形になった。低い位置に来たその顔面に、思い切り蹴りを入れてやる。

「ぶっ!」

彼は後ろのめりに倒れた。

「っんのアマ・・・!」

最初に腹を殴った、野球帽ピアス男・・・はいつの間にか帽子を脱いで、ピアス男になっていた。けど、それはどうでもいい。彼は思いっきり拳を出してきた。幾ら私が強がった所で、私の身体能力が上がるわけでもない。彼の拳は、見事に私の腹を直撃した。鈍痛が走る。胃が揺れて、中身が込み上げてきた。

「うっ・・・」

なんとか寸出の所で堪えた。堪えたけど、次いで二撃目、股間を蹴られた男と同様、膝立ちになる私の背中に、組んだ両拳が振り下ろされる。背中の骨が軋んだ気がした。あぁ・・・容赦ないな。この街は前々からヤバイのは解っていたけど。奥の奥はここまで異常だったか、知らなかったなぁ・・・次回からは近寄らないで置こう。

 腹に、蹴りが入った。見上げると、それは股間を蹴った男の蹴りだった。もう回復したのか・・・凄いな。

 3人目が加入してきた。足蹴りがまた入る。次も、また次も。

 顔は蹴られなかった。避けてるのか、それともたまたまなのか・・・どっちにしろ、もう私に立つ気力は無かった。女を見ると、相変わらず薄ら笑いを浮かべていた。高みの見物。さぞ良い気分だろうな。私も冷笑を浮かべる。

 襟を捕まれ、無理矢理立たされた。何をする気なのだろうか。目の前の男は、拳を作って殴る一歩前の体制になっていた。また腹に来るらしい。今度こそ、胃の中身を吐き出す。

 すると、私の真横をヒュンと、なにかでかい円盤みたいなのが、通り過ぎた。その円盤の外周の部分が、私に殴りかかろうとする男の額にぶつかったのが、目に見えた。そしてその円盤が、道端の青いゴミ箱の蓋だと言うのも認識した。認識した直後、今度は太い棒状の物が、私の後ろから斜め下から斜め上に向かって伸びて、男に追撃を加えていた。それが人間の手だと解るのには、まったく時間はかからなかったし、その手が彼のだと知覚するには、刹那もかからなかった。

 ゴミ箱の蓋と拳を喰らった男は倒れ、もう立たなかった。その男が私の襟を放したことによって、私は後ろに倒れそうになった。それを、彼が支えた。

「よぉ、昨日ぶりだね。友恵ちゃん。」

「・・・・ですね。直人さん。」

私は仏頂面で答えた。

「やるじゃん。見直したよぉ、俺は。」

「どうも・・・。」

「じゃ、後は俺に任せな。」

彼は私から手を放した。私は容赦なく後ろに倒れる破目になった。首を上げて、後頭部をぶつける事は避けたので、問題ない。少々背中が痛いけど。

 ちょっと首を動かして前を見ると、背の低い彼が、自分よりも20~30?高い男を殴り倒していた、2撃程度加えると、ピアス男が前のめりに倒れた。続いて彼は3人目の男に上段回し蹴りを頬に入れた。まるでテコンドーを見ている様な鮮やかな決めだった。最後に女2人を睨んだのか、ここからじゃ彼の顔の様子は見えないが、女2人は逃げていった。男3人も起きる気配は無い。

 そしてコツコツと、彼は私の頭元まで近づいて、腰を屈めた。

「終わったよ。どうする?」

「・・・・起こして。力が入らない。」

「了解。」

彼は私の背中に手を伸ばし、私の上半身だけ起こして支えた。

「顔は狙わなかったのか。こいつ等。」

「みたいね・・・でも体中痛いは。」

「乱れ蹴りだったからな。うっし・・・。」

彼は掛け声と共に私の両脇を持って、自分の背中に私の身を回して、私をおんぶする。私は彼に無様にももたれ掛かる。

「どこ行くの・・・」

「手当てしないといけないだろ。オレの住み家だよ。」

「そう・・・。」

意識がボゥっとして来た。全身からどんどん力が抜けていく。これは痛みからか、それとも安心感からか。

 彼は私を背負ってる事なんか何でもないようだ。普通に、極普通のペースで歩き出した。

「お前尻小さいな。」

「うっさい。寝るわよ。疲れた・・・。」

「いいのか、何するか解らんぞ。」

「昨日何もしなかった癖に、何を今更。」

「そうか。」

「おやすみ。」

「あぁ。」

私はぐったりとなって、彼の背に身を任せた。









 白い壁が視界に広がった。

ぼんやりとする思考の中で、その純白の壁を天井だと理解してから、自分が仰向けに寝ていることを認識し、自分の体にシーツがかけられている事を知覚する。それから上半身を起こして、左右を見た。黒い机と椅子。白い丸時計が壁に掛かっており、黒曜石のごとき色の針が、6時10分過ぎを指している。そして白い壁と一体に成っている白いドアの存在を、銀色に光るドアノブが示していた。私はベットから降り、そのドアノブを捻った。鍵はかかっていなかった。白いドアの向うには、雪色の部屋が広がっていた。広さから見ておそらくリビング。白色の棚。黒いソファー。黒いテレビ。ガラスのデスク。白色の棚には、高さのバラバラの本が立てられていて、その部屋に存在するのはそれだけだった。部屋に一歩足を踏み入れ左を向けば、小さなトンネルがぽっかりと口を開けて、次の部屋の存在を確信付けていたが、私は面倒くさいので黒いソファーに腰を投げた。大きくソファーが沈んで、反発して元の形に戻ろうと私を押し上げる。背をもたれると、自然と顔が天井を向いた。雪の様に、完璧では無い白さの壁。モノクロ設定の配色。こんな不自然で異様な空間を私は知らない。こんな安らぎを感じる空間も、私は寡聞に知らない。だけど、ここが何処なのかも私は解らない。

「どこだろう。」

記憶を辿る。記憶はすぐに私の脳神経を駆け巡り、その中から必要な記憶だけが取り出される。彼の存在が真っ先に私の脳内を走り、私がヤンキーに絡まれている所を彼が助け、私は彼に背負われ、私は彼の背中で意識を失った。

 ならばここは、彼の家なのだろうか。

壁が開かれる音がした。

足音が一足一足近づいてくる。床が鳴る。

肩を叩かれた。

首を後ろに曲げると、彼が微笑んでいた。

「起きたか。」

「うん。」

私も微笑み返した。

「具合はどうだ。」

彼はグルリと廻って、私の隣に腰を下ろした。ビニールの袋を、ガラス机の上に置くと、ガランと音がした。形から察するにビールかなんかだろう。

「どこも痛くない。」

彼は「そうか。」と頷き、例のビニール袋からやっぱり缶ビールを取り出した。

「飲めるか?」

青い瞳が尋ねる。私は「一応。」と肯定する。彼はもう一本缶ビールを取り出して、私に差し出した。手に取ると、ひんやり冷えていた。

 人差し指を立て、ビールの蓋を開ける。気が抜ける音がして、少し泡が吹き出た。

「乾杯」

何に乾杯なのか私は疑問に思ったが、それは問わずに彼に合わせて乾杯をした。喉を鳴らし流し込む。体の芯から冷える。

 4回ほど喉を鳴らしてから、私は口から缶を離した。袖で口元を擦り拭く。

「はぁ・・・。」

私は1つ息を吐く。肩の力が抜けた。私はお尻の位置を前にずらし、ソファーに半寝の体制をとる。

「とりあえず、有難う。」

私は気の無い声でそう言った。

「とりあえず、どうも。」

彼はビール缶を一旦離したが、またゴクゴクと飲み始める。ビニール袋の中にはまだ3本ほどビールが入っている。

「・・・・今って、朝だよね。」

「あぁ、なんで?」

「いや・・・・。」

朝っぱらから、これ全部飲む気なのだろうか。

「ついでに、日曜日の朝だ。」

「そうか。」

じゃ、昨夜からあまり時間は経っていないのか。だったらまだ体にダルさが残っているのも道理だ。

「ところでよ、お前はなんでオレの後をついて来てたんだ?」

唐突に彼は切り出した。あぁー、バレてたのか。私の尾行能力も大した事ないな、別にそんな能力必要ないけど・・・・。

「これ、返そうと思って。」

私はとりあえずの理由として、借りた1万を返すというのを思いつき、そう言った。正直なところ、まだ何故彼の後をつけようと思ったのか解らない。多分永遠に解らないだろう。

 ポケットからサイフを取り出し、一万円を彼に手渡す。

「あぁ・・・いつでも良かったんだけど。」

返してもらう気だったんかい。

「偶然見かけたもんでさ。」

私は微笑んで答えた。だけど彼は笑っていない。

「偶然見かけて、こんな理由であんな所まで追いかけてきたのか。」

彼はビールを一気に飲み干し、私の方に向き直す。視線が重なった。逸らせない。

「お前は馬鹿じゃないとオレは思っている。」

彼は軽く言い放った。

「その青い目は節穴だったわけね。私は馬鹿よ。馬鹿だから、あんな所まで追った。」

「違うね。お前はあそこがヤバイ所だと分かっていた。今お前が自分でそう言った、『あんな所』ってな。分かっていて、お前は追ってきた。その理由はなんだってオレは聞いてる。わかるか?」

「・・・・」

自分でも解らないことを聞かれるのは一番腹が立つ。無神経な相手と、答えられない自分に。今は特に後者が強い。そして今黙りこくってしまったのが、彼の確信を深めてしまった。

「オレの事を、なにか知ってるのか?」

その質問は、私の心にのしかかり。そして私にある1つの考えを浮かばせた。もしかして私が彼を追ったのは、その逆ではないだろうか?彼に興味を持つという好奇心から、彼を知りたいと言う気持ちが現れ、それが私を動かしたのでは無いだろうか。それで・・・なんか全ての筋が通ってしまう。

「・・・・」

けど、そんな理由を口にできる私ではない。とりあえず、

「比口のことは、何も知らない。」

それだけで精一杯だった。彼はしばらく私の目を見つめて、見つめていた。

「嘘じゃないな。けど、なんか隠してる。」

・・・あっさり見抜かれた上に、なんかの漫画にでも載ってそうな台詞を吐かれた。

「ま、オレのこと知らないならそれでいい。」

「そう・・・」

とりあえず難は逃れたようだ。けども彼の様子からするに、なんか私に知られたくない事が有る様に見える。

「しっかし見直したよー、俺は。ビックリした。お前があんな度胸あるなんて。」

あんなとは、私がヤンキーを殴ったことだろう。

「あれはもう、体質っていうか本能みたいなもんよ。あんなのが近づくのを体が拒絶するの。私の意思じゃない。」

「困ったじゃじゃ馬だな。」

「困るからじゃじゃ馬なんだと思うけど。」

彼は「なるほど」って笑った。しょうもない・・・・。

「ここって、比口の家なの?」

会話が途切れそうだったので、私はとりあえず場を繋ぐために尋ねる。当たり前の事を尋ねるのもなんだと思うけど。

「んや、違う。」

・・・・・ハイ?

「違うって・・・・。」

「まぁ、オレの所有物である事には確かなんだが、常に在住する建物を家と定義するならば、違う。言えば別荘見たいなものだな、たまに生き抜きに来るぐらいさ。」

「ここは、東京だよね?」

「あぁ。」

・・・・東京に別荘ですって?なんだそれ。別荘だけでも凄いのに、それを東京の中に建ててしまったのか?東京の住宅事情はそんなに楽なものだったっけ。

「つっても山の中だよ。金もあんまりかかってない。維持費は月10万程度だよ。」

維持費10万。別荘なんて持ってもいないし、持ってる知り合いも居ないので、それが高いのか安いのかは見当がつかない。確か彼は大手ソフト会社の社員だ。それで月10万円を払っている・・・普通のサラリーマンならとてもじゃないが、生活していけない。となると、彼の会社は相当デカイのだろうか。まさかソニーか。

「心配しなくても、後でキッチリ家に返してやるよ。」

「ん・・・。」

私は合点が行かなかったが、追求するのも億劫なのでそれ以上問わなかった。その代わり

「携帯の番号教えてよ。」

彼が懐から携帯を出す。私はその番号とアドレスを入力した。ピッピッピとテンポよいプッシュ音。しかしそれが鳴り終わったら、会話が途切れてしまった。長い沈黙が、永く続いた。














 モノクロの趣味の悪い家を出たのは昼を過ぎてからだった。初めて玄関から足を踏み出した時は正直に驚いた。彼の言うとおり、ここは山の中だったからだ。丁度円の形でくり抜かれた森林の中、外見も真っ白の別荘がデンと構えている状態だった。周りを見ても木々ばっかりだったが、彼が言うには、ここはそんな山奥では無いらしい、ちゃんと道も整備されており、10分も車を走らせれば街に下りられるという。そういうことで、私は彼の車(黒のSUBARU車)の助手席に入り、10分で街に下りた。正確には12分かかっているけど。

 それからは決まった都会の森林しか窓を流れなかった。10分前のあの感動が空しくなる。

「なんで、別荘なんか持ってるの?」

私は軽口でなんとなく聞いてみた。すると彼は「んー・・・。」と唸って、沈黙してしまう。何か悪い事で聞いたか、私。と考え始めたころに、彼が口を開いた。

「あれ、別に俺が建てたわけじゃないんだよ。」

ちょっと苦笑交じりに、彼は続けた。

「死んだ親父のなんだけどさ、形見ってやつ。金もかかるし趣味も悪いしな、処分した方が良いんだろうけど、餓鬼の頃からあそこで遊びまわってたからかね、思い入れがあんだよ。だからまだ維持してる。」

「そっか・・・悪い事聞いたわね。」

「いいさ、別に。そんな仲のいい親父でもなかったし。」

「なにやってたの?お父さん。」

「俺と同じソフト会社のリーマンだったよ。業績も良かった。親父のコネのお陰で俺は入社出来たようなもんだよ。」

「お母さんは、なにしてるの?」

「お袋も、死んだ。」

「・・・・。」

今ほど自分の口の緩みを嫌悪したことは無い。私が思いっきり後悔してるのを知ってか知らずか、彼は黙々と話し続けた。

「親父とお袋は事故で死んだよ。同じ車に乗り合わせてた。即死だったらしいのが、せめてもの救いだ。」

「ごめん・・・。」

「だから別にいいって、っと・・・着いたぞ。」

キッとタイヤとコンクリート面が擦れ、車は停止した。場所は東京駅。

「そういやよ、お前アパート住みだろ。」

「えぇ・・・なんで知ってるの?」

「この前住所チェックさせてもらったとき、知った。」

あぁ・・・あのホテルの時か。

「お前こそ、親は何してんだ?」

「さぁね、母親はとぉっくの昔に死んでる。親父のことなんかは知らないわ。」

「家出中なのか?まさか。」

「そうよ、親父は私が何処の高校に通っているかどころか、東京で住んでることも知らないわよ。」

「訳ありみたいだな・・・追求しねぇけど。親を憎んだりはするなよ。」

「えぇ・・・。」

親父のことは憎むどころか、それ以前にもう何も思っていない。父親だなんてもちろん思っていない。ただただ、どうでも良い存在でしかない。私の中では、赤の赤の赤の他人だ。

「じゃ、そろそろ電車来るから。」

私が黒のSUBARU車から降りると、彼は「痴漢には気をつけろよ。」と、訳の解らない警告を残して、走り去っていった。私はその黒い影を見えなくなるまで、目で追って、見えなくなっても、しばらく彼の去った方を睨んでいた。

 これが彼と私が始めて交わした別れの言葉だった。







 気だるい朝が始まった。携帯のアラームを止め時刻を確認する。6時50分。私は1つ欠伸をかまし、背を思い切り伸ばし、そして目を擦った。一連の動作は私の朝のマニュアルで、この後顔を洗い、着替え、コンビニでパンかお握りを買って朝食にするのも朝のマニュアルで、その後学校に着くまで大体マニュアルが完璧に続く。

 学校に着いたのは8時20分、これもマニュアル通り。

「おはよ。」

席に着くなり声をかけてきたのは、私よりも早く来ている竜太郎だった。

「おはよ・・・。」

スッカリコンと忘れていたが、そうだ・・・私は土曜の夜、竜太郎を置き去りにしたのだった。なのに竜太郎はというと、別段私への態度に変わった所は無い・・・竜太郎、意外に懐の広い男のようだ。といっても、私が彼をほって置いたという事実は変わらない。

「土曜は悪かったね、急に飛び出して。」

素直に謝っておくのが社交だろう。すると彼は目を見開いて、

「なんだ、どうしたんだ。雪野が謝ってるのか!?これは夢か幻かオレの妄想か!?」

・・・むっさ失礼なことを言われてる気がする。

「私だって自分の非は認めるわよ。」

「あー、そうか。お前も成長したんだなぁ・・・。」

誰よあんた。

「んーで、比奈とはどうなの?なにも連絡が無いところを見ると、進展はなかったみたいだけど?」

「まぁな。これと言って何もないな。でもメールのやり取りはしてるよ。」

「ふーん・・・。」

どうやら比奈も竜太郎も相思相愛だと言うことに、まだ気づいていないらしい。よしよし・・・しばらく観察してやるか。別に私が愛のキューピットになる必要は無いだろう。

「でも比奈を落とすとなると、相当努力が必要でしょうね。」

「わぁってる、んなことは・・・。でもオレはゼッテー諦めないからな。」

「諦めないのは勝手だけど。私は知らないからね。比奈の事を知りたかったら、私に聞かないで、自分でなんとかしないさい。」

「んな突き放すような言い方しないでくれよぉ、な、頼るは雪野様一人だけなんだよ。」

「そうでもないわよ、あかりが居るじゃない。」

と言っても、あかりはあかりで口は堅い、決して他人の秘密は漏らさない。悪い事でも良い事でもだ。言えば気が弱いだけかもしれないが、それがあかりのマイナスになることがあるのも現実だ。

「んー、貴宮とはあんま話さないし・・・それに口堅そうだ。」

相変わらず勘は鋭い・・・。

「とにかく自力でなんとかすることね。」

「はいはい、でお前の方はどうなのよ。好きな男居るのか。」

「随分こだわるのね・・・居ないわよ。」

ハッキリ断言できた。昨晩、私はあれこれ考えた末にようやく答えが出た。私は彼のことを好きとは思っていない。それが結論だった。ただ興味がある事は事実だが、好きのレベルには達していない。興味の次の段階が好感なら、私の場合は突然変異、好感ではなく異常興味みたいなもんだと、そう考えた。自分が彼を好きではないと言うのは、彼と朝から昼まで過ごして解った。ドキドキとかそう言った感情が自分の中には一切無かったからだ。

「人のことはどうでもいいから、あんたは自分でやることやりなさい。」

「うぃー。」

だけども、これから彼を好きになるかどうかは、そんなものは誰にだって解らない。













「せーっの。」

パァン。と、サーブが打たれて、白いボールはネットを越えて向うのコートへと入った。

今日の体育は外でテニスの予定だったのだが、雨が降り出したために中でバレーボールと言うこととなった。雨は激しく体育館の天井を打ちつけ、ゴーゴーと滝の落ちるような音が轟いていた。確かに天気予報では雨と言って居たが・・・これほど酷くなるとは言っていなかった。

「それでね、竜太は私の事どう想ってるのかなぁ。って。」

隣りに腰を下ろす比奈は、体育座りで腕に顔をうずめて溜息をつく。

こいつら2人揃って・・・見ているのも面白いが、苛立ちもしてくる。

「そんなの私が知るわけないでしょ。」

私も呆れ溜め息交じりに答えた。

「だから、友恵にそれとなく聞いて欲しいってお願いしてるの。友恵、竜太と仲いいんでしょう?」

「だれが、別に仲良くなんて無いわよ。」

「えー、そうは見えないけど。」

実際にはあんた等が一番仲良いのよ。

「ま、とにかく人の恋沙汰をどうにか出来るほど私は恋愛経験豊富じゃないの。」

の割りには肉体経験は豊富な自分。

 横でブーブー言う比奈を尻目に、私は北側のコートを見やった。すると竜太郎と目が合った。彼は罰が悪そうに私から目をそらす。恐らく私じゃなくて比奈を見ていたのだろう。私が比奈と何を話していたのか、気に成っていることだろうな。

 と、チャイムが授業終了を告げる。私たちは重い腰を上げて、せっせとボールとネットの後片付けを始めた。



「それで比奈嬢が俺を避けてる気がするんだよな。」

竜太郎は先生が黒板の方を向いているのを確認すると、身を乗り出して隣りの席の私に囁いてきた。

 現在の授業は古文。先生が黒板にせっせと書く文法の意味は非常に重要な筈だが、こいつは写さなくて大丈夫なのだろうか?否。大丈夫な訳が無い。こいつの国語の成績は百も承知だ。本人曰く、アルヒ達がガーガー五月蝿くて集中できないらしい。

「そんなの私が知るわけないでしょ。」

私は比奈に返したのとまったく同じ返答をした。

「なぁ、頼むから何か聞いてみてくれよ。」

彼は切羽詰ったように言う。どうせだから勉強の方に危機感を持ってもらいたいものだ。私はただぼんやりと、黒板の文字を目で追って、頭の中に叩き込む。

「自分ことは自分でやれって言ったでしょ。」

「避けられてるんだから、俺が好きかどうかなんて聞けるわけがないだろ。」

・・・・そんな単刀直入な質問をぶつける気だったのか、こいつ。

「別に避けているとは思わないけどなー。むしろあんたが消極的すぎるんじゃない?」

そう言いつつも、恐らく比奈の方も大分恋心に恥じらいを感じて来たのだろう。好きな男と目を合わせられない。なかなかうぶだな。しかしこのままだと、本当にこの二人は擦れ違いで終わってしまいそうな気がする。それはそれで詰まらないことだし、苛立つことだな・・・・。よし、ここは腹くくって(?)恋のキューピットになってやるか。

「解ったわよ。そこまで言うならなんとかしてあげる。」

「え、マジで?」

「今度の土曜、予定空けておきなさいよ。」

「おう、了解。」

「こら、そこ二人。なにをしている。」

と、国語教諭の檄が飛んだところで、彼は頭を引っ込めてせっせとノートを写すふりを始める。どうせなら写したらどうだと思った。


そしてあれよあれよと言う間に土曜日となった。一応土曜になるまでも色々なイベントがあった。一番のイベントと言えば、私が珍しく毎日部活に顔を出したことだった。比奈と変態コーチを初め、後輩、先輩一同目を丸くして驚いたが、何も言わずに私の練習を見ていたくれたのには正直驚いた。どうせ3日坊主だろうとか思ったのか。はたまた違う目的かは解らないが、とにかくここ数日に有った出来事はそれくらいだ。

 そして現在時刻は午後8時だ。今私たちはカラオケに居る。比奈と竜太郎と私だけではなく、その他男女数名。

「えー、それじゃ自己紹介から!」

と、一人の男が指揮を執る。

「まずはオレから、えー名前は・・・・」

金髪の若造が立ち上がって自己紹介を始めた。私がボケーっとその様を眺めていると、ツンツンと横腹を突付かれた。見ると比奈が困惑した顔で見ている。

「ちょっと、なんで合コンなんて連れてきたのよ。」

小声で囁く。竜太郎を見ると、彼も同じような顔をしていた。

「竜太郎の気持ちを確かめるチャンスじゃない。見てみ、あんたにも負けず劣らずの美女ぞろい(私を抜いて)。これで竜太郎が他の女にふら付かなかったら、望み大よ。心配しなくても、あいつは彼女居ないし。」

「って言われても。・・・・」

彼女は黙りこくってしまった。ま、普通はそうなるわな。これも二人が両想いだと知っている私だからこそ成せるセッティング。

 と、自己紹介が竜太郎に回って来た。

「名前は清水竜太。竜太郎じゃなくて竜太だ。歳は16。趣味は・・・あー、特に拘ってる物は無いけど、とりあえず女には五月蝿いんで、今晩はヨロシク。」

彼はチラリと私の方を見てから、座りなおした。そして男チームは彼が最後で、女チームに自己紹介が回って来た。とりあえず最初は私から。

「雪野友恵17歳。趣味は男狩り。嫌いな物はたくさん。以上。」

以上。

気のせいか、会場が静まった。

「え、えーっと。川嶋比奈。16歳です!バスケ部のキャプテンをやっています。体動かすのとか好きなんで、体育会系の男の子募集中です!」

会場の静けさに彼女は戸惑ったが、彼女は見事再び場を盛り上げてくれた。比奈は恨めしそうに私を睨む。それよか竜太郎は体育会系だったか?

 なにはともあれ、それからデンデンと色々な事が進行していった。比奈も竜太郎もどうやら目を付けられたらしい。積極的に二人に切り込む男女が一人ないしは二人居る。私はますます面白くなってきたなぁと思い始めたが、そろそろこの場に居るのが耐えがたくなってきた。ドンチャン騒ぎは好きではない。むしろ嫌いだ。

 私はスッと立ち上がる。

「ゴメンなさい、用事があるんで帰らせてもらいます。」

そう言うと皆が一斉に私を見た。他の者は「そうか」程度の顔しかしていないが、比奈と竜太郎は思いっきり驚いている。

「ちょっ・・・友恵?」

「それじゃ、楽しんでください。」

私はペコリと頭を下げると、比奈が止めるのを無視してその場を後にした。



 今日の月は半月だった。時刻は8時30分。私はとりあえずそこら辺をブラつく事にした。

 あの二人、ちゃんと上手く行くかどうか気になったが、もう私が関与するところじゃないだろう。

 空を見上げると、本来在るはずの暗黒の世界は無く。ただただ空しい光が無意味に自己主張をしているだけだった。

フッと溜息を吐くと、私を辺りを見回した。気のせいか、何か胸騒ぎがした。覚えがある感覚だった。私のシックスセンスは常に常人を逸脱している。今回もそうであった。彼の姿は人ごみの中でも容易に見つけ出す事が出来た。私はあっと声を出すのを堪えて、彼の表情を観察した。私と一緒に居る時の彼とは明らかに違っていた。強いて言うなら、そう・・・丁度一週間前の今日。あのゴロツキの溜まり場に足を運んでいた彼の雰囲気と丸々同じだ。

そして彼が向かっているのも、同じそこである事に、例のごとく尾行している内に気付いた。

 こりない訪問者である私を、やはりゴロツキ達は歓迎していないらしい。出て行け、出ていけと視線で訴えかけてくる。手を出してこないのは、恐らくあの事件が既にこの区域全体に広がっているためであろう。あの女に手を出せば、化け物が飛んでくる云々。

上手く尾行を続けていた私の視界から彼の背が消えた。角を曲がったのだ。私は走ってその曲がり角に向かう。そこは袋路地だった。一本の狭い路地がスッと伸び、そしてそれは奥にある古い扉に吸い込まれているように、伸びていた。

「・・・・。」

私は一歩一歩、その扉に近づいた。今にも無くなりそうな色のその茶色の扉。ドアノブに手をかけた。廻らない。鍵がかかっている。だが、この先に彼が存在するのは確かなはずだ。いや間違いない。

私は懐からキーピックを取り出した。なんでそんな物を持っているのか、そんな突っ込みはタブーだ。聞かないでくれ。

予想以上に手間がかかり、開けるのに5分もかかってしまった。だが鍵は開いた。

 そこには、下に階段が下りていた。黒橙洞々の闇に伸びるその階段は一瞬、私の足を躊躇わせた。だがそれだけで、私は一段一段と、気のせいか音の響くその階段を下りていった。

 1分もしないうちに、目の前に鉄の扉が立ちはだかる。ノブがついており、押すタイプの扉らしい。私は力を込めてその重い扉を開けた。

 右頬に、冷たい物がガチャリと向けられた。

 目前に、灰色の鉄の筒がガチャリと向けられた。

 それが銃器であることなど、言うまでもないだろうな。

「・・・女?」

右の男が言った。彼の指は引き金から放れていない。その男の顔に見覚えは無かった。だけど目の前の男には見覚えがあった。

「友恵ちゃん・・・?」

そう言った直人の顔は、とても怪訝そうな顔だった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ