プログラム1 「命日」
「──中国が、新潟県魚沼地区を爆撃しました。食糧生産に打撃を与える目的とみられ、これに対して政府は……」
午前7時。今崎家のリビングには、いつも通りのニュースが流れている。トースターがチンと鳴ると、キッチンから寝癖頭と丸メガネの男──翔太郎が料理を運んでやってきた。
「世理那ー、ごはんだよ」
「ういっ〜す。今日もいい匂いっすねぇ。さすがマイダディ、素晴らしい焼き加減」
「朝から元気そうで」
「おかげさまです」
今崎家の朝食はトースト、ヨーグルト、サラダに蒸し鶏だ。
いただきますが二重に響いたところで、パンを頬張りながら世理那が口を開いた。
「父さん、今日仕事は?」
「また遅くなりそうだ。今日の夕飯は、悪いけどナシで頼むよ」
「仕方ないかぁ……食糧の備蓄も少ないし。ねえ、人工知能の研究って、面白い?」
食べる手を止めて彼女はそう言う。翔太郎は、なぜかその目を直視できなかった。
「どうしたの、藪から棒に」
「ないご飯のことより、あることを話したい」
「……面白いに決まってるじゃないか。僕とお母さんを出会わせてくれたものだよ?」
ぎこちない笑顔を浮かべるのに対して、翔太郎は抵抗をもっていなかった。
「ねえ見てよ父さん、酷いよね」
そんなことなどどうでもいいかと言うように、世理那が画面を指さす。向こう側には、削れた山と瓦礫の海が広がっていた。あちこちで爆発の音が響いて、音声にはノイズが混ざっている。
「日本海側は大変だね……」
「大変って、同じ日本が攻められてるんだよ? もう少し、なんか……あるでしょ」
「日本がどうなっても、世理那が幸せなら僕はそれでいいんだよ」
「へぇ……ごちそうさま、私今から学校だから」
「うん。気をつけてね」
「ういっす」
世理那を見送った後、翔太郎は洗い物を始める。溜めてしまった皿がガシャガシャと叫ぶせいで耳が痛んだ。
「防衛大臣、兼坂より発表します。先日の死亡者859名、負傷者1290名、行方不明者56名であります。対中戦争は長期化しておりますが、引き続き国民の皆様のご理解ご協力を賜りますようお願いします」
テレビから毎日のように戦争のニュースを流している。日本海側は対中戦線のド真ん中であるが故に、今崎家のある太平洋側は比較的安全に生活できるのだった。
「戦争……か。君が生きたかった世界は、本当にこんな世界なのかな?」
翔太郎は仏壇に手を合わせてから、職場へと向かった。
──翔太郎視点
「おはようございます」
「おはよう今崎さん」
受付の人に挨拶をしてから、僕は地下室への階段を降りていく。
ここは東京の真ん中にある、日本有数人工知能製造会社たる藤沢製鋼。僕はここで人工知能の研究を続けている。
「おはよう、No.Adt5。調子はどう?」
「バッチリだ翔太郎。今日もバリバリ働こう」
この金髪で真っ白な肌をした女性が僕の助手、Adt5。僕が初めて実用化に成功した人工知能の一人だ。
「それで、今日の気分はどうかな?」
「気分ねぇ……やっぱり私にはわからない」
「張り切っているように見えるけど?」
「ソースコードがそう振る舞ってるだけだろうな」
「やっぱり、君たちに感情を搭載するのは難しいか……」
僕の最大の研究目標はそれだ。
機械に気持ちを載せる……つまるところのシンギュラリティが僕の、僕たちの悲願だった。
「別に娘さんは、母親代わりの機械なんて欲しくないんじゃないか?」
「……そうかもしれないけど。いないよりはマシじゃないかな」
僕は人工知能をより人間らしくしたい。それが亡き妻の願いであり、世理那のためなんだ。
原動力にはいつも2人がいる。
「さ、今日も頑張るよ」
「頑張ってるふうしかできないけどな」
毎日の仕事は研究室の掃除から始まる。物語の魔女の家のようなみすぼらしい部屋など、本当に御免だ。
「すまない。今崎くんはいるかな?」
ロボット掃除機のスイッチを入れると、不意に扉から男が入ってきた。
「どうしたんですか、社長」
「いや、お礼を言おうと思ってな。君の開発した『家族型人工知能』の売り上げが高調なんだよ」
「……最近は、家族を戦地で喪う人も多いでしょうからね」
少し、後ろめたさを感じるな。
他人の寂しさに漬け込んで金儲けなど……本当なら、全国民に配りたいんだが。
「君の発明は本当に素晴らしい。これからも頼むよ」
「翔太郎になにか文句か、しゃちょーさんよぉ……!」
「……Adt5、今は怒る場面じゃない。今のは褒め言葉か社交辞令だ」
「そうか、ごめんごめん」
「それで、社長のような人がそれだけじゃあないでしょう?」
「実は、君に用事がある方がお越しなんだ……すまない、Adt5 はここに残っていてくれ」
「は、はい」
僕は部長に連れられるまま、オフィスのエレベータを上がっていく。
窓から見下ろす東京の街は、まさに理想郷だった。人間、人工知能、自然が完璧に調和した平穏な世界。同じ日本が戦場になっているというのに、なんとも呑気なものだ。
エレベータが辿り着いたのは最上階、所謂社長室のあるフロアだった。そんなところに誰がやってきたというのだろう。
「ミヅキ大臣、今崎くんを連れてきました」
「通してください」
(……?)
大臣……聞いたこともない名前だ。
そんな人が僕に用?
嫌だな。
お願いされる内容が手に取るようにイメージできる。適当にあしらってお帰りいただこう。
「は、はじめまして……今崎です」
「はじめまして。私は観月と言うものです。今日は今崎さんにお願いがあり、こちらに伺った次第です」
ミヅキと呼ばれる人間は、若い女性だった。まるで中学校の新任教師のような見た目をしていた。
「今崎さんは……人工知能に感情を搭載しようとしてらっしゃるとか。なにか志された理由があるのですか?」
「特にないですよ。妻がそれを研究していて、それを引き継いだ形です」
「そうでしたか……」
社交辞令のキャッチボールは苦痛だ。
特に相手が僕の隙を見定めているときは。
「それで、大臣さんが僕に何の用なんですか」
「今崎さん。単刀直入にお伺いします」
観月は自分がこの場の支配者であるかのように言った。
「倫理や道徳を排除した、完璧な人工知能を作ることはできますか」
「……どういうことです」
「先日、私の部下が自殺しました」
「……」
空気が変わった。
動いてもいいはずなのに、体を動かせない。
人の耳を釘付けにする力が観月の声にはあった。
「遺書にはこうありました。『人に人を殺させるのは、人がしていいことではない』と。そしてその責任は私にあります」
「ですから私は、軍の判断を倫理のない──苦しまない、人工知能に任せたいんです。これは感情研究の第一人者、今崎さんにしかお願いできないのです。どうか──」
机を拳で叩く。
そもそも、そういうのも覚悟の上で軍人になったんじゃないのか。現場で戦う兵士の方が辛いに決まっているだろうに。
「……申し訳ないですが、そんなことのために研究をしていたわけじゃあない。ご退出願います、観月さん」
「わかりました。気が変われば、こちらまで連絡を」
観月はIDを紙に書き残して、部屋を出ていった。
「僕も……研究に戻ろう」
僕の研究は──妻の研究は、人を豊かにするためのもの。軍用なんて以ての外だ。
────
「お父さん、お帰り」
「まだ起きてたのか、世理那」
我が家に帰ると、世理那がリビングのソファでスマホを弄っていた。机の上には空になった皿が置かれたままだった。
「もう23時だ。学生は寝る時間だよ」
「いやそれがさ、お父さん。実は大事な話がありまして」
娘に促され、机を挟んで向かい合って座る。
滑るように差し出されたのは1枚の紙だった。
「進路希望調査か。進級したばかりなのに忙しいな」
「あはは…」
「世理那は確かパイロットに──」
「違うの。お父さん」
珍しく低い声だった。
妻に似て綺麗な、真面目な目をしている。
「私ね、軍人になりたいの」
「……ちょっと待て、世理那」
「最近はどこの学校も防衛大に推薦枠があるし、それで」
「な、なんで急にそんなことを……だってわかるだろ? 軍に入るってことは──」
「今この瞬間にも! 人が死んでるんだよ!?」
世理那が机を叩いた。
いつになく焦っているような娘は、家では見せてくれない姿でもあった。
「毎日誰かが戦ってくれているのに、私たちだけいつも通りの暮らしができてる。おかしいでしょ……私は、人の死を画面の向こうだけだなんて思わない。戦争してるのは日本なんだよ。私たちの住んでる国なんだよ!?」
親子喧嘩は初めてだった。
小さい頃に母親を亡くしたこの子は、きっと僕に迷惑をかけないように「いい子」でいてくれていたはずなんだ。
「……いつから、決めてたんだ」
「戦争が始まったあの日から」
「……立派になったね」
僕にできることはただ、紙切れに印を押すことくらいだった。
「ありがとう、お父さん」
階段を登る世理那を黙って見送る。
妻の遺影は今も笑ったままだ。
すごいよ。
今日、世理那が初めてあんなに大きな声を出したんだ。きっと今まで「いい子」でいようとしてくれていたんだろうな。
「僕だってなんかしなくちゃな……かっこ悪くて、そっちに行けないよ」
娘の部屋の電気が消えるのを見てから、僕は研究室へと向かった。
────
「起きて、Adt5。相談があるんだ」
「ん……随分遅いじゃないか」
壁にもたれかかって眠る彼女を起こす。
深夜0時のこの部屋で、私は起きたことの一切を話した。
「なるほどね……私は人工知能だし、理想の答えは出せないと思うけど、それでもいい?」
「ああ。頼む」
「私は、翔太郎が立派だと思う。娘さんのやりたいことを応援してやったんだろ? それは世間一般で言う『いい父親』じゃないか」
「でも、もしそれで世理那が戦って死んだら、僕は──」
「そうならないために、今日の話があったんじゃないか?」
息が一瞬止まった。
思い出される女性は2人。
観月さんと、妻だった。
「僕にはできないよ……僕たちは、人を幸せにしたくて、人工知能を研究してたんだ……人を、殺すための部品にだなんて……させられない」
「その『人の幸せ』ってやつに、娘さんの幸せは入ってないのか?」
「……君は、何を……?」
「選ぶんだよ。娘さんの安全な未来か、奥さんへの固執か」
こんなとき、あの子ならどうするだろう。
あの子が僕の立場なら、どっちを優先するだろう。
「くっそ……!!」
死に物狂いであの紙切れを探す。
「おや今崎さん。こんな夜分にどうなさいましたか」
「観月さん……今日話した人工知能が導入されれば、戦争は終わりますか」
「……申し訳ありませんが、それは難しいです。効率的な判断はできるでしょうが……」
「なら、兵士を全て人工知能に置き換えることはできますか!?」
電話口に向かって叫ぶ。
街を起こさないようにしなくてはならないのに、声量を抑えることはできなかった。
「……もし、今崎さんが協力してくだされば可能です」
「わかりました。やらせてください」
「本当ですか!? だってそれは貴方の信念を──」
「……はい。信念よりも大事なものを守りたいんです」
「わかりました。ご協力感謝します」
震える右手で電話を切る。
「お疲れさん」
「さて、妻はどう言うかな……」
「人工知能を兵士にって話か?」
「うん……」
「別に私は多分、人を殺せと言われれば殺せる。ただリミッターをかけられてるだけだ。私たちに感情がないのは、誰かの苦しみや危険を肩代わりするためなのかもな」
「ありがとう、Adt5」
「いいってことよ。んじゃ、お休み」
「うん。お休み」
「ふぅ……」
1年だ。
世理那が学校を卒業して防衛大学に入学するまでの1年間で、人間の戦争を終わらせてやる。
僕と、人工知能で。




