第9話:波音のBGMと、素直な言葉
すっかり日が落ち、石狩の海は深い夜の闇に包まれていた。
健人は店からランタンとキャンバス地のチェアを二つ持ち出し、少し肌寒くなった砂浜に並べた。ランタンのオレンジ色の灯りが、二人の足元を柔らかく照らしている。
「あったかいコーヒー、淹れ直したよ。夜風、冷えるだろ」
「……ありがとう。なんだか、こんなに穏やかな夜を過ごすのは初めてかもしれないわ」
凛はマグカップを両手で包み込みながら、寄せては返す波の音に耳を傾けた。つい数時間前まで大泣きしていたのが嘘のように、彼女の表情は憑き物が落ちたようにスッキリとしている。
「なあ、凛」
健人はチェアに深く腰掛け、隣の凛を見つめた。
「今まで一人で完璧な空を探してきた理由は、なんとなくわかった。でもさ……もしよかったら、俺にはもう何も隠さなくていいんだぜ。心の扉、全部開いて、もっと色んなこと話してごらん」
それは、彼女の奥深くにある孤独を優しく解きほぐすような、健人なりの「Hey, baby, talk to me」のサインだった。
凛はマグカップの縁を指でなぞりながら、ゆっくりと口を開いた。
「私ね……昔から、完璧で隙のない自分でいないと、誰かに見捨てられるような気がしてずっと怖かったの。仕事でも、恋愛でも。少しでも弱みを見せたら、そこにつけ込まれて傷つくのが嫌で……だから、誰かに寄りかかる前に、自分から分厚い壁を作って遠ざけてた」
波音が、彼女の静かな告白をBGMのように包み込む。
「でも、健人は違った。私がどんなに冷たい言葉で突き放しても、面倒な嘘をついても……全部見透かした上で、逃げずにそこにいてくれた。私の不器用な駆け引きを、全部真っ向から受け止めてくれた。……それが、すごく嬉しくて、同時に、自分が変わってしまいそうで怖かったの」
健人は黙って頷き、彼女の言葉を一つも零さないように耳を傾けた。
「自分がどんどん弱くなっていく気がしてた。でも……違うわね。あなたと一緒にいる時の私は、弱いんじゃなくて、ただの『等身大の私』に戻れてるだけなんだって、今日、あなたの胸で泣いてやっと気づいたの」
凛は顔を上げ、健人の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。その瞳には、もうどんな強がりの鎧もなかった。
「もう、強がらないわ。……健人、私、あなたのことが好き」
それは、飾ることのない、たった一つの素直な本音だった。
健人は嬉しそうに目を細めると、自分のマグカップを砂浜に置き、凛の頬にそっと手を伸ばした。
「俺もだよ。一人で戦おうとしてる不器用なところも、こうして素直に笑ってくれるところも……完璧じゃないお前が、誰よりも愛おしい」
二人の間には、もうどんな危険な駆け引きも、嘘も存在しなかった。
星空の下、波音だけが響く夜の砂浜で、二人は初めて、心からの優しいキスを交わした。




