第7話:決壊する涙と、マーメイドの跳躍
防波堤に寄せる波の音が、ひどく遠くに聞こえた。
健人に包み込まれた両手から伝わる、圧倒的な熱。その熱に触れた瞬間、凛の心に何重にも張り巡らされていた氷の壁に、決定的な亀裂が走った。
「……だめよ」
凛は震える声で呟き、ギリッと奥歯を噛み締めてうつむいた。
「私、誰かの前で泣いたりしない。……男の人の胸で泣いて、寄りかかって生きていくような、そんな弱い女じゃないの」
それは、彼女が必死に守り抜いてきた最後のプライドであり、自分自身への呪いでもあった。
だが、健人は手を離すどころか、彼女の持っていた紙コップを自分の手で受け取って傍らに置くと、空いた両腕で凛の華奢な体を、すっぽりと自分の広い胸に引き寄せた。
「っ……!」
「弱いから寄りかかるんじゃない。一人で歯を食いしばって戦い続けるのが、どれだけ孤独でしんどいか……俺が知ってるからだ」
耳元で響く、健人の低くて優しい声。
「泣きたい時は泣けばいい。俺のシャツがどれだけ濡れたって構わない。お前の抱えてるもん、全部俺が受け止めてやるから」
その一言が、限界まで張り詰めていた糸を断ち切る引き金だった。
「……っ、う、あ……!」
ずっと「君の胸で泣かない」と自分に課していたルールが、ガラガラと音を立てて崩れ去った。凛の目から、せき止められていた大粒の涙が次々と溢れ出し、健人の胸元に吸い込まれていく。
仕事の重圧、孤独への恐怖、誰かに裏切られることへの怯え。
一度甘えてしまったら、それがもし「ひと夏の気まぐれ」で終わってしまった時、自分は二度と自分の足で立てなくなる。それが怖くて、一人で完璧な空を探すふりをしてきたのだ。
「健人……っ、私、本当は……一人は、寂しい……っ!」
顔を埋め、子供のようにしゃくり上げて泣きじゃくる凛。健人は何も言わず、大きな手で彼女の震える背中を撫でながら、ただ静かに、力強く抱きしめ続けた。
それはまるで、陸に上がって無理をして歩いていた人魚が、息苦しさから解放されて、本来の自由な海へと深く飛び込むような――マーメイドジャンプ。
息を止めて必死に強がってきた凛が、健人という深く温かい海に、初めて心ごと飛び込んだ瞬間だった。
「……よく頑張ったな。もう、一人で戦わなくていいよ」
健人の温もりと微かな潮風の匂いに包まれながら、凛はただ彼にしがみつき、今まで流せなかった分の涙を、波音に紛れさせるように流し続けた。




