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第5話:夕暮れの口づけと、不器用な嘘

砂浜で思いきり笑い合ったその日の夕暮れ。

 石狩の海は、沈みゆく太陽に照らされて、燃えるようなオレンジ色に染まっていた。

「……今日は本当に楽しかった。ありがとう、健人けんと

 駐車場で自分の白いSUVのドアに手をかけながら、りんが少しだけ恥ずかしそうに微笑んだ。彼女が健人を「マスター」ではなく名前で呼んだのは、それが初めてだった。

「俺も楽しかったよ。またいつでも、裸足になりにおいで」

 健人が優しく笑いかけると、凛は短く頷き、ふっと視線を落とした。

 ――あまりにも、無防備になりすぎた。

 凛の胸の奥で、警鐘が鳴っていた。誰にも心を開かず、一人で完璧に生きていくと決めていたのに。この男の前にいると、自分がどんどん弱く、だらしない人間になっていく気がする。

 彼に寄りかかってしまったら、もう二度と、一人で立っていられなくなるかもしれない。それが恐ろしかった。

「じゃあ、気をつけて帰れよ」

 健人が背中を向けようとした、その瞬間だった。

 凛はふいに健人のシャツの袖を掴むと、背伸びをして、彼の唇にさっと自分の唇を重ねた。

「えっ……?」

 驚いて目を丸くする健人を残し、凛はすぐに身を引き、車のドアを開けた。そして、ダッシュボードに置いてあったサングラスを素早くかけ、再び「他者を拒絶する」ための冷たい鎧を纏い直した。

「……勘違いしないでね。ただの気まぐれよ」

 サングラス越しの彼女の声は、先ほどまでの無邪気さが嘘のように、ひどく冷たく、突き放すような響きを持っていた。

「今日はもう帰る。……独りになりたい気分なの。しばらく、ここには来ないわ」

 バタン、と重い音を立ててドアが閉まる。

 白いSUVは、逃げるように砂利を蹴立てて駐車場を出ていき、夕闇の国道へと消えていった。

 残された健人は、自分の唇にそっと指を触れた。

 ――独りになりたい、か。

 健人は、小さく息を吐いて苦笑した。

 彼女は、自分が思うほど子供じゃない。大人の女性として、これ以上踏み込んだら自分が傷つくことを本能で察知し、あえて自分から距離を置こうとしたのだ。

 本当は寂しいくせに、「独りになりたい」なんて、わかりやすい嘘をついて。

「気付いたって、言わないでおくよ」

 健人は、誰もいなくなった夕暮れの海に向かって呟いた。

 これは、彼女が仕掛けてきた防衛本能という名の、危険な駆け引きだ。

 追えば逃げる。けれど、ここで引いてしまえば、彼女は本当に一人ぼっちの殻に閉じこもってしまうだろう。

 なら、受けて立つしかない。

 彼女がどんなに分厚い鎧を着込んで嘘をついても、その奥にある震える肩を抱きしめられるのは、もう俺しかいないのだから。健人は、沈みゆく夕日を見つめながら、静かな決意を固めていた。

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