第3話:深夜の国道と、進まない時間
深い夜が街を包み込む、午前二時。
凛は、カウンターでグラスを三杯空け、ひどく疲れたようにテーブルに突っ伏して眠ってしまった。
健人は、そんな彼女を放っておくわけにもいかず、店のシャッターを下ろすと、自分の古いSUVの助手席に彼女を寝かせた。凛の車のキーは、明日また取りに来るようにと、ダッシュボードにしまっておく。
「……んんっ」
寝苦しそうに眉根を寄せる凛の横顔をちらりと見て、健人はエアコンの風量を落とし、ブランケットをそっと肩に掛けた。
石狩から札幌市内へと続く国道231号線。
深夜の道は空いているはずだったが、夏のこの時期はあちこちで道路工事が行われている。健人の車も、赤い誘導灯を振る警備員に止められ、片側交互通行の長い列の最後尾についてしまった。
「……ん、どこ、ここ」
車の停止に気づいたのか、凛が薄く目を開け、寝ぼけた声を出した。
「悪い、起こしたか? 国道の工事に引っかかっちまった。札幌の家まで、もうちょっとかかるよ」
健人が静かに答えると、凛は現状を把握したのか、ハッとして身を起こし、慌てて乱れた髪を直した。
「……ごめんなさい。私、寝ちゃってたわね。……迷惑かけて」
「気にすんな。それより、水飲むか?」
健人がダッシュボードから未開封のミネラルウォーターを差し出すと、凛は「ありがとう」と小さな声で受け取った。
フロントガラスの向こうでは、赤いランプが規則正しく点滅し、重機の鈍い音が響いている。車は一向に進む気配がない。
「……止まっちゃったわね」
凛が、窓の外の暗闇を見つめながら、ぽつりとこぼした。
「まあ、急ぐ旅でもないし。ゆっくり行こうぜ」
「……私、いつも立ち止まるのが怖くて、走り続けてないと不安なの。仕事も、人間関係も。立ち止まったら、全部消えてなくなっちゃう気がして」
アルコールのせいか、それとも深夜という時間の魔法か。
凛の口から、普段の彼女なら絶対に言わないであろう、脆くて弱い本音がこぼれ落ちた。
誰にも頼らず、一人で完璧になろうと必死に駆け抜けてきた。
でも、ふと立ち止まってみると、自分に続く道も、誰かへ続く想いも、この工事渋滞のようにどこにも繋がらずに消えてしまうのではないかと、心の底ではずっと怯えていたのだ。
健人は、ハンドルに置いた手を一度離し、凛の方を向いた。
「消えたりしないよ」
低く、落ち着いた声だった。
「立ち止まっても、道はそこにある。無理して走り続けなくても、俺の車みたいに、待ってりゃそのうちまた進めるようになるさ。……少なくとも、俺は途中で放り出したりしないし、どこへだって送っていくよ」
それは、ただのドライブの話ではない。
凛の不器用で孤独な生き方そのものを、健人が丸ごと肯定し、受け止めようとしている言葉だった。
凛は驚いたように健人を見つめ返し、それから、恥ずかしそうにスッと視線を逸らした。
「……変なマスター。調子のいいこと言って」
「調子いいのは生まれつき。でも、嘘はつかない」
健人がニッと笑うと、タイミングよく誘導員のランプが青に変わり、車の列がゆっくりと動き始めた。
「ほら、進んだろ」
アクセルを踏み込み、夜の闇を滑るように走り出す車内。
凛はもう何も言わず、ただ窓ガラスに映る自分の顔をぼんやりと見つめていた。その表情は、いつものツンとした鎧がはがれ落ち、ほんの少しだけ、泣き出しそうなほど優しく見えた。




