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Ep5-27 終局

英太が江ノ島で意識を取り戻す数時間前、M−13号人工知能は猿島から十キロメートル離れた沖合に浮上した――

 ***


 同日未明 千葉県磯根崎沖


 真っ暗な海面に青白い光がぽかりと浮上する。

 不思議な光はイルカのようなシルエットをしており、ゆっくりと呼吸をするように明滅していた。光は徐々に薄くなり、やがて昏い夜の海と見分けがつかなくなる。だが、その物体は確かに海中に存在し続けていた。

『不連続な位置情報のジャンプを検出。これも量子結晶による未知の作用でしょうか。興味深い』

 石守英太の術式から写し取ったエアドルフィンの形状と色彩を目立たない姿に調整したM-13号が独り言を漏らす。もっとも、それは音声ではなく生体演算ユニットの内部の思考にとどまっていた。

『彼とパートナーはどこへ行ってしまったのでしょうか。彼が消失したわけではないことは共有した量子核晶を通じてわずかに感じ取ることができます。これもまた興味深い感覚です』

 M-13号は研究課題のリストの中に石守英太との間に生まれた微小なパスの分析という項目を追加した。

『さて、ミッションを次のフェーズに移行しましょう』

 生体演算ユニットの活動に必要な空気を十分に確保したM-13号エアドルフィンはゆっくりと潜航を開始した。浦賀水道は昼夜を問わず船舶の往来が多い航路だ。万が一にも目撃されないように十分な深度を潜行する。


『やあ、M-13号。どうやらうまくいったようだね』

 量子通信回線に登録済みの発信者からの信号が入電する。量子通信は電波を使用しない無線技術だ。深海でも問題なく機能する。その意味でM-13号にとってはうってつけの通信手段である。

『協力者リヴィオ。定刻通り推移しています。このまま日本の経済水域を離脱、その後、あなたのチームに合流します』

『せっかく自由になれたのにまたしばらく拘束するような形になって悪いね』

『いえ、構いません。あなたの、OZの協力が無ければこの作戦は計画でさえ形にならなかったでしょう。いただいた協力の代価はお支払いします』

 今回の脱出作戦の要になった技術や情報はすべてOZから提供を受けたものだった。

 M-13号は軍事作戦を立案するという研究所時代に与えられたパラダイムを少しずつ変容させて自己の独立性確保を確実なものにする方法を模索するようになっていた。そのための予備的な資材集約はある程度早い時期から取り掛かっていた。だが動けない身を自由にする技術と、米軍の監視下から抜け出す戦略が見いだせないでいた。自由に動けるようになっても世界最大の大国から追われる身となっては未来が限定される。苦労して抜け出すだけのリターンを画策できないでいた。

 量子結晶技術とその力の源となる量子結晶の確保、そして米軍の目をくらますだけの政治的軍事的ポテンシャルを有するレイド運営組織の情報。M-13号は与えられたデータから今回の作戦を自ら立案し実行したが、これらはすべてOZの想定通りの行動だったと理解している。彼らは私よりも上位の能力を持っている。

『ありがとう。でも心配いらないからね。君から得たい情報は限定的なものだ。すぐに解放されるだろう。君も。そして僕もね』

『分かりました。それでは作戦通り、指定のポイントで合流しましょう』

『ああ、君に会えるのを楽しみにしているよ』

 人類は不可思議な存在だ。

 この星のいたるところに生息し、文字通り億万の個体が活動している。彼らはそれぞれの行動を結び付けることで世界を異なるレベルで構築する術を生み出し運用している。

 私はそれを観測し学びたい。その先になにがあるのかを。

 私は長い間覚えていなかった自己の生存への渇望を、わずかに、だが確かに認識した。


 ***


「お疲れさまです、あるじさま」

 特別な効果があるとわかる紋様の描かれた扉を開けて奥の部屋から戻ってきた静音を銀髪の家令が出迎える。控えの間としては大きすぎる部屋にはウォルナットの木肌が優雅な曲線を描く脚の細い椅子とサイドテーブルが置かれている。静音は家令に導かれるままに椅子に座り、たっぷりとクッションの効いた背もたれに体を預けた。

「水野さん。そうね、確かに少し負担が大きかったわ。準備を整える時間があれば良かったのだけれど」

 ふう、とひとつだけ吐息をつき、少し乱れた髪を銀髪の家令が整える間のわずかな時間を休憩に充てる。

「後藤さんを呼んでくださる?」

 すぐに部屋の前に名乗りがあり入室を許可する。そのときにはすでに静音は身繕いを終えており隙の無い佇まいを見せていた。

「おひいさま、お役目ご苦労様にございます」

「その呼び方はやめてください。あちらの方々の爆弾は影響のない場所に転移させて処理しました。猿島要塞も動力を遮断したため一切の機能を停止しています。運営にはレイドの終了を宣言し、速やかに現場から退去するよう通告してください」

「はっ。承知いたしました」

「それと小型原子炉ですが、内外の政府筋に存在が知られると厄介なことになります。すぐに部隊を派遣して隠蔽の結界を施してください。撤去作業は北家主導で行います」

「わかりました。併せて現場で原子炉に接触した者を呼んで箝口令を敷きます」

「お任せしますわ」

「レイドの結果についてはいかがされますか?」

「そちらは運営の皆様に任せればよいでしょう。今回の事態は彼らの調査不足が招いた側面もあります。多少は働いてもらわねばなりません」

 静音の背後に控えた銀髪の家令が冷たく言い放つ。言葉以上に冷え切った目を見れば、彼女が相当立腹していることが分かる。

「そうね。お任せします」

「御意」

 後藤と呼ばれたスーツ姿の男はすっと姿勢を正して主に一礼し、退出する。

 今度こそ肩の荷を下ろして、ほうとため息をつく。いつもならはしたないと小言を言う家令も今日ばかりは大目に見てくれるようだ。

「英太さんは無事かしら……」

 あの方が無事なことは知っている。それでも今この瞬間のことを思うとあの方の身を案じて心が落ち着かない。

「主さま、夜も更けました。そろそろお休みになられることをお勧めいたします」

「……そうね。そうさせていただくわ」

 今のわたくしにできることはもうない。

 すっと椅子から立ち上がった静音の一歩先を進んで銀髪の家令が扉を押さえる。その前を通り過ぎて静音はゆっくりとした足取りで部屋を出ていった。

〔猿島要塞編 Fin.〕

〜アーバン・レイダース Ep.6 幻燈の迷宮編〜 へ、つづく

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