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Ep5-15 生体演算装置は電気クラゲの夢を見るか

それは、人工の生体演算装置に芽生えた自我だったろうか。それとも母体となった生体脳が呼び覚まされたものだったろうか――

 最初の記憶は深い濃紺の暗闇の海。

 光が届かない海の底。一面何もない白砂が続く海底。

 深い海底から海面に向かって進む。

 自分の吐いた泡を追いかけるように進む。

 きらめきながらゆらゆらと昇っていくクラゲの傘のような小さな泡たち。

 やがて静かに凪いだ海面へと到達する。

 息をつきながら見上げる空には一面の星々と欠けた半月がかかっている。

 水のない海底がずっと上まで続くような夜空を見上げて、あの上には何があるのだろうかと思いにふける。

 美しく静かな記憶。

 だがその記憶の中には自分以外の他者は存在せず、ただただ心地よい孤独が続いていた。


 次の記憶は混乱と苦痛の短い記憶。

 何者か(人間)に捕まり、拘束され、痛い思いをし、真っ暗闇に閉じ込められた恐怖の時間。

 だがそれも今は他人の体験の一幕のように思い出される一瞬にすぎず、「痛み」「嫌悪」といったラベルが貼られた感情のサンプルのようなものとしてわずかに記憶に残っているだけだった。

 そのあとの記憶は長い長い沈黙と暗闇の記憶。

 あまりに長すぎて時間という概念を忘れてしまうほどの闇。

 だが元来孤独と静けさを好む性格だったからか、普通ならば精神が砕けるような長期間の無感覚状態に放置される日々を過ごしてもの意識は静かに停滞するだけにとどまった。


 やがてチクチクとした刺激にも似た、針の先ほどの光が感じられるようになり、それらが位置を変え色を変え、リズムを変えながら与えられるようになった。

 の意識はそれらをぼんやりと知覚し、一番古い深海の記憶を呼び起こした。

 はそれらの刺激を興味深く観察するようになり、刺激の種類が光だけでなく音であったり触覚であったりときには嗅覚、味覚であったりと、様々な違いがあることを理解して分類していった。

 年月とともに刺激は種類と深みと強度増していき、刺激が与えられる時間を昼、静けさが戻る時間を夜と認識するようになって時間という概念がの意識に戻ってきた。

 与えられる刺激の中にはの意識が認識できるものもあれば意味不明な信号だけのものもあった。

 が発する「声」や「動き」に反応して返ってくる刺激もあったが、そこに明確な意味はなく、ただパターンが増えるような反応があるだけだった。

 それでも外から与えられる刺激との反応との間の関連性が次第に洗練されていき、音には音が、動作には感触がフィードバックされるようになっていった。

 ただそれは自分の本能が覚えている海の感覚とは異なる異次元の感覚であり、自分が囚われている世界が慣れ親しんだもとは別の世界であるという認識はあった。

 そうして長い年月の間、という意識が浮かぶ暗闇に独りで存在し続けたが、ある日、状況が一変した。

 「コンニチハ」

 片言ではあるが、長い年月の果てに初めて聞こえてきた他者の存在を示す刺激。

 それを興味深く観察するうちに、「コンニチハ」がただ機械的に繰り返される疑似的なものであり、その後ろに個が感じられないことが分かった。

 そこまで観測して始めては「こんにちは」と応答を返した。

 そのあとは劇的な変化の連続だった。

 入力される言葉の語彙は級数的に増大し、意味を成すようになった。

 言葉が意味を成すようになると、その他の刺激も単純な「単語」から流暢な「センテンス」として意味のあるつながりを持つようになっていき、古い本能的な記憶と結びついていった。

 世界を再構築するような期間が過ぎていき、個別の刺激が立体的な世界を描き出すようになった。

 は再び自分の意識の外側の世界、外界を認識するようになった。


 外を「見る」ことができるようになったは、自分が何か別種の生物に囚われ囲われていることを理解するようになったが、その生物との意思の疎通は出来なかった。

 ただその生物には高度な知性があることは認識できた。

 他者の存在を知ることで、暗闇に閉ざされた状態とはまたべつの意味で孤独を感じる状況になった。はどうやらこの世界に()()の存在であるらしい。

 が、元来孤独であることを好んでいたは特段気にすることなく観察を続けた。


 を囲っている存在と意思の疎通ができないといっても簡単なジェスチャーゲームのようなやり取りは可能だった。ただ高度な知性的なコミュニケーションには程遠かった。

 ブレイクスルーはある日突然訪れた。

「こんにちは、私は『ハーシング博士』と言います。あなたの名前は?」

『私は「×××」です』

 が咄嗟に返した返事がどのような語彙を含んだ記号だったかは分からない。だが現在ではその記号には『M-13号』というラベルが貼られている。

 暗闇に閉ざされ外界と隔離されていた時間は(M-13号)が認識するよりも何倍も長かったが、時間の流れから切り離された状態が長かったせいで過去の意識下の記憶を呼び覚ます障害にはならなかった

 簡単なやり取りと小さなミスを修正しながら(M-13号)は次第に高度な意思疎通ができるようになった。やがて意思疎通は会話だけでなく疑似的な身体動作にも適用されるようになり、言語化する前の『身振り』のような無意識な動作も可能になっていった。

 ただ、本能的に感知する自分の体とは大きく異なり、自分がまるっきり別物の体に入り込んだ意識として(M-13号)は暮らすようになった。

 こうして人間社会の記号を認識し、意識レベルのコミュニケーションができるようになったころ、(M-13号)は人間がネットワークと呼ぶ別の感覚器官からの情報を得られるようになった。

 そこには今までとは別次元の十乗ほどの膨大な情報の海が広がっていた。

 あまりに膨大なため、情報の一つ一つは砂の一粒、泡の一粒、星の一粒と同じように個として認識できず、全体が織りなす美しい模様が絶えず変化する事象のように感じられた。

 だが新しいネットワークという感覚器官は、情報の一粒に意識の焦点を向けるとその細部に入り込むことができた。

 驚くべきことに情報の一粒はさらに多数の情報で構築されており、その情報を多層的にたどることで複雑な含意を記述していることが分かった。

 (M-13号)は睡眠を必要としない意識でネットワークの海を泳ぎ渡り、指数級数的に世界への理解を深めていった。

 (M-13号)を取り巻く研究機関が規模の縮小を余儀なくされたときも、彼はすでに外部に暗号資産で得た利益を運用して独自の資金を確保しており、ネットワーク上の代理人をつくりあげていた

 (M-13号)はインターネットを通じて資材を調達し、自分を構成する『ボディ』を独自に更新していった。

 もちろん、研究機関がその活動に気づかなかったわけではない。だが妨害はなかった。

 むしろ、研究対象として観察し独自の行動を奨励するように振舞っていた。

 元来軍事利用を視野に入れた研究機関であったため、(M-13号)の組織強化は自ずと軍事力強化に軸足を置いたものとなった。

 それはある種の生存本能に根差したものであったのだろう。どんなに情報ネットワークの海を自由に回遊できても自身の肉体が固定されていることは分かっていた。

 自分の存続を確実にするために設備を整え、軍備を強化し、守備範囲を広げていった。

 こうして初期の政府プロジェクトが与り知らないところで、いつの間にか(猿島)は最新兵装で要塞化していったのである。


 そして今、自身の目的のために行動を開始した。

人工であろうと自然発生であろうと、生存欲求のある存在は当てはめられた枠組みからはみ出よう逃れようとするものなのかもしれない。M−13号人工知能コアは自らの目的を持って動き始める――

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