Ep5-1 イニシエーション
ノクターナルに移籍した英太。一人前のレイダースを目指す戦いが始まる。
最初の記憶は暗く光もなく音もなく上下左右もない空間を漂っているものだった。
空間はあっても果てはなく、時間は流れていても同質の瞬間が無限に積み重なっていくだけだった。
果ての無い空間と果ての無い時間は意味を失い、永遠に静止する時空間の檻に等しかった。
ただ一つの意識だけが、静止した時空間の檻の中に存在していた。
『私』がここ居る。
それだけが、静止した時空間が存在していることの証明だった。
***
「だあ~、もう無理だぁ。先が見えないよぉ。こんな永遠に続く牢獄生活なんて耐えられねー」
「なに言ってるんだよ。期末試験はもう明後日からだろうが。むしろ時間が足りないって」
「なにー?英太ってそんな真面目ちゃんだっけ?一年の頃はいっしょに赤点取りまくった仲だろう?」
「赤点は英語だけだ。数学は平均点低かったから三十点台後半でも赤点じゃなかったし」
……って、なんで俺の黒歴史を語らなきゃなんないの?
「おんなじだって。なあ、英太ぁ。いっしょに『どうせ無理なんだからノー勉でどこまでイケるか』同盟をつくろうぜ」
「断る。おまえは知らんが、俺は今までだってそれなりに試験勉強してあの成績だったんだ。ノー勉でも何とかなるなんていう、楽観的な考えは持ってないよ」
「えー?英太って勉強してあの成績なの?うぷぷ」
くっ、親友だからって恥を忍んで諭してやっているというのに、このバカ野郎は……。
「あのなあ、高校二年生って言ったら将来を左右する大事な時期だぞ。サボるのは自由だが、将来の選択肢を狭めることになって後悔するのは自分自身なんだからな」
「うわっ、こわ。英太が生活指導の先生みたいなことを言ってる……」
「受け売りでも事実だから。毎日勉強漬けになれなんて言わないから、あと一週間の試験期間くらい気合入れて行けよ。まったく」
「しくしく、英太が目覚めてしまった。いったいなぜ……俺の親友の英太はどこに行ってしまったんだ……」
目覚めた、か。
実のところ、この一ヶ月の出来事が俺の意識に大きなインパクトを与えたと思う。
まがりなりにもレイダースの一員として行動を共にして、そこで見たこと、体験したことはそれこそ世界が変わるほどの経験だった。もっとチームの一員として役に立ちたい、みんなでレイドに勝ちたい。そのために自分ができることは?
かなり特殊だけどプロフェッショナルの仕事を見て聞いて指示を受けて分かったことがある。学校での勉強があらゆることの基礎になっているんだってことだ。物理然り、生物、化学然り、数学は言うに及ばず、レイドの背景や条件の理解には国語や歴史、政治だって必要だ。高校で教わるレベルですべて何とかなるわけじゃないけど、ブリーフィングでの会話を理解するための最低限の知識は必要だと痛感した。
いま学校の授業でやっていることは何かになるための勉強じゃなくて、何かになると決めたときにその道に踏み出すために必要な基礎をつくる準備運動なんだ。
一人前のレイダースになるための訓練はリーダーの玖条さんが用意してくれている。だからそれを受け取る器としての基礎をつくる。それが今の俺にできる努力だ。
……なんて、青臭いことを正面から言ってもカトウには響かないよなぁ。
「あんなイケてないヘタレだった英太に、一体何があったのか……」
おい、トモダチでも言っていい限度はあるぞ。おまえはすでに親友から友達に格下げだがな。
「はっ、もしや彼女にいいところを見せ……ぶへぇ!」
机に突っ伏して嘆く真似をしていたカトウのド頭に物理学の教科書をぶちかまして黙らせた。
「彼女じゃねぇ」
「でもさ、あれからなんかいい感じじゃん……ぐはぁっ」
今度は正面からデコに背表紙アタックを喰らわせる。
「そんなんじゃねぇって。片梨さんはなんつーか、部活の先輩みたいなもんなんだよ。同学年だから理解しにくいと思うけど」
レイドを部活に置き換えるのも無理があるけど。先輩っていうより鬼軍曹だし。
「うん、わからん。おまえ、弱みでも握られてんの?」
ぎくっ
「……そんなわけないじゃん」
レイダースになったのは自分の意志だけど、足抜けしようとしたら記憶を消去されちゃうんだろうなあ……。
一瞬返事が遅れたのを肯定ととらえたのか、カトウの表情がいぶかし気なものに変わる。
これ以上説明するのも藪蛇な気がするし……と迷っていると、教室の前扉が勢いよく開いた。
「英太、いる?」
えっ、片梨さん。噂をすれば……ってやつ?
「いつまで下校準備してんのよ。行くわよ」
「行くって、どこへ?」
「今日から試験準備期間で半日授業でしょ?時間がたっぷりあるんだから付き合ってあげるって言ってんの」
ノクターナルに加入してからほぼ毎日レイダースとしての特訓をしている。基礎体力をつけるための運動だけでなく、術式を扱うための座学と演習もだ。とくに演習は術式を使った模擬戦闘があるので片梨さんに相手をしてもらう必要がある。普段は学校があるからどれか一つしかできないけれど、今日から期末試験が終わるまでは午後の授業はない。
もしかしたらフルコースで鍛えるつもりか?ひえぇぇ。
片梨さんはずかずかと教室に入ってきて俺の机の前で腕組みをしたまま見下ろしてくる。
「でも試験勉強が……」
「高校の定期考査なんて授業中しっかり聞いていればできるでしょ?」
さすが学年二位の方は素質が違っていらっしゃる。
「いや、成績落とすわけにはいかないじゃん。例の……があるし」
レイダースの活動を理由に成績を落とすわけにはいかない。それは良識的な理由だけでなく、アンダーグラウンドな活動に身を投じていることを周囲に悟られないようにするために必要なことでもあるとリーダーからも釘を刺されている。
「しょうがないわね。じゃあ、あとで勉強も教えてあげるわよ」
わー、右手の人差し指が組んだ肘をトントン叩いているよ。まずい、急がなきゃ。
「悪いわね、カワシマさん。英太を借りていくわ」
「カトウです。お構いなく、どうぞどうぞ」
「悪いな、カトウ。また明日」
急いで教科書とノートをカバンに詰め込んで片梨さんの後を追う。
「早くしなさい」
「ちょっ、待ってよ」
先に廊下に出た片梨さんの後を追う英太を目で追いながら、片肘をついたカトウがつぶやいた。
「しっかり尻に敷かれてんじゃん」
桔花に連れられて英太が向かった先はノクターナルの拠点のひとつだ。
オフィスビルの一角に作られた秘密の演習場で促成の訓練が日夜行われる――




