ただいまを言える場所
胸の奥に、 まだ息をしている影がある。
忘れたふりをしても。 名前を変えても。 夜に逃げても。
影は、消えなかった。
これは、影と共に生きてきた 一人の女の子の物語
紗羽の部屋の前には、湊が静かに立っていた。
その奥の部屋では、紗羽がひとり、深く息を吐いていた。
その日の昼、紗羽は結凛さんたちを呼んでいた。
この間そのまま帰してしまってからあっていなかったから。
「呼び出してごめんね。行ければよかったんだけど……ちょっと忙しくてね。」
扉が開き、紗羽が顔を出すと、結凛、藍香、瑛祐、杉葉、歩睦が心配そうに立っていた。
「ううん。もう大丈夫なの?」
結凛がそっと尋ねる。
紗羽は、昨日の夜とはまるで別人のように明るい笑顔を見せた。
「うん!もう大丈夫!」
その笑顔に、みんなは一瞬ほっとした──が。
藍香が一歩前に出た。
「……で?なんで“閉じ込めた”の?」
瑛祐も眉をひそめる。
「そうやで!それにあのあと一人でこもって……!」
結凛も続く。
「心配したんだからね……!」
歩睦は腕を組んでため息をついた。
「紗羽、あれはダメだよ。」
杉葉も静かに言う。
「ほんとに……心臓止まるかと思った。」
怒りの矛先は“巻き込まれたこと”ではない。
紗羽が一人で抱え込んだこと。
部屋に閉じこもったこと。
自分たちを遠ざけたこと。
紗羽は、銀狼であっても、彼らより年下の“子ども”。
この剣幕には逆らえない。
「……ごめん。みんなが傷つくよりマシだと思っt……」
しかし、怒りはまだ収まらない。
藍香が静かに、しかし強く言った。
「そういう問題じゃないの。一人で抱え込むのが一番危ないの。」
結凛も涙をこらえながら言う。
「紗羽が傷つくほうが嫌なんだよ。」
瑛祐も頷く。
「ほんまやで。俺ら、仲間やろ。」
紗羽は口をつぐみ、ただ黙って聞くしかなかった。
(……たすけて……)
その目を見た鷹臣が、すぐに察した。
「さぁさぁ、そこらへんまでにしましょう!皆さん、おやつの時間ですよ!」
「はいはい、移動しまーす!今日はアップルパイがありますよー!」
「……アップルパイ?」
「……まぁ、食べるけど……」
「紗羽、あとで話すからね。」
「ひぃ……」
団員たちは渋々食堂へ移動していった。
扉が閉まると、紗羽はその場にへたり込みそうになった。
「たすかったぁ……言い返せねぇ……」
鷹臣が苦笑する。
「銀狼でもあーなるんすね……」
「なるよ……あの人たちには勝てない……」
「まぁ、愛されてますからね。」
「……うん。わかってる。」
紗羽は、団員たちの背中を見送りながら、少しだけ照れくさそうに笑った。
その笑顔は、昨夜の痛みを越えた“帰ってきた紗羽”そのものだった。
紗羽の作業が落ち着いたころ、
凪がそっと藍香に声をかける。
「お二人で話してきたらいかがですか?」
藍香は少し驚いたが、すぐに柔らかく笑った。
「……たしかに。」
藍香が紗羽の部屋の前で軽くノックする。
コン、コン。
その瞬間、中から弾けるような声が返ってきた。
「藍香さん!どうしたの?」
扉が開くと、そこには本当に嬉しそうな紗羽が立っていた。
目がきらきらして、頬が少し赤くて、まるで“帰ってきた子ども”のような顔。
藍香は思わず笑った。
「……私が来たの、そんなに嬉しかった?しばらく見たことないよ、そんな顔。」
紗羽は即答だった。
「嬉しいに決まってる!目の前に天使が降りてきたんだから。」
「おおげさ〜。」
そう言いながらも、藍香の声は照れたように弾んでいた。
紗羽は藍香が来た瞬間から、肩の力がすっと抜けていた。
仕事の緊張も、昨夜の痛みも、団員たちに怒られた気まずさも、全部どこかへ消えていく。
「仕事、ひと段落した?」
「うん。藍香さんの声聞いたら、なんか全部終わった気がした。」
「そんな魔法みたいなこと言わないの。」
「ほんとだよ。藍香さんが来ると、世界がちょっと明るくなるんだ。」
藍香はその言葉に少しだけ目を伏せて笑った。
「……紗羽、ほんとに戻ってきたんだね。」
「うん。藍香さんが来てくれたから、ちゃんと戻れた。」
紗羽は藍香と話している間だけ、
本当に“悲しみを知る前の中学生の頃の紗羽”に戻っていた。
声の高さも、笑い方も、あの頃のまま。
藍香もそれを感じて、自然と歩幅を合わせてくれる。
二人で廊下を歩きながら、紗羽は楽しそうに身振り手振りで話す。
「でね、あの時さ〜!」
「はいはい、落ち着いて。そんなに楽しそうに話す紗羽、久しぶりだよ。」
「えへへ……」
そのまま団員たちがいるスペースへ戻ると、
結凛たちは「あ、戻ってきた」と微笑んだ。
空気はあたたかく、紗羽は完全に“子どもの顔”だった。
そのとき。
「銀狼!すみません、緊急連絡入りました!」
狼牙の声が響いた瞬間、紗羽の表情がすっと変わった。
さっきまでの柔らかい笑顔が消え、目が鋭く、声が低くなる。
銀狼の声。
「内容は?」
狼牙がすぐ横につき、状況を伝えながら移動を始める。
紗羽は団員たちに振り返り、一瞬だけ“紗羽の声”に戻った。
「いい感じのところで帰って!ちょっと行かなきゃだから!」
その切り替えの速さに、団員たちは息を呑んだ。
銀狼は廊下を駆けながら、横を走る狼牙に短く問いかけた。
「で、どこまで判明してる?」
狼牙は端末を操作しながら答える。
「こちらです。現在の位置情報と、関連する動きが──」
銀狼の横顔は、走っている最中でさえ揺らがない。
その表情は完全に“指揮官”のものだった。
団員たちは、銀狼が走り去ったあと、しばらくその場に立ち尽くしていた。
「……大丈夫かな」
「また何かあったのかな……」
不安が空気に滲む。
その気配を察したのは、担当外の“おやつ係”の狼牙たちだった。
「はいはい、みなさんお茶どうぞ〜。今日は特別にクッキーもありますよ〜」
「銀狼さんは大丈夫ですからね。あの人、ああ見えてめちゃくちゃタフですから。」
「……ありがとう……」
「ちょっと安心した……」
ほのぼのとした空気が広がり、団員たちの緊張はゆっくりとほどけていった。
その頃、銀狼は昼でも薄暗い路地裏にいた。
女性が二人、壁際で震えている。
刃物を持った二人組の輩に絡まれ、声も出せないほど怯えていた。
この一帯だけは、昼でも光が届かない。
影が濃く、人の気配が薄い。
だからこそ──ここは銀狼の領域だった。
銀狼は気配を完全に消し、背後へ回り込む。
足音も、呼吸も、存在すらも消す。
輩たちは気づかない。
気づけるはずがない。
(……終わり。)
次の瞬間、二人組は静かに意識を失い、地面へ崩れ落ちた。
女性たちは驚きで固まっていたが、銀狼は優しい声で言った。
「大丈夫。こっちへ。」
暗い路地から明るい通りへ出た瞬間、街灯の光が銀狼の髪に触れた。
銀の髪がふわりと揺れ、光を受けてきらりと落ちる。
女性たちは息を呑んだ。
「……きれい……」
「助けてくれたの、この人……?」
銀狼は微笑むでもなく、ただ静かに頷いた。
すぐに隼人が駆け寄ってくる。
「こちらから先は、私たちがお送りします。安心してください。」
「うん、任せたよ。」
銀狼の声は柔らかかった。
だが次の瞬間には、その姿は闇に溶けて消えていた。
まるで最初からそこにいなかったかのように。
この一帯は、昼でも影が濃く、人が寄りつかない。
だからこそ、銀狼が守っている。
「……行ったな。」
隼人が小さく呟く。
女性たちはまだ震えながら尋ねた。
「さっきの人……誰……?」
隼人は静かに微笑んだ。
「街を守る人ですよ。安心してください。」
そして隼人は二人を明るい場所へ送り届けた。
そして戻ってきた紗羽に、藍香がふわっと微笑んで言った。
「おかえり。」
その一言が、紗羽の胸にまっすぐ落ちた。
紗羽は思わず腕で口元を隠し、目だけがきらっと笑った。
「……ただいま。」
その様子を見ていた狼牙たちは、一斉に肩を震わせた。
「……キュン……」
「いや、かわいすぎるだろ……」
「銀狼さん、あれは反則っす……」
藍香はそんな反応に気づかず、ただ優しく紗羽の顔を見ていた。
紗羽は照れ隠しのまま、藍香の横にそっと立つ。
その距離感が、“帰ってきた安心”と“まだ少し照れている気持ち”をすべて物語っていた。
狼牙たちは心の中で叫んでいた。
(この二人……尊い……)
紗羽は藍香の横顔を見ながら、ほんの少しだけ息を吐いた。
「……帰ってきてよかった。」
その言葉は、誰に向けたものでもなく、
でも確かに藍香に届いていた。
ここまで読んでくれて、本当にありがとう。
銀狼としての紗羽、
仲間としての紗羽、
年下の“子ども”としての紗羽、
そして藍香の前だけで見せる“素の紗羽”。
全部を抱えたまま走り抜けたこの物語の最終回を、
あなたが見届けてくれたことが、何より嬉しい。
途中から狼牙たちが完全に“笑い担当”になってた気もするけど、
あれはもう仕方ない。
彼らは銀狼が笑えば泣いて、怒れば震えて、
褒められたら一週間は元気な生き物だから。
でも、そんな彼らがいたからこそ、
紗羽は折れずにここまで来られたんだと思う。
そして、
結凛、瑛祐、杉葉、歩睦、藍香──
紗羽を叱って、泣いて、笑って、支えてくれた仲間たち。
この物語は、
“銀狼が強いから守れた”んじゃなくて、
“銀狼が守りたいと思える人たちがいたから強くなれた”
そんな話だったのかもしれない。
もし少しでも心が動いたり、
紗羽の「ただいま」に胸がぎゅっとなったり、
狼牙の騒がしさに笑ってくれたなら──
それだけで、この物語を書いた意味があったと思える。
またいつか、
紗羽たちの物語を覗きに来てくれたら嬉しい。
あなたの感想や好きなシーン、
気になったところなんかも、
気軽に教えてくれたらめちゃくちゃ励みになる。
本当にありがとう。
また会おうね。




