第2話 これがきっと「母親の顔」ってやつなんだ
【生後1ヶ月目】
と……そんなわけで。
16才になったら「勇者」になるという運命を先に知った状態で、俺の異世界での人生がスタートした。
こっちの世界での俺の名前は「ロレス」だ。
そして俺を産んでくれた女性の名前はマーシアさん。
俺は今、転生前の28歳社畜サラリーマンの心のままで、美人で20歳のマーシアさんの胸に吸い付いて母乳をごくごくと飲んでいる。
文字にするとキモイな、だけど仕方ないんだよ!
母乳はウマイとかマズイとかどうでもよくて、「飲まないと死ぬよ〜」って本能が教えてくれてる感じだ。
俺はどうしても、マーシアさんを自分の母親と思えていない。
ずっと「あのう……マーシアさん、またウンチでちゃってます。ゲップしたいので背中も叩いて……あっ、そうそう、いつもすいません」みたいな感じだ。
言葉は出せないし、そもそもこの世界の言語はまだわからないけど、そんな気持ちを心で伝えてる。
自分の脳だけが、突然どっか他所の家庭の赤ちゃんの体に入ったような感じだ。
記憶を持ったまま生まれ変わるって、こうなっちゃうんだな。
ああ、眠くなってきた。母乳を飲み終わるといつもこうだ。
前世ではぜんぜん寝る時間がなくて、たぶん寝不足が過労死の大きな原因だったと思うけど、あの時の「たくさん寝たい」を叶えるかのように俺は寝まくってる……さあ、また寝よう。
マーシアさんが俺を優しくとんとんと叩く音が、心地よく響いている。
◆
うぷっ……気持ちが悪い。
吐きそうだとすら思う間もなく、ぐえっと逆流した。
こんなのは初めてだ。
苦しい、怖い。
誰か助けて……。
「っ……ロレス!?」
マーシアさんが、飛び起きてすぐに俺を抱き上げた。
俺の口から漏れたものを、ためらいもなく素手で受け止めている。
顔にまでかかっても、眉ひとつ動かさず、ただ俺を必死にあやし続けている。
「大丈夫、大丈夫……怖くないよ……お母さんがついてるよ……」
……お母さん。
この世界の言葉はまだ知らない。
でもどういうわけかわかった。お母さんという言葉が。
まだ目はよく見えないからマーシアさんの顔はぼんやりとしか認識できない。
でもわかる、やさしい顔が。
やさしさだけじゃない。
怖さも、不安も、でもそれ以上の何か……ああ、そうか。
これがきっと、「母親の顔」ってやつなんだ。
この人は俺の事を心から愛している。
間違いなく、この人は俺を産んで、俺はこの人から産まれていた。
俺はこの人を……ずっと母親って、思ってなかった。
でも今……「理屈」じゃなく、「感覚」でわかった気がするよ。
吐いて、泣いて、でも不思議と安心してた。
やっと初めて、心から。
(産んでくれてありがとう、マーシアさん……いや……母さん。)
【生後6ヶ月目】
自分の顔は抱っこされた時に鏡で見た。
母さんは金髪で青い目だけど、俺は黒髪で黒い目だった。
父親の名前はデリク。
黒髪と黒い目は父親ゆずりだったっぽい。
父親は巨漢で髭の鬼みたいな顔の、城下町の巡回、見回りをしている兵士らしい。
母と父が並ぶと、美女と野獣って感じだ。
父親の給料は安かったみたいで俺が眠りから覚めると、母さんが服の修繕の内職をしている姿がよくあった。
その後ろ姿を見るのが、俺は好きだ。
【生後約1年目】
そしてまた月日が経ち、まずは寝返りができるようになった。
その後はハイハイ、掴まり立ち、そして立って歩けるようになっていった。
俺がはじめて立った時は両親は拍手をして、喜んで褒めてくれた。
赤ちゃんってすごい。立っただけで人を感動させる。
俺はすくすくと育っている!
【2歳6ヶ月】
もう俺は乳児ではない、幼児だ、
俺はこの世界の言葉を徐々に覚えていった。
でもまだ文字は読めない。
なので母さんに色々な本を読んでもらっている。
とにかくひとつでも多くこの世界についての知識を増やしたかった。
正直、くっそ暇だったというのも大きい。
今日は、この世界の地図が見たい。
「ママ! ちじゅ! とて!」
「あら、ロレス。
ちじゅってなあに?」
「ち……ちず、みたいの!」
「あ〜、うんうん、地図が見たいのね。
取ってあげるわ……よいしょっと。
地図に興味あるなんて、すごいわね。
じゃあ一緒に見ましょう、お膝にいらっしゃい」
「ここは?」
「ここはロレスとパパとママがいる、ハーライト王国よ。
周りにあるのが、ネスカリム王国とブフ王国とロンスレット王国。
この4この国は仲良しのお友達なの」
「ここは? おっちぃくに」
「4このお友達の国を合わせたのと同じくらいの大きさのここが、
魔地っていう、悪い魔王がいる場所よ」
そうだ……この世界には魔王がいる。
そして女神様が言ったように、そこまで危機が迫ってるってわけじゃなく平和っぽい。
だから俺は勇者になっても、魔王と戦う気なんてこれっぽちもない。
生まれてから、もう2年半。
でも俺は、前世で願ったことを、ずっと忘れずにいる。
のんびり楽しく人生を謳歌しよう……その手助けをしてくれるのは女神様が言ってた「勇者専用特典」だ。
特典で金持ちになりたいわけじゃない、使うのは必要最低限でいいんだ、
前世で会社に魂をすり減らした分、今世は魂を回復させる人生にしたい。
勇者になるまで、あと14年……か。
のんびり生きていくつもりだったその14年で、
未来の“嫁”と出会うことになるなんて──この時の俺は、まだ何も知らなかった。
次回『第3話 学校ってどんなとこ?』
お読みいただきありがとうございます!
次回は
「え? ママが絶対に言えないこと?」なお話です。
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