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運命の赤い糸【アンドリュー】

 ぺルソン子爵家の三男坊として生まれたアンドリューには、誰にも言えない秘密があった。


 それは自分の小指にだけ赤い糸が付いていないことだった。


 幼いころから他人の小指に赤い糸が見えていたアンドリューは、これは何だろうと疑問を持ち、本を読んだり、人の話を聞いたりして 『運命の赤い糸』 というものを知った。


(つまり僕には運命の相手がいないということか……)


 アンドリューの小指には赤い糸がない。


 子爵家三男で、将来的に平民と同じ立場になるであろうアンドリューには結婚する相手など出来ない、そういうことだろうと冷静に分析をし「まあ、しょうがないか」と納得をした。


 実家であるぺルソン子爵家は法衣子爵であり、領地も無いためそれほど裕福ではない。


 長男の兄が結婚をし、次男の兄が持参金を持って婿に行けば、三男のアンドリューに準備できる金など無くなるだろう。それぐらいは敏いアンドリューにはすぐに理解ができた。


 だからと言ってこの先大人になっても実家に居付き、家なしの居候で肩身の狭い生活を送るのは嫌だった。


 それならば何が必要か、そう考えた時、知識こそが生計を立てる役に立つだろうと、アンドリューは勉学に力を入れることにした。


 兄たちの教科書を読み漁り、自力で勉強に励んだ。


 跡取りである長男の兄にだけは家庭教師が付いたので、こっそりと部屋に隠れ、その授業を聞いては知識をどん欲に身に着けていった。


 そんなある日、あまりにも引きこもり気味のアンドリューを心配した両親が、子供も参加できる茶会にアンドリューを引っ張り出した。


 そんな時間があるのなら勉強をしたいと思ったけれど、お茶会会場が高位貴族のティラン侯爵家だと聞いてアンドリューは参加を決意する。


 高位貴族の生態を学びたい。


 出来ればどんな本を持っているかも知りたい。


 最初は面倒だと思ったけれど、そんな思いがあったから、素直に両親に手を引かれお茶会に参加することにした。



 両親とともにティラン侯爵家に着くと、その屋敷の大きさにまずは圧倒された。


 装飾品も一流のものばかり、華美ではないのに全てが輝いている。


 屋敷の使用人たちも洗礼されていて、ぺルソン子爵家のアットホームな雰囲気とはまるで違った。


 お茶も、お茶菓子も、子供向けに出されたものまで一流品で、これが侯爵家の力なのかと、子供ながらに色々と世間を学ばせてもらった瞬間だった。



「お前あっちけよ」


「こっち睨むなよなー」


「……」


 アンドリューはただでさえ目つきが悪く、笑顔も作らない子供だったため、男の子たちの中でも浮いていた。


 それも当然で、侯爵家の豪華なお菓子に喜ぶわけでもなく、ただ淡々と色々なものを見て回るアンドリューは、少し不気味な子供に映っていたのだ。


 そんなアンドリューを見兼ねたのか、それとも変な生き物を見つけて面白いとでも思ったのか、一人の女の子が怖がることもなくアンドリューに声をかけてきた。


「こんにちは、わたしはティラン家の娘、ノーラ・ティランです。あなたは何をしていらっしゃるの?」


 夕焼けのようなオレンジ色の美しい髪に、好奇心を映したようなキラキラの黄褐色の瞳がアンドリューを見つめる。


(ああ、この子がこの家のお嬢様か、ならば失礼があってはならないな……)


 幼いながらも立場を弁えていたアンドリューはきちんと頭を下げ、ノーラに挨拶を返した。


「初めまして、ぺルソン家が三男、アンドリュー・ぺルソンと申します。侯爵家の調度品のすばらしさに目を奪われ、失礼ながら屋敷の中を見学させていただいておりました。勝手をしてしまい申し訳ございません、どうか子供のいたずらと目を瞑っていただけると幸いでございます」


 アンドリューが詫びを終えると「まあ!」と言ってノーラは口を大きく開けた。


 その後くすくすと可愛らしく笑い「アンドリュー様は面白い方なのね」と大人びたアンドリューを気味悪がることなく、そのままのアンドリューを受け入れてくれた。


 些細なことかもしれないが、それがアンドリューにはとても嬉しかった。



「ねえ、アンドリュー様は本はお好きですか?」


 突然の問いにアンドリューは「……え、ええ」とそれだけ返事を返すのが精一杯。


 うふふと可愛らしく笑うノーラについつい見惚れ、返事が遅くなってしまったという理由もある。


「じゃあ、図書室で一緒に本を読みましょう、こっちですわ」


 アンドリューの手を引き、ノーラが図書室へ連れて行ってくれる。


 可愛い笑顔と、侯爵家の本という二つの誘惑を前にアンドリューが抗えるはずがない。

 

 赤い顔を隠し、心の中で (ぺルソン家との冊量を比べたいだけだから) と一人言い訳をする。


 そしてノーラに連れられてティラン家の図書室に着けば、そこにはさすが侯爵家! と言えるほど本が揃っていた。


「うわぁー、すごい……」


 感嘆の声を上げるアンドリューの横でノーラがうふふと可愛く笑う。


「アンドリュー様はどの本が読みたいですか?」


「えっ? ああ、えっと、では、あの経済の入門書を……」


「まあ、うふふ、アンドリュー様はお父様のように難しいご本が読めるなんて、凄いのですね。ナターシャ、アンドリュー様にあのご本を取ってあげて」


 メイドに指示を出し、ノーラがアンドリューに本を渡してくれた。


「あ、ありがとうございます」


「いいえ」


 それから二人して椅子に座り茶会の間中、ずっと本を読み続けた。


 またティラン家に来たい、そう思っていると、帰り際ノーラが声をかけてくれた。


「アンドリュー様、とても楽しかったです。また遊びにいらしてくださいね」


「……はい……ありがとうございます」


 その言葉がどれ程嬉しかったか、きっとノーラは気づくことはないだろう。


 アンドリューに向けられた笑顔がどれ程眩しかったか、きっとノーラに伝えることなど一生出来ないだろう。


 アンドリューの指には赤い糸がない。


 つまりノーラの相手は自分ではないということだ。


 淡い初恋にきっちりと蓋をし、アンドリューはノーラへの気持ちを抑え込むことにした。







 それから月日がたち、アンドリューは良い成績で貴族学園に入学をした。


 学年トップは常に第三王子のダニエルで、アンドリューは次席という立場に身を置いていた。


「あのね、アンドリュー、僕には幼いころから数人の家庭教師が付いているんだよ。家庭教師もいなく僕の次の成績を取り続ける君は、ある意味化け物っていうことなんだよ」


 くすくすと笑いダニエルがアンドリューを揶揄う。


 王族と子爵家子息と立場は違うけれど、優秀な生徒同士自然と仲良くなり、親友と呼べる友人関係をダニエルとは築いている。


「はー、卒業後も君には僕の傍にいてもらいたいんだけどねー」


 何度目かの言葉に、アンドリューはクスリと笑い臣下として答える。


「殿下、御冗談を、爵位を持てない私がダニエル様のお側に仕えることは叶いません。せいぜい城の文官がいいところでしょう」


「分かってるけどさー、勿体ないよねー。これこそ才能の無駄遣いだよ。いずれ僕が変えて見せるけどさー」


 ダニエルはアンドリューを高く買ってくれていて、爵位が持てないことを嘆いてくれる。


 だからと言って兄たちを押しのけ自分が子爵位を継ぎたいとは思わないし、その為に養子縁組をしようともアンドリューは思わない。


 そこまで強欲な出世欲はアンドリューにはないのだ。


 少しでも多く本が読めればいい、アンドリューの欲などその程度だ。


 ただ第三王子でありながらいずれ王位を継ぐであろう友人(ダニエル)のことを思えば、傍で支えたいという思いは確かにあった。




「あ、ほら、アンドリュー、君の初恋の子が見えるよ」


 ダニエルが窓の外を見てニコリと笑う。


 そこには新しい制服に身を包んだノーラが見えて、初恋を揶揄うダニエルをアンドリューは睨んだ。


「ダニエル、彼女はもう婚約しているんだ、冗談を言うのは止めてくれ、誰かに聞かれたら彼女が立場を失うだろう」


「ハハハ、アンドリューは真面目だなぁ。子供のころの恋心をとやかく言うものなどここにはいないよ。まあ、その恋が今も続いているのなら別だけどねー」


「……」


 人を揶揄うことが好きなダニエルをアンドリューは睨みつける。


 幼いころの想いに蓋をしたとはいえ、それが完全に消えたわけではないことをこの友人は知っているのだ。


 それが分かっているからこそ揶揄うのだ、質が悪い。


 言い返しても倍になって返ってきそうなダニエルに対し、アンドリューは無言を貫くことに決めた。


「それにしても彼女の婚約者はスペアラント伯爵家の次男坊のライアン・スペアラントだっけ……最近はあまりいい評判を聞かないけれど、ティラン侯爵はどう思っているのかなー」


 ライアン・スペアラントは入学時こそ良い成績を取り、ダニエルやアンドリューとも争えるぐらいの立場にいたが、今ではその面影はない。


 スペアラントは生徒会入りを断り、女子生徒と遊ぶようになってからは成績も落ち始め、今では優秀者が集まるクラスの一番下。Aクラス入りがギリギリの成績にまで落ちている。


 次期侯爵があれでは心配でしかない。


 ティラン侯爵のことだから情報は掴んでいると思うが、(ノーラ)の気持ちを優先している可能性もあるだろう。


「確かティラン侯爵令嬢も今年の入学生の成績優秀者の中に入っていたよねー」


「……はい……そうですが、それがなにか?」


「ううん、別にー」


 いいことを思いついたような顔をするダニエルに、アンドリューはため息を吐くぐらいしか出来ない。


 落ち着いて見えて意外といたずらっ子な一面をもつダニエルは、アンドリューが思いつかないことを実行したりするのだ。




 案の定、生徒会の新役員候補が集まる日。


 ノーラは誰よりも早い時間に生徒会室に現れ、アンドリューを驚かせた。


(もしかしてダニエルが何かしたのか?)


 そんな疑惑を抱えたアンドリューの前、ノーラは淑女らしい綺麗な礼を取る。


「初めまして、新入生のノーラ・ティランと申します。どうぞ宜しくお願いいたします」


 遠目には見かけていたけれど、近くで見るノーラは美しさに磨きがかかり、キラキラと輝く黄褐色の瞳は以前よりももっと綺麗だと感じた。


「ノーラ嬢、久しぶりだね、私のことを覚えているかな?」


 淑女らしくあろうとする彼女がダニエルへの挨拶を終え、アンドリューが声をかけてみれば、懐かしい笑顔でもちろんですと答えられホッとする。


 彼女の記憶の中に自分が残っていることが嬉しくって、いつもの顔が作れない。


 どうしても口元が緩んでしまう気がして、揶揄うようなダニエルの視線を避けてしまう。


 その後、面白がって一時間も早く彼女を呼び寄せたダニエルのおかげで、彼女を連れ学園内を案内することになった。


 二人きりが嬉しくて落ち着かなくて、いつもよりも饒舌になっている気がする。


 きっと彼女からしたらどうでもいいようなことまで口走っていたと思うが、それでもノーラは嫌な顔もせずアンドリューの説明を嬉し気に聞き続けてくれた。


「ノーラ嬢、学園の図書室にはもう行ったかい?」


「はい、一度だけですが、入学前から気になっていたので」


 会話を交わすうち、彼女が変わっていないことに喜びを感じる。


 冷たい、怖いと女子生徒に怯えられる自分を、彼女は気にも留めず以前と同じ態度で接してくれて嬉しかった。


 彼女への想いには蓋をしたけれど、会って話せば当然想いは募ってしまう。


 彼女の相手は自分ではないと分かっていても、愛おしいと思う気持ちがまた育ち始めてしまった。




「ライアン、様……?」


 婚約者以外の女性とふざけあい廊下を歩くスペアラントと会い、ノーラが傷ついた表情を浮かべる。


「えっ? ノーラ……なぜここに……」


 そう答えるスペアラントを見て衝動的に殴りたくなる。


 自分の婚約者の入学にも気づいていないだなんて……


 普段の行いといい、ノーラに見せる態度といい、アンドリューはスペアラントのことを心底軽蔑した。





「ノーラ嬢大丈夫かい?」


 スペアラントと顔を合わせた後、ノーラは我慢できなかったようで涙を流し始めてしまった。


 けれどアンドリューにはその涙を拭う資格はなく、ただ不器用に慰め、馬車乗り場へと送るぐらいしかできず、自分のふがいなさを感じる。


「お嬢様、どうなさったのですか?!」


 幼いころ見かけたノーラ付きのメイドが泣きはらした(ノーラ)の姿に驚き、大きな声を上げたがそれをどうにか止める。


 まずはノーラを落ち着かせることが大事だと馬車に乗り込ませ、メイドにはアンドリューが簡単に説明をした。


「スペアラント伯爵子息と会ったのが原因だが……その、彼女が落ち着くまでは話を聞くのは待って上げて欲しい」


「……スペアラント伯爵子息……婚約者のライアン様ですか……」


「ああ、そうだ。彼女の婚約者だから君も知っている相手だったね」


「はい、良ーく存じ上げておりますわ」


 ニコリと笑ったメイドの顔が怖かったが、とりあえず彼女を問い詰めるようなことはしないと約束してくれたのでホッとする。


 馬車を見送る際、ノーラは貴族令嬢らしい笑みを無理やり作りアンドリューに頭を下げてくれた。


 こんな時でも自分の立場をわきまえ挨拶をする彼女の姿に、何故あいつは! とスペアラントへの怒りが込み上がる。


 あんなにも可憐で教養のある婚約者がいながら、どうして他の相手に現を抜かすことが出来るのか分からない。


 自分だったら彼女だけを愛し、彼女のために出来ることをすべて熟して見せるのに。


 そんな虚しい想いが心の中に広がっていくが、自分の小指を見つめ心を落ち着かせる。


 自分はノーラの相手どころか眼中にも入らぬ赤の他人、石ころ程度の存在だ。


 彼女のために自分が何かしてもいい迷惑にしかならない、大人しくしているしかアンドリューには出来ないのだ。


 膨らみつつある想いにどうにか蓋をし、何重にも紐を括り付け心の奥底に閉じ込める。


 彼女をこれ以上困らせることのないよう、自分だけでもきちんとしなければならない。


(初恋を拗らせるだなんて、自分の馬鹿さ加減に笑えてくるな……)


 もうこれ以上彼女には近づかず、ただの上級生と新入生になろう。


 生徒会でも余計な口は利かず、そっと見守るだけにしよう。


 アンドリューはそう強く決意したのだが、あくる日、二年生の教室の前、廊下で小さな肩を落とし震える彼女を見て、アンドリューはもう怒りを抑えることが出来なかった。



「だってさー、しょうがないだろう、ノーラは可愛いけれど子供のころからずっと一緒にいて妹って感じなんだ。それにまだほら、女性として成長途中だし、ちょっと魅力がさー」


 ハハハと下品に笑い合う声が聞こえ、彼女がこれを聞いているのかと思ったら、もう自分の決意などどうでもいいと吹き飛んだ。


「おい、君たち、何の話をしているんだ。外にまで聞こえているぞ!」

 

 アンドリューが教室にいる馬鹿どもに声をかけたが、ふふんっと勝ち誇ったように笑われるだけで訂正する気はないようだった。


 アンドリューが子爵家の三男で、いずれ平民と同じ立場になることは同学年のものならば誰でも知っているし、王子の腰ぎんちゃくといわれ陰で笑われていることも知っている。


 だからだろう、ダニエルがいない今、アンドリューが何を言おうとも、次期侯爵だと言われているスペアラントがいることで、尚更気持ちが大きくなり馬鹿にする態度を見せているのだ。


 勉強では適わないからこそ、その地位でアンドリューを見下すしかない。


 スペアラントは付き合う友人も間違えている、とアンドリューはそう感じた。



「なんだぺルソンか、別にいいだろう? 全部本当のことだ」


 華奢な彼女を、女性として魅力がないのだと馬鹿にするスペアラントに対し怒りが込みあがる。


「君は努力する自分の婚約者を愚弄するのか? 彼女は勤勉で真面目でとても素晴らしい淑女じゃないか」


 アンドリューの言葉を聞き、スペアラントはふんっと鼻で笑う。


「ああ、だけど 『女』としては微妙だろう。ノーラは顔は可愛いけど、体の線が細すぎるんだよな」


 どこまで行っても彼女を貶すライアンに、だったらノーラと別れろ! とそう言いたくなった。


「スペアラント、それにお前たちも、言って良いことと悪いことがーー」

「アンドリュー様、有難うございます。ですが私は大丈夫ですよ」


 廊下にいたはずのノーラが、気が付けば教室内にいて、品の良い笑顔を浮かべアンドリューを止める。


 そして愚弄されても貴族令嬢らしい気品ある姿勢を見せつけるように、スペアラントを見つめ返した。


「スペアラント様、今のお言葉確かに受け取りました。自宅へ戻り次第父と相談し、結論を出させていただきますわ」


 ノーラは侯爵家の令嬢らしい高貴な佇まいでスペアラントを見つめ、何でもない風に笑顔を浮かべたまま、決別の言葉を言い切った。


「えっ? ノーラ?!」

「ノーラ嬢?」


 スペアラントとノーラを呼ぶ声が揃う。


 彼女の変わりように、スペアラントだけでなくアンドリューも驚く。


 昨日涙を流していた少女はそこにはおらず、高位の貴族令嬢らしいノーラが胸を張り立っている。


 その姿がとても美しく見えて、こんな時なのにドキリと胸が鳴る。


「そちらの皆様、あなた方のお話もしっかり聞かせていただきました。ティラン侯爵家の娘として適切に対処させていただきますので、そのおつもりで……」


 大人しく弱いと思っていた彼女は、侯爵家の娘らしくどこまでも強く気高かった。


 ああ、ノーラは本当に素敵な女性だ!


 アンドリューが何重にも決壊を張り、心の奥底に閉じ込めていたはずの想いがあふれ出した瞬間だった。






 翌日、アンドリューは彼女(ノーラ)のことが気がかりで、いつもより早く目が覚めた。


 昨日の帰り際、吹っ切れたように笑顔を浮かべていたノーラは、これまでのことへの感謝の言葉とともに、本を読みに来ないかとアンドリューを屋敷に誘ってくれて、友人付き合いをしたいような様子だった。


(もしかしたら少しは意識してもらえたのだろうか……)


 結婚とか婚約とかそんな未来はなくとも、少しでも彼女の心に自分が残ればアンドリューはそれで嬉しい。


 赤い糸がない自分だけれど、少しでも彼女の運命と触れ合うことが出来ればそれで嬉しかった。


「……あれ……?」


 ふと視線が自分の小指に行き驚く。


 昨日まで確かになかった小指の赤い糸が、アンドリューの指に何故かついている。


(一体いつの間に? もしかして父がどこか婿入り先でも見つけてきたのだろうか……)


 ダニエルの友人であり、学園でも優秀な成績を収めているアンドリューならば、婿にと望む家が出て来てもおかしくはない。


 ああついにこの時が来たのかと、アンドリューは小さなため息を吐く。


 諦めきれない初恋を忘れなければならない日がついに来てしまった。


 アンドリューは自分に出来た婚約者をないがしろにするつもりはないし、誰よりも大切にし、いい家庭を築きたいとそう思っている。


 ノーラにはせっかく誘ってもらったけれど、ティラン侯爵家に伺うのは断らなければならないだろう。


 そんな考えを浮かべ暗い表情のまま朝食の席へ向かったアンドリューに、父が眩しいと感じるほどの満面の笑みで声をかけてきた。


「アンドリュー、やったぞ! ティラン侯爵家からお前に婚姻の打診だ! これでダニエル様の側近にもなれる! この婚約を前向きに進めてもいいだろう? どうだ、アンドリュー!」


「……えっ……?」


 朝からハイテンションな父が目に痛いが、それ以上に意味が分からない言葉を吐かれアンドリューは困惑する。


「なんだ、お前らしくもない、驚いて声も出ないのか? ハハハ、婚約の相手はティラン侯爵家のご令嬢ノーラ様だよ。本にしか興味を示さなかったお前が、たった一人興味を持ったご令嬢だ。初恋だったんだろう? 良かったじゃないか!」


「……えっ? ええええっ?!」


 周りには無表情で感情が顔に出ないと言われているアンドリューだけど、どうやらノーラへの想いは家族にはバレバレだったようで、両親だけでなく兄たちからも「良かった良かった」と泣かれる始末。


 何が何だか分からない状態のまま、話は進んでいく。


「顔合わせは週末でいいだろう? ティラン侯爵様もこの婚姻には乗り気だからなー。ああ、そうか、いずれお前が侯爵様になるのか……うんうん、お前は幼いころから優秀だったからな、ノーラ様に見初めてもらえて良かった。本当にこんな幸運はないんだぞ、アンドリュー。ノーラ様をしっかりと愛し、絶対にダニエル様のお役に立てるように頑張るんだぞ!」


「は? はい?」


 張り切る父や母、喜ぶ兄たちに背中を押され、アンドリューは落ち着かない気持ちのまま、ティラン侯爵家での顔合わせの日を迎えた。


 どうやらノーラとライアン・スペアラントの婚約は、あの日の後すぐに解消され、そしてすぐにアンドリューに声がかかったようだ。


 もしかして助けた恩義とかでの婚約だったらどうしようか。


 他にめぼしい相手がいなかったから仕方なくの婚約だったらどうしようか。


 そんな不安な思いを抱えるアンドリューの前、着飾った姿でお見合いの場に現れたノーラは、晴れ晴れとした可愛らしい笑顔をアンドリューに見せてくれた。



「アンドリュー様、突然のお申し出でご迷惑ではなかったでしょうか? その、私は婚約を解消したばかりですし、嫌なお気持ちにはなりませんでしたか?」


 二人きりになると、恥ずかしそうな様子でノーラがアンドリューに声をかける。


 その姿があまりにも可愛らしく、アンドリューの胸がドキドキと五月蠅く鳴る。


 アンドリューとノーラを繋ぐ小指の糸は、糸というより紐のようだ。


 それほどアンドリューはノーラへ向ける想いが強く、もしこの紐が見えたらノーラに嫌われてしまうのではと、ちょっとだけ不安になった。


 だけど、ずっと恋焦がれていた相手と結ばれるチャンスを、アンドリューがわざわざ無駄にするはずがない。


 アンドリューはノーラのキラキラとした黄褐色の瞳を見つめ、ずっと抱えていた想いを伝えた。


「嫌なはずがありません、私はずっと貴女に想いを寄せていたのですから……婚約を申し込まれた今は、嬉しさしかありません」


 正直に心の内を話せば、ノーラは笑顔で頷いてくれる。


 その笑みがとても嬉しそうで、アンドリューは幸せを噛み締める。


「私はずっとスペアラント伯爵子息を好きでした。彼に相応しくあろうと努力し、自分を磨いてきました。けれど今回のことがあって、私は彼のことが信じられなくなりました。ティラン侯爵家を継ぐ身として信用できない相手と婚姻を結ぶことは出来ない、そう判断しました」


「はい」


「すぐに新しいパートナーを決める必要はなかったかもしれません……ですが、婚約者のいない貴方が誰かに取られてしまうかもしれない……そう思うとすぐに行動を起こさなければいけないと、そう思ったのです」


「ノーラ嬢……」


 ノーラの言葉が嬉しくて、柄にもなく目の奥が熱くなる。


 ノーラが自分を欲してくれた、その現実がアンドリューにはどこまでも嬉しいことだった。


「私が知る中で、家族を除き、貴方以上に信頼できる方はおりません。この想いは今は恋や愛ではないかもしれませんが……ですが、貴方以外の人と結婚したいとは私には思えませんでした」


「……」


 目の前に座っていたノーラが立ち上がり、アンドリューの前に膝をつく。


 そしてキラキラと輝く美しい瞳をアンドリューに向け、想いを告げてくれる。


「アンドリュー様、どうかこの私と結婚をしてくれませんでしょうか、ティラン侯爵家を共に支え、私の良きパートナーとして寄り添い、一生をともに歩いて下さいませんでしょうか? 私は貴方がいいのです。どうか私と結婚してください」


「ノーラ嬢……」


 アンドリューの紺色の瞳からぽたりと涙が落ちる。


 嬉しくて嬉しくて自然と涙が溢れ出す。


 幼いころに 「どうせ自分は」 と諦めていた想いが、この時やっと報われた気がした。


 ノーラの横に立つのは自分しかいない。


 自分以外にはあり得ない!


 そう強く決意したアンドリューは、ノーラの細く美しい手を取った。


「ノーラ嬢、私の力が及ぶ限り貴女を支え、このティラン侯爵家に尽くします」


 アンドリューの言葉を聞き、ノーラの瞳からはらりと涙が落ちる。


「アンドリュー様、有難うございます。とても嬉しいです……アンドリュー様、どうか、今後はノーラとお呼びください」


「ノ……ノーラ……」


「はい、アンドリュー様、どうぞよろしくお願い致します」



 その後、あっという間にアンドリューとノーラの婚約は結ばれた。


 婚約者として一緒に過ごす時間が長くなるほど、ノーラを愛おしいと思い、アンドリューの小指の紐の太さは太くなっていくような気がした。


 婚約解消後諦めきれないスペアラントがノーラに接触しようとしてきたが、絶対に許さないと彼女を守り切り、未来の義父に相談し、彼がいるべき場所に送ってもらった。



「ノーラすごく綺麗だよ」


「有難うございます。アンドリュー様もとても素敵ですわ」


 今日やっとノーラとの結婚の日を迎えた。


 婚約期間は幸福でもあり長くもあり、早くノーラを自分だけのものにしたいと、欲深くなる期間でもあった。


 アンドリューは自分の小指に赤い糸が見えなかったからこそ、自分を磨き、知識をつけることで、王子であるダニエルやティラン侯爵にも認められる人間となり、愛しい人(ノーラ)を手に入れることが出来た。


「アンドリュー様、もし運命の赤い糸がなくても、私は貴方のことを誰よりも愛していますわ」


「えっ……? ノーラ?」


 意味深な言葉を吐くノーラにもしや? とアンドリューは焦ってしまう。


 その姿を揶揄うようにノーラがふふふと可愛く笑う。


「私も貴方に負けないぐらい貴方を想っていますのよ、だから一緒に素敵な家庭を築いて幸せになりましょうね、アンドリュー様」


「ああ! ノーラ、絶対に幸せなろう! 約束だ」


「はい!」

 

 自分の小指に赤い糸が見えなかったけれど、アンドリューは誰にも負けないと言い切れるほどの幸せを、この日手に入れたのだった。


~おわり~

こんにちは、夢子です。

これにて運命の赤い糸は完結となります。

ここまで読んでいただいた皆様、有難うございました。


またブクマ、評価、いいねなど、応援してくださった皆様、有難うございました。

本当に嬉しくて感謝しかありません。


このお話は一話一話が長く、書くのも修正もなかなかに大変でしたが、やり切った感があり充実した執筆期間でした。


ノーラは赤い糸が見えたのでその相手を切ってみた話。

ライアンは赤い糸が見えたことで大丈夫だと安心してしまった話。

アンドリューは赤い糸がなかったから努力を重ね自分で道を切り開いた話にしてみました。


ちなみにアンドリューの方がノーラとの繋がりの糸が遅く見えたのはワザとです。


皆様に少しでも楽しんでいただけたら幸いです。


サブキャラのニナは上昇志向の高い女の子で、田舎に帰りたくなくてライアンに声を掛けました。


それからライ兄は弟が侯爵になり自分より上の地位になるのが悔しくてちょっとした意地悪を言ったのですが、そのせいでライアンがあれほど馬鹿なことをやらかすとは思っていなかったはずです。


第三王子のダニエルはこの後無事王太子になり、アンドリューは側近になっております。


色々と設定もあったのですが長くなることを考えるとそこまでは書けませんでした。

次のお話はもう少し長い連載にしたいと思っておりますので、どうぞまたお目目を運んでいただけるとありがたいです。


↓登場人物が少ないので下に紹介を載せます。

気になる方は見ていただけると嬉しいです。


【登場人物紹介】


○ノーラ・ティラン

主人公

幼いころから右手の小指に赤い糸が見えた

オレンジ色の髪に琥珀色の瞳

侯爵家の一人娘

華奢な美人


○ライアン・スペアラント

ノーラの婚約者

銀色の髪に青空のような水色の瞳

甘いマスクでモテる

幼いころから自分の指とノーラの指に赤い糸があるのを見て運命の相手だと安心していた

伯爵家次男


○アンドリュー・ぺルソン

真面目で不愛想な男の子

ノーラが初恋相手

黒髪に深い海のような紺色の瞳

本が好きで勉強も好き

幼いころから自分の指に赤い糸がないことを知っていた

子爵家三男

第三王子のダニエルとは親友


○ニナ・シュルツ

ライアンの恋人

男爵令嬢

田舎である自領が嫌でしょうがない

ピンク色の髪、若葉色の瞳、学年一の美人


○オリヴァー・ティラン

ノーラの父

ライアンの父とは友人

妻一筋


〇ラオリー・スペアラント

ライアン兄

結婚する前に遊んでおけと助言する

妻には出ていかれ離婚する


〇ゲオルク・スペアラント

ライアン父

愛人がいる


○ナターシャ

ノーラの侍女

お嬢様第一

深緑色の髪


〇ダニエル・テミス

第三王子で次期王太子

アンドリューの友人

金髪碧眼

友人の恋を応援しているつもり


挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
自身もごめんこうむる方ではありますがライアン様がちょっと可哀想ですわね。 常に真摯でいるという、それだけを心に留めておけばずっと赤い糸は結ばれていたでしょうに。    可愛いツンデレ風であっても不誠実…
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