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後宮の迷医 ー男装医官の心療録―  作者: サモト


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六章 欺く人⑥

 翌朝。杏はふたたび陰后の宮殿を訪れた。

 先日占いをした部屋の高座に座り、玄視堂の火事見物から戻った龍娘娘を出迎える。


「ふっふっふっ……『バカな! 狂って、自ら焼け死んだはずでは!?』。

 今、そう思ってますね? あなた方の考えなんて、全てまるっとお見通しですよ!」

「得意がるな。みっともない」


 指を突きつける姪を、律がたしなめた。

 陰后たちは動揺し、仇信もうろたえる。


「き、貴様ら、一体どうやって」

「さーて? 天龍様のご加護ですかね」


「ありえない! 何かあの堂にしかけが――」

「ほー、“しかけ”があったと認めるのですか? ご自身の口で?」


 仇信も龍娘娘も、そろって怯んだ。

 杏は立ち上がり、占いに使う水盤を持った。中身を龍娘娘の顔に浴びせかける。


「な――っ」

「ウソはおしまいにしましょう。アザの化粧、落ちてますよ。

 父の言っていた通り、あなたは本物の龍娘娘ではない」


 紙で顔をぬぐうと、ウロコ模様が消えた。

 小さな傷跡とシミのある肌が露出する。


「……これはわざとです」


 龍娘娘は濡れた髪を払った。アザのない顔を堂々とさらす。


「アザは成長と共に消えました。分かりやすいよう、化粧で描いていただけ。私は本物です」

「まだ続けるんですか」


「アザごときで私を偽物扱いとは。軽率ですね」

「分かりました。では、もう一度、私の素性を見抜いていただけますか?」


 龍娘娘は鼻で笑った。


「あなたのことは、すべて見ました。今さら探ることなど何もありません」


「昨日あなたが当てた私の素性ですが、あれはすべてウソです。

 戸籍をたどったのでしょうが、本人は亡くなっています」


「なん――?」


 杏は自分の高い背丈と、華奢な体を見せつけた。


「おかしいと思いませんでした?

 私の戸籍上の両親は、南州の出。南州の方々は肉付きがよく、背も低いです。肌の色も違う。

 ちぐはぐだと感じませんでした?」


「……卑劣なことを! 謀ったのですね」

「ちゃんと私に向き合っていれば、気付けたことですよ」


 杏の言葉に、龍娘娘は押し黙った。


「さあ、私はどこのだれなのか。ご自慢の目で、見通してみてください」


「……発音に違和感はない。育ちは中州……?

 はっきりとした顔立ちと細い体つきは胡人の……安氏の血筋?」


 龍娘娘がたどたどしく観察をはじめると、杏も応戦した。


「あなたは龍公主と同じく馬氏の血が濃いですね。

 語尾のなまりから中州の下町育ち。作法に不自然はなく、文字も読める。

 親は文官でしょう」


 杏はめずらしく早口だった。思考に口が追いつかないのだ。


「でも肌にはシミが多く、歯ならびは悪い。幼少期の貧しさの名残ですね。

 没落した良家のご令嬢――と見ました」


 龍娘娘はバッと、両手でシミや歯を隠す。

 よどみのない推察に、女官や宦官たちの杏を見る目が変わった。


「シミも歯も、母を亡くした後、苦労したからです」

「あり得ない話ではないですね」


 ひるむことなく、杏は言葉を重ねる。


「乱れた生活をなさっていますね。肌が荒れて吹き出物がある。

 お酒はほどほどに。顔がむくんでいますよ」


 杏は無遠慮に、龍娘娘のほおを押した。


「肌の感触や頬骨の出方から、二十歳は超えてますね。二十二、二十三、二十四、二十五……んー?」


 杏は眉を寄せる。


「反応が鈍いですね。ふつう、どこかで本人も意識しない動作をするんですけど」

「二十に決まっているでしょう。本物なのですから」


「戸籍は見ました? 本物は二十一ですよ」

「似たようなものです」


「そう、ささいな差ですけどね。あなた、だれかにキリよく二十と教えられ、それを信じ込んでいたのでは?」

「――!」


 龍娘娘は親指の爪を噛む。

 杏は仇信の反応をうかがった。こちらは奥歯を噛んでいる。


「困りましたね。あなたは自分のウソをウソと分からないくらい信じこむ方なんですね。反応が鈍いのはそのせい。

 ……相性悪いんだよなあ、こういう人」


 杏はあごを掻き、龍娘娘の爪を噛むしぐさに目をとめた。


「ふむ、では別の角度から読みますか。たとえば、あなたはなぜ爪を噛むのか」


 相手の動作をまねて、杏も左親指の爪を噛んだ。

 目を閉じ、想像力を最大限に働かせる。


「――あなたは幼いころ、ご両親から充分な愛情を受けられなかった。

 生まれは兄弟の真ん中。両親の関心が薄く、孤独を感じやすい位置です」


「何を……」


「あなたの家は最初、娘ばかりだったのでは?

 息子がいないから、親は娘に希望を託した。良縁を願って、教育を施した。だからあなたは文字が読める。


 けれど、待望の男児が生まれると、関心は一気にそちらへ。

 あなたの爪を噛むクセはその頃からはじまった」


 杏の右の人差し指は、くるくると小さな円を描いている。


「なぜウソをつくのか――親の注目が欲しかったから。

 あなたは最初、小さなウソを一つついた。うまくいったので、さらに二つ、三つ。

 時に見破られても、成功の体験が忘れらない。ウソは止まらなくなった」


「……的外れな憶測ですこと」


 何も聞こえていないようだった。

 杏は龍娘娘の周りを歩きながら、ひたすらに洞察の物語をつむぐ。


「裕福だった過去の記憶は、貧しく苦しい現実を受け入れることを邪魔した。

 やがてあなたは、家の外でもウソをつきはじめる。家には何人も召使がいるとか、両親は自分には甘いとか。

 現実が苦しければ苦しいほど、ウソは大げさになる。時に、大金持ちの娘や、公主を名乗ったこともあったのではないでしょうか」


 龍娘娘は色糸の刺繍の鮮やかな黒衣を、ぎゅっと握りしめた。


「あなたは器量がいい。そういう女性の行く先は、妓楼かお金持ちの妾です。

 あなたは――妓楼でしょうか? 一度は妾になっていても、結局はそこ。柳巷の世界は騙し騙され。あなたのウソをつかずにはいられない性質と相性がいい」


「お黙りなさい」


「今の乱れた生活は、そのころに身についた。

 夜ごと、あなたはお客に合わせてウソをついた。

 夜な夜な違う自分を演じ、現実との落差をお酒で埋めた」


 杏はすっと、手を持ち上げた。


「――ある時、あなたは同僚か客に傷を負わされる」


 目は閉じたまま、正確に、龍娘娘の額に残るわずかな傷跡を指す。


「龍娘娘になったのは、その顔の傷がきっかけでは?

 傷を隠そうと化粧をはじめ、あなたは思い出す。昔に見た、龍娘娘を。


 戯れにウロコのアザを描くと、大評判。たまたま龍公主と似た顔つきということもあり、周囲からの龍娘娘ともてはやされた。


 周りは冗談だったでしょう。けれども、周囲に注目されたいあなたには真実となり、あなたを利用したい者は真実とした」


 その場にいる陰后や女官たちは、息をつめて杏の話に聞き入っている。

 仇信はもはや半ば顔を背けていた。


「ああ――分かった。あなたがだれか」


 杏は天を仰ぎ、ふっと目を開く。

 天井画の天龍から、啓示を与えられたかのように。

 澄んだ湖面に似た瞳に、龍娘娘を映した。


「あなたは春蘭。丁春蘭(ディン・チュンラン)でしょう?」

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