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後宮の迷医 ー男装医官の心療録―  作者: サモト


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六章 欺く人⑤

 龍娘娘を筆頭に、杏、仇信、陰后と宮殿を出る。後には宦官と女官も続き、一行は行列となった。


 後宮の人々は何事かと目を丸くした。物見高い人々が列へ加わり、玄視堂の前には人だかりができた。


「さあ、どうぞ。白杏医官」

「何もしかけがないか確かめさせていただきますよ、龍娘娘」


 明るくなるよう、杏は両の扉を開け放った。

 床や壁に、毒針の類が仕込まれていないか。妙な液体が塗られていないか。目を光らせる。

 すみに置かれていた香炉は外へ出した。元からあるロウソクや、灯明台の油も、一つ残らず取りのぞいた。


「念入りですこと」


 龍娘娘は、無意味なことを、と言わんばかりだった。


「気は済みましたか?」

「まだですよ。代わりのロウソクや灯明油がいるでしょう?」


 杏は閉じかけられた扉を、また全開にする。


「こんな堅い床では眠れないので、寝具だっていります。ワラで我慢しますけど」

「……要求の多い方ですね」


 杏は、まるで宿に泊まりに来たかのような気軽さだ。


「今夜はヒマだし、書き物でもしようかなー。

 お夕食に、お茶に、お酒は……我慢しよ。お手洗い近くなりますもんね。

 っていうか、お手洗いはどうしたらいいと思います?」


「存じません!」


 緊張感のなさに、龍娘娘だけでなく仇信も呆れていた。

 杏は監視役を伴って医房へもどり、必要な品々を運びこむ。


「もう、よろしいですね?」

「んー、まだあるような、ないような。何か忘れているような、いないような」


「あなた、本気で堂に籠る気があるのですか」

「ひどいですね、龍娘娘。ひょっとしたら最後の夜になるかもしれないというのに。慈悲の御心はないのですか?」


 めそめそと泣きマネをする杏に、龍娘娘が目を吊り上げる。


「私を怒らせようとしています?」

「おやおや。化けの皮がはがれてきていますよ、龍ニャーニャー様。笑って笑って」


 杏は横目で観衆をうかがった。この騒ぎはだいぶ後宮に広まったらしい、人の輪が何重にもなっていた。満足して、堂に入る。


「では、また明日」


 杏は扉が閉じていく中、にこやかに手をふり続けた。

 扉が徐々に閉じ、堂内が暗闇に包まれる――寸前、もう一度、開いた。強い力でこじ開けられる。


「俺も入る」

「叔父上」


 息を切らせて、律が堂に踏み入ってきた。


「あー……残念ながら白律御監、こちらの堂は定員一名となっておりまして」

「ならおまえが出ろ、下っ端」

「今日は特別に二名まで大丈夫でーす!」


 首根っこをつかまれた杏は、あっさり意見をひるがえした。

 仇信がおもしろそうにアゴをしゃくる。罠にかかった獲物を見る目をしていた。


「かわいい姪と運命を共にするとは。家族想いですなあ、白律御監」

「いい加減、バカげた茶番を終わらせたいだけですよ、仇信内侍監」


 堂には、監察房の官吏たちも駆けつけていた。不安げに申し出る。


「白律御監、お待ちください。籠もるなら、僕が」

「万が一があっては――」

「万に一つもない!」


 律は一喝した。


「いいから、おまえたちは通常通りに仕事をしろ。

 夕方の陛下への拝謁はずらす。明日と、伝えてくれるな?」

「――はいっ!」


 部下たちは背筋を伸ばした。律の指示に従い、堂の扉を閉める。

 重々しい音を響かせて、鍵がかけられた。


「……『遅刻しても怒るどころか、早く出仕したら妻との仲を案じてくれるのは白律様だけ』とか。『物語の中の女性への愛を認めてくれるのは御監だけ』とか。

 叔父上、慕われていますねえ」


 杏は扉に聞き耳を立てる。


「いいんですか、来てしまって」


 脳天に、律の拳骨が直撃した。


「おーまーえー、わざと俺を怒らせただろう!」

「てへっ。がんばって知恵を絞ってみました」


 杏はぺろっと舌を出した。


「しかも一刻目を離しただけで生死をかけた大勝負とは……どうなってるんだ、おまえは! 堅実という言葉を知らんのか!?」


「ははは、早急に勝負つけないと危ないことになったもので」


 杏が事の成り行きを説明すると、律はうなった。


「なるほど……想像妊娠か。で、どうにもならなくて、おまえに後始末を」

「世の中はうまくできていますよねえ。人の弱みに付けこんだ者は、結局、その弱みに足を掬われるのですから」


 律は腕組みした。


「しかし、どうするつもりだ。ここの堂の仕掛けはもう分かっている。一晩いたって、気が狂うとは思わん。――が」


 緊張と警戒に満ちた目で、堂内を見回す。


「だからこそ怖いぞ。壁にもたれたら、仕込まれていた毒針に刺される、ということもあり得る訳だろう?」


「ええ。毒が灯明油に混ぜられていたら、その煙を吸うだけで倒れますし」


 律はぎょっとして、鼻と口を袖でおさえた。手にしていたロウソクの火を消そうとする。


「安心してください。危険がないかはすでに調べてあります。

 明かりを含め、ここにあるのは私が持ち込んだものばかりですよ」


 律は少し肩の力を抜いたが、奥の壁を警戒した。抜け穴のある箇所だ。


「それを避けたということは、次は刺客でも差し向けられるんじゃないのか?」


「自死に見せかけて殺したり、はたまた、そこから毒入り香炉を投げ込むとかもできますよね」


「おまえ、たしか外から壁を開けていたな。内側から開かないようにはできないわけか……」


 杏は悩む律の肩を叩いた。


「大丈夫ですよ、叔父上。私がその対処を考えないでここに来るわけないじゃないですか」

「……対策が、あるのか?」

「はい。これがそうです」


 杏は持ち込んだ寝藁や紙、炭や灯明油などを指差した。


「さ、叔父上。先手必勝。何かしかけられる前に、ここを燃やしますよ!」

「――は!?」


 突拍子のない案に、律は面食らっていた。


「……正気か?」

「焼け死ぬ気は毛頭ありませんよ。実はここ、床にも抜け穴があるんです」

「なんだって?」


 杏はしゃがんだ。床板と床板の間に、わずかに隙間のある箇所がある。そこに指を入れ、持ち上げる。ぽっかりと、大人一人が通れるほどの穴が現れた。


「後宮にこんな抜け穴があったとは……」


 律は穴をのぞきこみ、呆れる。


「この方角、もしかして宮殿の外に繋がっているのか? やりたい放題だな、龍公主」

「ほらね。私って役に立つでしょう?」


 得意げな杏に、律は素直に感心した。


「いや、本当、よく気づいたな」


 律の表情が、ふと曇る。杏に向ける視線が鋭さを帯びた。


「待て、気づいたのか? それとも――知っていたのか?」


 右上半分が隠されている顔を、律は凝視した。

 十年見てきた顔を、改めて観察する。

 思い当たったことがあって、つばを呑んだ。


「まさか……おまえが」

「種明かしは後です!」


 杏はにこっと笑い、寝藁を床にまきはじめた。


「さあ、始めましょう、燃え盛るお堂からの奇跡の脱出劇!」


 紙と炭は柱の下へ積む。


「名も無き一医官だけでなく、白律御監も一緒ですからね。後宮のみならず、王宮全体が大注目まちがいなし。最高に盛り上がりますよ、これは!」

「俺たちは見世物か」


 律は灯明油をふりまいた。


「本当は一人で奇跡の大脱出して、焼けたお堂の前で私を想って泣いているであろう叔父上のお姿を影から拝見しようと思っていたんですけどね。残念残念」


「何が楽しいんだ」

「あんなこといったので、絶交されたらどうしようと心配していたんです」


 杏はへへっと相好をくずした。


「まさか後先考えず窮地に飛び込んできてくれるなんて。姪冥利に尽きます!」

「そんな心配するくらいなら、するな! 無茶ばかりして。こっちの心臓がもたんぞ!」


 律はじゃれついてきた杏の頭をぐしゃぐしゃとかき回した。


「でもまあ、今回のことで分かった」

「何がわかったんです?」


「おまえに隠し事をしてもムダだということが」

「お。ご理解いただけましたか?」


「よく分かった。これだけ無茶苦茶をやられるくらいなら最初から話す。

 だからおまえも事前にいえ。いいな」

「私は即断即決、臨機応変が多いので確約できませんけど。最大限、努力します!」


 準備は整った。二人は火のついたロウソクを手にして、顔を見合わせた。


「さあ、やるか」

「ええ。盛大に参りましょう!」


 二本のロウソクが投げられる。

 小さかった火はワラを舐めてたちまち大きくなり、紙と炭を経て柱に食らいつく。


 燃え盛る炎が、玄視堂を呑みこみはじめた。

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