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五章 恋う人①

 杏は上機嫌だった。

 医房にやってきた律に、ニマニマしながらとつきまとう。


「お、じ、う、え~。いや~、今日もいい男ですね。

 若くして官吏試験を突破する秀才ぶり! 後宮の監督官を任される将来有望ぶり! さらにこの麗しいお顔!


 才も華も兼ね備えた完璧超人じゃないですか。

 世の女性たちが放っておくはずがないですよね、ええ、まったく!」


「なんだ気持ち悪い。むりに褒めなくても土産はやるから止めろ」

「ふふふっ、はい、どうぞ!」


 杏は数十通の文を扇状に広げ、差し出した。


「なんだこれは」

「人から預かった叔父上宛のお手紙です」


「訴状なら監察房に送れといえ」

「もおー、無粋なんですから。女官さんたちからの恋文に決まってるでしょう?」


 杏は叔父の背をバシッと叩いた。


「ささ、だれにします? 全員の素性も趣味もバッチリ把握済みです!

 好みを教えていただければ、私が完璧な一人を選び出しますよ!」


 みなまで聞かず、律は手紙をはたき落とした。


「ひどいっ、叔父上! ひどっ!」

「俺は後宮の監督官だぞ。分かってるのか」


「分かってますけど、いいじゃないですか、恋の一つくらい。息抜きも必要ですって」

「あのな。まさかとは思うが、妃嬪だけでなく女官も皇帝陛下のものだと知っているよな?」


 杏は一時停止した。


「えっ! 女官さんもダメなんですか!? 宦官さんと付き合ってる人もいますよね?」

「建前上は、すべての陛下の妻。手を出せば懲罰だ」


 文を名残惜しそうにする杏に、律はクギを刺す。


「実際、前任者は陰后の女官と不祥事を起こして罷免された」

「陰后の女官……ってまさか」

「仇信内侍監の差し金だ」


 杏は血相を変え、恋文の一つ一つに疑惑の目を向けた。

 ひょっとしたら刺客の手紙も混じっているかもしれない。


「手紙、燃やせ。それを元に因縁をつけられたら困る」

「怖っ! 後宮、怖っ」


 杏はかまどに手紙を放りこんだ。

 その火で湯を沸かし、竹葉茶を用意する。


 今日の律の手土産は冰粉(ビュンフェン)だった。

 冰粉は、透明でプルプルとした食感の甘味だ。黒蜜をかけ、果物や木の実と一緒に食す。のどごしが良く、夏にぴったりの食べ物である。


 膳房が涼しいので、二人はそこに居場所を決めて雑談に興じた。


「ここに来る途中、龍娘娘と行き会った」

「いいなー。あの人、会ってみたいんですけど、ふだんは陰后様の宮殿にこもりきりだし、やってる占いは見料が高いんですよねえ」


 杏は龍娘娘の占いを信じていない。好奇心を満たすには痛い額だ。それなら好物のお酒を買う。


「あの女……人の顔を見るなり『女難の相が出ていますよ』なんていってきた。占いなんぞ頼んでもないのに」

「はは、ここにいたら起きる可能性が高いですよね、そりゃ」

「それをさもしたり顔で。腹立たしい」


 まだ熱いお茶を、律は手を焼きながらすする。


「気苦労が耐えませんね。叔父上の部下さんたちも、男性でしたよね? 大変なのでは?」


「もちろん部下は厳選した。

 物語の女にしか興味がない読書家。妻が好きすぎて毎朝遅刻する愛妻家。三度の飯より数字が好きな財政官――

 ともかく色恋沙汰と縁が遠い人材を引き抜いてきた」


「なんですか、その個性的な顔ぶれ。監察房の宴会、参加させてくださいよ」


 杏は興味津々で身を乗り出した。


「すいません、白杏医官はいらっしゃいますか?」


 診察室の方で、か細い声がした。

 杏は冰粉の器を置き、すぐに立ち上がる。


「はい、どうなされましたか?」


 訪ねてきたのは、やつれた顔の女官だった。

 肌にうるおいがなく、手足は細い。きちんと着ているのに、女官服はどこかくたびれて見えた。


「具合が悪そうですね。暑気あたりでしょうか? まずは、どうぞ横に」

「どこも悪くありません。いつも通りです」


 女官は寝椅子に座ることもなく、話をはじめた。


「私は春嬪付きの女官、孤苓(グー・リン)と申します。

 白律様にこれをお渡ししたくて参りました」


 孤苓は無造作に、すずりを差し出してきた。

 見るからに上等なすずりだった。表面はきめ細かく、しっとりとした艶を帯びている。名産地の一級品に違いない。


「申し訳ありません。そういった物は預かるな、と叔父からきつく言われておりまして」

「ただ受け取って下さるだけで良いのです。見返りは求めません」


「いえ、そういう問題では……」

「私、幸せになりたいんです」


 真顔で迫られ、杏はたじろいだ。


「龍娘娘様に言われました。運を開きたければ、白律御監に贈り物をするようにと」

「どういう理屈です!?」


 簡単には引き下がってくれないようだ。

 杏はひとつ、龍娘娘の権威をぐらつかせてやることにした。


「あなた、これまでにも男性に高価な物を貢いでいますね?」

「どうして……」

「驚くことではありませんよ。高価な品を迷いなく差し出せる手つき。見返りを求めていない態度。それだけで察しがつきます」


 杏は軽やかに説明した。


「疲れた顔をしているのに、平気とおっしゃる。昔から苦難の多い人生を歩んでおられるのですね」


 孤苓の節くれだった手を取り、感触を確かめる。


「手のひらの皮が厚いですね……妃嬪に仕える女官にしてはめずらしい。

 ご生家では、朝から晩まで家事に追われていたのでは?」

「はい。継母に虐められていて……」


「でも、心の支えになる人がいたんですよね。何を捧げてもいいような」

「隣家の、幼なじみです」


 孤苓は泣き出しそうな顔になった。


「今、あなたがそんな顔をしているということは、幼馴染は良い人ではなかったようですね。

 『いつか結婚しよう』――そんな期待をもたせる言葉を使って、巧みにお金や物をせびる」


「信じて、いたんです……!」


 淡々と展開される推理に、孤苓はわっと泣き出した。


「彼は、他の女性にも似たようなことを言っていたのでしょう?」

「そうなんです。同郷の女官に、それを教えられて……」

「でも、縁を切れなかった。『君だけが頼りだ』といわれると、助けてしまう――

 あなたのような優しい女性に、ありがちなことです」


 はたと、孤苓は顔を上げた。ぱちぱちと涙目を瞬かせる。


「どうでしょう? 私の推理は、龍娘娘の“なんでも見通す目”と同じでしたか?」


 あっけに取られている孤苓に、杏は微笑した。

 改めてすずりを押し返す。


「龍の力なんて無くても、あなたのことは分かるものなんですよ。

 龍娘娘のいうことなんて、当てにしてはいけません」

「そんなことありません!」


 かたくなに、孤苓は贈り物を押し付けてきた。


「龍娘娘の助言は、真っ当でした。

 『白律御監にお金を使えば、幼馴染に貢ぐ分が減る。そうすれば彼への情も薄れて、新しい恋に目を向けられるようになる』――良い案ですよね?」


 杏はひるんだ。たしかに、一理ある案だ。急いで代案を考える。


「いいえ。そもそも後宮の女性は、陛下が夫。すずりは皇帝陛下にお贈りするべきです」

「陛下なんて! そんな、恐れ多い!」

「もしお目に止まれば、一気に運が開けます。これこそ真の良案です」


 孤苓は震え上がった。


「私はそんな大それた幸運は望んでいません!」

「叔父だって困りますよ。あなたとの関係を疑われたら、職を辞することになるんですよ?」


 またもすずりの押し合いがはじまった。


「人助けと思って受け取ってください! 白杏医官が預かって下されば、贈ったも同然なんです!」

「理屈がむちゃくちゃです!」


 孤苓はさっと、机の上にすずりを置いた。端まで滑らせる。


「捨てても売っても、どうなさっても構いません。それでは!」

「ちょっと!」


 杏は門の外まで追いかけたが、もう影も形もなかった。

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