表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
後宮の迷医 ー男装医官の心療録―  作者: サモト


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/44

四章 醜い人③

 次の市で、杏は店構えにも手を加えた。


 遠くからでも目につきやすいよう、商品を高さのある棚にならべる。上には、『八彩白粉』と書かれた額を掲げた。

 試供品をのせた盆は店先へ。露台に野花を飾り、安心安全という売りに見合った華やかさを演出する。


「ついでにこれも!」


 杏は、台の脚と脚の間――天板の下、客の目線に入りやすい位置に絵看板を差しこんだ。白粉をぬる女性の姿が描かれている。


「文字が読めない方も多いですからね。これで一目瞭然!」

「専用の容器も、間に合って良かったわ!」


 仕上げに、高鉄雄が八角形の木箱を積んだ。

 彼の手で、表面には彩紙が貼られ、フタには房飾りがつけられている。安価だが、他の容器に見劣りしない仕上がりだ。


「前回より、一人でいい。お客さん増えてくれるといいけど」

「きっと大丈夫ですよ。ともかく笑顔で立ってましょう」


 高鉄雄の心配は杞憂で、上々の出だしだった。

 韻夫人や李妃が、ふたたび足を運んでくれたのだ。二人に仕える女官たちも、白粉を買い求めに来てくれた。

 その後も、ぽつりぽつりと客が足を止めてくれる。


「白杏ちゃんの工夫のおかげね!」

「容器の評判もいいですね!」


 むりに作らなくとも、二人は笑顔でいられた。


「あ……の……」


 声をかけられ、二人はぎょっとする。

 もう薄着をする時季だというのに、声の主は頭から薄衣をかぶっていた。


「……ごめんなさい。顔をさらす勇気までは持てなくて……」


 衣の端がわずかに持ち上げられる。

 現れた美女に、高鉄雄と杏は目を輝かせた。


「錦才人! 来てくださったのですね」

「どうぞそのままで。ありがとうございます」


 錦才人はそろそろと店の内側へ入ってきた。市をあちこち見回す。


「ひょっとして、市自体、初めてですか?」

「は、はい……楽しそうだなとは、思っていたんですけど……」


「今日は軽業師が芸を披露するそうですよ」

「あ、あの杏花糕! おいしいんですよ。形も可愛くて、オススメです!」


 二人があれやこれやと市の魅力を教える。

 好奇心を抑えきれなくなったらしい。錦才人はまた少し衣を上げた。

 が、すぐに下ろす。気の強い顔をした女官がやってきた。


「こんにちは、張明さん。最近、頭痛は減ったみたいですね」

「おかげさまで。――白粉だけど、十個お願いできる?」

「十個も?」


 思わず聞き返したが、張明はこともなげにうなずいた。


「金妃様のお達しなのよ。側仕えの女官も全員これに変えるようにって」

「それはやはり、御子たちの身を案じて?」


「ええ。あなたの『李妃様は乳母に化粧をさせなかった』って話。あれが響いたみたい」

「同じ母親の話は、説得力が違いますね」


 杏は棚から、包みを十個取った。強風で額がかたむき、頭に当たる。


「今日は風が強いですね」

「そちらも……店員さん?」


 商品を受け取りながら、張明は錦才人に目をやった。

 風のせいで衣がめくれ、顔が見えてしまっていた。


「……きれいね」


 杏と高鉄雄は身を固くした。

 錦才人が取り乱すかもしれないと覚悟を決めたが、褒め言葉には意外な言葉がつづいた。


「眉。描くの、お上手ね」

「……え……?」


 錦才人は、衣に伸ばしていた手を止めた。

 杏たちまでポカンとしているのを見て、張明があわてる。


「ごめんなさいね、突然! 私、眉を描くのがすごく苦手だから、つい」


 張明は恥ずかしそうに明かし、露台に白粉の代金を置いた。


「張明さん……自分の眉、気に入ってないんですか?」

「気に入っているわけないじゃない、この直線眉!

 ただへさえも怖がられているのに、よけいに怖い印象になるでしょ!」


 怒鳴るのが一番怖い、と杏は思ったが、黙っていた。


「こういう、丸みのある眉になりたいんですか?」

「何度やってもうまくいかないのよねえ。左右対称にならないし。線はガタガタになるし」


 張明は物欲しそうに理想の眉を見つめる。


「よかったら、どうやって眉を描いているか、話してみてもらえませんか?」


 視線を怖がっている錦才人に、杏は優しく声をかけた。


「彼女、知りたがっているので」


 錦才人はようやく、まともに張明と顔を合わせた。

 ためらい、ためらい、つややかな紅唇を開く。


「て……点を打つと、いい……です」

「点?」


 ずいと、張明が身を乗り出した。

 衣を握りしめながら、錦才人はしどろもどろに続ける。


「さ、最初に……眉頭、中間、眉尻と、点を打つんです……。それを目印にして……ひじを固定して、一気に描くと……うまくいきます」

「なるほど……点ね。腕を固定して、一気に」


 張明は何度もうなずき、錦才人の肩をつかんだ。


「お願い、それ、実演してみせて!」

「えっ……!? わ、私のやり方なんて……参考になんか……」

「少なくとも、私よりマシよ! 待ってて。眉墨と筆を取ってくるわ!」


 張明は走り去って、すぐ道具を持って戻ってきた。


「それで、点はどのくらい打つといいの?」

「えっ、えっと……」


 気迫に気圧され、錦才人はていねいに指導をはじめた。

 衣が少し、邪魔そうだった。杏はそうっと脱がせる。

 取り戻されることはなかった。高鉄雄と、目で笑いあう。


「すごい……初めて描けたわ、満足のいく眉!」


 鏡をのぞきこみ、張明が興奮した声を上げる。筆を持つ手が震えていた。


「あなた、すごいわね!」

「す……すごい……? 私、が……?」

「ありがとう! 助かったわ!」


 張明が去っていっても、錦才人は目をパチクリさせていた。

 しばらくして、自分が何も被っていないことに気づく。


「こ、衣っ……!」

「あのう!」


 若い女官が、衣で身を隠そうとする才人を呼び止めた。

 さっき、眉の描き方をじっと見ていた客だ。自分の唇を指差す。


「店員さんの唇。どうしてそんなにふっくらして、艶があるんですか? やっぱり普段のお手入れ?」


 錦才人は面食らったものの、また、たどたどしく言葉をつむぐ。


「く……唇に、ハチミツをぬって。油紙をかぶせおくと、うるおいます。

 仕上げにほんの少し、透明な油を。それで、艶が」

「直前でも、何とかなるんですね」


 若い女官は明るく言い、ふと苦笑した。


「でも私、唇が大きいから。あんまり目立たせると、唇お化けですね」

「そんなことないです!」


 杏たちが驚くほど大きな声が、錦才人の口から飛び出した。


「わ、私は……見ての通り、口が小さくて醜いので……。

 唇から少しはみ出るくらい紅をぬって、大きく見せているんです……。色も明るいものを選んで……。

 なので、あなたの場合は……反対のことをすれば……」


「そっか! 何も、唇の輪郭通りにぬらなくてもいいんですよね」


 若い女官は手を叩いた。懐から、買ったばかりの口紅を取り出す。


「私も、実演してもらってもいいですか?」


 錦才人は目をまん丸にした。

 不安げに手を握り合わせたものの、期待に輝く両眼を前に、うなずく。


「……わ、私で、よければ」


 請け負った途端、他の客も身を乗り出してきた。


「私も! 眉描くの苦手で!」

「目の下のクマって、何とかなりますか?」

「え……ええっと……!」


 錦才人は、三方から迫られてうろたえる。杏は手を叩いた。


「はいはい、みなさん! 順番ですよー。一列に並んで下さーい!」

「椅子、持ってきますね!」

「えええ!?」


 杏と高鉄雄は、手分けして場を整える。

 錦才人はオロオロとしていたものの、嫌とは言わなかった。

 いざ客と向き合うと、次々と客の悩みを解決しはじめた。


「すごい……お勧めの化粧品から、顔立ちに合った化粧まで提案してる」


 おそらく、これまでにあらゆる美人の顔をまねてきたのだろう。

 相手の顔の特徴を一目で把握し、その魅力が活きる化粧を教えている。

 杏と高鉄雄は感心しきりで、うなるしかない。


「……これ、次回から白粉買ってもらった人限定にしましょうよ」

「あたしもそう思っていたところ」


 杏がこそっと耳打ちすると、高鉄雄は片目をつむった。

 錦才人のお化粧相談には、助言を求める人だけでなく、ただ話を聞くだけの女性まで集まっていた。

 机一つの小さな店に、今や人だかりができている。


「お疲れさまです、錦才人。いったん休みましょう」


 頃合いを見て、杏はいったん錦才人を店から退かせた。

 市で売っていた冷たい金橘水を渡す。


「あ……ありがとうございます……」


 よほど喉が渇いていたらしい、錦才人は一息に果実水を飲み干した。

 汗は輝き、目は精彩にあふれているが、杏はあえて消極的な提案をした。


「今日は、このくらいにしておきましょうか?」

「いえ、大丈夫です! まだ、やれます」


 錦才人は背筋を伸ばした。待ってくれているお客たちを、誇らしげにする。


「……私、父から『女は美しくなければ価値がない』といわれ続けてきたんです」


 低く静かに、錦才人は昔を語りはじめた。


「母からも『顔が平坦』とか『目が小さい』とか、そんなことばかりいわれて」


 大粒の涙が、錦才人の目からこぼれ落ちる。


「醜かったら価値がないなんて、嘘ですね。美人でないから役に立てることも、あるんですね……」


 差し出された手巾に、錦才人は顔をうずめた。

 杏も高鉄雄も、優しくその背をさする。

 彼女はようやく、一番欲しかったものを手に入れたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ