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後宮の迷医 ー男装医官の心療録―  作者: サモト


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四章 醜い人①

 錦才人の住まいは、後宮の北側にある静かな院だった。

 才人は夫人に次ぐ位で、宮中の催しには出るが発言権はない。隠れた美人がいてもおかしくない地位だ。


 杏が門を叩くと、すぐに侍女が出てくる。


「医官の白杏です。白粉の件で参りました」

「ああ、白粉。肌に良いものが見つかったのですね」


 侍女はほっと胸をなで下ろした。高鉄雄ともども、杏を中へ案内する。


「良かった。錦才人、お化粧なさらないことには、私どもにも姿を見せないものですから」

「まさか、白粉の鉛毒を知ってからはずっとお部屋に……?」

「ええ」


 杏は目を丸くした。奥へ進みながら、高鉄雄から聞いた逸話を反芻する。


 錦才人は後宮入りして間もないころ、宮中の催しで美しさを褒め称えられた。


 ところが、本人は己の美貌を一切認めない。

 いくら褒められようと否定しつづける。それどころか「鼻が低い」「脚が短い」と自ら欠点を探し出す始末。


 ついには一人の才人が「美人だと言っているでしょう!」と怒り出し、錦才人は「醜いと言っているでしょう!」と泣き出した。

 以来、錦才人は人前に出なくなったという。


「錦才人、白粉のことで医官の方がお見えです」


 通して、とくぐもった声で返事があった。

 主屋は薄暗い。杏と高鉄雄はそろそろと足を踏み出す。

 角の生えた、おどろおどろしい怪物の面と出くわした。


「きゃあああああああーっ!」


 高鉄雄は絹を裂くような悲鳴を上げた。

 逃げ帰ろうとするのを、面の主が止める。


「ごめんなさい……この醜い顔をお見せしては悪いと思って……」


 おずおずと、錦才人が面の影から素顔をのぞかせた。


 一重の目は細く、鼻筋は控えめ。ほおには小さなそばかすが散っている。のっぺりとした平坦な顔立ちだ。


 評判に聞いていたような美女ではない。しかし、怪物と呼ぶほどでもない。

 拍子抜けするほど、ただ普通の顔だった。


「お面、あったほうがいいですよね……? お面より酷いですよね……? 私みたいな不細工が生きていてすみません、息をしていてすみません……」

「無しで! お面は無しでお願いします!」


 杏は強く訴えたが、面が外れることはなかった。


「すごいでしょ?」


 高鉄雄のささやきに、杏は無言でうなずいた。

 席に座ると、さっそく八彩白粉を差し出す。


「こちらが鉛の入っていない白粉、八彩です。どうぞお試し――」


 飛燕の早さで、白粉は手から消えた。

 無いと気づいた時には、錦才人はもう鏡台に座っていた。


「あ、どうぞ……。私のことは道端の石ころと無視して、説明を続けてくださいな……」


 錦才人は一心不乱に化粧をしている。

 鏡台の上には所狭しと化粧品がならんでいた。道具も、紅筆だけでも何種類もそろえられている。


「で、では、続けさせていただきますね」


 杏は咳払いを一つして、話を再開した。


「その八彩白粉は、鉛はもちろんのこと、辰砂も使われておりません。それでいて使い心地は――」


「うん……従来のものとほぼ同じね……。肌なじみは月霞より上……化蝶より厚ぼったい仕上がりだけど許せるわ……。珠姫のように真珠粉を足してくれたらいいのに……」


「すべて錦才人のおっしゃる通りです。ぜひご活用ください」


 事細かに感想を述べられ、杏は黙った。じっと化粧が終わるのを待つ。

 コト、と筆を置く音がした。

 主人の合図で、侍女が窓の前の衝立を取り去る。


「どうもお待たせいたしました……」


 女主人が前に立つと、杏は思わず息を呑んだ。

 うわさに違わぬ美女がいた。


 一重で細かった目は、二重に変わっている。大きくなった目は黒く縁どられ、瞳が宝石のように印象的になっていた。

 どうやっているのか、鼻はさっきより高く見える。

 そばかすは消え、肌は雪のように白い。頬紅は自然な濃淡で、肉の薄い頬をふっくらと見せていた。

 ザクロの実を割ったような、つややかな紅い唇が魅力的だ。


「……すごい……」


 となりで、高鉄雄が呆然とつぶやく。杏もまったく同じ思いだった。


「おかげさまで、醜い芋虫も人なみの生活が送れますわ……」


 錦才人は、世の男性をとろけさせそうな笑みを浮かべた。

 感動を抑えきれず、高鉄雄が叫ぶ。


「錦才人、どうしてそんなことを? あなたはとてもお美しいのに!」


 途端、錦才人の顔がゆがんだ。


「どこが美しいの!?」


 鋭い声に、二人はビクッと身をすくませた。


「眉も鼻も口も! 何もかも完璧にならない! どれだけ直しても誰より醜いまま!」


 錦才人は両手で顔をおおった。完璧に作られた顔を、自分でくずしていく。

 眉墨が、頬紅が、白粉が――ぐちゃりと顔を汚した。


「……女は美しくなければ意味がないのに……醜い人間に価値なんてない……お母様のように捨てられてしまううう……!」

「そんなことは――」


 杏は手で高鉄雄を制した。


 この女性に必要なのは、称賛ではない。

 なら、一体何が要るのか――

 束の間、人差し指でくるくると円を描く。

 一歩にじり寄った。


「ぶしつけながら、錦才人。お願いがございます。

 だれより醜いとおっしゃるあなた様にしか、できないことです。

 話を聞いていただけますか?」


「……醜い私にしか……できないこと?」

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