三章 商う人⑦
「そちらこそ、そんなことをおっしゃって大丈夫ですか?」
余裕の笑みを返す。
「この市は内侍省の管轄。扱う店も品も、省の許可が必要です。
その品を疑うということは、仇信内侍監のご判断を疑うということでは?」
墓穴を掘ったことを知って、青澄はほぞを噛んだ。
杏の隣でハラハラしている店主に気がつくと、そちらに矛先を変える。
「見てくださいよ、みなさん! あの見るからに冴えない店主!」
突然周囲の注目を浴び、高鉄雄は身をすくませた。
「美を売る人間が、あれでいいと思います?」
たくさんの無遠慮な視線が、高鉄雄にまとわりつく。
「店の品には、その店主の品格が現われる。
三流の人間が売る品物なんて、しょせん三流ですよ!」
言いがかりもはなはだしい。
杏は市場の監督官を呼ぼうとしたが、袍のすそをつかまれた。
高鉄雄は蚊の鳴くような声で言う。
「やめて。これ以上揉めると、八彩白粉の印象まで悪くなっちゃう」
杏ははらわた煮えくりかえる思いを押し殺し、口をつぐんだ。
溜飲を下げた青澄は、晴れやかに笑う。
「さ、参りましょう、春嬪様。今日は夏に向けて、新作の品を入荷しております」
青澄は春嬪の腰のあたりに手をやった。触れるか触れないか、絶妙な距離だ。そっと、耳もとでささやく。
「あなただけ。あなただけに、特別にいち早くお見せします」
「青澄……」
春嬪はうっとりと、さわやかな風貌の店主に見惚れた。
「……ごめんなさいね。私、青澄が選んでくれるものが欲しくて」
申し訳なさそうに言い残し、春嬪は去って行った。
女官たちも二人を追って去って行く。
八彩白粉の店には、だれも残らなかった。
「……お客さん、いなくなっちゃいましたね」
「何ですか、あの人! 腹立つー! 中身が名前と正反対ですよ!」
お客のいないのをいいことに、杏は怒りを思いきりぶちまける。
「今年の夏は足の裏を蚊に刺され続けて苦しめーっ!」
「青澄ちゃんは後宮でも指折りの人気者でね、この市での売上は一番よ」
高鉄雄は、はあ、と諦めとも自嘲ともつかないため息を漏らす。
「流行るお店には、ああいう人気者の店員が必要なのねえ」
そろそろ市の終わる時間だ。まわりに倣って、二人も店じまいを始める。
「春嬪様に、なんとかうちの白粉を使ってもらえないでしょうかね」
商品を片づけながら、杏はさらなる販売策を考える。
青澄の件は散々だったが、売上は上々だ。次の市も出店できる。
「青澄さんさえ来なければ、あれ、絶対買ってもらえてましたよ」
「春嬪様は、化粧品に関しては青澄ちゃんのいいなりだから。難しいわ」
杏は何もなくなった露台に、ほお杖をつく。
「春嬪様みたいに、店の顔となってくれる女性が欲しいですねえ……」
「白杏ちゃんは?」
高鉄雄は、杏の顔をのぞきこむ。
「充分なれると思うわよ。とっても綺麗なお顔しているもの」
「いやいや、私は。ダメですって」
「お顔のアザ、気にしてるの? 化粧で隠してしまえば良いじゃない」
高鉄雄は白粉刷毛を手に、杏に迫った。
「七難隠す白粉っていったんだから、まずは白杏ちゃんが試して」
「あっ、いやっ、協力したいのは山々なんですけど――」
刷毛をよけた拍子に、高鉄雄の手がアザに当たった。肌を強く擦る。
「ごめんなさい、痛かった?」
高鉄雄はあわてて手を引っこめた。
ふと、その手に目を留める。
側面に、うっすらと黒い汚れがついていた。
「え……? それ」
高鉄雄は手の黒い汚れと、杏のアザとを見比べる。
「あのー……そのー……どうかご内密に」
杏は眉を八の字にして、上目遣いにした。
高鉄雄は何も尋ねなかった。静かに白粉刷毛を置き、手巾で手の汚れをぬぐう。
二人は何事もなかったように、元の話にもどった。
「どこかに、だれもがふり向くような隠れた美人がいませんかね?」
「後宮にそんな美人がいたら、もう隠れていないわよ」
高鉄雄は笑ったが、一拍置いて、その言葉を撤回した。
「――いえ、いたわ。そういえば」
「えっ! だれだれ? だれですか?」
「錦才人というお方よ。後宮入りした当初は美貌が評判になっていたわ」
「でも、隠れた美人になっているのには、何か理由が?」
「人前に出ることがお嫌いなの」
「極度の人見知りなのですか?」
「いえ、そういうわけではなくて」
高鉄雄はなんともいえない顔をする。
「おかしな話だけど――錦才人は、ご自身をだれより醜いと信じこんでいらっしゃるのよ」




