表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
後宮の迷医 ー男装医官の心療録―  作者: サモト


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/44

二章 盗む人③

 李妃の宮殿は、格式あるたたずまいをしていた。


 大きな門扉はあざやかな朱色で、屋根には黒瓦が整然と連なっている。

 ひさしは金箔でかがやき、繊細な彫刻をほどこした扁額が掲げられていた。

 門の両脇では、対の石獅子が来客ににらみをきかせている。


「――ちょっと、あなた。何のご用?」


 杏がどことなく愛嬌のある石獅子の喉もとをなでていると、門が少し開いた。

 垣間見えた女官に、杏はすぐさま畏まる。


「私は西の医房の医官、白杏と申します。

 先ほど私の医房へいらした李星皇子にお尋ねしたいことがあり、参りました。お取次ぎ願えませんでしょうか?」


 不審者の疑いが晴れたらしい、女官は大きく門を開いた。


「どんな用?」

「実は、私の医房から薬が一つ消えてしまいまして」


「薬が?」

「皇子が医房にいたとき、作業台に茶色い包みがあったかどうか。

 それだけお聞きしたいのです。

 皇子は台のおそばで、薬棚をおもしろそうに眺めていらっしゃったので……」


 女官は静かな中庭をふり返った。

 遠くで、詩を朗読する声がしている。


「皇子は勉強中だから、むりよ。邪魔をすると李妃様に叱られるわ」


「そこをなんとかお願いします。

 これが私物ならあきらめもつきますが、他の医房から頼まれている薬なのです。

 見つからないと、患者に迷惑がかかります」


 平に平にお願いすると、女官は奥へと引っこんだ。


 消えたのは紅花こうかという生薬だ。

 血の巡りを良くする効能があり、産後の悪露や関節痛に処方される。


 だが、どんな薬も過ぎれば毒だ。妊婦が大量に紅花を摂取すると、流産のおそれがある。


 失くなった生薬が、もし悪意を持って身ごもった妃嬪に使われたら――杏は背に嫌な汗をかいた。


「いかがでした?」


 戻ってきた女官は、肩をすくめた。


「残念ね。皇子は覚えていらっしゃらないって」

「そうですか……」

「龍玄宗の龍娘娘様に頼んでみたら?」


 女官は気軽にいった。


「あのお方は人の心を見通すだけでなく、失せ物探しもお上手よ」

「はあ……」


 気のない返事をすると、女官はむきになった。


「あ、信じていないわね。本当にすごいのよ。

  私が無くした物も、龍娘娘様のおかげで見つかったんだから」


「ここ一年ほど、後宮では盗難事件が多いそうですね。

 私としては、龍娘娘の“せい”で物が無くなっているのではないかと」

「あら、どういう意味よ」


「私の知らない間に、医房に人様の壺が置いてあったんです。

 そしたら龍玄宗の方が『あったぞ、龍娘娘様の言う通りだ!』ってやってきて。

 あやうく泥棒にされるところでした」


 自作自演をほのめかすと、さすがに女官は鼻白んだ。

 しかし、一瞬だ。やはり龍娘娘の肩を持つ。


「それはきっと、また別の人が龍娘娘様の名前を利用しているだけよ。

 あの方はそんな姑息なことなさらないわ。

 だって、無くなったものをお堂に“出現”させられるんだから」


「……“出現”?」


 杏の眉がぴくりと動く。


「後宮のすみに、玄視堂げんしどうというお堂があるでしょう?

 亡き龍公主様がお建てになったお堂」


 女官は南東を指した。


「窓はなく、出入りは鍵のついた扉だけ。

 それなのに、龍娘娘様はそこにかんざしを出現させてみせたの。李妃様のご友人が無くした簪を」


 堂のカギは、尚宮局が管理しているという。

 女官たちを管理する部署なので、宦官の内侍省とは別筋だ。

 龍玄宗との関わりは薄い。


「『この堂には龍の力が満ちています。私はその力を使って簪を引き寄せてみせましょう』って言って。こう、念じてね」


 女官はその瞬間を再現して、前方に手をかざした。


「尚宮局の人がお堂を開けたら、本当にあったのよ、簪」


 女官は興奮して肌を赤くする。


「すごいわよね。私、もう、感動して! 高かったけれど、お守りを買ってしまったわ!」


 首元にある赤い紐をたぐり、女官はお守りを出した。

 以前、張明が持っていたものと同じだ。


「亡くなった龍公主様のご遺体も、あそこに安置されていたけど、いつの間にか無くなったでしょう? やっぱりあそこは特別な場所なのよ」

「……たぶん、信者がこっそり運び出しただけですよ」


 杏のつぶやきは、夢中になっている女官の耳には届かなかった。


「龍公主様は傷を癒すため、あそこから天の世界へお出かけになれたのよ。

 『私は再び、この世に帰る!』――あの、最期の約束を果たすために」


 うっとりと天を見上げる女官に、杏は黙った。

 今は何を言っても、右から左に聞き流されるだけだ。


「何はともあれ、薬のこと、ありがとうございました。他を当たってみます」

「ああ、そうだ。これ、皇子から」


 女官は小さな紙包みを渡してきた。


「お返しだって」


 宮殿をはなれてから、杏は包みを開いた。


 中には厚みのある円い蒸し菓子――圓糕ユェンガオが入っていた。

 表面に鳳凰が型押ししてあり、金箔までほどこされている。やたらと豪華な見た目だ。


「わあ。干し肉が、こんな姿になって返ってくるなんて」


 皇子の去り際、杏は袍を直すフリをして、お茶請けの干し肉を懐へ忍ばせた。

 昔の味が懐かしいだろう、と思ったのだ。

 このお菓子は、その心遣いに対する返礼だ。


「エビでタイを釣った気分」


 さっそく一口かじる。

 もち米の皮に、ナツメ餡がぎっしり詰まっていた。甘さひかえめで上品な味だ。

 包み紙にこぼれた欠片まで、ていねいに拾って口に運ぶ。


「……ん?」


 杏は包み紙に鼻をあてた。何度もくんくんと匂いをかぐ。


「……んんん? どゆこと?」

「おまえは犬か」


 聞きなれた声は、律だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ