第18話 薄氷の議論
ホールには、重く沈んだ空気が立ちこめていた。
誰もが顔を上げきれない中、静かに、だがはっきりと声が響く。
その声はかすかに震えていたが、最後には確かな強さが宿っていた。
朱里は、膝の上に置いていた手を、ぎゅっと握りしめる。
指の関節が白くなるほどに。
そして、そのまま顔を上げて、まっすぐに奏多を見つめた。
彼女の瞳は揺れていた。
それは迷いのせいでもあり、祈りのようでもあった。
大咲 朱里
「……岬が言うことも、すごく、よくわかるよ。
……むしろ、その通りなのかもしれないって、思う部分もある」
朱里は言いながら、かすかに俯く。
どこか、遠くを見るような目。
まるで今、自分のいる現実があまりに過酷で、正面から受け止めたくないかのように。
大咲 朱里
「でも、……もう、2人も死んでるの。
話してた人たちが、目の前で……本当に、死んじゃった…。
だから……私はせめて、“信じたい人”を信じたい。
そうでもしなきゃ……自分がどうにかなっちゃいそうで……」
その声は次第にかすれ、朱里は喉を押さえるようにして言葉を止めた。
少しの沈黙が流れる。
そして、再び顔を上げた彼女の表情には、決意があった。
脆いようで、でもどこか覚悟を決めた者の目。
大咲 朱里
「私は、奏多くんが“本物”なんだって……信じたい。
だから占い師の奏多くんに投票を集めようとしている人が怪しいと思う。」
その瞬間、静かだった部屋に、誰かの息を飲む音が小さく響いた。
彼女の信頼は、ある意味で現実逃避に近かった。
でも──それはこの場で、心を壊さずにいられる、数少ない方法の一つでもあった。
朱里の視線は、まっすぐに奏多に注がれている。
そこには疑いも打算もなかった。
ただ、純粋な“信頼”があった。
──それが真実かどうかを、確かめる術など、誰にもなかった。
朱里の言葉が静かに落ち着くと、室内には一瞬の沈黙が訪れた。
だがそれを破ったのは、宇川の乾いた、嘲るような笑いだった。
宇川 謙
「──は? 信じる? ……はぁ、バカじゃねえの?」
椅子の背にもたれながら足を組み、イラついたように頭をかいた。
その目は、まるで夢を見ている子どもを見るような冷ややかさだった。
宇川 謙
「この状況で信じたいとか言ってんじゃねぇよ。
遊びじゃねぇんだぞ? こっちは間違えたら殺されんだよ。」
朱里が何かを言いかけたが、宇川は止まらない。
むしろ怒りに火がついたように、言葉が勢いを増す。
宇川謙
「グズが言ってたんだろ? 自分が占い師だって。
で、その久住は死んだ。
役職は分かんないが、死んだ事実だけは確かだ。
なら、普通に考えりゃ……もう一人の占い師って言ってる奴が怪しいだろ。
グズがホンモノだった可能性も捨てきれねぇだろ。」
その言葉に、大咲がぎゅっと唇を噛んだ。
だが宇川は容赦なく続ける。
宇川謙
「信じるとか、信じたいとか、そういうのはな──
せめて外でやれよ、死なねぇところで。
この中で生き残りたきゃ、感情なんか捨てろ。
冷静に、合理的に、確実にやらなきゃ死ぬんだよ。」
吐き捨てるように言って、宇川は奏多をジロリとにらみつけた。
宇川 謙
「確率の話だよ、確率の。
村のために考えんなら、冷静に動くべきだろ。
占い師2人出て、片方死んでんだ。
だったら残ったもう片方が黒の可能性
高ぇって話じゃねーか。」
その言葉に、大咲が思わず声を上げた。
大咲 朱里
「でも……私は占われて白って言われた。
その結果が信じられないって言うなら、
私も一緒に疑われてるってことになるの?」
宇川は一瞬だけ朱里に視線を向け、ふっと鼻を鳴らし、低く言った。
宇川 謙
「……もしかしてお前、自分が人狼で、
偽物の占い師から“白”を出されて、
それで安住のことを狂人だってわかって
守ろうとしてるんじゃないか?」
誰もがその強気な物言いに圧倒されつつ、心のどこかで「確かに」と感じていた。
朱里の目が見開かれ、わずかに口元が震える。
反論を試みる前に、岬がぽつりと口を開いた。
升田 岬
「……ありえるかも。
白をもらって安心したふりして、
実は最初からグルだったってパターン……なくはない」
ざわつく空気。
朱里の視線が泳ぎ、拳を握る音がわずかに響いた。
大咲 朱里
「……違う……! 私は人狼なんかじゃない!
奏多くんが……本物の占い師だって信じてた。
信じたかっただけ……それだけなのに……!」
朱里の言葉がホールに響いたあと、しばしの静寂。
朱里は悔しそうに俯き、正太も表情を変えないままただ沈黙を守っていた。
そんな中、奏多がゆっくりと顔を上げた。
その瞳は静かに燃えるようで、だが怒気ではなく、決意の色があった。
安住 奏多
「──宇川。言ってることは、間違ってないよ。
感情で選んで、間違えたら死ぬ。そんなのは、誰だって分かってる」
低く、落ち着いた声だった。
それでも一言一言に、かすかに震えが混じっているのは、
怒りや恐れではなく、心の芯を揺さぶられている証だった。
安住 奏多
「でも人狼側からは狂人はわからないし、狂人側から人狼もわからない。
初めて占って一発で人狼を占ったって?
ないことは無いがそれこそ確率が低い話だろ。
その状況で俺を偽物だと断定できないだろ?
俺は本当に占い師だ。」
視線を逸らさず、宇川を見据えた。
安住 奏多
「大咲は、信じた。
怖くても、疑いたくなくても、ちゃんと人の目を見て、自分で決めてる。
……それを否定するのは、ただビビってるだけじゃないのか?」
一瞬、宇川の眉がピクリと動いた。
安住 奏多
「何度も言うが。俺は偽物なんかじゃない。」
ひとつ、深く息を吐いた。
その顔に虚勢はなく、真っすぐな信念が浮かんでいた。
安住 奏多
「疑うならそれでいい。信じるかどうかは、みんなが決めることだ。
でもな、信じるってことを、恥ずかしいとか、
間違いとか、そうやって潰すような言い方──
俺は、絶対に間違ってると思う。」
最後の言葉だけは、はっきりとした強さを持っていた。
宇川は挑発的に鼻で笑い返したが、それ以上の言葉は返さなかった。
奏多は深く息を吐いた。
そのときだった。
奏多が、ふっと笑みを浮かべながら視線を向けた。
安住 奏多
「なあ、正太」
突然名前を呼ばれて、正太は少し身を強ばらせる。
奏多は、その反応に微笑みながら言葉を続ける。
安住 奏多
「お前はさ、分かってくれてるよな?
俺がどういう人間かって、……俺が嘘ついてる顔か
そうじゃないかくらい、さ。
分かるだろ?」
その口調には、ほんのわずかに余裕があった。
いや、余裕に“見せよう”としているようでもあった。
周囲へのアピール、そして正太への圧でもあるような
――そんな含みを持った問いかけだった。
正太は視線を下に落としたまま、何も答えられなかった。
心の奥底で、わずかに疼くものがあった。
親友としての信頼。
でも、あの夜、誰かが本当に人を殺す選択をした。
その現実が、信頼の名を簡単に崩壊させる。
ホールはまた静まり返った。
各々の胸の内に、疑念と情が渦巻いていた。
議論の焦点は、確実に――奏多へと向かっていた。