猫屋敷律子の共感覚事件簿 3
「もしかして猫屋敷さんと犬井くんは、付き合ってるのかい?」
その質問をしてきたのは、男子生徒だ。そう言えば、彼は昼にぶつかって来た人じゃないか。
クラスのリーダー的な存在で、確か名前は……ダメだ、思い出せない。
「あっ、ごめんね。馴れ馴れしく聞いて。というか、クラスメイトだけど、ちゃんと話すのはこれが初めてだよね。あらためて、ボクは岡崎剣也。そしてこっちが山本遥香」
「う、うす」
「そう」
僕たちは床に座って自己紹介をした。
「遥香は二組なんだよ。猫屋敷さんもクラスメイトだから知ってるよね」
「知ってるわ」
するとぴょこっと、山本が話に参加してきた。ちょっと小動物みたいだ。童顔で背も低いし、ほんと手のひらに乗せて飼いたい感じだ。
「私も猫屋敷さんとはずっと話したかったんです。あんまり教室では話さないからぁ」
山本は天然でも入ってるのか、口調がふわふわしていた。
「もしかして、私たちに依頼?」
「あ、そうだった。ここ探偵部なんだよね。だったら一つ、ボクから頼みたいことがあるんだ」
「分かったわ、犯人を捜せば良いのね。死因は何? 密室なの?」
「いや、えっと、そこまで大きな事件じゃなくて……」
困ったように岡崎が僕の方を見る。いや、こっちを見られても困るんですけど。
仕方がないので、僕が話を聞くことにする。
「実はボクのブレスレットが無くなったんだ。だから、探偵部の二人に探して欲しいんだよね!」
……もう帰っていいかな。
あと勝手に探偵部の一員にしないで欲しい。
誤解を解こうとする前に、山本が続きを説明してくる。
「そのブレスレットは、私たちの大切なものなんです。あの、その、口にするのは恥ずかしいんですけど、私たちはまあ、つまりは、その、そういう関係でしてぇ……」
山本は顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに岡崎と手を絡ませた。
……ほんと、もう帰っていいかな。
「つまり、どういうこと?」
猫屋敷が聞き返す。
そこは察しろよ。この二人は付き合ってるんだよ。そう耳打ちすると、彼女はようやく理解した。
「私たち、中学の頃から付き合ってるんです。それでこの前、ぺ、ペアルックなんて良いねって話しててぇ。それで、同じブレスレットを買ったんですけど……」
山本がモジモジと指をいじっている。そんな彼女を愛おしそうに、岡崎は彼女の頭をよしよしと撫でている。僕たちは何を見せられてるんだ。
すると猫屋敷も撫でてと言いたげに頭を寄せてくる。猫じゃないんだからさ……。
「先週の体育の授業で、ボクのブレスレットが無くなってしまったんだよ」
「はぁー」
気づけば、呆れた声が出ていた。そもそもブレスレットくらいで、人に頼むなと言いたい。それくらい自分たちで探せば良いじゃないか。
なあ、猫屋敷もそう思うだろ。
「わたし、探すわ」
「なんでだよ!」
久しぶりに腹から声が出た気がする。
だけど僕のツッコミはスルーされて、岡崎と山本は嬉しそうに手を握っていた。
そして岡崎が真面目な顔で語りだした。
「ボクたちはブレスレットが盗まれたと思っているんだ。体育の授業だからロッカーに入れておいたんだけど、授業が終わって着替えている時にはブレスレットが無かったんだ」
「そこらへんに落としたんじゃないの? あるあるだよ。さっきまであったものが、気づいたら無くなってるのって」
僕はそう言うと、岡崎は首を横にふる。
「それは無いよ。確かにロッカーの中に入れたし、周りにも落ちてなかったからね。落とし物が無いか、職員室でも聞いたんだけどダメだった……」
ちなみにペアルックらしく、山本はブレスレットを見せてくれる。だけど緩んでいたのか、腕をすり抜けて落ちた。足元にあったので拾ってあげる。
「大事なものなんだから気をつけて」
「うん、えっと犬井君。ありがとう」
見せてもらったブレスレットは、金色の細いチェーンのやつだ。
「だけどほんとに盗まれたの?」
岡崎はクラスでも人気があるし、誰かに悪意を持たれているようには思えない。
例えば、山本さんに片思いしている男子とかなら可能性はあるけど。
「ボクもそう思いたくないよ。でもこれは大切な物だから、絶対に見つけたいんだ。だから盗まれたなら、どうしても取り返したい。犬井くん、猫屋敷さん。ボクたちに協力してくれないかな?」
「もちろんよ」
猫屋敷は即決する。君はもう少し考えた方が良い。
「犬井くんは引き受けてくれるかい?」
三人がこっちを見てくる。何かこれ、もう断れない雰囲気なんだけど。これこそ同調圧力だよ。
結局この空気に流されて、僕まで探すことになった。
放課後、自分の教室に戻って来た。
話を整理するとこの部屋でブレスレットが盗まれたわけになる。先週の体育の授業で、岡崎は自分のロッカーに確かにブレスレットを入れたらしい。
それを説明している時の彼を観察していたけど、嘘をついているようには見えなかった。だから盗まれたのも本当なのだろう。
「なら盗んだ可能性が高いのは男子になるね」
「ボクもその可能性が高いと思うよ。つまり、誰が盗んだのかって話だよね」
体育の授業は一組、二組の合同授業になる。
そのため着替える時は、一組に男子、二組に女子といった形になる。岡崎は体育が始まる前にロッカーにブレスレットを入れて、そして着がえる時に無いことに気づいた。
そうなると必然的に男子が盗んだ可能性が高い。
「どのタイミングで盗まれたのかは分からないな。そのブレスレットを知っている人はいるの?」
僕がそう聞くと、岡崎と山本が目を合わせる。
いつの間にか、司会進行役が僕になっている気がする。これも全部、猫屋敷のせいだ。
「このことを知っているのは、悠成くらいかな。でもあいつはこんなことする奴じゃない!」
「私は親友の美咲ちゃんにしか教えてないよ。でも美咲ちゃんも、そんなことはしません!」
二人は強く否定する。
「まあ、教えてなくも同じブレスレットを付けてたら、勘ぐる人もいるだろうし。とりあえずその二人に事情を聞くのが最優先かな」
僕がこれからの方針を立てていると、猫屋敷が無言で見つめてくる。何か怖いんですけど。
「な、何だよ?」
「わたし、嬉しいの。犬井くんが真剣にやってくれて。だから見てたわ」
次からは言葉に出してくれるとありがたい。
「あっ、美咲ちゃんだ!」
すると突然、山本がそう叫んだ。廊下の方を見れば、これから部活にでも行くのか、体操服に着がえた女子生徒がいる。
そして彼女はこっちに気づいて教室に入って来る。
「あれ、遥香? こんなところで何してんの? それに剣也と猫屋敷さんも……えっと……」
「犬井です」
「あ、どうも」
「……」
少し気まずい空気が流れたので、山本が仕切り直した。
「彼女が上野美咲ちゃんです。剣くんと美咲ちゃんは、小学校から一緒なんですよ!」
山本に紹介された上野は二組の生徒らしい。それなら一組の僕を知らないのも当然だよね。
上野はボーイッシュな短髪に、どこか気の強そうな印象の小柄な美人だった。体操服から小麦色の肌がのぞき、無駄なものをそぎ落としたように体が引き締まっている。
山本の話によると、彼女は陸上部らしい。走っている彼女を想像すると、凄く似合っていた。
「これから部活に行くの?」
「そうよ。担任に呼ばれたから遅くなっちゃったの。で、美咲たちはどうして一組にいんの?」
「えっと、それはね……」
山本が頑張って説明をすると、大方の事情を理解したのか、上野は静かに頷いた。一応、彼女はブレスレットのことを知っている一人なので、彼女には聞いた方が良い。
「ブレスレットが盗まれたんだけど、何か心当たりはないかな?」
「はあ? もしかしてあたしが盗んだって言いたいわけ?」
蛇のような鋭い目つきで睨んでくる。反射的に目を反らしてしまった。
「犬井くん、美咲ちゃんはそんなことしませんよ! それに私たちは体育の時間、ずうっと一緒にいたんですよ。だからブレスレットを盗むなんて出来ません!」
「そうそう。それに盗むなら男子の方じゃんか!」
「確かに、着替えの時が一番盗みやすいよね。そうだ、犬井くん。君もあの時、ボクたちと一緒に着がえてたよね。何か変わったことは無かった?」
僕は先週の着がえの時間を思い出す。
「教室には最後まで残っていたけど、特に変わったことは無かったよ」
ちなみ教室に残っていたのは、体育の授業が憂鬱だったからだ。ひたすらグランドを走る持久走なので、ほんとにやりたくない。
「手がかりは無しか」
落ち込んだように岡崎が息を吐く。それを心配したように上野が見つめていた。
「じゃあ、そろそろあたし部活行くわ。それと犯人捜し頑張って」
「うん、美咲ちゃんも部活頑張ってね!」
上野は急ぐように教室を出て行った。最後は僕の方を睨んでたけど。
「美咲ちゃん、大丈夫かなぁ。最近になってね、いつもよりたくさん練習してるんだぁ」
山本が心配そうに呟く。
もしかすると陸上の大会でも近いのかもしれない。それなら少し悪いことをしてしまったな。
だけど話を聞いて収穫はあった。
上野が盗んだ可能性は低いだろう。決定的なのは山本と一緒に行動していたことだ。これでは盗む隙がない。こうなるともう一人の悠成という男に聞くしかない。
それでもダメなら、もう分からないよ。
誰がどんな思いを抱いているかなんて、僕には分からない。いや、誰にも分からないことだ。誰もが胸の中に感情を隠している。それが見えたら超能力者だ。
「それで君は何か分かったの?」
ずっと黙っている猫屋敷にそう聞いた。
そういや感情の色が見えるとか、何とか言ってたよな。まあ当然、信じてはいないけど。
さっきのトランプゲームは確かに凄かった。けど、それとこれは話が別だ。
「まだ、分からないわ」
それはそうだろう。まあ最初から期待はしてなかった。話し合った結果、今日は解散して、明日もう一人にブレスレットのことを聞くことになった。
昇降口を出て校門に向かっていると、グランドで上野が走っているのが見えた。
もう時間も遅いのか、彼女しか走っていない。一人でよくやるよ。
そう言えば明日は体育の授業がある。
持久走か……はぁー。