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大人なyoung  作者: 明日
6/7

(6)伽笑 12年後

 「先生、わたし大きくなったらおかしやさんになるの!」

 「おかしやさん?」

 「絵本にあったんだ。おいしいおかしを作ってみんなにあげるの」

 あげる→売るだろう。物々交換の世では売るという概念が薄い。

 「いいねっ。先生にもおいしいおかし作ってね」

 「うんっ」

 現実の話はまだ隠そう。あと一年経てば知ることになる。

 あなたの役目は決まっている、と。



 「ただいまー」

 午後7時、徒歩10分の自宅に着いた。

 あれ?返ってこないなぁ。

 不審に思いながら靴を脱ぎドアを開ける。

 ガチャり

 「あっおかえりー」

 キッチンから揚げ物の音と一緒に声が飛んできた。料理に集中していて聞こえなかったらしい。

 ただいまともう一度言いながら古いリュックを下ろす。

 くんくん。、お?

 「唐揚げ?」

 「せいかーい!」

 キッチンかは大皿が出てきてテーブルの真ん中に唐揚げの山ができた。

 「早く食べよ」

 慌てて手を洗い、バタバタと席に着く。

 一拍置いて。

 「「いただきます」」

 早速唐揚げにかぶりつく。ザクッのあとにアッツ熱の肉汁が溢れる。生姜とお醤油の加減もちょうどいい。

 「おいしい!」

 「でしょー?頑張ったもん」

 「美萌、料理うまいね」

 「あんがと」

 軽やかで明るくて元気。そんな美萌とは園を出たときから一緒に暮らして8年経つ。園にいたときから仲良しでお互い一人暮らしは不安だねぇと話していたら、先生がなら一緒に暮らせばと提案してくれたのだ。

 「今日どうだった?」

 「もうしっちゃかめっちゃか。ケンカ3件、言うこときかない人たくさん。折り紙でハサミ使ったら隣の子の髪切ったやつがいてさあ。しかも不器用だからブチッて感じ。ぎゃんぎゃん泣いてたね」

 園の話は尽きることがない。毎日毎日彩り豊かなエピソードばかりだ。

 美萌はいつも楽しそうに聴いてくれる。

 「日々濃いねぇー。聴いてて飽きないわ。今日もお疲れ様、先生」

 「先生はやめて」

 確かにかえ先生と呼ばれているが引っ掛かってしまう。始めは調子乗ってかっこいいじゃんと思っていたがそのうち自分の分際に気が付いた。大体歳が片手ちょっとしか離れていない。一緒にパニクったり泣きたくなったり、捌ききれてもいない。

 特に美萌からは呼ばれたくない。

 ごめんごめんと美萌は軽く手を振った。

 「美萌は?」

 「こっちもバタバタ。今一番忙しい時期だから」

 桜も近い頃、中央管理処籍役管理課役目紙発行部は一年の集大成を迎える。役目紙発行部の大仕事、役目紙の発行だ。

 「もうすぐだね…」

 それは伽笑にとっても胸騒ぎのする事柄である。

 「私たち現場は知らないからね。発行するだけ」

 「いやーもう大変なんだって、毎年」

 「だろうね。私もぎゃんぎゃん泣いた」

 「うん、美萌めっちゃ泣いてた」

 「だってどきどきしてたらお堅そうでよく知らないとこでさあ。特に希望はなかったけど絶体にここではないって直感」

 当時のこの世の終わりかのような泣き方を思い出しクスクス笑う。

 「ま、入ってみたらやりがいあるし、先輩もいい人ばっかで楽しいよ」

 それは良かった。

 「伽笑は泣いてなかったね」

 「希望通りだったから」

 憧れがお母さんなのでなりたい役もお母さんと同じだった。

 美萌はご飯を頬張りながら言った。

 「それはいいなぁ。今年もそういう子がいるといいんだけど…」

 だねぇと呟きつつ口に入れた唐揚げはさっきよりも味が薄かった。



 「せんせいこっちきてー」

 「んーなになに?」

 外遊びでおままごとグループに呼ばれた。

 使い古したカップやお皿に泥や草花が載っている。

 「かえせんせいはなにのみますか?」

 どうやらレストランっぽい。ちなみに今レストランはないので絵本からのインスピレーション。

 「何がありますか?」

 「みどりのおちゃちゃとジュースとコーヒーです」

 「じゃあ、コーヒーください」

 ちょっとかっこつけてみる。

 「かしこまりました」

 律儀に頭を下げてウェイター役の女の子が近くの二人にコーヒーだってぇと声をかける。_システムができている。

 少し待つと三人でニコニコしながらカップを持ってきた。

 「とくせいスペシャルコーヒーです」

 差し出されたカップには並々と泥水が注がれてた。外遊びにおいて泥水はコーヒーやカレーになりすます天才だ。

 「おさとういれますか?」

 言いながら濾した砂を持ってスタンバっているので断れない。

 「はい。お願いします」

 カップを出して砂を入れてもらう。

 「まぜてのんでね」

 はーい

 慣れているので躊躇なく泥水に人差し指を突っ込んでかき混ぜる。

 「痛!」

 すぐさま指をひっこめたが、にわかに理解できない。

 え、何、なんで、ってか、噛まれた?!

 「これ何いれたの?」

 三人は口を揃えて言い放った。

 「ありんこ!」

 げぇーー!

 飲んでもないのに吐きそうになった。

 「ありさん捕まえていれたの?」

 「うん」

 「かわいそうでしょ?溺れちゃうよ!」

 説教に入ろうと立ち上がると、

 「せんせいまって!いま、おりょうりつくってるから!」

 「えっどこで?」

 店員は三人だと思っていたがもう一人いたらしい。

 「あそこ」

 なるほど。日陰で背中を丸めている子がいる。

 あ、なんか。

 伽笑はすっと立ってその子のもとへ向かった。三人もまってーとついてくる。

 その子は集中しているのか、振り向く素振りもなく、黙々とまな板代わりの平たい石とスコップで何かを切っている。

 近づいて、上から覗く。

 「キャーッ!」

 とてもシンプルな悲鳴だった。

 えっ待って、一旦落ち着こう。

 目を剃らして、ゆっくりまた戻す。

 だが光景は変わらない。…残酷な光景は。

 そこでようやく怒鳴り声が出た。

 「なんでミミズ切ってるの?!」

 まな板の上には半分のミミズと跡形もないぐちゃぐちゃが散らかっていた。

 よろしくない!絶対によろしくない!

 蟻といいミミズといい、もう何から怒ればいいのやら。

 ミミズの子は顔を上げて言った。

 「お肉だよ」

 違うわ!…いやそうかもしれない、だがおままごとには越えてはならない一戦がある。

 うぅーーどうしよう、どう言おうと、後ろから声が。

 「どしたの伽笑先生」

 悲鳴で飛んできてくれた先輩と二人がかりで説教となり、収拾は土に埋めたありとミミズに謝ることでついた。



 「キャハハハははッ」

 美萌は大爆笑だった。

 夕食を食べ終え、ソファでだらだら今日の土産を話した。オーバーなリアクションをみると伽笑の広角も上がるが、説教で喉をちょっとやったので笑い声は控え目だ。

 「スッゴいね。精神的に大丈夫かって」

 「怖いけどわりといるんだよねー。純粋だけどまだ道徳知らないから」

 彼らはたしかに純粋で無垢だ。だが無知でもある。小さいから仲良し~とか優しい世界~ではない。これから覚えるべきことを身に付けてようやく平和な人間になる。その道標にならなくてはといつも思っている。

 「へぇー、でも」

 美萌が笑いを収めてソファから体を起こした。そして指に絆創膏を巻いた伽笑の手を取る。

 「伽笑に痛い思いさせたのも謝ってほしかったな」

 ふわりと香る茶っぽい長髪。美萌はくるんとした目としなやかなまゆ、透き通る白い肌の可愛い人だ。_分かりやすくモテるタイプの。

 「まあちょっと血出ただけだし、そんなに痛くないからいいんだよ」

 伽笑はさりげなく手を引いた。

 「それより美萌、あれは何?」

 伽笑はテーブルを指差した。そこには小さい紙袋に入っている手作りのお菓子がある。夕飯のときから置いてあったが端に寄せるだけで特に触れなかった。

 「ああ、もらった」

 「誰に?」

 「後輩くん」

 「今週ホワイトデーあるからかな?」

 「そうじゃない?」

 美萌はそっけなく答えていく。

 ん?でも

 「美萌バレンタインあげてたっけ?」

 「あげてないよ?私、伽笑の分しか作らなかったし」

 そうだ。美萌はお菓子作りはあまり好きではなく、バレンタインでも伽笑と交換する程度で友チョコも作らない。_そういえばバレンタインっていつからあるんだろう。だいぶ前だと思うけどよく残ったな。ロマンチックだからだろうか。

 っじゃなくて!

 「え、それってどういう意味なの?」

 「ん?どういう意味って?」

 はてなをはてなで返された。

 困惑したのは伽笑の方だ。

 「いや、絶対特別な意味あるって。他の人にも渡してた?」

 「いや?帰り際に呼ばれて私だけ…」

 「ほらー。どういう感じで渡された?」

 美萌は紙袋の紐を両手で掴んでいる風にして伽笑に向かって勢いよく差し出した。

 「先輩っ、受け取ってください!…みたいな感じ」

 「それにどう答えた?」

 「お菓子ー?上手だね、ありがとう」

 「それだけ?それだけで去ったの?」

 「うん」

 伽笑は天を仰いだ。そこに追い討ちがくる。

 「え、私なんか悪いことした?」

 これ以上仰ぐと首がやられるので今度はぐおーと頭を抱える。

 「え~なにー?」

 「いいよ、いいよ。そのさっぱりがいいんだよ。_ただ、かっわいそうだなその子」

 恐らく高嶺の花的存在である美萌に勇気を出して…あの扱い。

 「別によくない?好きでもない相手に期待持たせるよりさっとあしらった方が」

 なんだその経験値は。今までもそういうことがたくさんあったのか。

 「でも、これがきっかけで美萌がその子を好きになることもあるかもよ」

 美萌がむぅという顔をした。

 「ないもん、そんなこと」

 どうして?とはふいと横を向かれてしまい、訊けなかった。

 そんなことで期待はできない。



 「こんにちはー」

 「よっ伽笑」

 「蒼ちゃん元気?」

 「元気元気」

 久しぶりに幼なじみの蒼ちゃんのとこへ行った。

 「なによう?」

 「園の漉し器ー」

 「ついにラス1壊れたかー」

 「うん。私が踏んじゃった」

 「お前かい」

 ざるのようなプラスチック製の漉し器は需要がないように思えるが、実は一定数いる。ざらざら砂をさらさら砂にするのが好きな子が必ずいるのだ。砂場の砂を全部さらさらにしてやるっという意気込みもよくきく。しかし順番にがたがきて最後の一つを昨日伽笑が踏んでしまい、近くの子に泣かれたのである。責任を取り今日仕入れにきた。

 「何個いる?」

 「うーん二つはほしいかな」

 「オッケー」

 蒼が旧レジ台から出てフライパンなどが釣り下がった壁に向かう。

 「あーごめん。ここにある一個しかない」

 戻ってきて、とりあえずはい、と漉し器を渡された。

 「そっか、ありがと」

 「でも一個じゃ少ないよね。また壊れるかもしれないし」

 「だねー」

 「今から俺作るわ」

 「えっいいの?」

 「早い方がいいでしょ」

 「ありがとー」

 座ってていいよと蒼はお茶を出してくれた。古いソファに腰かける。実はこのソファが結構好きだ。明らかに使い古されたことが分かって、どんな人が座ったのだろう、父も母も座ったのだろうか、あるいはもっと前の人たちも。そういう充実した想像が働く。

 「先生?」

 棚の陰からの声に役目病で振り抜く。医者だろうが師匠だろうが、先生という単語に敏感なのだ。

 「はなちゃん!」

 今回の先生は本当に自分を指していた。

 一番大きいクラスのいい子ちゃんだ。身長が低いため来たときには気付かなかった。

 はなちゃんがぱたぱたと寄ってきた。

 「はなちゃんはなにもらいにきたの?」

 「なにも~?」

 そう言うとはなちゃんは蒼を見つけてすぐに走っていった。

 「そうさんなにつくるの?」

 「ざるみたいなものだよ。砂をさらさらにするんだって」

 「はな使ったことあるっ。ちかくでみててもいい?」

 「いいよー」

 へぇここ知り合いだったんだ。そんなに近所ではないと思うけど。知らない人、特に年上の男子には警戒心の強いはなちゃんが心を許しているのは珍しい。

 と、気がついた蒼が手は止めずに話してくれた。

 「はなちゃんは初めてお母さんと来たときから俺の作業に興味津々でね。ここにたまに遊びにきてじっと見てるんだよ」

 ほう。たしかにはなちゃんは蒼の手元を食い入るように見つめている。

 「嬉しいんだ。こんなに興味持ってもらえて」

 蒼の横顔がほころぶ。自分が一生懸命やっていることに興味を持ってもらえたらそれは嬉しいだろう。

 「いいね」

 素直に口に出すと、蒼も笑顔で頷く。はなちゃんには二人の会話など耳に入らない。こんなに集中しているところも初めて見た。

 「天がさあ、」

 蒼が唐突に語り始めたのは去年生まれた息子のことだ。

 「あんまり俺の役目に興味示さないんだよ」

 「いやまだ一歳にもなってないでしょ」

 「でも俺はちっちゃい時父さんの手元見てるの好きだった。泣いたときも作業場連れてったら泣き止んだって」

 「へぇ面白いね」

 当たり障りのない感想を発しておく。

 蒼が溜め息をつくように言った。

 「天がもし他の役目がやりたいって言ったらどうしよう」

 「今から考えることじゃないよ」

 「考えることだよ。そばにいてやれる時間が限られているんだから」

 ああ、そうか。子どもの意思も知らずにいってしまうかもしれないのだ。そして幸せでいてほしいという願いは、いるもいないも差し置いて変わらないのだ。

 「別に俺の役目をやる気になってほしいわけじゃない。ただ、好きなことしてほしいだけ。幸せに一生懸命生きてほしいだけ」

 蒼から漏れる祈りが天に届くといいな。

 みんな、長くて6歳までに両親を失う。そのときは泣いて泣いて泣きまくる。それから喪失に茫然として立ち尽くす。

 だけどすぐに気が付く。そこら中に遺された愛情に。心配して、最後まで気にかけて残してくれたと分かるもので溢れている。

 「それにさ、こんなに興味持ってくれる子がやってくれたら嬉しいと思うんだ」

 「そうだね、それはわかる」

 いまだに手元を食い入るように見つめているはなちゃんが微笑ましい。好きなんだろうな。やりたいんだろうな。

 「みんながやりたいことできればいいのにね」

 蒼の何気ない呟きが新鮮だった。

 混乱を防ぐ。自然な流れ。人手不足等の例外を除いて、世襲が当たり前の世の中だ。役目紙なしで将来を決めることなんて考えたこともない。

 もしやりたい役ができたら…

 結局園の先生だわ、自分は。

 しかし、役目紙を渡す日にギャン泣きしたあの子やじたばたイヤだを連呼したあの子はどうだろうか。

 もっと笑える未来があったのかもしれない。

 「はい、できた」

 蒼が針金をぷつんと切って立ち上がる。すごーいとはなちゃんが拍手する。この大小の大きい方がはなちゃんになる日は来ない。

 「…なんだかな」

 「へ?」

 「あっなんでもないなんでもない。ありがと」

 お礼と一緒に野菜をひとかご渡す。ざると交換だ。野菜は園の畑からもいできた。

 「蒼ちゃんさあ、考えすぎだと思ったけどけっこういい話だったかも」

 「え?あ、さっきの話の感想?」

 「うん。でも蒼ちゃんは行動力なさそうだから私がやるね」

 「はい?」 

 昔から人より責任感だけはある。

 「管処行ってくる」



 まだ午前中だったので一度家に帰り、ご飯を食べてから勢いは落とさずに管処へ向かった。

 受付で旨を話すと籍役管理課役目紙発行部に通された。

 「あーそういうことは俺じゃないかも」

 最初に出てきた人はあっさりと聞き役を降り、奥に引っ込んで別の人を呼んできた。

 「あ、蓮紀(はずき)さん!」

 「伽笑ちゃんじゃん。久しぶり」

 姉と同じ二コ歳上で、そのつながりでよく一緒に遊んでくれたお兄さんだ。

 管理処に入ってからは忙しいようで一緒に遊ぶことはなくなった。

 「どした?なんか面白いこといってるらしいじゃん」

 その感想はすでに聞いたっぽい。知っている人だったことに安心して口調がくだける。

 「いいアイデアだと思いません?ダメ?」

 「うん、いいと思うよ」

 「でしょ?じゃあ頑張ってよ蓮紀さん。いろいろやってるんですよね?」

 しかし蓮紀さんは微笑みながらも首を縦には振らない。

 「ちょっと待っててね」

 蓮紀さんは一旦引っ込み本を二冊持ってきた。どんと二つを並べて座り、両手をそれぞれに置く。

 「こっち憲法。こっちは特別法」

 憲法と特別法は朝夕学校でなんとなくきいたことがある。今はこの世に合わせた特別法が優先されている。

 「まあふっちゃけ憲法は凍結状態に近い。だけど読むと特別法との違いがけっこう面白くてね。例えば結婚は二人が18歳過ぎてないとできないらしい」

 今の世界で考えたらあり得ない。長くて二年の結婚生活になる。

 「そういうの見てくと面白いんだけど、俺が一番興味もったのはこれ」

 蓮紀さんはパラパラしていたページを止めて伽笑に向けて開き指し示す。

 「職業選択の自由」

 [何人も、公共の福祉に反しない限り、移住、移転及び職業選択の自由を有する]

 「職業って役目と似てると思うんだよね。だから分かりやすくいうと、みんなには役を自分で選ぶ権利があるってこと」

 ほう

 「でもわざわざ憲法に記すくらいそれは大事な権利なのにどうして今守られていないんですか?」

 「特別法には職業選択の自由を凍結して[例外を除いて国民は役目紙に沿った役割を果たす義務がある]って書いてあるんだ」

 あーちょっとややこしい。つまり、特別法が優先だから憲法の職業選択の自由は有効じゃないってことか。

 「特別法変えちゃうのはどうです?」

 「簡単に言わんで。かなり大規模な改革だから。一生懸けても厳しいくらい」

 でしょうね。ん?でも蓮紀さんだいぶ本格的に答えてくれるな。

 「蓮紀さんもしかして、私と同じこと思い付いてやろうとしてました?」

 蓮紀さんが一瞬止まり、はにかむ。

 「うん。でも無理っぽい。俺もなんか改革起こしたかったんだけどね。なんか残したかったわ」

 俺も。伝説的なあの人の意志を受け継ぐ蓮紀さんは色々背負っている。

 「いいじゃないですか、のこさなくても。私たちは知ってますから、蓮紀さんが頑張ってること。十分ですよ」

 蓮紀さんはにっこり笑った。手がすっと伸びてくる。

 ぽん

 「ありがとう。俺も伽笑ちゃんが頑張ってるの知ってる」

 頭をなでられる。

 そうだ。このお兄さんは優しいから…なんだっけ。

 揺らがないな。いつからか全く揺らがない。

 「おどぉ?!先輩、なにしてるんですか!」

 「美萌!」

 ありゃと蓮紀さんが手を離す。

 「いや、伽笑が乗り込んできてるって聞いて来たんですけど…何なんですか?」

 「何でもないよ。その目やめて」

 「じとーーーーーー」

 「だからやめて」

 面白い。お兄さんが美萌を前に少し小さくなっている。

 「美萌ちゃんやること終わった?」

 「やっと終わりましたよー。あとは印刷です」

 「じゃあ俺やっとくよ。このあと暇だし。ちょうど伽笑ちゃんもいるから二人で帰っていいよ」

 「なんかさっきの罪滅ぼしって感じー」

 「おぉおぉ引きずるねー。別に自分で印刷してくれてもいいんだよ」

 「帰りまーす」

 「ああハイさようなら」

 美萌がくるりと踵を返して行こと伽笑の腕を引っ張る。

 「伽笑ちゃんまたね~」

 流れ的に不埒な一言に美萌がシャーッと威嚇した。



 「ふうん。それで管処来たんだ」

 10分の帰路をだらだら歩く。

 「結局無理だって」

 「世界揺るがす改革だからね」

 「揺るがせばいいじゃん」

 「簡単に言うなっ」

 美萌に笑いながら突っ込まれる。

 「まあさ、それも私たちの寿命が延びれば変わるんだろうね」

 「今全然そういうの進んでないじゃん」

 原因が見えた!で研究は只今停滞中である。

 美萌が苦笑して、言葉を選ぶように紡ぐ。

 「でもさ、別に夢って役のことだけじゃなくない?」

 「え?」

 「小さくてもばかでかくてもいいけど、もっとこうしたいとかこうなりたいとか、そういう願いを自分で大事にしてあげるべきじゃない?誰も叶えてくれないし、制度一つに揺さぶられることもある。でも不可能とは誰も言ってないし、制度がないとできないわけでもないんだよ」

 美萌の言葉は抽象的でふんわりしている。だけど、何か芯のあることを考えた経験が見える。

 「お菓子やさんになりたい人は、役目紙では絶対こないだろうけどやっちゃえばいいんだよ。勝手に作ってみんなにあげればいいんだよ。私たちは役を我慢するために生まれてきたんじゃない」

 きっと美萌も役目柄苦しくなることがあったのだろう。望んでいないと知りながら割り当てる。どんな気持ちでやっているのだろう。 

 「他の夢だってそうだよ。制度とか世間に潰されるためにその夢持ったんじゃない。叶うかは分からないけれど、夢を大事にしてくれるのは自分しかいないんだから。自分でやりたいように変えていくんだ」

 その言葉をあの時届けられれば良かったと何人かの顔が浮かんだ。この役も素敵だよ、頑張ろう、そんな言葉じゃないものを贈りたかった。

 美萌が小突いてくる。

 「伽笑も泣いてる子に言ってやんなよ、望みは自分で叶えなさいって。誰も叶えてくれないけど止めもしないよって」

 「…うん。言う」

 「あ、すごい真面目に受け止めてる」

 「そっちが真面目に話したんでしょ。良いとこ茶化さないでよ」

 あは、ごめんごめんと美萌が軽く頭をぽんぽんしてくる。

 弾む。

 望み、夢、どちらかは分からないけれど、今、こうなりたいってのは見つかった気がする。

 それにしても、

 「来週重いなぁ」

 溜め息を美萌が吹き飛ばすように拳を突き上げた。

 「ふぁいとぉー!」



 えっ、へぇ、おお、ふうん。

 先生たちの部屋は賑やかだった。早めに知ることができる特権を堂々と使っている。

 「伽笑先生のとこはどんな感じ?」

 先輩が一覧表を覗いてきた。

 「うん、まあ、泣く子はでますね」

 ピタリと叶っている子はやはり少ない。

 「そっか。明日頑張って」

 明日。

 役目紙の贈呈式。

 一年最大の大役。

 がんばりっしょう!



 「みんなー集まってー」

 自由遊びで部屋に散った子たちを大声と手振りで集める。それでも集まらないのが常なので副担任の先生が手を繋いだり抱っこをしたりしてフォローしてくれる。

 まとまりがでてきたところで落ち着いて声を張った。

 「今日はみんなに役目紙を渡します。みんなは4月から役目紙に書いてある役目をします。分かった人ー?」

 「はーい!」

 みんなどこかふわふわしていて元気がいい。このまま行け。

 「じゃあ、お名前呼んでくから一人づつ来てね」

 「はーい!」

 「○○くん」

 「はい!」

 卒業証書みたいな返事だ。

 「どうぞ」

 「ありがとうございます!」

 ○○くんはその場で折った紙を開いた。

 「読める?」

 「かんご、し?」

 「そうそう!病院で患者さんのお世話をするんだよ」

 「ふうん」

 何か言いたげな顔をする。

 伽笑は変わらず話した。

 「○○くん、○○くんの夢はなあに?」

 「ぼくのゆめ?」

 「うん」

 「ぼくはね、うちゅうひこうしになりたい!はたさんみたいになりたいんだ」

 羽多さんは特別なおじいさんだ。最近は足腰が悪くなって外出が減ったようだが、前はよく園に来てお話をしてくれた。宇宙飛行士だったときの話はみんなが大好きな話だ。

 「いいね。じゃあちょっとその紙ちょうだい」

 「はい」

 「ありがとう…………………はい、戻っていいよ」

 次の子にも次の子にも同じようにした。

 「はなちゃん」

 「ハイ!」

 はなちゃんがとことこやってくる。

 「はいどうぞ」

 「ありがとう…ちゅうおうかんりしょ?」

 はなちゃんのはてなは漢字に自信がないのではないと解る。

 「イヤだ」

 はなちゃんは涙声だった。今までこんなに思い通りにならなかったことはない、そんなどこにも向けられない不満が表情を侵食していく。

 伽笑は何も言えなかった。だからただ同じことをする。

 「はなちゃんのゆめは?」

 はなちゃんは締まった喉から発する。

 「つっそうさんみたいになりたいっ」

 うんうんと頭を撫でて同じように施してかえす。

 そのあとも喜んだり泣いたりと色々あったが何とか最後の一人まで配り終えた。

 みんなは紙を見せ合いっこしてわちゃわちゃしている。若干落ち着いたか?というところで、みんな一旦座ってーと呼び掛ける。

 「みんなは今日もらった役目を果たさないといけません。それがたとえ自分がなりたかったものとは違ってもね」

 主に喜ばなかった子たちを見る。

 「でもわたしやりたくない」

 一人、素直にこぼした子がいた。

 その子の近くにいって膝をつく。

 「じゃあさ、もし先生がほんとは先生なんてやりたくないんだって言ったらどう思う?」

 「…なんかイヤ」

 不愉快という言葉はまだ知らない。

 「そうだよね。先生もそう思う。やりたくないこと喜んでやれなんて言わないよ。でもね、一生懸命って大事なんだ。本気の足並みがズレ過ぎたらこの世界回らなくなっちゃう。みんなで生きていくために◇◇ちゃんの力が必要なんだ」

 ◇◇ちゃんは下を向いてしまった。納得できなくて当たり前だと思っているので、伝えるだけ伝えたと満足して立つ。

 位置に戻って切り替えた声を出す。

 「じゃあっみんな紙をくるって裏返してみて」

 そうそう色ついてない方ねと指示を出しながらみんながひっくり返すのを待つ。

 みんなが白い面になった。

 「それはみんなが叶えられる夢です」

 宇宙飛行士、花屋さん、お菓子やさん、消防士、そうさん…みんなそれぞれの夢が伽笑の字で書かれている。

 「役目は果たさないといけない。だけど、誰もみんなに夢を諦めろなんて言ってないよ。夢を追っていい。それが本当の役目紙だよ」

 伝わるかは分からない。伽笑自身も言葉が少ないからなんとも。

 ただ、どうか、この子たちが不本意で生き続けることがないように。きらきらした目で語る夢が消されませんように。

 そしていつか何年も何年も好きな夢を追える時代が訪れますように。



 「「お疲れさまー!」」

 二人とも大仕事が終わり、ちょっぴり豪華な夕食の後のソファタイムだ。

 「美萌も大変だった?」

 「もちろん。調整調整調整の1ヶ月」

 「おお、疲れそう」

 「疲れたよ。夢に出てきたもん、役目紙の山」

 ぼやきながらも美萌の顔は晴れ晴れとしている。なんやかんやいって自分の役目が好きなのだ。

 美萌がデザートのプリンを頬張ってう~んと至福の吐息を漏らしながら言う。

 「でもいいね、伽笑の話。なんかいい」

 既に今日の出来事は話し終えている。

 ふんわりした感想に小さく笑う。

 「なんかってなによ」

 「んー本当の役目紙?そこがいい。どんな役もらって救われる気がする」

 「ほんと?」

 「うん。_希望だよ」

 言葉が少なく唐突でよく分からない。けどなんとなく分かる。

 みんなにとって役目紙は人生と呼んでも過言ではない。それを、希望無くして生きられるか。

 「ねぇ、伽笑なら裏になんて書いた?」

 爛々とした目で美萌が訊いてきた。

 「うーん、私の夢は役と一致してたからなぁ…」

 表に[園の先生]裏に[園の先生]。面白みがない。

 「あーでもこうなりたいって目標で[お母さん]って書くかな」

 お母さんはもうはっきりとは思い出せない。だがお母さんに憧れて園の先生になりたいと思ったのは事実だ。

 「美萌は?」

 「うーーん」

 伽笑より長めの間が空く。

 「私、夢とかなかったしなー。親もすぐいなくなっちゃってよく分かんないし」

 「目標とかは?憧れとか」

 「うー私そういう強い意志的なの持ってない」

 たしかに美萌は飄々としていて、強い信念で動くよりその場で最善を尽くしていくタイプだ。

 「じゃあ欲しいものとかは?」

 どんどん幅を広くして、もうそれは裏に書くものなのか?となってきた。

 美萌は欲しいもの…と考え込んでから淡々と呟いた。


 「ずっと伽笑といられる保証が欲しい」

 

 止まった。

 心が芯から打たれて固まったような。

 なかなか思考が追いつかない。

 でも答えなきゃいけないことは分かる。

 「そんなの、いくらだってあげたいよ」

 今度は美萌がはっとこちらを振り向いて止まった。

 見つめ合う。

 先に口を開いたのは美萌だった。

 「ほんとう?」

 美萌は単なる返答文の確かめをしているのではない。その裏の心理を不安げに問うてきた。

 素直になるときを間違えないこと。

 「ほんと。」

 美萌の表情がパァーっと変わって、泣いているのか笑っているのか分からないものになった。

 美萌が飛びついてきた。

 「大好き!大好きだよ伽笑!」

 ぎゅーっとしながら大好きを連呼される。

 満たされる感情の中で、きっと美萌も辛かったのだと思った。これは自意識過剰かもしれないが、多分自覚するのは美萌の方が早かった。それなのに普通な伽笑と、自分の視線を集める容姿にきっと悩んだに違いない。

 でも、いつからか判然としないが、そんな美萌の機敏に気が付くくらい、伽笑も美萌を追っていた。

 だから、もう大丈夫だ。

 「私も大好き!」

 連呼にたった一度だけ返すと、それだけて美萌は喜んですりすりしてきた。

 満たされる。

 あまりにも満たされて、ああ自分はこれをずっと願っていたのだと思った。

 願いが叶う瞬間を感じて、これをみんなに知ってほしいと心から思った。



 中央管理処からの帰り道、美萌と歩く。

 今日は二人とも休日で、中央管理処に書類を出しにいった。ずっと二人でいることを保証する紙を出しに。


伽笑が先に書いて美萌があとに書いてそのまま出した。

 出すときふと紙に目を落とすと…その衝撃が今も残っている。管処では衝撃のまま大声を出すことは憚られたので、今、驚きを口にする。

 「美萌って[美萌沙(みもざ)]だったの?!」

 ずっと美萌だと思っていたが名前の字は一文字多かったのだ。

 美萌は小さいとき、一人称がみもはねぇで、伽笑もすっかりみもーと呼び慣れてしまったようだ。

 「えー今さらぁ?」

 美萌は軽い調子で言った。

 「好きな人に本名知られてなかったなんてショックー」

 「え、だってそれは…」

 照れが混じって呂律が危うくなる。

 美萌は楽しそうにそんな伽笑を見つめてくる。

 「ま、いいや。渾名のみもの方が浸透しちゃって管処でもみもちゃんって呼ばれてるし」

 「えーでもなんか悲しくない?本名で呼ばれたいときもあるでしょ」

 「そうだねぇ。私、自分の名前好きだし」

 「そうなんだ」

 「うん。花の名前なんだよ。黄色いミモザって花。花言葉が合ってて好きなんだ」

 「へえーどんな意味?」

 美萌が会話のテンポを崩して、不敵に笑んだ。

 「内緒ーっ」

 「えーっ!」

 その後も教えてよう最初の字だけでもと食い下がる伽笑に美萌はころころ笑うだけだった。しかしふと「今はそんなにぴったりじゃないか」と呟いていた。

 名前の話は置いておいて、こうやってほら、手を繋いで歩いていることが幸せだった。

 願いが叶ったあとのエキシビションを歩んでいるようだ。

 みんながこういう道を歩めたらいいな。

 「伽笑先生ー!」

 なんでも屋の前を通りすぎるとき、奥から声がかかった。

 覗くと、はなちゃんだ。美萌に園の子?と訊かれうんと返す。

 「みて!初めて作ったの」

 はなちゃんが興奮した様子で駆け寄ってきた。

 「なになに」

 「じゃーん!」

 両手の上にいびつな金属の輪がのっている。

 「おおっ指環?すごいね」

 「えへっそうさんが教えてくれたんだよ」

 蒼も奥からゆったりと出てこようとし、二人の手をみとめて、一回戻ってから来た。

 「はなちゃん、それ、先生にあげたら?」

 「えっいいの?」

 「いいよー、先生にあげる。はなの最初のお客さん」

 「ありがとう」

 嬉しい。すごく。

 「指測ってないから合わないだろうけど、首からかけるようにすればいいよ。それとこれ」

 蒼が美萌にも何か手渡す。

 「はなちゃんが作った指環の見本で、俺が作ったやつ」

 美萌の顔にも嬉しさが滲んだ。

 「ありがとう!」

 二人の喜びようにはなちゃんも満足そうだ。

 その姿が生き生きとしていて、役目紙の裏が輝く光景が浮かんだ。

 そうだよ。それでいいんだよ。

 望みなんて、やりたいことなんて、自分に叶わなきゃ意味がない。そのための動きを表に妨げられる必要もないのだ。

 恥ずかしながら先生も最近学んだよ。

 でも、さらにわがままを言うなら、もっと夢の続きが続いてほしい。

 それはきっと今を生きる人たちの大きな夢だ。

 その大きな夢もいつか叶うといいな。




 

 


 

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