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大人なyoung  作者: 明日
4/7

(4)陽 12年後

 この役目が好きだ。

 円で一、二人しかいない特別感。そして他人の幸せに関わることができる。無骨な音も、熱気も、目を細める作業も。

 「(よう)さーん!こんにちはー」

 「おっ公紀(こうき)。包丁か?」

 「うん。おねがい」

 「すぐやるからそこで待ってなよ」

 フライパンなどの調理器具や大工道具が並ぶ部屋には気持ち程度安らげるソファがある。あまりに暇だとそこで昼寝をしてしまうが、人を通すにはいいスペースである。

 公紀から台ふきでくるんだ包丁を受け取る。旧レジ台に座って砥石を取る。依頼が多いので砥石は旧レジ台の横に三つおいてある。

 「ふっつうに錆びてるな、これ。どした?」

 「忙しいの!シンクに数日置きっぱなしにしちゃった」

 中央管理処につとめる12歳はソファにもたれてクッションを抱いた。

 「そんなに忙しいんだ、大変だねぇ」

 「なんか変な圧があるね、やっぱ」

 「そりゃおばあちゃんがかの颯紀さんだからね」

 「そうそう。君ならできるよな的な期待ね」

 「でもけっこううまくやってんじゃん、公紀も」

 おだてるとへへっと言うかななんて思ったが違った。

 公紀はトーンを落として呟いた。

 「先代の意思、守りたいから。それが使命だと思ってるんだ」

 公紀はたまに「使命」と口にする。それがきっと大切にしていることで、公紀の筋なんだと思う。

 「かっこいいじゃん」

 素直に感嘆すると、さすがににまりとして、「でしょ?」と返ってきた。

 「ほい、終わったよ」

 「わぁ、刃光ってんね、さすが」

 「でしょ?」

 ニカッと決めると、冷淡にふっと笑われた。



 「今日遅いな」

 工具のさびをやすりで削り取りながら帰りを待つ。

 いつもはもうちょっと早い。数十分の差だが。

 まさか何かあった?!

 ガタッと立ち上がった途端ガラッと音がした。

 「ただいまー」

 間抜けな声が届いた。

 「遅いじゃん、どした?」

 「15分くらい遅いだけでしょ。心配性なんだよ兄ちゃんは」

 五つ年下の弟に呆れられる。

 「さっきそこで優良(ゆら)に会ってね、話し込んでただけ。ほら、お裾分けで魚もらったよ」

 弟がレジ袋を掲げる。

 「そっか。悪いけど看板裏返してくんね?」

 「了解」



 「こへかわじゃかならない?マふだよえ?」

 「普通なら何言ってんのか分からないが俺は分かる。そうだよ」

 あと汚ねぇ。

 弟よ、なぜお前はそんなに冷めている。帰ってきた時から思っていたが、いつもよりつっぱねている。普段はもう少しこびがあるっていうか、明るいというか、テンションの差が小さいというか。

 「(かい)、兄ちゃんそういうの見てると我慢できないんだ」

 快がかぶりついていたマスの丸揚げからこちらをのぞいた。

 「だからきいてもいいか?」

 「…どうぞ」

 「何があった?」

 「…」

 おい、せっかく言ったのに。

 「黙るな!兄ちゃん勇気出したのに!せっかくきいてもらったんだから言えよ。どうせ隠せる質じゃないだろ俺と似てさぁ」

 「別に何でもないよ」

 弟が吐き捨てる。

 「自分の意気地なさにうんざりして挙げ句彼女にぶつけてケンカしただけ」

 「大したことじゃないか!」

 顔を覆って深く溜め息をつく弟。

 「兄ちゃ~ん、俺情けないよぅ」

 あ、いつもの弟だ。

 「何言ってんだよ。自信持て」

 「持てない。最低だ」

 とことん自分を卑下していく弟にどう応じようか迷う。

 「快、そんなの謝れば治まるんだよ。はい、仲直りって。大体お前は何が意気地なかったんだよ?」

 快が急に黙った。それから口の中でぼそぼそ呟く。

 「。。。。、」

 「ん?」

 「結婚しようって言えない自分」

 「……は?」

 今度は陽が止まった。

 そしてまずは冷静に辿る。

 えっと、そういう方面の自分への怒りを関係ないところで彼女にぶつけてケンカしてその帰りにおしどり夫婦の優良に会って傷口えぐられて…イマコレ。

 「弟よ。これは本心じゃねえぞ。本心じゃないけど浮かんじゃったから放出してもいいか?」

 「どうぞ」

 「っしょーもな!」

 「絶対本心だろが!」

 弟がますます項垂れる。

 まずい、そっちに効かせるつもりではなかった。

 「違うよ。その悩みがしょーもないんじゃない。今、くよくよしてんのが情けないってこと」

 「どゆこと?」

 「だからぁ、快は今、勇気出そうとしてるんだろ?あと一歩出せなくても出そうと頑張ってるんだろ?それって超すごいじゃん。勇気って出そうとするだけでもかなり力要るよ。それなのに快はそういう過程にいる自分を意気地ないとか卑下してる。それが勿体ないっていうか、それこそ情けないと俺は思う。卑下するのって簡単だし、どんどん言葉沸いてくるけど、危なくもあるからね。下手すりゃ本当に下がってく。せっかく勇気出そうとしてるのにそんな自分が嫌とか言ってたら本末転倒だぞ。だったら今言うべきは嘆きより勇気の糧になる言葉じゃないの?」

 快が顔を上げる。

 まだちょっと不機嫌が残った顔だ。

 「例えば?」

 「は?」

 コイツっ。ちっちゃい時はこれでちゃんちゃんだったのに、最近はつっかかってきやがる。

 「え~と、お前はかっこいい!できる!絶対にできる!」

 一生懸命絞り出すと、ふっと弟がようやく笑った。

 「俺やっぱ兄ちゃんのこと好きだわ」

 殺し文句…!。不機嫌の後のその一言とかずるすぎる。思わず席を立って弟の横に座りながら「快~」と抱きつく。

 「だいたいな、俺はお前に彼女ができた時点でけっこうショックだったんだぞ。まして結婚なんてもう大ショック!」

 「近い近い」

 「俺のこと好きって言ってくれんのお前ぐらいしかいないんだぞ。快は俺の嫁になればいい!俺と結婚しろ」

 「キモいわ、さすがに」

 陽は比較的親といる時間が長かった。3年いられれば上等という時代で6年一緒にいられたのだ。保育園を卒園するまで迎えがあったのは陽くらいだ。

 一方、弟の快は一年程しか親を知らない。きっと覚えてもいないと思う。

 でもそれで寂しい思いはさせていない自信がある。陽が大切に面倒をみてきたからだ。ずっと本能的にコイツを守らねばいかんと思ってきた。故に今では弟にうざがられるほど過保護になっている。

 「お前がいなくなるなんて…」

 ふと呟くと弟が目を丸くした。

 「えっ俺ここ出てかなきゃいけないの?」

 「だってここは俺の機械あるし道具あるし、俺はここにいないと役目できないよ」

 「一緒に住めばいいじゃん」

 「いやっそれは許されない」

 「なんで?」

 「…男二人に女一人ってのもあるし、彼女居づらいでしょ、俺いたら」

 「あーまそっか」

 快が考え込む。

 「彼女の家とかダメなのか?」

 「彼女のお兄さん夫婦が住んでんだよね。そっちは俺が義姉さんに気まずい」

 「あー」

 再び詰まる。

 「いやー難しいね色々と」

 「だな。こーゆーのみんな考えて結ばれてんだな」

 「すごいわー。ホントにちっちゃいときする人っているじゃん?優良とか」

 「ちなみに優良の両親は3歳だよ」

 「マジか!?、、なんか俺3歳に負けたみたい…」

 「負けてないわ!てかそもそも勝負してないだろお前」

 「だあー!もう!」

 「あぁもう悩む前に寝ろ!スッキリするから」

 「俺兄ちゃんみたいに単純じゃないもん!」

 あっ

 顔は崩さなかったが反応はした。そういう言葉は散々浴びてきたけれどその度に一旦止まってきた。



 明るく生きろ。

 父は陽に技術を教え込んできたが、一番念を押して言われたのはその言葉だった。

 まだ小さかった自分にその意図はよく分からなかった。この貴重な役目を担うのだからもっと特別な大事なことを一番遺されるものだと思っていた。

 しかし今思い出されるのは技術のことではない。

 笑いなさい。人と話しなさい。感謝しなさい。よくみなさい。言葉を探しなさい。

 そういうのばかりだ。

 そして何より、

 明るくいなさい。

 この言葉は一番思い起こされる回数が多い。

 自分が沈みそうなときはもちろん、誰かが落ち込んでいるときにも思う。そしてまた笑いだし、笑わせだすのだ。

 自分の明るさが反射して周りが照らされ、気付いたら黄色の温かい円の中にいた。…陽はそういう日々を願っている。

 一笑一笑大切に、一歩一歩進んでいるうちに陽はようやく意味に気が付いてきた。

 その意味に気付く前に気付いたのは、この世界に悲しみが多いことだ。

 ただ生きているだけで毎日誰かが泣く。いつか自分が泣く。もっといつか、自分に泣かれる。

 そんな中でも明るくいなさい。

 自分が明るく、そして周りも明るく。

 父の言葉は強い強い明るさだった。

 それに気付いたとき、焦がれた。ちょうど太陽が見えて、そうありたい、そう生きたいと強く思った。

 みんなを照らせるのようになりたい。それも役目なのだと実感した。

 この店で、この円の、


 明るいあの子になろう。


 それからはその目標を目指して生きているつもりだ。

 どんなことがあってもあそこには明るいあの子がいる。そんな拠り所になろうとしてきた。

 しかしそれは時に誤解を生む。

 不謹慎とか単純とか軽薄とか。

 でもそこは自分の中の譲れないところなのででき得る限りさとしてきている。

 「それが俺の生き方なんだ。」

 そう生きようとして生きてんだ。

 振り返ったとき人生明るく見えたら万々歳。

 それが俺のモットーだから。

 すると大抵の人は「そっか」と頷いてくれる。

 その行為はこの世の悲しい部分が造った優しさだ。

 一生懸命生きることを全力で肯定してくれる。こういうところがあるから結局この世界を憎めない。やれやれと思う度、しゃんと生きようと再度括る。

 まるでしくみにうまく乗せられているようだ。

 でもまあ置いといて。 

 明日も明るくいるのだ。



 「よう、陽!」

 末凖(みのり)だな。呼び方で分かる。陽の名前で遊び、Yo!Yoh!というテンションで呼びかけてくる。

 「いらっしゃい末凖」

 「陽さんさ、泡立て器ある?あとゆっくりしてっていい?」

 「いいよー。泡立て器はどっかにあるとおもうけど…」

 呼びかけは「陽!」なくせにその後はすぐ「陽さん」になる。からかい口調のガキではいられないが品よくもなりきれない微妙なお年頃だ。

 末凖はどかっとソファに座りその辺にあった昔のマンガをパラパラしだした。

 「研究はどうよ?」

 マンガも特に気にならないようでひらひらしているだけだったので話し掛けてみた。

 末凖はこの世を解こうとしている科学者だ。小さい時から用語と計算を叩き込まれているからなんやかんやガキとか言って、結構賢いやつだ。世の命運を握っているやつでもある。

 「んー俺らが生きてる間は無理だね」

 末凖はマンガを閉じながらあっけらかんと言った。ちなみに、円に秘密主義というものはない。規約も技術も経過も全て筒抜け。[知られて恥なことはするな]という暗黙のルールの下、あとはみんなで共有しましょう的なスタイルだ。

 とはいえ、

 「無理かぁ」

 陽は溜め息を吐くように呟いた。

 「無理だね」

 末凖は何一つ変わらない口調でもう一度言った。

 無理、という言葉が色々を表しすぎる。

 まず陽は長くてあと3年ということ。

 周りの人もあと数年であること。

 これから先も誰かが悲しむこと。

 世界が変わらないこと。

 「今ね、分かっていることと言えば末期の症状くらいなんだ。疲れ、息切れから動けなくなって最後心臓が止まるっていう。あともう一個分かったのは細胞が死んでるってことだね、なくなった人の。でも他には何も分かっていない」

 末凖はみんなが普段見ない振りをしている部分をすらすら語る。それぐらい日頃から向き合っている証拠だが陽にはちょっと痛かった。しかし顔には出すまい。

 こいつは一生懸命やってんだ。

 陽は平常な表情でうんうんと頷きながら聴いた。

 「もう色んなことはやったんだ。血液採取、解剖、その他諸々の検査。で、気づいた」

 末凖が振り向いて苦笑した。

 「今の俺らじゃ無理だってね」

 意味するところを探る前に付け足しがきた。

 「要するに研究するに見合った機械がないわけ。俺が想像するに原因はウイルスみたいなものだと思うけど、どんなに見つけようとしても見えないの。何でだろうってずっと思ってたんだけど、仮説はそのままに考えてみたら、見えないんじゃなくて見れないんじゃないかって思ったんだ。つまり今の技術じゃウイルスが小さすぎて確認できないってこと。…ついてきてる?」

 「なんとか」

 意地もないので正直に答える。

 「だから今、俺たちはより高性能な顕微鏡作ってんだ。目指せ、0.5Å(オングストローム)!」

 「おー!」

 おんぐすとろーむは知らないが習性で拳を突き上げた。

 「おぉ!」

 おーおぉと間抜けな感じになってしまったが、突き上げた先にようやく泡立て器を見つけた。言い訳だが、泡立て器はあまりもらいにくる人がいないので場所を忘れていたのだ。

 「そういやなんで泡立て器?」

 「この前姉ちゃん家が遊びにきて、甥っ子がギター代わりにジャンジャンやって使い物にならなくなった」

 「あーまぁ、あるある?」

 「あるあるか?」

 「俺も小っちゃいときやった」

 「へぇー怒られた?」

 「雷どっカーン!」

 いきなり泡立て器を放ると末凖はお手玉のように慌てて取った。

 「投げるなよ!」

 「たまには論理的じゃないことも良いと思って。末凖ガリ勉だから」

 「はい?」

 「あっなんなら鬼ごっこでもする?多分今日優良いるぜ」

 「いい、いい、いい、いい!」

 末凖は迷惑がったが陽は半分本気だった。



 結局末凖はソファで一時間寝落ちしてから帰っていった。その間にも何人か来たがみんな横目に見てクスッとスルーしていた。

 「こんにちは」

 失礼します、とでもいうような冷静な声が入ってきた。すぐに返そうと思ったのだが、末凖を起こしてちょうどお昼時だったので握り飯を頬張っていたところだった。

 「ぐふっ」

 「あ、食事中?」

 引こうとする相手に急いで米を飲む込む。

 「ごクッ入って入って」

 「あ、はい」

 その時鼓膜が破れるくらいの音が飛び込んできた。

 「ギャーーー!」

 思わず耳を塞ぎそうになったがはたと止まる。

 これはそういう音じゃないぞ。

 「おぉーりっくん?久しぶりだねぇー」

 朗らかに笑うと理雄(りお)はどうも、と入りながら引き戸を閉めに背中を向けた。その背には大泣きの赤ちゃんが背負われている。

 「あれ?今日りっちゃんは?」

 「なつがみてます」

 理雄には二人の子どもがいる。今年生まれたばかりの理努(りつと)くんと姉の理都(りつ)ちゃんだ。ちなみに二人とも「りつ」という音が被っているため「りっちゃん」「りっくん」と区別して呼ばれている。理雄の「理」となつの「つ」を掛け合わせた素敵な名前だ。

 「あ、そこ座んな」

 ソファを指差すとギャン泣きの我が子を前に抱き直しながら「ありがとうございます」と腰を下ろした。

 「ソファに寝かせてもいいからね」

 「はい」

 とはいうものの理雄は腕の中から離そうとしない。そこがりっくんの一番泣き止む場所だからだ。理雄がしばらくぽんぽん優しく背中を叩くとりっくんの泣き声がぴたりと消えた。

 それを穏やかに待ってからソファの向かいにかがむ。

 「理雄くん、今日は何用?」

 「えっと…」

 左手で抱いたまま理雄が右手をごそごそ動かす。

 「指環のサイズを変えたくて」

 言いつつ低い机にカチッと銀色の輪を置く。  「裸」で持ってきたのね、しかも後ろポケットで。…というのは飲み込む。

 生真面目で敬語の似合う性格でありながらたまに節が出てくる。こいつのそういう部分はなかなか好きだ。

 「オッケー。じゃとりあえず指測ろう」

 指環のサイズ変更はかなり多い依頼だ。包丁研いでと並ぶかそれ以上。成長途中で結婚するため指環がすぐに合わなくなつてしまうのだ。わざと少しぶっかなサイズにする人もいるがほとんどが二、三回変更しにくる。中にはその頻度に折れてネックレスに通す人もいる。

 別にどの方法も良いのだが、それでいったら理雄はかなりまめな方だと思う。

 「なつは元気?」

 指を測りながら問う。

 馴れ馴れしく呼び捨て、と誤解されるのはごめんなので捕捉する。実はなつは陽と同い年で竹馬の友なのだ。つまり17歳で、理雄とは2歳差である。

 「はい。今昼寝してます」

 「ははっそっか」

 お、太くなってる。_だから来たのだから当たり前だが。

 「よし、したら二日後くらいにまた来てよ」

 「分かりました。あと、綺麗な石とかありませんか?」

 「ん?」

 唐突な質問に頭が止まる。

 「石?」

 「はい」

 「誰かに渡したいの?なつ?」

 「いえ」 

 理雄が目を細めて優しい眼差しになった。その目線の先は_

 「子どもたちに」

 理雄にしがみつくように眠っているりっくんを理雄が愛おしさで撫でる。

 「守ってくれるような、想ってくれるような、安心できるような、そういうものを残せたらいいなって」

 それは覚悟と愛の言葉だった。

 自分より年下の細めな青年が大きくあふれて見えた。 

 悲しみに裏づけされた愛は、それでも紛れもない愛だった。

 そして込み上げてきたのは嬉しさだった。

 「そうだなあ」

 早速立ち上がって旧レジ台に引っ込み、後ろにそびえる引き出しの名札を見渡す。

濃い茶の壁と一体化したようなそびえる引き出しには数々の宝石が保管されている。代々各国に赴いて集めてものや、海外のつてが贈ってくれたものである。だからとても大切なので、引き出しの一つ一つに鍵がかかっている。ただし、開ける鍵は全て統一である。

 雑にガムテープに記された名や凝って掘った名を眺めながら適性を探す。

 「りっちゃんとりっくんの誕生日は?」

 理雄が少し首をかしげて答えた。

 「理都が12月6日で、理努が3月23日です」

 「そっか…」

 じゃあ、

 陽は銀のペンダントを襟から引き上げてやや高めの鍵穴に入れた。がチャリと開けてから丁寧に引いて、包装紙にくるまれた大小様々な中から、両手で拳サイズのものを取り出す。

 「これとかどう?」

 持っていきテーブルにそっと置く。

 包装紙を開いて綺麗な藍色の石を見せる。

 「ラピスラズリ」

 理雄が覗き込む。

 「ラピスラズリ…」

 「和名はたしか瑠璃。射手座と牡羊座の守護石で、石言葉は[幸運]や[健康]」

 「いいですね。健康で幸せに生きてほしいというのが一番の願いですから」

 そう言いながら理雄がまたりっくんを撫でる。

 「汚れとか皮脂とかに弱いからこまめなお手入れが必要かも。ま、それは理雄から教えてあげて」

 「はい」

 「身につけやすいようにペンダントにしようと思うけどいい?ブレスレットだと手首の太さ変わっちゃうし」

 「いいです。いいです」

 「じゃあなるべく早くやりたいけど、二週間はほしいかな」

 「分かりました」

 良かったねえと理雄がりっくんに頭を寄せる。

 ふと、その頭は誰が撫でるのだろうと思い、陽は理雄の髪をくしゃっとした。

 「良かったな」

 理雄が驚いて顔を上げる。そしてすぐに笑う。

 「はい!」



 夕刻。

 引き戸が乾いた音を立てた。

 下見がちな人影が入ってきて、何も言わずにソファに座った。

 カウンターで石を磨いていた陽は一旦作業を止めてお茶を淹れにいった。

 長居するから。

 湯飲みにいれた緑茶をかがんで目の前の低いテーブルに置く。知っているが一応かがみに便乗して顔を覗くと、やはり唇を引き結んだ暗い顔をしていた。

 「伽弥(かや)、泣けばいいって」

 許可を出してやるとようやく伽弥は泣いた。

 また、あったんだろうな。無言で座るときはだいたい…

 まったく、強がりなくせに泣き虫で。

 伽弥は世前でいう保育士の仕事をしている。その現場はらんまんな明るさが雑多の中、病院の次に現在(いま)が顕著に見えると言われている。普段見ようとしないことが、嫌でも見ずにはいられないのだ。

 きっとまた見えたんだろう。

 しかし、しっかり者で責任感の強い伽弥は自分より幼い子の前で泣かない。唇を結んで堪えている。だから、同い年で幼なじみの陽の元へ来て泣く。

 理由を訊いても言わないと分かっているのでカウンターに戻った。

 [夕焼けこやけで日が暮れてー♪]

 午後5時の放送が流れてきた。ずいぶん前からずっとこの曲が流れてきたのだろうなぁと感慨深くなっていると、伽弥が突然立ち上がった。

 「帰らなきゃ、伽柰たちが待ってる」

 そう言って潤んだ目のまま出ていこうとする。

 「いや、待て待て」

 陽はカウンターから飛び出して伽弥を引き留めた。

 勝手なやつだな、こいつは。

 「泣いて入ってくんのはいいけど、泣いたまま出ていくのは許さねぇ」

 それもまた一つ、陽のモットーであった。

 何のためにココがあると思ってる。

 「でも、伽柰の夕飯作んなきゃ」

 馬鹿。涙払うのにそんな時間かかんないわ。

 「こっち向いて」

 伽弥が顔を上げる。

 「じゃあハイッ、にらめっこしましょあっぷっぷ!」

 いきなり音頭をとったがさすが保育士、破顔必須の変顔を見せる_と言いたいところだが、こちらが白目なので実はよく見えない。

 「だはっ、ねぇ白目はズルい」

 「ハイ、お前の負け」

 「ずっる!」

 伽弥が指先でさっきとは違う涙を払う。笑いすぎて仕方ないみたいに。

 それを見てほっとして、陽も笑った。

 「ありがと。この店あって良かったわ」

 帰り際伽弥の残した一言が陽の心を温め続けた。



 「こんにちは」

 子どもの声を大きく逸脱した、落ち着きのある声が聞こえ、ソファで今宵も昼寝をしていた陽は飛び起きた。

 「羽多さん?!」

 「久しぶりだね」

 羽多さんは分かりやすい。円で唯一、数束の白髪と皺を持っている。

 「いやー50になったら一気に白髪が増えてきましたよ」

 冗談に聴こえる事実を言いながら髪をかきあげる羽多さんをソファに案内する。

 「どうしたんですか?今日は?」

 「特に何もないよ。陽君と話したくなっただけ」 

 その一言をきいて陽はお茶を淹れに立った。

 陽がお茶を淹れている間、羽多さんはゆっくりと辺りを見回していた。

 「変わらないね、どこも」

 唐突な呟きに「そうですね」と答える。

 たった17年の分際でも分かる。この世は変化が少ない。

 ただ

 「変わっていくのは人だけですね」

 人が生きて、死んで、生まれていくだけだ。

 「そうだね」

 陽が出したお茶を愉快に受け取りながら羽多さんが答える。

 「でもその変化が、私には面白い」

 「え?」

 面白い、とこの状況を呼べる人は恐らく羽多さんしかいない。

 俺らの一生懸命を面白いと見ていられるのは。

 だが憤りは感じない。

 それもまた羽多さんが抱えてきた集大成なのだ。

 「この店は変わらないよ、ずっと。調理器具作って、指環あげて、拠り所になって。珍しい職種っていう自負を持ってみんなにとって特別で温かい場所になろうとしてる」

 突然、陽は自分が重力に引かれているのを感じた。

 見えない程強く、感じる程弱く。

 つながりっていうのだろうか。

 「でも、中にいる人はみんな違う」

 羽多さんが懐かしむように目を細める。

 「君のお父さん、太君はとても優しかった。でも君ほど明るくなくて一歩下がって笑っている子だった」

 陽の内に小さい頃、友達とかけ回る陽を快を抱きながら微笑ましく眺めていた父さんが浮かぶ。

 これも蓋しないと泣けてくるから普段は逸らすんだけどな。

 あっさりと敬老を前に開けられてしまった自分に苦笑する。

 「君の祖母の空ちゃんは温厚でにこやかで、包容力に溢れた子だった」

 名前は知っていてもその姿の性格をよく知らなかった。

 そうか、温かいおばあちゃんだったか。もしかしたら頭をなでながら、頑張ってるね、偉いねと言ってくれたかもしれない。

 「あぁでも、君に一番似ているのは大君だね」

 遠いことで薄れかかっていた、しかし大きな名前である。

 その人に似ていると言われて、嬉しいようなこそばゆいような気がした。

 「あかるくて、突拍子もなく人をなごませる。自分の役目を決意した上で、ときに明るくときに静かに寄り添う。その端端から伝わってくるよ、人を大事に思ってるのが」

 大成した人だな。他人のように思う。

 「自分はそんな立派じゃないですよ」

 「立派じゃなくていいんだよ」

 羽多さんが被せて落ち着いた声で言った。

 「誰しも間違う。人に冷たくなる時もある。そのとき[自分は立派じゃないんだ]って言えれば、周りはそうかと助けてくれる」

 それだけじゃないでしょ。

 そんな_ありふれた。

 陽の様子を汲み取ってか、羽多さんがまた口を開く。

 「立派になりすぎなくていい。優しすぎなくていい。明るすぎなくていい。人の気持ちを考えるくらいの余裕があれば十分だ」

 君はもう十分だ。

 羽多さんがそう付け加えた。

 まるで誰かを知っているような。それでいて制するような。

 「水差さないでくださいよ」

 口から滑り出た。

 他人にきつい言葉を投じるのは初めてだった。

 障る感情はあってもそれを口にできる力があるのは知らなかった。

 羽多さんがそれこそ水を被ったように沈んだ。

 その間に陽はいつもの調子を取り戻す。

 「十分でも十分じゃなくても、俺はこうありたいんです。誰かにとっての明るさでいい。過ぎても笑ってくれたらいい。明るさって巡るものだから。でも誰かが始点にならないと生まれないものだから。それがこの場所だったら嬉しいんです」

 そういう俺を冷やさないでほしい。

 言外に込めた当の論を羽多さんはきっと分かってくれる。

 馬鹿げてる?綺麗事?

 そうだよ、悪いか。

 あともって三年の命、自分のためだけに大事にしろ?

 そんな傲慢な態度、人に生かされてきた俺にはとれない。

 最後まで尽くすよ。

 ここを明の起点にする。

 その決意に水をかけてくれるな。

 青臭い若造の願いだ。

 羽多さんが手を伸ばし陽をかがませる。

 ほぐれて笑んだかと思うと頭にポンと手が載った。

 「そういうとこ、代々変わらないね」



 仲直りした。言った。明後日になった。よろしく。



 照れ隠しなのか何なのか、快は帰ってくるなり一息に報告した。

 普通なら分かんないが俺なら分かる。

 いつか言われたことをそのまま返した。

 またも抱きついて撫でくりまわし、キモいっと一蹴されたのは余談だ。



 _そして明後日になる。

 こういう重大なことが早急に進められるのはこの世界ではよくあることだ。

 一刻たりとも時は時で、必ず減る。

 それを全員が自覚しているからこそ、迅速な対応、機転に特化した人間がうじゃうじゃいる。

 そうした人の温みの上に今_

 「耐えられない!そんなの!」

 弟の頼みを兄は即却下した。

 「何が耐えられないんだよ」

 「お前が行っちゃうしるしみたいじゃないか、指環が!それを俺から二人に渡して[はめてください]はムリ!」

 「嫌でもやりな」

 横槍を入れてきたのは伽弥だ。

 「弟離れするいい機会だよ。かわいい弟の最後の頼みだと思いなよ」

 伽弥は真っ当だが少しズレている。

「違う、嫌なんじゃない。快の頼みなら何でもききたい。でもその後っていうか、あれがいやでその目の前のうぅんと…」

 陽はもごもごしだし、挙げ句八つ当たりで快を軽く殴った。 

 「いた!何すんだよ!何が嫌なんだよ!その後とか目の前とかナンとかいう…!…っ」

 快ももごもごしながら気付いたらしい。

 いきなり陽をバシバシ叩いてきた。

 「兄ちゃんのバカ!」

 「兄弟ゲンカは終わってからにしたら?ほーら快くんそろそろ準備いきましょうねー」

 伽弥が役目病でなだめながら引きはがした。



 _というわけで。

 大きな布で幕を張って、近所からあるだけの机と椅子を並べた即席の式場で、温かく幸せな空気に包まれる二人の奥に陽は立っている。

 「指環の交換」

 朗々と伽弥の声が響く。

 陽は高めの机に置いた平たい布製のトレーから指環を大切につまむ。

 丹精に(どんな依頼でも手を抜くことはないが)、特に端正に作り上げた指環だ。

 役目だ。これは役目だ。

 しっかりその手に届くように。

 今は震えるな、頑張れ俺。

 必死に情を誤魔化して、小さな環を両手で渡す。

 快も両手で浮け取った。

 その指環を快は一度片手でつまんで、もう片方で愛しい人の手を握る。

 その細くて華奢な指にゆっくりと環が通る。

 長かった。

 ぴたりと嵌まった指環を見て、快が幸せに緩んでいた口元を更に満足そうに愛おしさで緩めた。

 その顔に報われた。一生を、報われた。

 こんなに嬉しいことはない。

 多少は無理をして笑ったこともあった陽の、人生の面が全部ほころんだ。 

 花嫁にも同じことをして陽は役目を終えた。

 …終わったのに立っていないといけないのは進行上…

 「誓いのキスを」

 さすがに情、というか私情を抑えきれず、陽は思い切り顔を背けた。



 「ありがとう、兄ちゃん」

 式もだいふくだけて、ただのパーティー状態になった頃、主役が見計らって声を掛けてきた。普段はあまり言わない礼付きで。

 「こういうときに素直なのかわいいな、お前」

 「うっさい」

 いつもなら撫でる手もすぐに振り払われるが今日は長めに撫でさせてくれた。

 「ついでに家の件もありがとう」

 「おう」

 陽はすでに一緒に暮らすことを許してある。

 「にしてもやっぱちょっとさみしい」

 「どうせ一緒に住んでんだから悲しむなよ」

 「それとこれとは別だ!」

 兄の駄々に弟が苦笑する。

 途切れたところでジュースをちびってから快が口を開いた。

 「家のこともそうだけど、兄ちゃんが俺のわがままきいてくれなかったことってないね」

 そうか?と思って辿るがたしかにない気がする。

 「のくせに俺が兄ちゃんのわがまま受け入れたこともないね」

 「俺が快にわがまま言った覚えもないけどな」

 「そうだよ。だから言ってほしい」

 何気ない雑談がトンと着地した。

 快は盛り上がる人々を見ながら向きは変えずに話す。

 「兄ちゃんの人生だから、その指針も兄ちゃんの自由に決めて進めばいい。俺からは別に何も言わない」

 それはこういう他人に振りまくような生き方をしていて、よく言われることだ。

 言われ慣れて聞く耳がないっちゃない。

 ただ快はその先が違った。

 「でも、同時に俺の人生も存在する。俺の人生の方針には兄ちゃんが自分のわがまま押し込むことは入ってない。兄ちゃんが自分のために明るくなって、他人に幸せもらって、笑って。そのピースが揃わないと俺の人生ととのわないんだよ」

 その言い方は初めてされた。

 自分の行動が人の人生に関わる。

 快の人生にも。

 そしてその言い方が、今までで一番素直に刺さった。

 かっこつけすぎたな。お前も伊達に隣にいたわけじゃないのに。

 「快」

 俺はあともって三年もないから。そんなに欲ばりになろうとも思えないんだ。

 ただ、笑わせた分、笑えたらいいなって。

 それと、一つだけわがままを。

 「子どもの名前、晴にしろよ」 




 


 

 

 


 

 

 

 

 

 

  



 








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