感想、柳田國男『山の人生』
青空文庫
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岩波文庫の『遠野物語・山の人生』という本は、中学校に入った頃に買った覚えがあって、実際、手許にある本の奥付を見たらその頃の発行年が記されている。読んだのは読んだのだけれど、『遠野物語』のほうはあのとおりの擬古文で書かれているし、『山の人生』は退屈を誘うほどの長さだし、どれだけ読めたことやら怪しいものだ。とはいえ、いくつかのエピソードは、ああこれは読んだという記憶があるので、お話として読むには読んでいたのだろう。
子どもだったからというわけでもない。『遠野物語』のほうはその後、大人になってからも読み返したと思うのだけれど、やはり、怪談、奇譚がたくさん収録された本だと思って読んでいた。ちょっと高級な文章で書かれた説話集みたいなものだが、古典といわれている本なのだから、ここから日本人の先祖の暮らしぶりや感受性に思いを馳せなければならないんだろうと、馬鹿みたいに思って読んでいたんだろうな、たぶん。しかし、わけもわからず読んだとしても、そのときの気分にハマれば一生忘れられないだろうという強烈な印象を残す話も、いくつかは含まれている。
『山の人生』のほうは、おそらく購入時以来の再読で、きわめて印象が薄い。いや、冒頭に置かれた、鮮烈きわまりないホラーなエピソードだけはよく覚えていたのだが、それ以外は、似た話が延々と続いたという記憶しかない。古い伝聞、記録の羅列が、いきなり難解な論調に豹変する最後の二、三ページのことなど、まるで覚えていなかった。
身の丈に合わない、しんどい山登りに挑んで、登山中の記憶は目の前の岩のめずらしい模様のことしか残っていないようなもので、山登りの場合は山頂に到達したという記録が誇りになるのだけれど、読書の場合はとりあえず終わりまで読んでも、大変だったという内的経験しか残らない。完読したと他人に自慢しても意味がない。
けれども、ひさしぶりに読み返してみると、これほどためになる書物もめずらしいと思ったのだし、かつ面白い。
ある社会環境下において、希な出来事に遭遇した際に、人はどう考え、どう振るまうのか。それを体験した人、あるいは聞いた人は、何をどう考えて、どう伝えるものなのか。それを読む我々は、経験や伝聞のレベルをどう理解し、何をどう解釈すべきなのか。つまり、リアリティとはどういうことなのか。さらには、個々の逸話は、それらすべてを含む全体のなかで、どういった構造をかたちづくる一部をなしているのか。……
柳田國男の文章、ことに『遠野物語』『山の人生』には、そういった、物語全般を深く読もうとする上で、また書いてみようとする上で必要不可欠な、多種多様なセンスが、異常な密度をもって詰めこまれている。しかもそれを叙しているのが暗唱するに足るほどのすぐれた日本語(逸話の情報源の一つとして、泉鏡花の名があげられるほど、まだ柳田自身が浪曼主義的だった時代の作品である)なのだから、こんなお得な書物もめったにないと思える。
もちろん、すぐれたところは、そういった叙述のレベルにとどまらない。
初読の際はよく意味がわからなかった、『山の人生』の結論にあたる最後の二、三ページには、そこまでの読書の過程を見通しよく、余裕をもって読み進めるほどの読解力が育っていれば、衝撃の結末だと思えることが書かれていたのだった。
いや、今ではよく知られた論説であるから、書かれている内容そのものが衝撃的だというわけではない。これまでの無数の積み重ねがすべてそこに向けられていたのかと、叙述や暗示の巧みさ、集中力の持続に驚愕するのである。その驚きの大きさは、論述の仕掛けを読み解けるか否かに左右されるものではなくて、読み手の読書経験に比例するもののようだ。自分の場合は、コルネリウス・アウエハントの『鯰絵』やクロード・レヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』といった構造主義の諸作を、初読と再読の間に読んでいたからこそ、柳田が目指す学問のスケールの大きさ、先見性、設計の巧みさに驚いたのである。
振り返れば、本書の十五節でアンデルセンの『絵のない絵本』第一夜に加えられた柳田の解釈は――インドの少女が、ガンジス河の流れで恋人の生死を占う姿を月が見ている、というロマンチックな寓話が、生者と死者に対する、ただ生還を待つのか、それとも死者の魂として処理を行うのかという手続き的な問題として読み換えられているのだが――きわめて構造主義者らしいものであった。
とはいっても、柳田國男は日本における構造主義の先駆者であると、嬉々として指摘できるのかというと、素直に首肯できるものでもない。
柳田の場合は先に方法論を打ち立てて、それに従ったわけではなく、むしろ充分な根回しを行って、要所要所に腹芸を配しつつ、明確な方針を導くに足るまでは玉虫色の答弁で留保を促すといったきわめて官僚的なふるまいが、超人的な持続力をもって自身の目指す学問に向けられた結果なのだろう。結果的にそれが、構造主義という学問的な手法と類似したのは、偶然なのか必然なのか、よくわからない。ここで官僚的といったのは比喩でも悪口でもなくて、柳田は大日本帝国の農務官僚であり、貴族院書記官長(現在の参議院事務総長)まで登りつめた人だった。
結局のところ柳田の山人論は実証されず、のちには放棄されてその方法論だけが活かされた民俗学へと向かうことになるのだが、そのために本作の価値が落ちたというわけではなかった。
『山の人生』の最終部分や、付録として収録された『山人考』から逆に個々の怪談、奇譚の数々を眺め返せば、柳田の学問の構想の壮大な裾野がひらけているのが見えてくる。あたかもヨーロッパのキリスト教が、ケルトやドルイドといった異教の土着文化を弾圧、習合しながら、結果的に二重構造を保ったままで成熟したのと同様に、この日本の歴史にも、天つ神(征服民)の世界の影に国つ神(先住民)の幻影を重ねようとしたわけで、たとえ学問的な興味を離れて単純な読み物として読んだとしても、これほど周到で壮大なミステリー、日本人にとってリアリティのあるSF作品は比類がない。
ひとことで言えば、とてつもなく贅沢な作品なのだった。