彼女
翌日、やはりあの光景が忘れられない俺は、
時計を探す名目で、もういちど墓場に向かった。
父の墓に近づく。
あの女はいない。時計も無かった。
しかし、ふと気づいた。
父の墓に供えてある花が、
黄色の菊から、真っ白な百合の花に代わっている。
祖母が来たのだろうか。
それとも…
どうしてもあの女が気になっていた。
俺は次の日も父の墓に向かった。
昨日よりも早く、時刻は朝の7時だった。
父の墓に人影がある。
あの女だ。
あの女が両手を合わせてしゃがんでいた。
いた。
どうするべきか悩んだ。
話しかけていいのか、でも他人だし。
でもあのキスは?
あの夜のキスを思い出し、また高揚感に襲われた。
墓にじりじり近寄ると、女は俺に気が付いた。
こちらを見る女は、薄い茶色のコートを着ていて、
胸まである黒い髪から、透き通った白い肌が浮き出ていた。
目や頬は少し赤く火照っている。
大きく見開いた瞳は、長いまつ毛の先に水滴をまどわせ、
きらきら光っていた。
「す、すいません。」
素早く立ち上がった女は、俺を通り過ぎて、早歩きで去っていく。
「あの!!!すいません!!!ちょっといいですか!!!」
「…すいません、勝手に。」
女はこちらを見ずに答えた。
「いえ、あの…お花!
供えてくれました?」
「…いえ、私じゃないです。
すいません、あの、帰りますので。」
女が去っていく。
俺は焦っていた。
聞きたい。
あの夜のことを聞きたい。
父と女の関係を知りたい。
「まってください!
あの…キスしてましたよね!?
夜に…おとといの夜に、俺、見ちゃって!
父さんとどういう関係なんですか?
付き合ってたんですか?」
女はピタっと止まり、動かなくなった。
「別に俺、大丈夫なんで。
父さん、もうかなり前に離婚してるし、
彼女がいたって別におかしくないと思うし…」
俺はそう言いながら女に近寄った。
横に並ぶと、女は泣いていた。
「ごめんなさい…わたし…」
そういうと女はその場にしゃがみこみ、
肩が動くほど嗚咽していた。
俺は細くて、今にも崩れそうな女の背中をさすった。
そして父の死をこんなに悲しむ人がいてくれたのか、
と少しだけ安堵したのだ。