6年前
父が死んだ。
交通事故だった。
俺は都内に就職したばかりだった。
慣れない一人暮らしを送っていた矢先の事で、
精神的に参っていた。
父が亡くなった日、
久しぶりに集まった親戚たちと今後の話をした。
親戚は父方の祖母、父の兄家族。
祖母が弁当を買ってきてくれていた。
気さくなおばあちゃんで、
いつも明るく冗談を話す人だが、
今は自分より早く逝った息子を思い、
顔が真っ赤に腫れていた。
叔父は45歳で父と5歳離れている。
大手の商社で働いていて、息子が二人いる。
都内で生活し疲弊している俺を案じて、
父が建て、高校卒業まで2人で住んでいた、
この小さな二階建ての家のローンの手続きを、
こっちでどうにかする。と、言ってくれた。
祖母も葬儀代を払い、
今後の墓の管理を、生きてるうちはする。
と、言ってくれた。
話は着々と進んだ。
父は小さい運送屋で働いていた為、貯金も少なく、ふたりで生きていく事で精一杯だった。
母は俺が4歳の時に家を出てそれっきり。
連絡はしたが当然、葬儀には来なかった。
葬儀の日は12月下旬。
ミゾレのような雨が強く降り、
参列者の肩を濡らしていた。
喪主は俺が務めた。
紙に書いたテンプレートをボソボソと読み上げ、
参列者に一礼する。
顔を上げると、見たことのない父の関係者たちが
俺をじっと見つめていた。
それぞれの顔から、俺への同情や、今後の心配が見えた。
しかしその中で、じっと下を向いている女がいた。
若い女だった。
傘を忘れたのだろうか。
一つに結んだ黒い髪の先から落ちる水滴で、喪服の色が変わっていた。
父の会社の関係者だろうか、そう思った。
葬儀は黙々と進み、
四十九日が過ぎ、
気づけば父は墓に入っていた。
一度も来たことがなかった父の先祖の墓には、
欠けた小さな湯呑みが置いてあった。
俺は墓に黄色の菊と火の着いた線香を供え、
両手を合わせた。
2月の冷たい空気が、参列者を包む。
納骨が終わると、みんな足早に車へと歩いて行った。
墓から移動しようとした時、
カシャっと小さな音がした。
しかし振り向く間もなく、
参列者の波に押され車に乗り込んだ。
家に着いてリビングに集まり、
親戚達と弁当を食べ、少し年上の従兄弟たちと談笑した。
その日は昼から皆んなで酒を飲んだ。
「お前も飲め!」
と叔父にビールを渡されるが、丁重に断り、
祖母とウーロン茶を飲みながら、
叔父の昔話を聞いていた。
酔っ払った叔父の話を聞くふりをしながら、
祖母が写真をポケットから出して見せてくれた。
「ね!そっくりでしょう?今の春人に。」
祖母から写真を受け取ると、
そこには今の俺と瓜二つの父が、
車のボンネットに腰掛けていた。
電話が鳴った。叔父の携帯からだ。
「はい、あーーー俺、今、弟の納骨で。
うん?ああーーー春人?今何時?」
「いま? えっと…」
俺はいつものように時間を確認しようと、左腕を見た。
「……ない。」
時計がない。
「春人?」
「あ、ごめん、ちょっと待って。
…18時50分!」
急いで携帯を出して、時間を確認して伝えた。
「はいはい、じゃあそれでよろしく。
…春人、お前、時計なくしたのか?」
「うん、今日も付けてたんだけど、少し大きかったから取れちゃったのかも。」
「落としたなら仕方ねえけど、どこで落としたか見当つかねえのか?」
少し思い出してみると、見当がついた。
墓から車に戻るとき、何かが落ちた音がした。
「…たぶん墓のとこだ。」
「まあ、あるにしろ、ないにしろ、
見に行ったほうがいい。
お前にとってあれは父親の形見だろ。」
ベロベロに酔っ払った叔父が、座った目で真剣に俺をじっと見ていた。
俺は墓場に車を走らせた。
午後の20時を回っていたが、月明かりもあり、
街頭のそばにある墓場だったため、視界は良好だ。
墓場へ続く階段をのぼり終え、
父の墓が見えた。
しかし、その奥に人影がある。
とっさに手前の墓の陰に隠れた。
こんな時間に誰だ。
人か?それとも霊的な何か…?
心臓が早くなり、息が詰まる。
そっと覗いた。
喪服を着た女だった。
長い髪が月明かりで光っている。
あの人だ。
葬儀の時、じっと下を見つめていた、あの若い女だった。
女は父の墓を両手で撫でるように触ったかと思うと、
墓に腕を回し、キスをした。
俺は音をたてないように、その場を足早に離れた。
恐怖だった。
知らない女が、父親の墓にキスをしていた。
時計の事は忘れ、親戚がいる家へ帰った。
叔父に時計があったか聞かれたが、
なかった。
とだけ答えて、先に休ませてもらうことにした。
布団に入って、目を閉じた。
あの女は何者なのか。
父の彼女にしては若すぎる。
もしかして腹違いの姉だろうか。
でも娘が父親の墓にキスなんてしないだろう。
それも、あんな…
俺はあのキスを思い出すと、恐怖心とともに、
とてつもない高揚感を感じてしまっていた。
見てはいけないものを見てしまった。
そんな高揚感が、父の死を薄めていった。