神薙降臨 §3[ヴィル]
「王宮は何を隠ぺいしようとしているんだ?」
「いくつかあるが、中でも一番大きいのは、啓示を受けていないことだ」
「なんだと!?」
俺は額に手をやり、天井と見つめ合った。
「いくらなんでもマズいだろう……お前、それ、なんて言うか知っているか?」
「拉致――神薙本人もそう言った。家族の元へ帰して欲しいと涙を流した」
「当たり前だ。俺だって同意を得ずに異世界へ連れて行かれたら、泣くし暴れるぞ? 喚んだのは魔導師団だよな? いったい何をやらかしたんだ」
「それも今調べている。罪はすべて陛下が背負うことになるだろうな」
「いろんな意味で、過去最悪で最低な召喚じゃないか」と、俺は吐き捨てるように言った。
過去の神薙は貴族を脅して財産を絞り取っていたが、王家は国家安全のため、いかなる脅迫も受けずに済むよう、その対策を講じていた。しかし、神薙に対して負い目があると、それが機能しなくなってしまう。
「これでもし、拉致されたことをネタに王家がゆすられることになったら……」
俺が頭を抱えていると、彼は「そうはならないと思う」と言った。
「なぜそう思う?」
「陛下と宰相が一応の予防策を打っていた。しかし、それすらも不要なのではないかと俺は思う」
「その心は?」
「……今日一日で、何度もお礼を言われた」
「は? 神薙が? お前に? お礼だって?」
「立つ時、座る時、お茶と菓子が運ばれて来た時、馬車に乗る時、目的の場所に着いた時、涙を拭いた時――相手が貴族であろうと平民の使用人であろうと関係ない。周りが何かするたびにお礼を言う優しい方だった。他人を脅すなんてことは考えにくい」
「俺たちは神薙からお礼なんか言われたことは一度もないぞ? 死ぬまで面倒で、死んでからも面倒をかけられたというのに……」
クリスの口からは、俺の理解を超えた話が次々と飛び出した。
侍女を同じ茶の席に着かせ、菓子を食べながら和やかに話をしていたとか、ヒト族と天人族の見分けがつかないとか、メイドにお礼を言うだけでなく、雑談をしていたとか――
神薙は本能的に天人族を見分けていたはずだ。それに、使用人に礼を言ったり、メイドと雑談する貴族なんかいない。
「苦虫を噛み潰したような顔で乾燥肉を食うなよ」と、彼は笑った。
「すまん。ちょっと混乱しすぎて、頭の処理が追いつかない」
「俺もお礼を言われて腰が砕けそうになり、涙を見て心臓が潰れそうになって、抱き抱えて昇天しかけた」と彼は言う。
「……ご無事でなによりだ」
クリスは手に持っていた乾燥肉をいじくり回しながら「包み込んで癒すような力を持った方だった」と言った。顔を上気させて何もない空間を眺めている。
「小さくて柔らかな手、華奢な肩、柔らかそうな胸、それにあの細い腰……。服ですべて隠されていると、かえって想像をかき立てられるものだ」
彼は恍惚の表情を浮かべ、両手で女体をなぞるかのように神薙の姿を描き始めた。
「やめろ、変態ゴリラ。さては酔っているな?」
「誰がゴリラだ。せめてクマって言え」
「うるさい、早く人間に戻れ」
こいつは王都にクランツありと言われた騎士だ。毒ヘビなんぞに骨抜きにされてたまるか。
「お前は最強の騎士団を作るのではなかったのか!」と、俺は彼を鼓舞した。
「ああ、そうだとも。今日から俺は、リア様のために生きる」
「先週までと別人じゃないか。勘弁してくれ!」
「まだ話は終わっていない。ちゃんと全部聞けよ」
「聞いているだろ?」
「さっきから、ちっとも信じていないだろう。お前も会え!」
「ちょっ、よせッ! しがみつくな……ッ」
「全部本当だ! マジなんだ! 信じろ!」
酔っぱらった毛むくじゃらが、俺をユサユサと揺らしている。
「やめろ、酒を飲んでいる時に揺らすやつがあるか! お前の制服に吐くぞ!」
結局、リアとかいう新しい神薙の話は深い時間まで延々と続いた。
彼いわく、たいそう可憐だそうだが、一か月もすれば毒を帯びた(神薙らしい)神薙になっている気がする。その時は彼の失恋話を聞いてやることにしよう。
神薙の護衛は我が第一騎士団の仕事だ。
彼の勧めに従い、部下の「書記君」に側仕えを頼むことにした。
今まで神薙の側仕えはヒト族の部下にやらせていたが、身分が低いせいで神薙に限らず周りから見下されることが多かった。その点、アレンは侯爵の筆頭、オーディンス家の嫡男だ。彼より上には武家しかおらず、その数もわずか。不足はないはずだ。
例の試作品のメガネも役に立つだろう。細い岩に見える男に興味を持つ神薙はいない。
「ヴィル、お前も早く会ったほうがいいぞ」
帰り際の玄関先で、クリスは急にこちらを振り返って言った。
「俺はいいよ。神薙とは関わらないことにしているから」
「後悔して泣いても知らねぇぞ?」と、彼は横目で俺をばかにしている。
「披露目の会で見るよ。一番遠~い所からコソッ、チラッとな」
「一生言っていろ。ばぁか」
彼はヒゲぼうぼうの顔でニヤリと笑い、鼻歌を歌いながら機嫌よく自分の部屋へ戻って行った。
ひどい眠気と頭痛にこめかみを押さえながら、俺はふらふらとベッドに潜り込んだ――