素顔 §1
「――平和ですねぇ~」
サロンの窓から外をのぞくと、敷地内の巡回に出て行く騎士団員が見えた。
定時の巡回と不定期の見回りがあり、一日に何度も敷地内に散らばって『おまわりさん』をしてくれている。彼らは皆「神薙の騎士」と呼ばれている誇り高きエリートだ。
こちらの視線に気づいた人たちが手を振ってくれたので、わたしも振り返した。
この世界に来てから、わたしのイケメン耐性は急激に上がった。第一騎士団の護衛がことごとくグッドルッキングガイなので免疫もつくというものだ。
くまんつ軍団と先に出会っていたため、てっきり騎士のデフォルト設定は「ムキムキマッチョ」なのかと思っていたけれど、少し早とちりだったようだ。第一騎士団員は一般人と比べればがっしりしているものの、第三騎士団と比べたらシュっとしている。
これで誰かを好きになれたら話が早いのに、イケメンがインフレを起こしているせいか推しを一人に絞れないままだ。きっとわたしはルックス至上主義ではないのだろう。
しかし、夫を選ばなければ殺されるかも知れない――
ステキな男性に囲まれているのに、まるでときめかないなんて、わたしは大丈夫なのだろうか。なんだか不安になってくる。
手にしていたクッションをぎゅうぎゅうと抱きしめた。
日本にいる頃は、何かあると実家の柴犬『まめ太郎さん』をモフるのが習慣だったけれど、今は百合の刺繍が施されたクッションが彼の代理だ。
ため息をついていると、突然何かが目の前に飛び込んできた。
「ひゃあ!」
何かと思ったら人だ。
なでつけペッタリ髪に四角い銀ぶちメガネの鉄面皮、おはようからおやすみまで暮らしを見つめる仏像様ことオーディンス副団長だった。
「神薙様、そろそろお散歩の時間ですが?」
彼はこちらを気にする様子もなく言った。
最近の彼は、こうしてビュンッと勢いよく視界に入ってきて、こちらをのぞき込むように話しかける。
その際、メガネが落ちないよう右の人差し指と中指で真ん中のブリッジを押さえながら動くので、片合掌の仏像が飛んできているように見えた。
彼の部下はキラキラとしたハンサム光線を飛ばしてくるけれども、上司である彼は体ごと自分が飛んでくる仕様だ。
「も、もうそんな時間なのですね。では、行きましょうか」
屋敷の図書室にこもっている時間が長いので、午後は散歩をすることにしていた。
神薙様は一人でフラフラできないので、護衛の彼に連れられ、しずしずと庭園を散歩しなくてはならない。
怪人くそメガネを脱した彼は、アンドロイドのようになっていた。
感情の起伏も見えず、表情に乏しいので、体温や血圧などを測定して「生命活動の見える化」をしたくなる。
日常会話は予想以上に上手くいかなかった。食べ物の好みなど、無難な話題を振ろうとしても「いや、待てよ?」と考えてしまう。
そもそも彼は、口からエネルギーを摂取できる型式なのだろうか。リチウム電池を充電するタイプかも知れない。
OSのバージョンアップをしないと消化できない食べ物がありそうだ。
紅茶に入れたレモンの酸で徐々にボディーが腐食するのではないかしら?
表情が変わらないのは、機能制限付きの「無料お試し版」だから? いや、感情表現にバグがあるのかも知れない。
いずれにせよOSの大型バージョンアップが必要で――
「神薙様、何か?」
急に話しかけられた。
「あ、な、なんでも、ないです……」
生身の人間のはずなのに、ついついIT系ネットニュースにありがちな単語が次々思い浮かんでしまう。お願いだから、そろそろ人間になってほしい。
しかし、イケメン集団の中で抜きん出てオカシイ彼を見ていると、少しホッとする自分もいた。
周りが美形ばかりという特殊な環境で、わたし一人が美しくない生き物なのではないかと不安になることがあるのだ。
彼を見ていると相対的に自分が普通に思えたし、むしろ妙な仲間意識すら感じることがある。
わたしたちはサンドウィッチ屋さんに並べられたおにぎりのようなものだ。そこにいても別に怒られはしないけれど「なんかちょっと違うね」と言われるような存在だった。
「あのぅ……」
お庭でオーディンス副団長に声をかけた。
「はい、ナンデショウカ?」
彼は音声案内のように返事をする。
「ピーと鳴ったらご用件をお話しクダサイ」という声が聞こえてきそうだ。
――ピーッ。
「急に顔を出されるとビックリしてしまって……」
お散歩をしながら、やんわり「飛んでくるのはヤメテね」と伝えてみた。
彼は木陰で足を止めてわたしをじっと見ている。
パチ、パチ、パチと、一定のリズムで三回ほど瞬きをした。
――まさか、返事をモールス信号で送ってきています……?
つられてこちらも同じように瞬きをしてしまった。
ツー、ツー、ツー
ツー、ツー、ツー
――通じ合えている感ゼロ。どうしたらいいの?
しばらく無言で見つめ合っていると、何か合点がいったように彼が手をたたいた。白い手袋が合わさって、ぽむ、と音がする。
「すみません。神薙様とお呼びしても、なかなか気づいていただけないものですから」
「えぇえ?」
彼いわく、わたしに向かって「神薙様」と呼びかけても、三回のうち二回ぐらいの割合で無視されているらしい。三割しか返事ができていないなんて打率が低すぎる。
「実は第三騎士団からも引き継ぎがあり、対応に悩んでいました」
「えっ、くまんつ団長からも?」
「有事の場合に意思疎通が遅れる可能性があると心配しておられました」
恩人であるクマさんにまでご心配をおかけしていた。
「も、申し訳ありません。自覚がないと言うか、慣れていないというか……」
オーディンス副団長はふざけていたわけでもオカシイわけでもなく、わたしの自覚の足りなさをカバーしようと、体ごと声をかけてくれている親切な人だった。
わたしのことは名前で呼んでいただくようお願いしたところ「そのように全体に周知する」と返事が返ってきた。
「そのうち慣れますから、あまり気にしないでくださいね?」と彼は言ってくれる。
親切だ……こんなに親切な無機物は見たことがない。わたしが見た目に惑わされすぎているのだろうか。
空気を読んで行動するのは日本人の美徳ではあるけれども、よく考えたら外国人の同僚にはそれが通用しなかった。
ある意味、ここも「海外」なのだし、日本式のコミュニケーションでは伝わらないのだろう。陛下と宰相の二人と話している時がまさにそうだ。自分がしたいこと、相手に求めていることを一から十まで言葉にしないと理解してもらえなかった。
よし。
オーディンス副団長との対話を増やそう。