穢れ §4
どうやらこの国の貴族令嬢はキッチンに入らないらしい。
まさにその貴族令嬢である侍女三人の話をまとめると、理由は大きく二つあるようだ。
一つ目、一般的な貴族の家には料理人がいるので「仕事を奪ってはいけない」という考え方だ。雇用創出も貴族の務めなので、料理人に限らず、メイドや執事にも同じことが言える。
二つ目、正しい淑女はみだりに肌を露出しない。貴婦人が袖をまくって何かしていると「はしたない」と言われがちだそうだ。
そもそも貴族は労働層ではないので、料理人を雇ったら作ってもらうのが当たり前なのだ。
それを踏まえても、オーディンス副団長の主張は常識の範囲を超えている気がした。
聞けばオーディンス家は国の有力な上流貴族らしい。お金持ちのボンボンすぎて、世間と感覚がズレているのだろうか。
何度となく彼と話し合ったものの、その場で足踏みをしているかのごとく進展しなかった。
数日考えた末、わたしはついに決断した。
――こうなったら最終手段の武力行使だ。キッチンへ正面から強行突破してやる。
決行当日の朝、侍女の皆に打ち明けたら驚かれた。
しかし、わたしが目的と作戦の詳細を話すと、妙にノリノリで協力してくれた。怪人くそメガネさま以外は、理解のある素晴らしい方たちなので助かる。
相手は優秀な騎士様だ。一度失敗したら二度目はない。身長差やパワーの差を考えたら、正攻法ではまず無理だろう。
――奇襲を仕掛ける。
わたしは侍女三人と連れ立ってホールを歩いていた。
午後三時のお茶の時間に合わせ、一階の図書室から、同じく一階にあるサロンへと向かうところだ。
普段なら「お茶なんか本を読みながらでも飲めるのに、どうしてわざわざ移動しなくちゃならないのかしら~」なんて、内心イヤイヤしているところだけれども、今日は違う。
ちょいと通り道に、やぼ用がありやしてね。へっへっへ。
しず、しず、しず……
衣擦れの音がする。表向きはとてもお上品な神薙様に仕上がっていた。
おピンクのリボンがたくさんついた乙女チックなドレスは侍女が戦闘服として選んだものだ。通常よりもスカートの丈が数センチ短く、ヒールの低い靴に合わせてあった。
露出を好まない保守的な国において、神の使いのドレスともなれば床スレスレだ。そこにわたしのリーサルウェポン『ペッタンコ靴』がある。ゴム底なのでフィットネスクラブで走り込んだこの脚を最大限に生かせる武器だ。
リミッターを外したわたしの力を見せてやる。昔から無駄に足が速く、小中高とリレーの常連だ。ほとんど走る必要のないバレー部所属だったので「使い道なき俊足」と呼ばれてきた。
くそメガネさま、ご覚悟願います。
彼はわたしたちから少し離れた場所で、キッチン方向への通路をふさぐように立っていた。わたしが急に方向を変えてそちらへ向かうのを警戒しているのだ。
――そんなのは想定内ですよ。むしろ少し距離があったほうが仕掛けやすいのです。
わたしはゆっくりと彼の前に差しかかった。
「今日のお菓子はなんでしょうねぇ」と、侍女に向かって話しかける。死んだふり作戦。まるで「キッチンになど興味はございません」という顔を見せておくためだ。
侍女たちとの話が盛り上がりかけた瞬間、視界の隅で彼が、ふっとよそ見をしたのが見えた。
――もらった……! いざ、尋常に勝負ッ!
両手でガッとスカートをつかむと、ロケットスタートを切った。ウォーミングアップは図書室で済ませてきている。
対応が遅れたことに気づいた彼の鉄仮面がボロリと崩れた。驚き、戸惑い、体が左右にブレている。
しかし、もう遅い!
――今だぁ~!
高校時代にバスケ部の友人から伝授された「庶民フェイク」に独自アレンジを加えた「スーパー庶民フェイク」を発動。視線とわずかな上半身の動きを使い、彼を横に大きく揺さぶってゆく。
どうにか対応しようとバタつく彼は、焦った表情を見せていた。
――無駄ですよ、怪人くそメガネさま。わたしは小学校時代からスーパーエースとしてネット際で数えきれないほどのかけ引きをしてきているのです。騙しのキャリアが違うわ。おーっほっほっほっ!
バランスを崩した彼はわたしを止めようとして手を前に出してきた。
――かかったぁ!
こちらの狙いは、彼の重心を前へ動かすことだ。このチャンス、逃してなるものか。
いでよ、ペッタンコ靴ッ!
わたしは膝を使って体勢を低くすると、重心を後ろに残しながら彼の手前で急停止した。ヒールでやったらグキッとなって死ぬけれども、この靴でなら実現可能だ。ウォーキングのために特注したゴム底は、最高のグリップ力を発揮する。
――パーフェクトです、侍女さんたちっ。
わたしは左足でぎゅっと床を踏みしめ、腰から上体を回しながら右足を引いた。
左から右への体重移動。滑るように、素早く重心を移動させる。
バスケ部有志直伝、庶民のロールターン!
行っけぇぇぇ~~ッッ!
半円を描きながら彼の右脇をかわし、キッチンへ続く廊下を猛ダッシュ。高校時代に球技大会対策として習っただけとはいえ、意外と体が覚えているものだ。
――わぁい、勝ったぁ~♪
清潔でピカピカなキッチンにたどり着くと、真っ白なコック服に身を包んだ料理人六名とアシスタントの皆さんが、ぽかんとこちらを見ていた。
わたしはぺこりと頭を下げ、念願のご挨拶をした。
「やっとお会いできました。ご挨拶が遅くなりまして申し訳ありません」
「え? 神薙様?」と、若い料理人が言った。
「うっそ……!」「こちらこそ、初めまして!」
キッチンから歓声が上がった。
三時のお茶は料理人と一緒に従業員用のダイニングで頂いた。
ちなみに上流貴族のボンボンであるオーディンス副団長は、この日、生まれて初めてキッチンという場所に立ち入ったそうだ。
「どこが穢れていると言うのですか、どこが!」と、わたしは中を指さした。
彼はキョロキョロとキッチンを見回しながら「これは、屋敷の中で一番キレイかも知れませんねぇ」と無表情のまま言った。
彼が言うには「ちょっとした事情があって」キッチンからわたしを遠ざけておきたかったらしい。けれども、その事情はもう解決したとのことだった。
「最初からそう言えばいいのに」
「すみません。私もその事情の確認に手間取り、最近になってようやくわかったところで」
そんなゆるい感じでバトルは幕を閉じた。
ただ、わたしが料理をしたがっていることは、この国の常識に当てはめると少し問題であり、執事長も反対をしていた。仕方がないので今はおとなしくあきらめるしかなさそうだ。
怪人くそメガネさまは、普通の「カタブツメガネさま」に変わった。
相変わらず表情や感情表現は乏しいものの、人に向かって「穢れている」とは言わなくなったし、わたしが従業員の皆さんとキャッキャしていても変な顔をしなくなった。
コミュニケーション目的であれば自由にキッチンへ行けるようになった。
タベラレマスカ教祖による謎の儀式や説法(?)もなくなり、ようやく平穏な日常がやってきた。
しかし、わたしはこの後、メガネさまの恐るべきお姿を見てしまうことになる――
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