救急箱
救護班の人によれば、夕方には治癒師さんが来てくれるので、今は応急処置だけをしているとのことだった。
切り傷は薬を塗ったガーゼを乗せて包帯で巻いておき、後でその上から治癒魔法をかけてもらって治すのだとか。
言われたとおりガーゼを切って薬を塗布し、怪我をした団員の傷に乗せる。
包帯を手に取ると、彼が「あれ?」と言った。
「あっ、ごめんなさい。痛かったですか?」
「いやっ、いいえ、あの……」
「しみた?」
「いや、そういうわけではなく……」
彼はチラリとヴィルさんの顔色を窺った。
言われたとおりにやったつもりだったけれど、何か悪いことをしてしまったのだろうか。
周りには人が群がっており、ざわついている。
「どうした。遠慮せずに言え」
ヴィルさんは近くにあった椅子を引っ張ってくると、わたしの隣に座り、騎士と目線を合わせた。
「ちょっと、ガーゼを取ってみてもいいでしょうか」
「痛むのか? 取ってみろ」
「いいえ、痛みではなくてですね……」
「うむ」
わたしが「ごめんなさい」と言うと、ヴィルさんは頭をヨシヨシしてくれた。
「リア様、違うのです。急に違和感というか、痛みがなくなったような」
騎士がガーゼの端をつまんで取ると、ツルンと何もない肌に薬がペッタリと付着していた。
「え……」
「ん?」
「あれ?」
つい今しがたまで、そこにあった傷が、忽然と消えている。
あ……わたし、場所を間違えた?
いやいや、さすがにそれはない。
「リア、反対の腕に貼ったのか?」
「いいえ、確かに、そこに」
「本当か?」
「え? なんだか自信がなくなってきました……」
「いや団長、間違いないです。ここです」と、彼は薬がついた部分に人差し指を滑らせた。
「天人族の方は、すごい速さで怪我が治るのですねぇ?」
「いや、彼は天人族ではないよ」
「ええっ?」
騎士は全員が天人族ではない。
求められている能力があれば、身分を問わず騎士になれる。
彼はヒト族の騎士だった。
違いが分からないリア様は今日も迷走中だ。
「ふむ。なるほどな。リア、こちらにおいで」
「はい……」
ヴィルさんに連れられ、しょぼくれて別の怪我人のところへ行った。
彼は救護班の人に声を掛けて席を替わってもらうと、小さなガーゼを一枚、指でつまんだ。
「リア、これを手の平に乗せてごらん」
「はい」
「そのまま、ちょっと待つ」
こくんと頷いた。
彼をじっと見ていると、わたしの視線に気づいたのか、眉を上げた。
「俺はまったく驚いていないよ。ああ、なるほど、こうなるのか、と思っているだけだ」
何が何だか分からないけれど、言われたとおりに、おとなしくしていた。
「よし。もういいだろう。では、この布を彼の傷の上に乗せる。俺がやるから、リアは彼の手をよく見ていてくれ」
彼はわたしの手から正方形の小さなガーゼを取ると、向かいに座っている団員に向き直り、手の甲にある傷にふわりと乗せた。
「さあ、どうだ?」
彼が一拍待ってからガーゼを取り去ると、団員の傷が消えていた。
ただのガーゼが、チチンプイプイと怪我を治してしまったのだ。周りがどよめいた。
「ヴィルさんは、手品師も?」
「リア、俺は騎士だけだよ……」
わたしの手は、一体どうなってしまったのでしょう??
夕方──
「そういう体質なのですよ」と、アレンさんが言った。
無事にその日の訓練が終わったので、三階のリビングに皆を呼んでお茶を飲みつつお喋りをしていたところだった。
ざっと話を聞いた彼は、わたしを「救急箱に似ていますね」と言ってクスクス笑っていた。
以前と何も変わらないはずなのに。
そして、過去に言われたことがあるのはアレルギー体質くらいのものなのに。
救急箱体質って、どういうこと?
そもそも自分が手首を怪我したときは治せなかったのに、他人の怪我は治せるなんて、救急箱にしても少しオバカではないでしょうか??
「ねえ、アレンさん……」
「はい?」
「わたし、やっぱりオバカなのですねぇ?」
なぜかアレンさんはバフッと吹き出した。そして、脇腹を押さえて咳き込みながら「今日は早めに休んでください」と言った。
「夜ふかしするもん」
「どうしたのですか? 先程からそんなにスネて」
「だって、わけが分からないのですもの」
「なかなか説明が難しいところなのですよ」
「なんだか辛くなってきてしまいました。くまんつ様の絵を見てもいいですか?」
「は? ちょ、待……っ」
すたすたと暖炉の前へ行き、「くまんつ様コーナー」にある小さなクマのクリス君を少し右へ移動させた。
後ろに置いてある迷画「俺のリス」の額をスッと取り出す。
そして、くるりと表に返して置き直した。
「リアさ……」
「悩めるわたくしをお救い下さい、くまんつ様」
合掌。
アレンさんは、わたしの肩に両手を乗せた状態で、仲良く同じ絵を鑑賞していた。いや、見るつもりはなかったのだろうけれど、わたしを止めようとして、そのついでに食らっていた。
「くーまん……」
※注:アーメン的なやつ
アレンさんの手がぷるぷる震えているのを感じながら、じっくりと「俺のリス」を愛でる。
一拍置いて、わたし達は崩れ落ちた。
親愛なるオルランディアの皆さん、くまんつの神を崇め、讃えましょう。
くまんつ様は神です。
「さあ、アレンさんもご唱和ください。くまんつ様は神っ」
「や、やめ……死ぬ……っ」
「君らは何をしているのだ」と、ヴィルさんは呆れ顔だ。
「くまんつ教のお祈りですわ」と、ハンカチで涙を拭きながら答えた。
フー、くまんつ様のおかげでヘコみ知らずだ。
わたしの手からは癒し成分が出ているらしいけれども、くまんつ様のリスは全身からお笑い成分を出していた。
リスは笑い袋として、わたしは救急箱として、少しだけ誰かの役に立てるかも知れない。
こうして謎の体質が明らかになり、初日の訓練は終わったのだった。
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