穢れ §3
オーディンス副団長は護衛であると同時に「側仕え」と呼ばれる特別な立場にある。神薙の意思を周りに伝える役割を持つ人物だ。
しかし、彼は石像で、鉄仮面で、なおかつエムブラ宮殿名物「怪人くそメガネさま」だ。
「すぐでなくても構いませんので、お料理をしたいのですが」
若干引きつっているだろうけれど、努めて笑顔で話しかけるようにしている。
「それはいけません」と、彼は無表情のまま言った。
周りにわたしの意思を伝える役割なのに、彼のところで行き止まりになっている。
「で、では、お菓子ならいかがでしょうか」
無理に口角を上げているせいで、ほっぺが痛くなってきた。
せめておやつぐらい、その日の気分で自分の好きなものを作って食べたい。
「厨房に神薙様が立ち入るなど、過去にも未来にも有り得ません」
う、うわぁぁぁん……っ。
わたしを大事にしたいのか、意地悪をしたいのか。表情が変わらないので、意図がわからない。
彼は料理人のことまで「穢れている」と主張していて、挨拶もさせてくれないのだ。
数日もすると、庭師やメイド、厩務員に対しても同じようなことを言い始めた。わたしが彼らに近寄って行くのを嫌がる素振りを見せる。
身分差別なのか人種差別なのか、はたまた潔癖症の類なのか、理由も教えてもらえない。
わたしは毎日同じ場所にいる人たちとは仲良くしたい派なので、敷地内を散歩する際は、従業員の皆と交流するようにしている。
彼の隙をつき、裏をかき、ほぼ全員にしれっと声をかけてきた。しかし、キッチンだけはガードが堅くてたどり着けない。
彼はわたしを止めるために執事長にも協力してもらっていたので、ほかと比べて難易度が高いのだ。
料理人は全員が住み込みだった。同じ屋根の下で暮らす者として、せめて挨拶くらいはしておきたいし、食の安全を守るために清潔さもチェックしておきたい。
「世界中の料理をする人を侮辱するような発言はやめてください」
何度も「穢れている」と連呼され、いよいよ看過できなくなった。
この宮殿は一応わたしのお家なので、わたしの意思が従業員の労働環境を左右する。失礼なことを言わせっぱなしにしておくわけにはいかなかった。料理人に肩身の狭い思いをさせていたら申し訳ない。
彼と戦う覚悟を決めたものの、わたしのスペックには「遺伝的にノドが弱い」という致命的な問題があり、あまり声が張れない。舌戦のような激しい言い合いは無理だ。
淡々と理詰めでねじ伏せるなり、この状況を打破する方法を何か考えなくてはならない。
「厨房は穢れてなどいないと思います」
彼に負けじと背すじをピンと伸ばして言った。
「いいえ、生き物の血で汚れています」と、彼は無表情で言う。
「では、わたしたちは汚れた場所で調理したものを口に入れているのですか?」
「・・・」
石像が黙った。ただ、無表情すぎて怒っているのか困っているのかは謎だ。
「豚の血を使った美味しい腸詰め、召し上がらないのですか?」
イギリスで言うところのブラックプディング、ドイツで言うところのブルートヴルストがこの国にもある。動物の処理とソーセージ作りを同じ場所でやっていなければ作れない美食だ。
「動物の血を食べたわたしは穢れていますか?」
「とんでもありません。神薙様は王国で最も清らかな方です」
無表情のまま、まるでそんなふうに思ってなさそうな調子で彼は答えた。
「では、食材の血で汚れているというのは誤りですね?」
「神薙様は高貴な存在です。使用人と会話などしないものです」
「話をすり替えましたね? そうまでして、わたしを思いどおりにしたいのですか?」
わたしはウ~ンと考えるふりをした。いい調子だ。このまま押し切りたい。
「そういえば、あの魔導師団の人たちも、わたしを思いどおりにしたくて襲おうとしたのでしたねぇ?」と、とぼけて言ってみた。
すると、彼の鉄仮面が見る見る崩れていく。
件の魔導師団は、親や祖父の代までさかのぼって組織的な悪行が明らかになっている。
脱税、汚職、恐喝、背信、謀反、監禁、反逆など、連日にわたって衝撃的なタイトルで新聞や雑誌がにぎやかだ。
今、魔導師団という言葉は最もわかりやすい軽蔑の対象だ。気高い騎士がそれと並べられたら、たまったものではないだろう。
「申し訳ありません。そんなつもりはないのですが……」と、彼は初めて人間らしい返事をした。どうやら普通に話すこともできるようだ。
「あ、そうなのですか?」と、わたしは再びとぼけて言った。
「わたしはてっきりあなたに意地悪をされているのかと」
「厨房に立ち入るような神薙は今まで一人もいないのです」と、彼は言う。
「では、わたしが最初になりますね」
「いけません。それだけはおやめください」
「納得できる理由が聞けていません」
「・・・」理由を聞くと石像は沈黙する。
「個人的な思想が理由なのであれば、行動を制限される筋合いではありません。だから、やめません」
彼とわたしの静かなる「ケガレ論争」は、その後も断続的に続いた。
なぜ、彼はここまで頑なにキッチンから遠ざけようとするのだろう。余計に興味を持つとは思わないのだろうか。
次第にわたしは彼を説得することよりも、どうやったら料理人に会えるかを考えるようになっていった。