珈琲
「ウォルトの喫茶室?」
「むぅ……、いかにも平民が出した店の名前だな」
相当長い年月やっているのだろう。
窓から見える店内は「隠れ家カフェ」と呼ぶにふさわしいアンティークな雰囲気だ。
「わあ、素敵ですよ」
「イルヴスタンと同じ淹れ方なら美味だが、ヒト族の店というのは大概そうではない。そもそも、茶すらニセモノのアールという豆のゆで汁だったりするわけで……」
ハンギングラックに、ジェスベに似た小鍋がぶら下がっている。煮出して作るトルココーヒーなのだろうか。しかし、ドリッパーと思しき器具もカウンターに置いてあった。
ほむほむ……これはまさかのハイブリッド?
もう少し情報が欲しいですねぇ。
くわっと目を見開き、拡大!(無理だけど)
むむぅ、ドリッパーは円錐状に見えます。
積み上げられた布のフィルターは真っ白です。すばらしいです。
店内も清潔に保たれているようです。
しかも、豆は自家焙煎ですしねぇ?
「ヴィルさん、これは間違いないやつです。行きましょうっ」
「リア、今の俺の話を聞いていたか?」
「イル牛のタンは美味しいけれど、ゆで豆はニセモノだという話ですか?」
「どうしてそうなった……本場の淹れ方ではないだろう、という話だ。イル牛ってなんだ?」
「本場ではどうやって淹れるのですか?」
「小さな鍋でブクブクとやる」
「お鍋もありますよ。行ってみましょう?」
「んんー、しかしなぁ」
「ヴィルさん、お願いです」
「……分かった。リアのお願いには弱い」
店に入り、二人ずつテーブルについた。
まず侍女長と従者が先に入り、お店の奥のほうへ。次にわたし達が少し手前の窓際へ。最後にイケ仏様とジェラーニ副団長が、斜め前のテーブルについた。
店内は静かだった。
常連客と思しき年配の男性が数人、のんびりと珈琲を飲んでいる。
新聞を読んでいた人がチラリと視線を送ってきた。
常連客ばかりで、新しいお客さんは珍しいのかも知れない。しばらくこちらをジロジロと見ていたけれども気にしないことにした。
メニューを見ると、鍋で淹れるタイプとドリップ式とに分かれて書かれていた。
恰幅の良い中年の店主がのしのしと注文を取りに来た。
ヴィルさんがなんとかスタンという場所で飲んだ珈琲の話をして、淹れ方や豆のことについて質問をした。
パッと見は愛想がなさそうな店主だけれども、使っている豆の種類や淹れ方について詳しく教えてくれた。
彼は曾祖母がそのなんとかスタンの出身らしい。道具と淹れ方は現地と同じだと言った。
ヴィルさんは小鍋で煮出すタイプのもの、わたしは布フィルターで落とすタイプの珈琲と、小さなチーズケーキを頼んだ。
店には若いウェイターが一人いて、奥のテーブルと隣のテーブルでテキパキと注文を取っていた。侍女長達も概ねわたし達が質問したのと同じようなことを聞き、説明を受けて注文を決めていた。
久々のドリップ式珈琲だ。
ほうっと幸せなため息をついた。
「リアの専用厨房を作ったらどうか、という話が出ているのだが、どう思う?」
珈琲を楽しみながらヴィルさんが言った。
「あーそれは、お気持ちだけ有り難く頂戴したいと思います」
専用キッチンは欲しいけれども、まずは尊い労働をしなくては。
無職だし、無一文だし、結婚相手を決めなければならないし、宿題になっている嘆願書の件もある。
消費活動をして欲しいと言われているので、せめて無職と無一文は脱したいし、お米くらい自分のお金で買えるようになりたい。
お米は高級食材だ。今日見た感じ、日本の三倍から四倍くらいの値段がついている気がした。
パイを作った日以来、イケ仏様は「また厨房で何か作ってもいいですよ」と言ってくれるようになった。
ただ、そのときは厨房に立ち入る人の数を制限するという。
料理人の迷惑になってしまうので、「貴族は厨房に入るべからず」の掟を守っているほうが平和だった。
料理長に相談すれば何でも喜んで作ってくれるので、わたしは食べたいメニューと、場合によってはその調理の仕方を伝えるだけでいい。
あとは、たまーにイケ仏様の目を盗んでコッソリやるのが良いのではないかしら(笑)と思っている。
「何かお役に立てたときのご褒美とか、そういうのなら喜んで」
「そうか、言い出したのはアレンなのだが……」
「あとでお礼を言っておきますねぇ」
「彼はパイが食べたいだけだ。もう少し待てと伝えておくよ」
「パイなら料理人が作ってくれるので、大丈夫ですよ?」
「あー、いや、リアのは、……まあいいか。そうだな」
彼はぐるりと店内を見回した。
そして「魔道具が一つもない。イマドキこういうのは珍しいぞ」と、小声で呟いた。
「いい店を見つけたな」
「また来たいですねぇ。ターロン市場も大好きです」
「そうだな。まだ見ていない店が山ほどある」
彼はお店に置いてあった経済誌を持ってきて、目次を確認してからめくり始めた。
「ふむ。リアのご褒美はすぐに出そうだな。やはり厨房は見積もりだけでも先に頼んでおこう」
「でも、まだお見合いの一つも終わっていないですよ?」
「ここを見てごらん」
彼は雑誌をくるりと回し、こちらに向けて見せてくれた。
「う……」
彼が読んでいたのは、オルランディアの経済誌『週刊クロノメリディウム』だ。
あらゆる固有名詞が分かっていない究極の世間知らずである異世界人には非常に取っつきにくい雑誌で、いつ読んでも難しく、どこを読んでも分からないことだらけだった。
イケ仏様やジェラーニ副団長にいくつも質問をしながらつきっきりで用語や名詞の説明してもらえば分からなくはないのだけど、さすがに申し訳なくて毎度毎度そんなことは出来なかった。
ヴィルさんが指差したページには『本誌が総力を挙げて試算!』と大きな見出しが出ていた。
ひぃぃ、もう怖い。何を試算されてもわたしには分からない気がする。
しかし、それに続くタイトルを見てポカンとした。
『新神薙の驚異的経済効果!』
なんですか、これは……。