芋づる式
※第76話は欠番です。
屋敷を出発して貴族街の適当な場所で馬車を降りると、彼と手を繋いで歩き始めた。
以前、見知らぬ人に突き飛ばされたことがあったので、今日は絶対に離れてはいけないと釘を刺されている。
まずはペンを買うため、文具店を目指すことになっていた。
しかし、なぜかヴィルさんは「そっちではないよ」と言った。
「あらら? 確か文具屋さんはあちらだったかと……」
前にノートを買った文具店のほうを指差した。
すると彼は、「リアはインクを付けて書きたいか?」と聞いてくる。
「今お借りしているペンは、中からインクが出てくるので、とっても便利ですねぇ」
「そうだろう? そうなるとリアのペンはこっちだ」
なぜか彼はわたしを魔道具屋へ連れていってくれた。
「おや!」と、年配の店主が両手を広げてヴィルさんを迎え、「ランドルフのぼっちゃん!」と言った。
頑張って変装してきたのに秒でバレてしまい、彼はバツが悪そうに頭をかいている。
地味服なのにキラキラしているから仕方ない。
「少し空気を読んでもらえないか……」
「ぼっちゃん、なんです? その妙な扮装」
「……今日はペンを買いに来た」
「ペン? 今更どうしたんです?」
「使うのは彼女だ」
「ん? おや? おやおやおやぁ! 貴女様は!」
芋づる式に、わたしもバレてしまった。
ヴィルさんは純金のおイモだ(泣)
魔道具屋の店主は天人族だった。
先日のお披露目会に親子三代で参加してくださっていたので、そのお礼を言った。すると、なぜか頬を赤らめて「あぁ~ん」と色っぽい声を出した。……リアクションに困る。
「ぼっちゃん、ちょっと息子と孫を呼んでくるから待っていて下さい!」
「ダメだ。今日は他にも行くところがある」
「いやいやいや! 私が息子たちに叱られます」
「言わなければいいだろう」
「おぅ……それは名案。では、私だけの秘密で。ええと、ペンでしたな」
店主は大きくて薄い引き出しをキャビネットからズゴッと引っこ抜き、「どっこいせ」とカウンターに置いた。
几帳面に並べられたペンが百本並んでいる。
なぜ本数がわかったかと言うと、きちんと並んだ十本の列が、やはりきちんと十列あったからだった。トレイの底には深緑色のベルベットが貼られている。
もう少しカジュアルなペンを想定していたのだけど、かなり高級志向だ。
「今は、どのようなものをお使いで?」
「フギンの二番だ」
ん?
どうしてヴィルさんはわたしのペンのことを知っているのだろう?
わたしが使っているペンは、オーディンス副団長が貸してくれたものだ。
先代の神薙は字を書く暇もないほど欲望の処理に多忙だったらしく、当初、宮殿の備品にわたし専用のペンが用意されていなかった。
ヴィルさんに手紙を書くため、最初は侍女長から借りたものを使っていた。
それはペン先をインクボトルにドボンと浸して書くタイプで、出なくなってきたら再びドボンと浸けるのを繰り返さなくてはならない。
最初こそ「映画で観たことある!」と喜んで使っていたものの実際に何ページも書いていると悲しくなるほど不便だった。
それに、書き上がった手紙の見た目も微妙なのだ。
最初は字が濃くて徐々に薄くなる。途中でまた濃くなって薄くなる。わたしが慣れていないせいなのだろうけれど、どこでインクをつけたかが丸わかりだった。
一通目を書いた後、イケ仏様が「これを使ってみては?」と、素敵なペンを貸してくれた。
それは万年筆で、本体に仕込んであるインクがペン先から出てくるので日本のペンと同じように使うことができた。
しかも、かなりの手紙や日記を書いたにも関わらず、一度もインクが切れていない。万年筆よりも長持ちなのだ。
そんな素敵なペンと同じものがこのお店では売られている。ヴィルさんはそれを「フギンの二番」と呼んだ。
「おやまぁー!」と、店主が言った。
「二番をお使いになれるとは!」
「そう。彼女に見せる商品を間違えていないか?」
「ですな! 少々お待ちを!」
せっかく見ていたのに、トレイが下げられてしまった。
話が読めず、ヴィルさんの袖を引っ張った。
彼は「ごめん」と言って、わたしの手を握る。
「これは魔力ペンと言う。『フギン』というのは高魔力者向けのシリーズを作っている工房の名だ」
「……?」
「数字が小さいほど魔力量の多い者にしか扱えない。俺と副団長は二番。他の団員は三番から四番を使っていると思う」
「へえー、そうなのですねぇ」
「試しに一番も使えるか挑戦してみるといい」
彼いわく、わたしが借りているペンは、文具ではなく魔道具らしい。
ペン軸の中に、海の近くに生えているナントカという魔法植物を使ったスーパー画期的なインク生成システム(?)が詰まっており、使用者の魔力量が多いと永遠に使えるくらいのハイパー長持ちインクになるそうだ。
「高魔力者向けのペンに使われる魔法植物は、ひどく自尊心が高いのが難点だ」
「植物に自尊心があるのですか?」
「自分の想定より魔力の低い人にはインクを出さない」
「な、なんて意地悪な……」
「今度、王立植物園にも行こう。性格のひねくれた魔法植物がたくさん見られる」
性格のひねくれた植物という謎ワードに笑っていると、彼は「どこかの誰かに似て、ひどく甘えん坊でまとわりついてくるのもいるよ」と言い、握る手にキュっと力を入れた。
ふむぅ……甘えている自覚があるわけですねぇ?(笑)
店主が大きな引き出しトレイを再び出してきて、「さあさあさあ!」と言った。
ヴィルさんに言われるまま「フギンの一番」というシリーズを試し書きさせてもらったところ、今使っているペンと同様、いい書き味だった。
デザインは豊富で、重厚な雰囲気を醸し出しているものから乙女チックな花柄まで色々とある。
長く使うものなので、飽きの来ない素朴な木製ボディーのペンを選んだ。
万が一壊れてしまった場合は、メンテナンスをして頂けるという。
支払いの手続きはヴィルさんが済ませてくれた。
袋にレシートが入っていたので見てみると、異様にゼロが多い。
お店を出てから、近くで売っていたオレンジジュースの値段を参考にして、ペンの値段を日本円に換算してみることにした。
「母国の通貨を計算しているのか?」とヴィルさんが言うので、本日の円相場が一シグ百六十円ほどだと伝えたところ、彼があっという間に計算してくれた。
三百六十二万三千円……
うそでしょ?
ペンですよね?
なんでこんなに高いの??
ゼロが四つも多くて、もう死にたい。
心の中で善良なるオルランディアの皆さんにお詫びをした。
もう、一生ペンはこれ一本だ。
絶対に浮気なんかしないと誓います。
生涯、字を書き続けます(泣)
魔道具屋を出た後、同行してくれた侍女長と一緒にストールを一枚と手袋を選んで購入した。
「さてと、他に欲しいものは?」
「うぐ……」
ヴィルさんの問いに答えられない。
まだ二店舗しか訪れていないのに、わたしの物欲は既に枯渇していたのだ。陛下の言う「ムラムラとくるもの」とも出会えていない。
前日の夜まで、檻に閉じ込められたゴリラのように部屋をウロウロしながら必死に絞り出した「欲しいかも知れないもの」がストールと手袋だったのだ。
「フリガさん、どうしましょう……」
「リア様、お可哀想に。こんなに無理をさせられて……」
侍女長とふたりで傷をなめ合っていると、ヴィルさんは「何も高級店だけがすべてではないよ」と笑った。