突風
「まめ太……いえ、ヴィルさん」
わたしは軽くヴィルさんの肩を押した。
「うん?」
「耳は、ダメです……」
「なぜ?」
「ここは人が来……、まめ、じゃないヴィルさんっ? いけませんっ」
彼が分かってくれないので、ついつい仔犬を叱るときの口調になってしまう。
そもそもわたし達の関係はよく分からない。
キスをしたことがある。
それも結構、濃いめのやつを。
昨日も、一昨日も、その前の日もした。
彼は何の躊躇もなく、わたしに毎日密着してくる。
それが公道だろうと大衆の面前だろうと、近くに誰がいようとお構いなしだ。
しかし、彼の気持ちは何も分からない。
互いの気持ちを伝え合うような言葉も口にしていなかったし、当然ながらお付き合いをしているわけでもなかった。
彼が正式な夫候補にでもなっているならば、話はトントン拍子に進むだろう。
ところが、数日前から申し込みができるようになったばかりだ。今のところ正式な夫候補は一人もいない。
第一、彼は王族なので結婚となれば色々と難しい条件があるのでは??
「リア」
「はい?」
「口づけをしてもいいか?」
「こ、ここでですか?」
サロンなんて誰でも入ってこられる。
こんな場所でイチャイチャするのは恥ずかしいから嫌です、と言うつもりだった。しかし、彼はこちらの返事を待たず、わたしの身動きを封じた状態で優しく深いキスをしてきた。
「ヴィルさん、仕事を……っ」
また押し倒された。
まめ太郎もヤンチャな赤ちゃんだった頃は「まめ太郎タックル」をよく仕掛けてきた。
賢い子なので「待て」を教えるのにそれほど苦労はしなかったけれども、このヴィル太郎は「待て」ができない……。
「ヴィルさん?」
「部屋に行こうか」
「いいえ、そろそろお仕事に戻りませんか?」
彼が毎日この状態では、そのうち第一騎士団が機能しなくなってしまう。
それに、わたしにも予定がある。
夕方から王宮へ行き、陛下とディナーをするという大事な約束があるのだ。
そこにはヴィルさんも一緒に招待されているので、もし彼に急ぎの仕事があるならば、出かける前に終わらせなければならない。絶対にこんなことをしていて良いはずがないのだ。
次の瞬間、サロンにブオッと突風が吹いた。
風に煽られてぐちゃぐちゃになった髪が、オーディンス副団長の入室を告げていた。
ああ、飼い主様、お待ちしておりました。やっと来てくださいましたね(泣)
靴音が近づくにつれ、この状態を見られた恥ずかしさで、じわじわと顔が熱くなった。
ヴィルさんはわたしに覆いかぶさったまま、風に煽られて乱れたダークブロンドの髪を、サラーッと爽やかに直している。そして何事もなかったかのように、建築現場で基礎に流されるコンクリートの如くボトボトとフェロモンを落とし続けていた(※窒息して死にます)
「リア、あいつにその潤んだ瞳を見せたらダメだ」と、彼が言った。
「誰のせいでそうなっていると思っているのですか」と言い返したけれども、ほとんど声が出なかった。
彼は笑いながら、わたしの顔が反対側を向くよう、そっと向きを変えさせる。
おそらく、イケ仏様の額には怒りの証である青スジが浮かんでいるだろう。
なにせ上司である団長が朝からまったく機能していないのだ。
ヴィルさんは「いいところだったのに」と呟くと身体を離した。
そして「もう届いたのか?」とイケ仏様に話しかけながら、わたしの身体を優しく抱き起こしてくれた。
わたしは恥ずかしくてホトケの顔が見られなかったので、おとなしく彼の胸に埋もれているほかなかった。
彼は話しながらわたしの髪を直してくれた。
「予想通り大量です。鑑定ができる団員を大会議室に集めました」と、イケ仏様の声がした。
何が大量なのだろう?
それに、鑑定とは?
古美術商がお宝の値段を見極めるアレのことだろうか。敷地内で埋蔵物でも出ましたか?
ここは以前、王族が住んでいた宮殿だ。すごいお宝が出ても不思議ではない。
もしや騎士団は「お宝鑑定騎士団」も兼ねているのだろうか。
パチクリとしながらヴィルさんを見ていると、彼は「お仕事だ。リアも一緒においで」と微笑み、額にキスをした。
このままナマケモノ道を極めるのかと思ったら、労働に目覚めたようだ。良かった良かった。
彼と一緒にサロンを出て、イケ仏様の後ろをついて行った。
しかし、五分も経たないうちに一階の大会議室入り口でポカーンと立ち尽くすことになった。
そこには大小様々の箱がうず高く積み上げられており、わたしの視界を埋め尽くしていた。
人が入れそうな特大の箱から、文庫本ほどの小さな箱まで、サイズはまちまちだ。
どうやら埋蔵物が出たわけではなさそうだ。
呆気に取られていると、ガサガサという紙の音が近づいてきた。
大会議室は廊下に沿った長方形の部屋なので、前後に一つずつ入り口がある。
わたしのいる場所とは反対側の入り口から、団員がぞろぞろと荷物を抱えて部屋に入ってきた。今度は大量の紙袋が運び込まれており、次々と長いテーブルに並べられていく。
会議室に着いてからのヴィルさんは、先程までのダメ柴っぷりが嘘のようだった。
作業を仕切る隊長から熱心に報告や相談を受けている。
わたしは近くにいたイケ仏様に、「一体アレは何でしょうか」と尋ねた。
もちろん、わたしの言う「アレ」には多少ヴィルさんのことも含まれているけれども、主に荷物のことを聞いていた。
彼は「これはリア様への貢物です」と言った。
そして、「知らなかったのですか? 日本の首都は東京なのですよ?」と同じ調子で、もう一度「すべてあなたへの貢物ですよ?」と言った。
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