大荒れ §3
陛下の親戚の偉いオジサンが待っているはずだった。ところが、オジサンどころか、ヴィルさんいる……誰が、何を、どう間違えると、こういう事態になるのだろうか。
「だ、団長さんは?」
戸惑いながらオーディンス副団長に尋ねた。
胸が不安でいっぱいになり、彼にしがみつきたい衝動に駆られる。反射的に伸ばした両手を、彼は大きな手で包み込むように握った。
「リア様、この方がヴィルヘルム・ランドルフ団長です」
「ええ? ヴィ……え?」
彼はそっと手を離すと、肩に触れてゆっくりわたしを「回れ右」させ、ヴィルさんのほうを向かせた。
「彼が、団長です」
「そんな……じゃあ、最初から全部……」
団長の名前がラ行というのは合っていた。でも、今さらどうでもいい。
彼をまじまじと見た。
第一騎士団は白に金装飾の礼装だ。副団長は身分と階級を表すサッシュや勲章を佩用していたこともあり、ほかの団員よりも装いが豪華だった。
しかし、団長であるヴィルさんは、それにも増して華やかだった。彼も肩からサッシュをかけていたけれど、さらに位の高い人が着ける赤で、腰の下あたりに大きな勲章がある。
左胸には、短いリボンにメダルが下がった勲章がずらりと並び、胸の下には、一際大きな勲章が二つ。
それら一つひとつの意味はさておき、イケオジ陛下への貢献度が高いことだけはわかる。
「うだつの上がらぬ一兵卒」などというのは、もはや謙遜ではなく明らかなウソだ。彼は若くして大出世をした人だった。
出会うはずのない日に出会ったのは、なぜなのだろう。いつから神薙だと気づいていたのだろう。わたしだけが何も知らずに浮いたり沈んだりしていたのかも知れない。それに、どうしてこんな大事な日にカミングアウトをする必要があったのだろう。次から次へと疑問が湧いてきた。
こんな形で知ることになるなんて……。
「アレン、空の様子がおかしい」と、ジェラーニ副団長が声をひそめて言った。
オーディンス副団長はまたわたしにクルッと「回れ右」をさせて、自分のほうを向かせた。
「あうっ?」
急に回されたせいで、わたしの目までクルンと回る。
「リア様、晴れの舞台を前に動揺してはいけません。落ち着いて、深呼吸をしてください」
「め、目が回……」
「神薙の悲しみや怒りといった負の感情は、大陸の環境に影響を及ぼすのです。大雨や洪水などの災いとなり、民に降りかかります」
「え? でも、わたし、初日に泣いちゃいましたけど?」
この世界に来た日、わたしは横柄で失礼な態度の陛下に腹を立てていた。なんとかこちらの心情をわかってもらおうと、必死で自分の状況を説明し、その途中で感情があふれてしまった。でも、その日、洪水になったとは聞いていないし、大雨も降っていなかったはず。
「何も起こらなかったのなら、初日だからでしょう。先代の頃は、大雨と落雷で甚大な被害があり、それによる犠牲者は一人や二人ではありません」と、彼は言った。
今日に限って言えば、来場者がずぶ濡れになって神薙に対するイメージが悪くなると言う。
「怒りや悲しみは極力遠ざけ、民のために微笑んでください。そのために我々がいるのです」
「あ……そうか、だから……!」
思い当たることがあった。
わたしが泣いた時、くまんつ団長と陛下が凍りついていった理由はこれだ。彼らは恐怖を感じていたのかも知れない。
いつぞや天気のいい日に、イケ仏様が「民はリア様の幸福を分け与えられている」と言っていたのも、おそらくはこの話に関係している。つまり「天気が良いのはあなたの機嫌が良いおかげ」という意味だ。
「リア様の幸福が私のすべて」という発言も、要は「世界の平和を祈っています」ということになる。
商人街で絡まれた時、ヘコめばヘコむほど空がドンヨリしていたのもそうだ。
言われてみると思い当たることばかりだった。
「わたしがお天気とつながっているからだったのですね……」
「天気というより『自然環境』と言うべきかも知れません。私の実感としては、天気だけではないので」と、彼は言った。
お腹が減ってヘソが曲がっていても、お天気でバレてしまうのだろうか。大波を見た人々が「ポセイドン様がお怒りだー!」と言うようなノリで「リア様のおなかが減っているー」などと思われたら恥ずかしい。
あああぁ、頭がぐるぐるする。
ええと、ヴィルさんが団長さんで、自然環境がわたしで、お披露目だから笑っていなくてはいけなくて……。
「笑えって言われても、この状況でどうやって?」
口元がヒクリと引きつる。
「リア様、大丈夫です。私を見て。何も考えなくていいのですよ。深呼吸をしましょう」
彼はそう言うと、サッとメガネを外して胸のポケットにしまった。
「はああぁっ! そ、それはダメ……っ」
この期に及んでなんてことをしてくれたのだろう。本人にとっては些細なことかも知れないけれど、こちらは落ち着いていられなくなってしまった。
イケ仏様は今日、いつものなでつけペッタリ髪をやめ、サラサラつやつやヘアーを下ろしている。それがこの状況をさらに悪化させていた。
もう、彼の顔面を覆う結界は何一つ残っていない。彼は、この至近距離で殺人兵器を解き放ったのだ。
――のおぉぉ、白虎の門が開くぅ!
こんなにもテンパっている日にお扇子の装備なんてあるわけがない。
イケ仏開眼。彼は見る見る間に美丈夫へと変化した。
ぐはあっ! ど、どうか、そのイケメン、今だけは引っ込めておいてほしい。ヴィルさんが突然現れていっぱいいっぱいなうえに、お天気の話が乗っかって、もうわけがわからないのだ。
「メ、メ、メガ……!」
「リア様、あの金髪クソ野郎に負の感情が湧くのであれば、今すぐ追い出しましょう」
「ヒィィ、お待ちください」
「こんなにひどく動揺させられて、かわいそうに……」
頭がパンクしそうな私を、彼はグイと抱き寄せた。その腕の力強さと、厚い胸板の感触が、わたしの思考をかき乱す。わたしを一番動揺させているのは彼だと言うのに、それに気づいていないのだ。このままイケ仏レーザーを照射されたら、わたしは爆発してしまう。
「おい、アレン!」
すぐ後ろでヴィルさんの声がした。どうやらわたしを助けてくれそうな雰囲気だ。
「あなたからは、いかなる苦情も受け付けません」
イケ仏様は射抜くような鋭い視線を彼に向けた。
足元を冷たい風がなでる。寒い……。ホトケの魔力が漏れ出している。
「リアから手を放せ」と、後ろのハンサムが言った。
「お断りします」
「リアから離れろ!」
「あなたこそ、リア様に近づくな!」
「アレン、言うことを聞け」
「あなたが名乗らないから、リア様もずっと身分を明かせなかったのです。なぜズルズルと先延ばしにしたのですか。こんな大事な日に動揺させる意味がわからない!」
なんて良い人なのだろう。ヒト化したイケ仏様は、わたしの代わりに怒ってくれていた。
異次元のハンサムと、それに噛みつく仏世界のイケメンの言い合いは、徐々にヴォルテージを上げている。ケンカをしている姿が神々しすぎて、目がシパシパした。
でも、どこか別の場所でやってもらえたら幸いだ。お二人ならば、時空やマルチバースの狭間にも行ける気がするので、どうかそちらでお願いしたい。そして、この平凡なわたしをお披露目会に集中させてほしい。
「リア、そいつから離れてこちらへおいで」
ヴィルさんはそう言うけれど、わたしがこの美しい御仁に抱きついているわけではなく、彼がわたしをホールドしているのだ。わたしは先ほどから、丸焼きにされるのを待つだけの哀れな子ブタ気分を味わっている。
彼は普段が仏像であること以外は、何ら問題のない人だ。彼が代わりに怒ってくれたおかげで、急にヴィルさんが現れた動揺もおさまりつつあった。わたしには彼を邪険にすることなどできない。
「デートだって私が最初から最後まですべて段取りをしてあげたのに、話が違います!」
イケ仏様はお怒りだ。彼がお出かけの段取りをしていたなんて……どおりで日程を決めるのが早かったわけだ。
「必ず打ち明けると約束をしたのを反故にされた。それどころかあなたは――」
怒れるホトケは、わたしを抱く腕に力を入れた。内心、迫りくる大胸筋に悲鳴を上げる。
「リア様の唇を奪い、心まで乱すとは何事ですか! 淑女に対して、よくもそんな不埒な真似を……許せませんッ!」
「へぁっ? な、なぜそれを!?」
全身の水分が瞬時に沸騰して蒸発する。彼がそんな詳細まで知っている事実は看過できない。