オルランディアの涙
お披露目会まで残り二日。
サロンで昼食後のお茶を頂きながら雑誌をめくっていると、急な来客を知らされた。
「例の騎士の使いが来ています。リア様にお届け物があり、代理の者では渡せないと言っているようですが」と、イケ仏様は言った。
「あ、御守りを持ってきてくださったのだと思います」
「御守り……?」と、彼は首をひねっている。
着替えに時間がかかりそうだったので、使者を応接に通してなるべく良いお茶とお菓子を出してもらうようにお願いした。
「ドレスはどちらになさいます?」
侍女長が二種類のドレスを並べて聞いてきた。外国の貴族令嬢風と、いつもの神薙様風だ。
わたしは思わず頭を抱えた。
「し、しまった。それがあったぁぁ……」
「リア様?」
「ちょっと待ってください。今、考えます」
身分を隠し続けるのか、それとも、もう「神薙様とバレてもしゃーない」のスタンスで出るのかの二択だ……。
使者はさぞ驚いただろう。外国貴族の屋敷だと聞いて訪れたら、そこが王都騎士団に守られていて、敷地の入り口に検問所まであるのだから。制服だけで彼らが第一騎士団だとわかるかも知れない。
使者がヴィルさんに「第一騎士団が守っていましたよ」と伝えれば、そこで身バレだ。第一騎士団は神薙関連の任務しかないのだから。
しかし、身分を明かさないと決めた以上、最後まで貫くことにした。
応接で待っていたのは初老の男性だった。
仕立ての良いスーツを着て、背すじがピンと伸びている。赤茶色の靴とカバンがピカピカだった。
「お待たせして申し訳ございません」
こちらから挨拶をすると、相手は立ち上がって深々とお辞儀をした。
「大変結構なお茶を頂き、感激しておりました」
使者と呼ぶにはずいぶんと立派な方だ。お歳は召しているけれど、体ががっしりとしている。
彼は大事そうに黒色の革が貼られたケースを取り出した。
「お渡しするものはこちらの御守りでございます」と、ゆっくり開いて中を見せてくれる。
「え……えええぇぇ?」
わたしはソファーから転げ落ちそうになった。
ヴィルさんが「とても効く」と言っていた御守りは、豪奢なエメラルドのネックレスだった。大きな涙型で、ダイヤモンドと小粒のエメラルドで丁寧に装飾されている。
使者の紳士は微笑みながら「贈与証明書」と書かれた書類を取り出し、テーブルに置いた。
「と、とても頂けません……高価すぎます」
異世界の御守りの概念がまったく理解できず、ドン引き状態のわたしである。
ところが、イケ仏様はすかさずペンを取り出し、贈与証明書へ署名をするよう促してきた。
彼はわたしの意に沿わないことをしたり、何かを強要したりする人ではない。それなのに、この件に限っては「私と使者殿が立会人欄に署名しますので」などと言って強引に進めようとしている。
彼のメガネの奥にある銀灰色の瞳がほんのわずかに揺れていた。
「あなたのためです。これは間違いなくあなたを守ってくれます」
彼は穏やかな声で言った。
「でも、わたしはあの方の素性も知らないのですよ?」
「私がお二人を知っています。私が信じられませんか?」
「そんなことは、ないですけれど……」
「これ以上の御守りはこの国に存在しません」
ヴィルさんの使者が困惑の表情を浮かべていた。拒否されることは想定外だったのかも知れない。
「さっきから何を騒いでいるのですか?」
部屋のドア付近に立っていたジェラーニ副団長が見かねたようにこちらへ来た。
経緯を説明すると、彼はネックレスをのぞき込み、次に使者が持ってきた贈与証明書を確認している。
「へえー。これが『オルランディアの涙』か」
名前が付いているアクセサリーなんて、もはや尋常ではない。
「送り主の気が変わらないうちにもらったほうがいいですね」と、彼はウィンクをした。
「助かりますよ、使者殿。明後日の催しで早速使えるし、我々も仕事がしやすくなります」
彼も「もらっちゃいましょう派」だ……皆どうかしている。
わたしが半べそで口をとがらせていると、彼は「そんな顔をしていると、口づけをしちゃいますよ?」とささやいた。
一瞬、空気が止まったけれど、これは彼の口癖だ。言い終わらないうちに、その脇腹にはイケ仏様の拳がドスっと入っている。
彼は痛がる様子もなく「手荒な後輩だね」と笑いながら扉の近くへ戻っていった。
イケ仏様は「コホン」と小さくせき払いをすると「あの先輩は今、職務の都合で軽い人物を装っていますが、言っていることは事実です」と言った。
「これを持っているだけで、あなたに危害を加えようとする者が格段に減るので、護衛の負担が軽減されます」
わたしが困惑していると、彼はまた小さくせき払いをした。
「件の『前任者』は、当然このようなものは持っていませんでした。その前の人もです」
使者の前なので「先代」や「神薙」などの言葉を避けて話してくれているようだ。
「明後日の催しで、前任者とは違うことを証明するのに、これ以上のものはありません。土地と建物以外は受け取っていいと言ったはずですよ?」と、彼は優しく微笑んだ。
「どうか若君の気持ちをお受けください」と、ピカピカ靴の使者は懇願するように言う。
しかし、その若君のお気持ちこそが、わたしを悩ませていた。
ふと贈与証明書に視線を送ると、譲り主の欄はゴチャッとした不思議な模様で名前が見えないよう細工されていた。こんなにすごいものを贈ってもなお、彼は自分の名を明かす気がないのだ。
「リア様、母国と習慣の違いがあるかも知れないので、一応お伝えしておきますが……」
イケ仏様がそばに跪き、コソッと言った。
「この国では、贈り物を受け取らないことは、相手の気持ちを拒絶することと同じ意味合いになります」
ああ、もう泣きそう。
ヴィルさんがどのような気持ちであったとしても、この中途半端な状態で拒絶はしたくない。ただそれだけの理由でサインをした。
わたしが神薙だと知った時、彼の気持ちはどうなるだろう。
「神薙なんぞに貢いでしまった」と思うのか「アレが神薙ならまあいいか」と思うのか――
大急ぎでお礼の手紙を書き、加えて「元の持ち主からの申し出があれば即返却する」という内容の念書も書いた。
使者はネックレスと同じくらい大事そうにカバンにしまうと「肩の荷が下りました」と言って足取り軽やかに帰っていく。その後ろ姿を見送りながら、わたしはズッシリと重くなった肩をさすった。
応接室でネックレスを眺めていると、オーディンス副団長が「由緒ある首飾りです」とプレッシャーをかけてくる。
じっくり鑑賞した後は、団長と副団長しか開けられない魔法ロック付きの宝物庫に入れるそうだ。
「それ以上わたしに重圧をかけなくていいのですよ?」
わたしがにらむと、彼は満足そうに笑っている。
「涙は慈愛の証……リア様のためにあるようなものです。あなたの最も近くにいる私が言うのだから、間違いありません」
「今日は全然わたしの話を聞いてくれないですよねぇ……」
「そんなことはありません。寝ても覚めてもあなたのことしか考えていませんよ?」
プクーっと頬を膨らませると、彼はそれを見てクスクス笑っている。
「お披露目の会では、そちらを着けてください」と、彼は言った。
「でも、陛下が買ってくださったものが」
当日はティアラを着けなくてはならないため、それに合わせて青い宝石のネックレスを用意してくれた。二日前に急に変更なんてできないだろう。
「陛下には話を通してあるはずです。今頃、ティアラのほうも宝石を取り換えているでしょう。その目途が立ったから、ここに首飾りが持ち込まれたのです」
もうワケがわからない。誰か助けて……。
「簡単に言うと、その首飾りは国の重要な人物が持つものです。大勢の前で着けてこそ、御守りとしての役割を果たすことができます」
「つまり、持ち主として見せびらかしたほうがいい、ということですか?」
「そのとおりです。現在の持ち主は神薙だ、とお披露目する。それが重要なのです。どの飾りよりも優先されます」
「わかりました」
わたしは観念してうなずいた。
翌日、ティアラの宝石がエメラルドに変更されたことと、当日のお飾りとして「オルランディアの涙」を着けてほしいと、陛下から連絡が入った。その影響でお茶会のお飾りとドレスも変更になり、侍女が絶叫しながら最終調整して燃え尽きていた。本当に最後の最後まで、てんやわんやの準備期間を経て、ついにお披露目会当日がやってきた。