フライア広場 §2
二人と合流する前、アレンさんと「この後テオをどうするか」について相談をしていた。
ひとまず家へ送って行き、保護者に今日のことを報告するのはどうかと提案したところ、彼は難色を示した。わたしが見ず知らずの平民の家に行くのは、騎士団としても想定外なのだとか。
「そもそも彼は親がいるのだろうか、家があるのだろうか」とも彼は言った。
この国では「裁縫は女性の仕事」という価値観が根強く、ポケットの穴が繕われていなかったことから「少なくとも母親はいない」と考えているようだ。
孤児院で暮らしている可能性についても考えたが、彼はそれを否定した。
「慈善家たちは定期的に孤児院を視察していますから、あのような身なりの子がいれば何かしら対処をしているはずです」と言う。つまり「孤児院よりもひどい暮らしをしている」という意味だった。
彼はわたしの希望を聞いてくれた。
「経済的に支援をしたいとか、引き取りたいとか。何か思っていることがあれば、先に教えてください。すべてはリア様の気持ち次第なのです」と。
これは難しい問題だ。わたしは「はっきりしないことを言って申し訳ないのですが」と前置きをしてから、素直な気持ちを話した。
つい反射的に「放っておけない」と思ってしまうこと。
だからと言って、目の前の可哀想な出来事に、片っ端から同情すればいいとも思っていないこと。
局地的に施しをして一人だけを助けたいわけでもないこと。
可能ならば、貧困の原因となっている根っこの部分をなんとかしてあげたいと思うこと。
「ごめんなさい。すごく面倒くさいことを言っていますよね」
彼は微かに微笑みながら「その気持ちを理解できる者は大勢いますよ」と言ってくれた。
「彼に落ち度があるわけではないと思うのです。普通の服を着て、普通の靴を履く権利はあると思っています」
「それは間違いないと思います」と、彼は言った。
善良な貴族は皆、わたしと似たような気持ちを持っていて、本当に自分がするべき支援とは何なのかを悩んでいると言う。
「テオ君のおうちまで行ってもいいですか?」と、改めて尋ねた。
住宅地に入るのであれば、護衛は精鋭だけにしないと逆に目立ってしまう。出発前に、おおよその行き先と、家族構成の情報は必須だと彼は言った。
「ねえ、テオ君のお家はどこらへんにあるの?」と、さりげなく聞いてみた。
「ん~……」テオは黙ったまま、まるで何かを測っているかのように、わたしをじっと見ている。
深い森のような彼の瞳に吸い込まれそうな錯覚がした。そこから少しでも目をそらしたら、二度と信じてもらえなくなるような気がする。
しばらくすると、彼は口から言葉を押し出すように言った。
「家じゃない」
彼のほうが先に目をそらした。
予想もしなかった返事に、風が胸を通り過ぎていったような感覚がして、心がざわついた。
家じゃないって、どういうこと? しかし、ひるんでいる場合ではない。
「……家じゃなくてもいいよ? どこらへんに住んでいるの?」と、平静を装って尋ねた。
「あっちのほう、かなぁ」
彼が指さした方向に目をやると、アレンさんと目が合った。「そのまま質問を続けて」と言うように、うなずいている。
「そうなんだ。何人家族なの?」
「家族じゃない」
彼は「あっちのほう」を見たまま言った。
「……じゃあ、お友達?」と聞いたところ、彼は短く「うん」と答えた。
「大人は?」
「いない」
心が潰れそうになって、わたしはアレンさんと再び目を合わせた。
ヴィルさんがしゃがんでテオと目線を合わせると「その友達は何人いる?」と聞いた。
「五人」と、彼は臆せず答えた。
「テオを入れて、全部で六人か?」「六人でずっと一緒に暮らしているのか?」「家ではない場所で?」と、ヴィルさんが矢継ぎ早に質問を投げかける。思わず彼の肩に触れて止めた。
テオはすべての質問に「うん」と「そう」で答えていた。
ヴィルさんは小声で「すまん。俺が聞くと尋問のようになってしまう」と苦い顔をしている。
アレンさんに目配せをすると、彼は親指を立てた。家まで行ってもヨシの合図だ。彼は同行するメンバーを精鋭に絞るため、続けてハンドサインで部下に指示を出し始めた。
「それならテオ君、皆で一緒にお昼ごはんを食べない? さっき買ったパンとお菓子も分けたいし、住んでいる所まで行ってもいい? サンドウィッチを作りましょう」
「え! サンドウィッチ?」
「そう。ここの美味しいハムと、あとチーズやお野菜を、さっきのお店の美味しいパンに挟むの。台所はある? 火は使えるのかな」
「う、うんっ。庭で火を炊くよ。鍋とフライパンと食器はいっぱいある」
「じゃあ、サンドウィッチと一緒に、お肉とお野菜が入ったミルクスープなんてどう? お肉は好き?」
「うん! すげー好き」
「決まりね。足りないものを買いにいきましょう。まずはそこのハムからね。さっきのぶどうジュースも買いましょうか。お友達に食べさせてあげたいものとか、ほかにも何かあれば教えて?」
買い物をしながら話を続け、調理をする場所があることを聞き出した。水は水道が通っていないのか、井戸から運ぶと言っている。
子どもだけで水を運んでいるのだろうか……。
これまで周りから聞いた話では、王都内には「ほぼ全域」に上下水道が通っているとのことだった。ただ、その「ほぼ全域」の部分から外れた範囲がどのあたりにどの程度あるかまではわかっていない。
買い物を済ませて馬車に戻り、御者がテオに行き先を聞こうとしたところ、少々困った問題が発生した。
「ここをアッチに行って、コッチ行って、またアッチに行って、そんでソッチに曲がるとコッチに行く道があって……」
アレンさんがズルっと姿勢を崩した。その拍子にメガネがズレて、隠された端正な顔立ちが半分だけ露わになった。ヴィルさんは肩を落としてうなだれている。
テオは人差し指をあちらこちらへ向けながら、彼なりにがんばって説明していた。その様子はとても健気でかわいかったけれど、道の名前は一つもわからないし、左右の区別もイマイチのようで、説明が「あっち」と「こっち」と「そっち」ばかりだった。
出会ってから「スゲー」をやたらと連呼していたこともあって、薄々勘づいてはいたけれど、どうやら彼は細かいことを言葉で表現するのはあまり得意ではなさそうだ。
御者はまったく道がわからず、手帳と鉛筆を持ったまま凍りついている。
ヴィルさんは帽子をずらしてぽりぽりと頭をかいた。
「わかった。俺が御者をやる。特等席に座らせてやるから、俺の隣で道を説明しろ」
「トクトーセキって何?」と、テオは首をかしげている。
「ここだ、ここ。特別で一番良い等級の席だ」
ヴィルさんが御者の座る席をポンポンたたいてみせると、テオは「ほんと?! いいの? すっげえ!」と飛び上がった。
「はしゃいで落ちるのでは? 私も乗って、大人二人で両脇から挟みましょう」と、アレンさんが提案してくれた。
「ああ。どうやら、そうしたほうが良さそうだ……」
ぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶテオを見ながら、ヴィルさんもうなずいた。
「ねえ、オレほんとにトクトーセキ乗っていいの? ほんとにほんと?」
「本当だが暴れるなよ? それと、きちんと道案内をすること。わかったか?」と、アレンさんはまるで先生のように言った。
「わかった! ちゃんとする」
「よし、いい子だ。手始めに、高さに慣れろ」
彼がひょいとテオを御者席に乗せると「うわー、すっげぇー! 馬よりたけぇ!」と歓声が上がった。
ヴィルさんが御者、若干頼りないナビはテオ、アレンさんがテオのシートベルト役……となると、余る人が一人いる。
「あ、あの、わたくしはどうしたら……」
仕事を奪われてしまった御者のノアさんがオロオロしていたので手招きした。
「ノアさんは乗客ですよ。ささ、乗って乗って」
「ひえぇ、リア様っ。お待ちください。わたくしのような者が神――」
「しーっ!」
お外で「神薙様」は禁句だ。ノアさんは慌てて自分の口を押さえ、ごまかしにかかった。
「かん……感……激にございます」
「わたしもノアさんと乗れて感激ですわ」
「しかしながら、おそれ多くてとても無理でございますっ!」
「大丈夫ですわ。おしゃべりしながら参りましょう」
「ひぃぃ、どうかご勘弁を~っ!」
恐縮して離れていこうとするノアさんを捕まえ、グイグイ馬車へ押し込もうとしていると、アレンさんがやって来た。
「わたくしが至らないばかりに、申し訳ございません!」と、ノアさんは腰を直角に曲げて謝っている。
「御者殿に非はない。それより、車内で臨時の護衛を頼みたい」と、彼はいつもどおり淡々とした調子で言った。
「わたくしが、ですか?」
「テオから周辺の様子を聞くかぎり、一般的な平民の居住区画ではなさそうだ。東四区の付近なのではないかと懸念している」
「しかし、東四区に人が住めるような場所はもう……」
「普段以上の警戒が必要だ。リア様と同乗し、中から施錠をしてもらいたい」
「しょ、承知つかまつりました。この老兵、命に代えましても、我が主をお守りいたします!」
「よろしく頼む」
さすがデキる男、イケ仏様だ。あっという間にノアさんを納得させてしまった。
彼はわたしを馬車に乗せると、ノアさんにいくつか指示を出して施錠を確認した。
まるで電車のホームに立つ駅員のように、ピッ、ピッ、ピッと決まった場所を指さし確認する。これは彼の出発前ルーティーンだ。周囲を固める護衛たちに指示を出し、それからようやくテオの隣に座った。
御者側のカーテンを開けていると、窓から三人の様子がよく見える。
ヴィルさんがテオを相手に、ややオーバーな身振り手振りで何かを説明していた。
「アッチは真っ直ぐ。コッチは左、ソッチは右だ。いいか? 真っ直ぐ! 左! 右! 言ってみろ」
「真っ直ぐ、左、右?」
「そう! もう一回! 真っ直ぐ、左、右!」
ヴィルさんの大きな声が響き、テオが元気よくそれに続く。すっかり教官と生徒である。
アレンさんはその様子を静かに見守る保護者のようになっていた。
「では、右はどっちだ!」
「えーっと……コッチ?」
「逆だ、逆!」
付け焼き刃では無理だとわかったのか、テオが早めに指をさし、それをアレンさんが言葉でヴィルさんに伝えることにしたようだ。
わたしの視線に気づき、アレンさんがテオの肩を指でつついて何か言うと、三人がこちらを振り返った。
手を振ると、三人とも笑顔で手を振り返してくれた。
テオはどこか不思議な雰囲気をまとった少年だけど、口から出る言葉は素直そのもの。直線的に話すよう訓練された騎士の人たちとは相性が良さそうだった。
「よーし、出発進行!」
すったもんだの末、ヴィルさんの合図でようやく馬車は動き始めた。




