フライア広場 §1
フライア広場の露店市は、昼食を求める人々でごった返していた。陽はすっかり高く昇り、時間は正午をわずかに過ぎている。
サンドウィッチ屋の店先には長い行列ができており、ベーコンエッグを鉄板で焼いて売る店やソーセージ屋など、ランチタイムの主力店はてんてこ舞いで呼び込みをする余裕もない。代わりにつぼ焼きのおイモ屋や甘いクレープの店が威勢のいい声を上げている。
小さな舞台で駆け出しの芸人がショートコントを披露すると、並んで待つ人々からくすくすと笑い声が漏れる。とうとう自分の番が来て、焼きたてのソーセージを手に入れた男性二人連れが、彼らの足元に置かれた古い帽子におつりのコインを静かに入れた。
「休憩して昼のピークが過ぎるのを待ちましょう」と、アレンさんに声をかけた。
動く警護対象を追いながら周辺の警戒をする護衛の仕事は、屋敷の中とは比較にならないほど集中力が必要だ。わたし自身の安全のためにも、定期的に休憩を挟むよう心がけている。そのタイミングで彼らもポジション交代や、メンバーチェンジなどをしていた。
行きつけのジュース屋さんへ行くと、笑顔で迎えてくれた。いつもたくさん注文するので喜んでくれるのだ。
アレンさんは一度これと決まったら毎回同じものを飲む人なので、定番のキウイジュース。ヴィルさんは「果肉入りイチゴミルクにする」とかわいらしい。
テオに好きな果物を尋ねると「バナナは食べたことある」と答えたので、彼にバナナミルク、自分用にミックスジュース、護衛の皆の分もどんどん注文する。
「うぉ! スゲーうめえ!」
バナナミルクに感動しているテオに、騎士団員が声をかけた。
よくあそこで何も受け取らなかったな。えらかったぞ。あっぱれだ。君、騎士になれるぞ――と、皆から褒められている。
彼は顔を赤らめながら「ほ、ほんと?」と遠慮がちに尋ねた。
「もちろん。騎士はその気さえあれば、誰にでもなれる職業だからな」と、隊長さんが答えている。
「ねえ、この人たちって」と、彼はわたしの服の袖をつまんで軽く引っぱった。
「内緒なのだけど、実は騎士様なの。よくみんなで一緒にお買い物に来るのよ」
彼は声を殺し、顔だけで「すっげぇーーー!」と言った。
「もしかして、役所の前に立ってる人たち?」と、彼は食いついてくる。
「ちょっと違うかな。それって第三騎士団でしょう?」
「そう! すげーでっかい、強そうな騎士様を見たことある」
「騎士様はカッコイイよね」
「団長がね、すげーカッコイイんだって。前に友達が言ってた」
おお、それは、もしかしなくても、激モテくまんつ様ね?
強さを体現している第三騎士団は民から慕われている。団長ともなれば、それはもう絶大な人気だ。
ふとヴィルさんを見ると、目を疑うようなヒドイ変顔をしていた。
下唇を突き出し、口角が大きく下がっていて目がうつろ。思わずジュースを噴き出しそうになり、慌てて口元を押さえた。
……彼は、自分が美しすぎるあまりに、何か屈折した「破壊欲」のようなものでもあるのだろうか。
アレンさんはキウイジュースを「チゥゥゥ……」と吸いながら、あきれ顔でヴィルさんの壊れた顔面を見ている。ほかの団員はお腹を抱えて大笑いしていた。
どうやら彼はわたしに不満があるようだ。
騎士様全体を褒めたのが気に障ったのか、それともくまんつ様に妬いているのか……天人族の複雑な男心はわからない。じっと見ていると、しゃくれた新種のハゼのように見えてきて、ポキリと心が折れた。
――わ、わかりましたよ、わたしが悪いのですねっ? もおぉぉ~~……。
「だっ、第一騎士団のダンチョーさんもすごくカッコイイらしいヨ。モットもっとカッコイイってウワサよ」
棒読み気味なのはお許しいただきたい。
彼は満足そうにフフンと鼻で笑い、おとなしく下唇を引っ込めた。
要は「クリスだけを褒めるな。俺も褒めろ」である。少々面倒くさいけれど、ハゼ顔が出たら彼も平等に褒めるように気をつけよう。
休憩を終えると、行きつけの露店へ向かった。
パンと焼き菓子の大きな露店『スピロの窯』は、店主夫婦と三人の娘、そして最近仲間入りした元ケーキ職人のお婿さんで営んでいる。
我が家には甘い物好きや夜食を求める人が大勢いるため、忙しい料理人の負担を減らすべく、市販品も積極的に活用していた。この店はパンも焼き菓子も群を抜いて美味しく、すっかり常連だ。すでに神薙御用達の看板を掲げているけれど、むやみに身分を明かさないわたしは、彼らにとって爆買いする食いしん坊な客だった。
「うまそう……いい匂いする」と、テオがつぶやいた。
「お値段も見てみて?」と、わたしは田舎パンを指さした。
「あっ、スゲー! ほんとに安い」
「そうでしょう? この市場全体が安いのよ」
安いだけではない。フライア広場の青空市は店主同士の仲が良く、一か所に新商品を集めて新商品セールをしたり、季節ごとのセールをしたり、子どものためのゲーム大会をやったり、自主的にイベントを企画している。訪れる人々は「今日は何をやっているかな」と楽しみにやって来るので、いつも笑顔があふれていた。試食をさせてくれる親切なお店が多いのも特徴だ。
「あらっ、お姉さん! また来てくれたのねー!」
すっかり顔なじみになった店主の奥さんが声をかけてくれた。ふくよかな丸顔で、いつも笑顔が弾けていて、まるで幸福の象徴のような人だ。常連客からは「おかみさん」と呼ばれ親しまれている。
「今日は小さなお友達を連れてきました」と言うと、子ども好きの彼女は「あらあぁぁ!」と喜んだ。
「いろいろ食べて好きなものを探してみない? 今、男の子が好きそうなのを選んであげる! チーズは好き?」
彼女はテオの背丈に合わせてかがみ込み、慈しむような眼差しを向けた。
テオは奥さんが出してくれた試食のチーズパンを遠慮がちに食べると「うぁっ、うまっ!」と雷に打たれたように体を震わせた。
「でしょう? じゃあ、こういう伝統的なのはどうかしら?」
彼女は次の試食を差し出す。
「あっ! これ甘い豆? すげーうまい! 今までで一番うまい!」と、素直に喜ぶテオ。
「うれしい~。あたし、こういう子だーい好き!」
さながら素直な愛されキャラ同士の競演だった。
「あたし、南部の出身なんだけど、王都の人って意外と保守的なのよ。いつも同じものを買うお客さんが多いの。お姉さんはすっごい攻めてるほうよ」
おかみさんがそう言うと、店主もうなずいた。
「南のほうが、食べ物への関心が強いんですよ」と店主は笑っている。
話しながらも彼らの手は動いており、お砂糖がたっぷりかかった甘いぶどうパンやお総菜パン。マドレーヌや、ナッツ入りクッキー、トマト風味のクラッカー、岩塩をまぶしたハードプレッツェルなど、次々と試食品を出している。
テオはバナナミルクを片手に片っ端から試し、キラキラした瞳で「うまい」と「すげえ」を連発した。
「ねね、テオ君、わたし適当に買うから、あとで分けましょうね?」
やや戸惑い気味の彼をヴィルさんに託し、わたしはテオが「すげーうまい」と言ったものを中心に、いつも以上にどっさりと買い込んだ。
「いつもたくさんありがとうねー。これオマケ! うちのハンサムな婿殿が作った新作なんだけど、めっちゃくちゃ美味しいのよ! びっくりするかもだけど、柔らかいクッキーなの。しっとりしてて、あたしもドハマリ中。ぜひ食べてみて? 袋に入れとくわね」
おかみさんが手の平ほどの大きなソフトクッキーを何枚か袋に入れてくれた。
「わあ、うれしい。また寄らせていただきますねぇ」
「またよろしくねー!」
はあぁぁ……癒されるゥ。これだから青空市はやめられない。下町育ちのわたしには、こういう雰囲気が必要なのだ。
買い物を終えてヴィルさんを探すと、テオを連れて加工肉のお店で試食をしていた。
「貴族街の『ラオホフート』が出店していた。ここのハムは美味いんだ」と、彼はご機嫌だ。くまんつ様の部屋に行くと、必ずその店の商品が冷蔵庫に入っているらしく、いつもそれをおつまみに二人でワインを飲んでいたと言う。
彼の手元には試飲用のワインと思しき小さなコップがあった。ふとその隣を見ると、テオの手にも同じコップが!
思わずギョっとして「ちょっと、まさかこれ!」と指さすと、彼は「ぶどうジュースだぞ?」と笑っている。
「な、なんて紛らわしい……」
「ちなみに俺のもジュースだ。子どもの前で酒など飲まないさ。甘さ控えめで、なかなかに美味だよ」
テオはまたもや店主から試食品をあれやこれやと渡され、三種類のハムを順番に食べている。
ぶどうジュースも気に入ったらしく、ここでも「スゲーうめえ」の連発だ。
「どれが一番美味かった?」と、ヴィルさんが尋ねた。
「二番目のやつ! 口の中がジュワーッてした」と、テオはうれしそうに答えた。
「俺たちは気が合うようだ」
二人は小さなジュースで乾杯している。なんとも微笑ましい光景だ。




