ソルティードッグ §2
――翌朝。
くま担メイドさんは、くまんつ様に目覚めのお茶を無事サーブしてくれた。
彼女のいれる目覚めのお茶は、温度やいれ方などこだわりが詰まっている。
カップに添えられた形の良い一輪のカモミールが、まるでこちらに笑いかけてくれているようで明るい気持ちになれた。
丸い眼鏡におさげ髪の彼女は、その真面目そうな外見どおり、普段から一つ一つの仕事がきっちりしていて気配りにあふれているのだ。
くまんつ様は朝から神だった。
なんと、くま担ちゃんに「先ほどの茶は非常に良かった。ありがとう」と話しかけてくださったのだ。
彼女は顔を真っ赤にして、とても控えめに喜んだ。本当にうれしそうだった。
朝食会場となるお庭へのご案内もそつなくこなし、食後のお茶もバッチリ。ヴィルさんとくまんつ様が出勤する時間になると、忙しい手を止めてわたしと一緒にお見送りもした。
うちのメイドさんは皆、素晴らしい人たちだけれど、朝のくま担ちゃんの働きぶりはパーフェクトだった。
わたしがサロンで朝刊をチェックしていると、彼女がメイド長と一緒にやって来て、くまんつ様が使ったお部屋の清掃が終わったことを知らせてくれた。
「リア様、昨晩の失態、誠に申し訳ございませんでした!」と彼女が謝るので、わたしは何も気にしなくていいと答えた。
「いろいろとありがとうございました。おかげでとても喜ばれました」
「この御恩は決して忘れません……っ」
「ん?」
「私は生涯、リア様に忠誠をお誓い申し上げますっ」
「へ?」
少し様子がおかしいように思える。
わたしは近くの護衛二人に目配せをした。
その直後だった。
「わ、私は、リア様に、お仕えできて、し、しあわ……」
「あっ!」
彼女は最終ラウンドまで死闘を繰り広げたボクサーのごとく、ガクリと膝から崩れ落ちて気を失った。
とっさに支えてくれた隊長さんが、メイド長の案内で彼女の部屋へ運んでいく。
とりあえず今日は休暇扱いにして、様子を見ることになった。
「くま担ちゃん、大丈夫かしら」とつぶやくと、アレンさんが「また変な名前をつけている」と笑った。
わたしは前日の夜のことを思い出していた。
離れた場所で飲み物を作るのにも震えていた彼女が、くまんつ様が止まった客室へお茶を運び、寝起きの彼を目の当たりにしたのだ。
さらには朝食会場まで案内するために部屋へ迎えに行って……。
この厳しい身分制度に基づく縦社会は、平民出身の彼女にはタフなものだろう。
彼女から貴族のくまんつ様に直接声をかけることは基本的には許されない。誰かを介して用件を伝えてもらうしかないのだ。
部屋へ迎えに行っても直接声をかけることはできないので、彼女は従者のザップさんに用件を伝えるのだ。
それにも関わらず、推しクマから話しかけられるという大事件。おそらく、その時点で彼女の精神力はスッカラカンに使い果たされたのだろう。
トドメは推しが一晩過ごしたベッドを含むお部屋の清掃だ。
思い起こせば、ずっと顔が赤かった気がする。
「刺激が強すぎたのだわ……プライベートのくまんつ様は、色気がすごいのだもの」
良かれと思って優秀かつ熱狂的ファンである彼女を優先的に現場へ投入したものの、結果的にはわたしの采配ミスだった。
わたしが未熟だったばっかりに……ごめんなさい、くま担ちゃん。
次回は三人一組の『くまんつ隊』を編成して『くまん気』に対抗しましょう。
メンバーに陽気なフィデル担の二人を入れれば、陽気で鬼ポジティブなチームができるから、彼女の支えになってくれるはず。
多少のトラブルはありながらも、とんかつランチ会と、くまんつ様のおもてなしは無事に終わった。
一方、アレンさんは驚くほどスッキリとした顔で朝を迎えている。
「あのカクテルは回復薬でも入っていたのですか?」と、のんきなことを言いながら、鼻歌混じりにわたしを図書室へエスコートしてくれた。
いやはや、お元気そうで何よりです。
ポルト・デリングのダニエルさんからアレンさん宛に手紙が届いたのは、それから一か月ほど経った頃だった。
一緒に読ませていただくと、わたしのレシピを少しアレンジして飾りを追加し、お店のメニューに加えたことが書かれていた。
炭酸なしのオーソドックスなレシピで作られたカクテルは『雪中の百合』という名前に決まったようだ。
ピックの先にイチゴなど季節の甘いフルーツを一つ付けて飾りとして沈めるらしい。そのフルーツはどこぞの神薙様を表現しているのだとか。パクリと食べられていることを考えると少し恥ずかしい。
彼のバーにあったメニューは、アルコール度数の高いカクテルが多かったので、ジュース多めの飲みやすいものがメニューにあってもいいかなと思う。それに、レストランで名物のフライを食べた後、サッパリしたものが飲みたい観光客のニーズにも合っている。
ノンアルのシュワシュワも近々メニューに入れる予定だそうだ。
ベストラの宿は「神薙御用達」の看板を掲げているので、神薙からもらったレシピだと宣伝しても、それをニセモノだと疑う人は誰もいないようだ。
デビュー初日から予想以上のオーダーが入り、ホテルの宿泊客だけでなく、うわさを聞きつけた地元民もバーを訪れているとのこと。
しかし、人気が出たのは良かったものの、そのせいで別のトラブルが起きているそうだ。
それはダニエルさんからの手紙が届く少し前、市長さん経由で領主様のもとにも伝わってきていた。




