ソルティードッグ §1
その日、アレンさんは早朝から団長代理業務に始まり、特別訓練の人員選考や訓練計画作成、護衛分担表チェックなど多忙を極めていた。さらに夕方からは先輩たちとの過酷なトレーニングをしてサウナに付き合い、今に至る。昨日は健康診断の後、訓練に行っていたから、肉体疲労が限界に達していたのだろう。ヘトヘトかつ喉カラカラ状態で炭酸入りのお酒を飲めば酔うに決まっている。一杯目のグラスがお風呂上がりのフルーツ牛乳のごとく、あっという間に空になった時点で、わたしも気づくべきだった。
「アレンさん……?」
「なんですか?」
「もう、お茶にしてください?」
「やだ」
子供か……っ!
ヴィルさんがブフッと噴き出し、くまんつ様に向かって「おい、リアに気づかれたぞ」と言った。
「さすがの洞察力」と、くまんつ様が感心したような顔で言う。
ヴィルさんがニヨニヨしていた理由がわかった。アレンさんが酔っていることに気づき、わたしに絡んでいる様子を見て笑っていたのだろう。
ジトっとにらむと、彼は慌てて「ごめんごめん」と言った。
「アレンが酔うなんて、めったにない光景だったから。リアの側仕えになって以来、ぴたりと酒を飲まなくなっていたし」
ヴィルさんが弁解していると、アレンさんはごく普通の調子で言い返した。
「これっぽっちも絡んでなどいませんし、酔ってもいません。失礼な先輩ですね」
彼のお口は平常どおりだった。しかし、わたしを抱え込むように密着している彼がフツウの状態ではないのは明らかだ。
一人でお茶を飲むのは嫌だと駄々をこねる彼のために、キッチンからグレープフルーツと、お花で香りをつけたシロップ、それから塩を取ってきてもらった。
カットしたグレープフルーツを長細いタンブラーグラスのフチにあてがい、軽くこすって果汁をつけたら、塩がたっぷり入ったお皿に逆さまに置いてフチに塩をつける。バーでよくある『スノースタイル』だ。ポルト・デリングの高級バーで見かけなかったということは、こちらでは珍しいかも知れない。
グラスのフチに触らないよう気をつけながら、アイストングを使ってそっと氷を入れ、お花シロップを注ぎ入れる。
そこにグレープフルーツの果汁をたっぷり絞ってグラスに注ぎ、さらに炭酸水を加えて軽く混ぜれば……
テッテレー!
リアちゃん特製『ノンアルしゅわしゅわソルティードッグもどき』完成!
アレンさんは物珍しそうにグラスを回しながら、フチに付いた塩を見ていた。
「この白いのは?」
「雪を模したお塩です。塩をなめながら飲むカクテルですよ」
ノンアルコールですけれどね。
グレープフルーツ果汁には苦みがあるし炭酸も入っているから、酔っている人には違いがわからないでしょう。
汗をかいて疲れた体には塩分補給が大事だし、体に溜まった疲労物質の乳酸をクエン酸で分解して疲労回復を早められる。
体が欲している分、一層美味しく感じると思いますよ? ささ、ぐいっと行きたまえ、ぐいっと。
「……んんっ!」
一口飲んで、アレンさんはすぐに好反応を示した。
「いかがですか?」
「美味です! 香りもいいですね」
「簡単ですし、元気が出ます。お塩は摂り過ぎないように加減してくださいね」
「これ、ダニエルに教えても?」
「もちろん、あとで作り方を書いておきますねぇ」
「お願いします。あー、これ止まらないです」
ふう……。
これなら一人だけソフトドリンクを飲まされているような疎外感はないだろうし、酔い覚ましになる。
カクテルの名前を聞かれたけれど、とっさに「名前はない」ということにしてしまった。語源を聞かれると説明がややこしくなるし、そもそもレシピが本家とは違う。ダニエルさんにはオリジナル版と、今日作ったノンアル版のレシピを一緒にお渡ししよう。
「今度はポルト・デリングにリアの異世界カクテルか?」と、ヴィルさんはニコニコだ。
くまんつ様も「また流行るぞ」と興味深げにアレンさんの手元を見ている。
「なあ、リア、俺もそれが飲みたいと言ったら作ってもらえるのか?」
「もちろんです。くまんつ様もいかがですか?」
「恐縮です」
グレープフルーツをカットして支度をしていると、アレンさんがそばに来た。
「手伝います」と言う。
「座ってゆっくりしてください? 今日は疲れたでしょう」
手を動かしながら声をかけると、彼はふるふるっと首を振った。明るいブラウンの髪がサラサラと揺れる。
「ここにいるの?」と聞くと、ウンとうなずく。
彼の口調はいつもの穏やかさを保っていたけれど、行動はまるで別人のようだった。ずっと後ろに立っていて、ハグをしてくるし、その指先は絶えずわたしの髪や頬をなでていた。
この頭部に対する異様な執着はなんなのだろう。まさか、何かと間違えられている?? わたしの顔がアツアツになって溶け出す前に、彼の酔いが冷めてくれると助かるのだけど……。
ヴィルさんとくまんつ様は笑いを堪えながら彼の様子を眺めていた。
くまんつ様がとても楽しそうだったので、わたしも無駄な抵抗はやめた。だんだん面白くなってきてしまって、一緒に笑ってしまった。
ひたすらアレンさんに絡まれ続けた夜だった。




