生存戦略 §2
「避難訓練の筋書きにあるような騒動が、王都で実際に起きたとしよう。王宮ないしは城が攻撃された。戦になった……」
お義父様の話は続いている。
緊張して手が冷たくなったので、こすり合わせて温めた。
「神薙、王、王太子はバラバラに避難をする。私と愚息は、それを逃がす役割を担う」
「ヴィルさんはわたしと一緒なのでは?」
「私が順当に王になっていたら、そうだったかも知れない。しかし、リアと愚息は一緒に逃げられない。彼は騎士団を統括する立場にあり、武力においても王都の切り札なのだ」
頭の中が真っ白になり、思考が停止した。
王都を追われたら一緒に農業をやろうと言っていたのに。まさか、自分だけが避難するという発想は頭になかった。
「――支配者が変わるような混乱期は、人を魔物にする」
あらゆる欲望がむき出しになり、形だけの夫は敵に回る。
護衛も機能しなくなり、使用人は買収されて秘密は漏れる。
皆、親族で結束を固めて乗り切るけれども、異世界から来たわたしは一人。とても自分の身を護りきれないだろうとお義父様は言う。
「かつて私も家族に逃がしてもらったことがある。ある日突然言われて、真夜中に王都を飛び出した。若かったし、街灯も少ない時代だ。真っ暗で、とにかく恐ろしかった」
「養子になられた時ですか?」
お義父様はうなずいた。自分が表向き養子になったことを知ったのは、逃げた後だったそうだ。そのつもりで帰ってきたら、なんの手続きもされていなかった。ただ新聞が報じただけだった。
「備えもなく放り出されたのは大変だったが、王都にいれば殺されていた。あの孤独と不安はいまだに夢に出る。義娘に同じ思いはさせたくない」
「お義父様……」
「血縁に負けない絆があったほうがいい。裏切られる確率を下げ、なるべく多くの人から助けてもらえるように。一人にすべてを傾けるのは美しいことではあるのだが、自分でそれをやるのではなく、男だけにやらせておきなさい」
大変な経験をして今に至るのだと思う。お義父様の話は現実的で生々しくて、本当に目の前で起きてしまいそうで、想像しただけで体が震えた。
「怖いよな」と、お義父様は言った。
でも、その口調はわたしを必要以上に怖がらせないような気づかいと優しさがあった。
「焦らなくていい。すぐに何かが起きるわけではない。これはあくまでも備えの話。考え方の話だ。少しずつでいいから周りにも目を向け、目線を高く持ちなさい。よくよく観察するといい」
また相談しようと言ってくれたので、お義父様とたまに二人でお茶をすることにした。
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政治的なことはさておき「もしも、わたしに夫が三、四人いたなら」と想像してみた。
まずは初級編。お友達みたいな旦那さんを持ったとする――
朝、ヴィルさんとくまんつ様を仕事に送り出し、日中はアレンさん、フィデルさんと一緒に予定をこなす。
夕方、帰ってきた二人をお出迎えして皆でわいわいとお夕食。
食後はサロンか誰かの部屋へ移動しておしゃべりタイムだ。今日一日どんなことがあったかを話しながらのんびり過ごす。
単に話し相手が増えただけで、今とほとんど変わらないような……? こういう感じなら悪くはないかも知れない。
続いて中級編。くまんつ様を二人目の夫に選んだと仮定する――
いくら政略結婚だと言っても、結婚するまでの間に二人で会って話くらいはするだろう。お食事に行きましょうとなったら、どうするのだろうか。
公然と浮気をしているようなものでは? お互いに世間体というものがあるわけで、街にはうわさ好きの貴族や、ヒト族の皆さんも大勢いる。
なかなか悩ましい問題だ。デート戦略を練ったほうがいいのだろうか……?
最後に上級編。愛情を分散させたと仮定する――
ヴィルさんは「クリスかアレンを二人目の夫に」なんて言うけれど、仮にわたしがほかの男性とイチャイチャし始めたらどうするつもりだろう。
ただのお友達と愛のある夫ではわけが違う。わたしだったら絶対にヤキモチを焼いてしまって無理だけれど。
これは口で言うより難しい。事前にしっかり話し合ってから決めないと大変そうだ。
はぁ~~~……頭痛がする
体に悪いわ。今日はこれ以上考えるのはよしましょう。
自問自答は永遠に続きそうな気がした。
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ヴィルさんの部屋でのおしゃべりは続いていた。
小さくため息をついて視線を上げると、左斜め上から強い視線を感じる。
恐る恐る見上げると、アレンさんがわたしを見下ろしていた。
話が一段落したのか、三人とも静かになっている。
――まずい……さっきの話、全然聞いていなかった。
「大丈夫ですか? すごい勢いで表情がころころ変わっていましたが」と、アレンさんが言った。
一部始終を見られていたようだ。しかも、いつの間にか密着している。
「リア様はお茶のほうが良いのでは?」
「大丈夫です。これ、ジュースですし、酔ったわけではなくて、ちょっと考えごとを……」
うつむいて自分の手元に視線を逃がそうとした瞬間、それを阻止された。彼が頰に触れたのだ。
「……ッ!?」
「本当ですか? なんだか顔が赤いような気がしますが?」
ぶわーっと顔が熱くなった。
「アレンさんのせいです」とも言えないし、かと言って「二人目以降の旦那様のことを考えていたら変に意識してしまって、ちょっと頭がおかしくなっています」とぶっちゃけるのもいかがなものか。
婚約者に助けを求めるべく視線を送った。
今しがた「上級者編」でモヤモヤ考えていたことが、現実に起きているのだ。
ヴィルさんは一人掛けのソファーでゆったりとソーダ割りを飲みながら、生温か~くこちらを見守っている。
――どうしてうれしそうな顔をしているのですか……?
アレンさんが頰をスリスリとなでるものだから、顔が沸騰して溶け出しそうだ。お客様にみっともない姿は見せたくないので、必死で平静を装った。
おかしい。普段のアレンさんはこんな感じではないのに、どうしたのだろう。酔っているようでもないし、かといって素なのかと言うと違う気がする。
「平気です。平気平気……」
全然平気じゃないけれど。
「本当ですか? 具合が悪いときはすぐに言ってくださいね?」と言って、彼は髪に口づけをした。耳元でチュッと音がする。
ぅぴゃぁーーッッッ!!
みみがー! みみがーーーッ!(※沖縄名物ではない)
リアルで叫ばないよう口を押さえた。
恐る恐るヴィルさんを見ると、やはり彼はしっかりとこちらを見ている。
王族スマイルだ……。こんな状況なのに婚約者が微笑んでいるなんて、愛が冷めたか、心臓が超合金かどちらかだろう。
アレンさんはわたしから離れる気もなければ、髪から手を離す気もなさそうだ。
――これはわたし限定の修羅場ですか!?
クワッ! と、最大出力の目ヂカラでヴィルさんに訴えかけた。
目は口ほどにものを言うはずだ。昔から目ヂカラには定評がある。
ヴィルさん、この王子様みたいなイケメンをはがしていただきたいのです。
わたしはこの方に恩がありすぎて邪険にできないですし、上手にかわせる自信もありません。お願いです。
伝われ。伝われぇぇぇ……!
ヴィルさんは目を細めてさらに微笑んだ。
「わかってくれた」と、淡い期待をしたわたしがバカだった。彼は微動だにしない。その曇りなき眼は、わたしに向かってこう語っていた。
「リア、良かったね。たくさん愛されているね♪」
うおおぉーー! ヴィルさんのアンポンターン!
もうアテにしないっ。ぷんっ!
この国の淑女は、いちいち感情を表に出すなと教育されるらしい。そして、穏便に問題を解決するのが貴族のやり方だそうだ。
わたしだって、このワケのわからない異世界で懸命に生きてきた矜持がある。
淑女らしく笑顔で受け流してやろうではありませんか! せーのっ、スマーイル!
ヒクリ。ヒクヒクヒク……ッ。
わたしの軟弱な顔筋は、この重大な局面でストライキを起こしていた。
密着するアレンさんに頭をナデナデされながらイジケ虫になっていると、くまんつ様のイイ声が聞こえた。
「そういえば、その後ポルト・デリングの様子はどうだ?」
気を使って話題を変えてくださったに違いない。
なんて優しい方だろう。わたしは生涯くまんつ教の信者だ。
「くーまん……」(※くまんつ神を讃えるアーメン的なやつ)
わたしの婚約者はクスッと笑うと、くまんつ様に向き直って穏やかに話し始めた。
彼が何に対して笑っているのか理解できない。ただ、一つわかっていることは「もしかして、ヤキモチを焼いてくれたの? うれしいっ」などという恋愛におけるテンプレ的展開が望めないことだった。
わたしの心を置いてけぼりにしたまま、話題はポルト・デリングの件に変わっていった。




