厄払い §2
「王宮の鑑定では、なんの異常も検知されなかった。俺も見たが何も出ない。受け取ってからここまでの間、体調に大きな変化もない」
「そうか。しかし、兄上は近づかないほうがいい」
わたしから五メートル離れた場所に、目印として赤い椅子が置いてあった。そこからこちら側が解呪できる範囲だ。
ヴィルさんがその赤い椅子を通りすぎたとたん、三十センチほどの箱の中からガタガタと音が聞こえ始めた。「呪符がある」と誰もがわかる音だ。
「父上はどれほど恨まれているのですか」
ヴィルさんはカクッとうなだれた。
「悪役は必要だぞ」とお父様。
「憎まれすぎですよ。家族の身にもなってください」
「上手く役目を演じていると言え。なあ、フォークハルト?」
イケオジ陛下は「私に同意を求めるな。呪われ兄貴」と言って笑っている。
「ふははっ、呪われ兄貴は傑作だな」
瓜二つの兄弟が楽しげに笑うのを横目に、ヴィルさんは箱を開けた。
お伽話の玉手箱のように煙が上がり、彼はエホエホとせき込んだ。フタを使って扇ぎ、煙を払ってから中を確認している。
「解呪されています。置物の底に呪符が貼り付けてあったようです」
「特務師団に調査させよう。兄上、預かってもよいか?」
「構わん。おそらく無関係であろう送り主には丁重に御礼の手紙を出しておく」
「それがいいだろう。どう考えてもルアラン王家は呪符に関与していない」
部屋の隅のテーブルに箱を置くと、ヴィルさんはお父様の後ろに立った。
「兄上、そこの赤い椅子が解呪の有効範囲だ」と、陛下は椅子を指さした。
「意外と広いな」
「反発作用で死んでは相手の思う壺。無理は禁物だぞ。立っているのがつらくなったら、前ではなく後ろへ倒れてくれ。ヴィルがいるから支えてもらえる」
お父様はうなずくと、キリリとした真顔のまま「褒美は?」と言った。
陛下が一瞬のけぞった。
ヴィルさんは目をまん丸にしている。
わたしも自分の耳を疑い、右隣に立っているアレンさんを見上げた。
彼も驚いた顔をしていたけれども、すぐにうつむいて口角を上げ、こちらに目配せをしてきた。
陛下はじろりとお父様をにらみつける。
「リアが作った珠玉のトリュフチョコレートでどうだ」
……な、なん……なん……なんっ?
なんですか、この会話は??
「この間、珈琲と一緒に一粒だけくれたアレか?」
「そうだ。完全非売品だぞ。褒美として二粒を供出してやろう」
「五粒出せ」
「たわけっ、二粒だ!」
「では、四粒でお前が面倒くさがっている交渉を手伝おう。俺の専門分野だ。三秒で片付けてやるぞ」
「くそっ! 足元を見るとは汚いぞ兄上」
「駆け引きが上手いと言ってもらおうか」
「それなら三粒だ!」
「よし、乗ったぁ!」
カァーー……
どこかでカラスが鳴いた。
アレンさんが小さくせき払いをしたのをきっかけに、ヴィルさんが噴火した。
「ふざけていないで早くしてくださいよ!」
「黙れ。しょっちゅう口にできるお前とは違うのだ。このぜいたく息子め」
「もう勘弁してください。人格が変わりすぎていてリアが戸惑っています!」
――いいえ、ヴィルさん。あなたが会わせてくれなかったから「変わった」と思えるほど、前の状態を知りません。
「どこも変わってなどいない」
「リアから見たら別人なのですよ! だから会わせたくなかったんです。何がオルランディアの黒豹ですか。ただのひょうきんなオッサンじゃないか!」
陛下がボソッと「ひょうきんなのは子どもの頃からだぞ。無表情だから非常〜にわかりにくいがな」とつぶやいた。
ヴィルさんは何度かお父様が「変わった」と話していた。でも、この感じはちょっと予想外だ。
王太子をやめて戦地を渡り歩いていた悲劇のヒーロー像とも違うし、カタブツで気難しい王兄殿下でもない。激務の合間に弟から珈琲とチョコ一粒をもらってホッコリしている様子を想像するとかわいすぎる。
ヴィルさんがツッコミ役に回っているのも斬新だった。
アレンさんをチラリと見ると、この世のすべてを悟った大仏のような表情で何度かうなずいた。
「私の父いわく、昔から冗談好きな方だそうです」と耳打ちしてくれた。
ヴィルさん、お父様のことを神経質で気難しい人だと思っていたのは、あなただけの可能性もあります。これを機に、親子の会話を増やしましょうね?
六メートルほど離れた場所で繰り広げられる王族コントはしばらく続き、わたしは下を向いてプルプルと笑うのを堪えていた。
何はともあれ、義理の父になる人が楽しい方でホッとした。
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「では、参る」と、お父様が言ったのをきっかけに、わたしは【治癒】の術式を書いた。
「なんだこの術式は!」と、陛下が声を上げた。
「有効範囲を思いきり広げた【治癒】です」
わたしが【解呪】と【治癒】を同時にできる人であることは間違いない。
ただ、困ったことに、反発作用によってお父様の具合が悪くなったとしても、わたしがそこに駆け寄って【治癒】をかけるわけにはいかないという大きな問題があった。
・わたしと近づいたから具合が悪い
・【治癒】をかけるには近づかなくてはならない
この矛盾が厄介なのだ。
当初、ヴィルさんの火炎魔法のようにドーンと飛んでいく【治癒】に改良できないか考えていたものの、照準を合わせるのに少し訓練が必要で、短期間ではできそうになかった。
仕方がないので、陣を広げて赤い椅子付近から自分のほうへ向かって広くカバーする方法に変えたのだ。その分、消費する魔力は大きくなるけれど、これが一番安全で確実な方法だった。
「広範囲に作用する治癒は高等魔法だぞ!」と、陛下に褒められた。
「リアは詠唱もしないのですよ」
ヴィルさんは鼻をニョキっと伸ばしている。
「準備できました。お願いします」
お父様は覚悟を決めたようにうなずき、ジリジリと前進を始めた。
「兄上、ゆっくりだぞ」と、陛下が声をかける。
五メートルの赤い椅子に近づくと、お父様が苦しそうに顔を歪めた。
心配していた反発作用が起きている。
「兄上、無理はするな!」
陛下が焦った表情で立ち上がった。
わたしは迷わず【治癒】を発動させた。




