ランドルフ邸
王宮からほど近い場所にあるランドルフ邸は立派なお屋敷だった。
時々ヴィルさんがエムブラ宮殿の面積を「神薙が住むには狭い」と表現することがあるのだけれども、実家の広さと比べれば、そう感じるのも無理はなかった。
馬車を降りた場所には狛犬のごとく左右に『大地の龍』の像が鎮座していて、美しく手入れされた植え込みと芝生の緑がまぶしい。
「んんっ?」
玄関を見たヴィルさんが首をかしげた。
彼は腕組みをして「こんな家だったか?」と言う。
くまんつ様は首を振って「細部までは覚えていない」と言った。くまんつ様がここを訪れるのは学生の頃以来だそうだ。
豪華な玄関ホールにはソファーや本棚、チェスなどが置いてあった。大きな風景画に目を奪われる。すてきな玄関だった。
「若、お帰りなさいませ」
従業員の皆さんが笑顔で出迎えてくれた。
このお屋敷の執事さんは、いつぞや『オルランディアの涙』を運んできてくれた紳士だった。
「今日はリアも一緒だ」
「神薙様、ようこそお越しくださいました」
執事さんはニッコリと微笑んだ。
「ご無沙汰しております。いつぞやはお越しいただきまして、ありがとうございました」
挨拶をすると執事さんはパッと頰を紅潮させ「覚えていて下さり感激でございます」と言った。
前に会ったときと同様、仕立ての良いスーツを着てピカピカに磨き上げられた革靴を履いていた。アレンさんに負けないくらい背筋が伸びている。
「じいさん、久しぶりぃ」
くまんつ様がいたずら坊主のように言うと、執事さんは相好を崩した。
「あのヤンチャ坊主が立派になられましたな~っ」
「わはははっ! じいさんのおかげだな?」
「お二人を追い回してお行儀を教えたのが昨日のようでございますよ」
「すごい形相で追い回された記憶はある」
「こちらはクビがかかっておりましたから、毎日必死だったのです。逃げ足が速くて苦労しました」
皆がドッと笑う中、アレンさんが「二人の教育係だった方です」と耳打ちしてくれた。
「さて、見てこいとは言われたものの、どこから手をつけるべきか……」
ヴィルさんがつぶやくと、執事さんは申し訳なさそうな顔を見せた。
「私も陛下の使いの方に言われて敷地内をくまなく確認いたしました」
「どうだった?」
「これといって怪しい場所はございません。単に気づかないだけなのかも知れませんが、我々にはお手上げでございます」
「だよなぁ。話が漠然としていて何を確認すべきかわからない」
ヴィルさんとくまんつ様が奥へと進んでいったので、わたしもアレンさんとついて行った。
すると、玄関の壁のほうから音がする。
ガタガタ。ガタガタガタ。
「んっ? 何の音だ?」と、くまんつ様が振り返った。
わたしもそちらを見ると、先ほど見た大きな風景画がぐらぐら動いていて、ガクンと右に傾いた。
次の瞬間、バチッ! と大きな音がした。
反射的に「ヒッ」と喉が鳴る。とっさにアレンさんが盾になるようにしてわたしの前に立った。
ヴィルさんとくまんつ様が絵の前へ小走りで戻り、それを執事さんや従者が追う。
「ヴィル、絵から煙が出ているぞ!」
「誰か水を持ってこい!」
「火事だ! 水!」
「バケツ! ありったけ出せ!」
和やかでのほほんとしていたランドルフ邸は、一瞬にして騒然となった。
屋敷のあちらこちらで、水や避難の指示を出す大きな声が飛び交った。
「リア様、こちらへ」
「は、はい……っ」
アレンさんに連れられ、絵から離れた隅っこで様子をうかがった。
すぐ近くではメイドさんたちが集まって不安そうにしている。
問題の絵からは煙がもくもくと立ち昇っていた。
「アレンさん、さっきの音は?」
心臓がドクドクと音を立て、走ってもいないのに息が切れる。
「リア様、大丈夫ですから、私から離れないでくださいね」
ハァハァしているわたしに、アレンさんはいつもどおり優しく声をかけてくれた。しかし、わたしはブンブンと首を振って彼にしがみついた。
――ヴィルさんの実家はホーンテッドハウスだ。
目の前でポルターガイスト現象が起き、尋常でない量の煙が上がっている。
「わたし、虫とオバケとバンジージャンプだけはダメなのですっっ」
「落ち着いて。大丈夫。大丈夫ですから」
作り物のオバケと学生バイトだとわかっていてもお化け屋敷がダメなのに、リアルなものが大丈夫なわけがない。
しかし、彼は「何も怖いことは起きていません」と言った。
恐る恐る絵のほうを見ると、水の入ったバケツがいくつも床に置いてある。火は上がらなかったようだ。
ヴィルさんとくまんつ様は絵の様子を確認している。
二人が壁から絵を外そうとした瞬間、裏から黒いものがドサドサと大量に落ちた。
ヴィルさんが「うわっ!」と声を上げる。
わたしはまた「ひいぃぃっ!」と喉を鳴らしてアレンさんにしがみついた。
「なんだこれは!」と、くまんつ様は足にかかったそれをパタパタとはたいて落とした。
「あれは……」と、アレンさんがつぶやいた。
「前に似たものを見たことがあります」と涼しい顔で話している。
どうしてこの人は、こんな状況なのにいつもどおり冷静なのだろうか。
「あの煙は、おそらく呪符が原因です」と、彼は言った。
「それってまさか、呪いのお札の呪符?」
「そうですね」
「ヒイィッ!」
「おやおや」
彼は両手で包むようにして背中をさすってくれる。それでもブルブル怖がっていると、ギュッとして頭をなでてくれた。
ふと窓の外を見ると、庭の木々が強風に煽られている。
どうやら、わたしが怖がると風が強くなるようだ。近隣の皆さま、ごめんなさい。これ以上コワイ思いをするとアレンさんのような風神様になりかねない。
「リア様、団長が呼んでいます。我々もあちらへ行きましょう」
「い、いやです。行きたくないですっ……」
ひしと彼につかまった。呪いの絵の近くになんて行きたくない。
「大丈夫ですよ。皆いますから」
「うぅ……」
しぶしぶ手を引かれて向かうと、絵があった場所の下に黒い燃えカスのようなものがドッサリ落ちているのが見えた。
変なニオイが漂っている。
スン……スン……
ニオイを確認すると、火事の後の焦げたニオイではなかった。
腐った魚のような異臭だ。絵に近づけば近づくほど強くなり、鼻を突いてむせかえるほどになった。
「うっ……」
足を止めた。限界だ。
「リア様?」
「す、すびばせん」
「気分が悪いのですか?」
アレンさんがのぞき込んできたので、コクコクと首を上下に揺らした。
こんなお屋敷で暮らしていたら、ヴィルさんのお父様だって機嫌も悪くなるだろう。
「換気を……換気をしていただけないでしょうか……うっ……ぷ」
なぜかわたし以外はケロッとしている。
どうして皆さん何ともないのだろう。わたしがニオイに敏感なだけ?
なんだか納得がいかないけれど、玄関のドアと窓を開けてもらって少しラクになった。
ヴィルさんは呪われた絵の前で次々と指示を出している。
「魔導研究所へ行ってユミール・ヨンセンを呼んできてくれ。例の呪符が出たと伝えろ」
「かしこまりましたっ!」
「じい、この絵はいつからここにある? 入手経路はわかるか?」
「台帳を調べましょう。少々お待ち下さい」
「その前に使用人を全員サロンへ集めてくれ。屋敷全体を調べる。作業の邪魔をされたくない」
「承知いたしました」
「水はもう片付けていい。火の心配はなさそうだ」
「はいっ!」
わたしはアレンさんの後ろに半分隠れ、心の中で彼を応援した。
がんばれ、ヴィルさん。オバケをやっつけてください。
「リア、一緒に屋敷の中を見て回ってもらえるか」
「はい?」
耳を疑うようなことを言う人だ。
「それは、チョット……」イヤです。
声が震えてショボショボに小さくなった。
ススッと横に移動し、九割くらいアレンさんの後ろに隠れた。
この救急箱はオバケには効きません。お家で静かにお帰りをお待ちしたいと思います。
「わたしは先に帰……」
「俺がそばにいる。アレンも一緒に頼む」
「了解しました」
わたしより先にアレンさんが了解してしまった。
先ほどから彼はずーっと平常運転で、わたしが怖がるたびに、まるで何を怖がっているのかがわからないような様子で首をかしげている。
「あ、あぅ、アレンさ……」
「大丈夫ですよ? リア様、一緒に行きましょう?」
「ぅ……ぅ……」
うえぇぇんっっ。アレンさんがわかってくれないぃ。
哀れリア様、何も悪いことをしていないのに、呪われたお化け屋敷で肝試しの刑である。




