お礼の品 §2
決行当日――
わたしは久々に「ぺったんこ靴」を装備した。
侍女長は「お粉が付いても目立たないように」と、ピンクベージュのドレスを準備してくれている。調理の邪魔にならないよう髪も編み込みでフルアップ。エプロンに三角巾、さらに「はしたない」腕まくり。これが本日の戦闘スタイルである。
作戦はこうだ。
侍女が護衛の騎士様を部屋から引き離す。
その隙に、いつも内側から鍵がかかっている浴室のドアをそっと開錠して脱出。
メイドさんたちが使う従業員用の廊下と階段を使ってキッチンへ。
――おおおりゃあああぁぁぁ!
脇目も振らず、一気に駆け抜ける。
「アレ? あっさり着いちゃっ……た?」
妨害が入ることも想定していたのに、拍子抜けするほどスムーズに到着してしまった。
料理長が笑いながら出てきて「お早いお着きで」と言った。「オーディンス殿に怒られるご覚悟のほどは?」
「お小言ぐらいではヘコむ気がいたしません」と返す。
すっかり顔なじみの料理人たちは、口々に「さすが」と言って笑っていた。
バレないように料理をするには、仲間が必要不可欠だ。
彼らは先代の好き嫌いで大変な苦労をしてきており、なんでも食べられて料理好きのわたしをいつも歓迎してくれる。今回の計画にも積極的に協力してくれた。
料理長にはあらかじめ必要な材料と道具を伝えておき、事前に作業工程の打ち合わせもした。
侍女はわたしの部屋に残り、自作の台本に沿って三人で四役を演じている。まるでわたしがいるかのようにカモフラージュ中だ。隠れてこっそり見てみたいけれど我慢我慢。
手を洗い、振り返ると、料理長が親指を立ててウィンクをした。
「準備はできていますよ、リア様」
「ありがとうございますっ」
頼んでいたとおり、作業台に冷え冷えの材料がドンと運ばれてきた。パイ生地づくりは温度が大事。材料がそろっていることを指さし確認し、いざ開始。
スケッパーを使い、粉の中でバターを手早く切りながら混ぜ合わせる。
プロに見られながらの作業は少々緊張するけれども、時間もないので黙々とやる。
「てっきり捏ねるのかと思っていました」と料理長が言った。
「捏ねてしまうとサクサクに仕上がらないので、水分を入れる前に油脂と粉を手早く切り混ぜるのです。バターが一センチ角くらいになったら指でつぶすと早いです。こう潰して、くにゅくにゅしながら粉にまぶして、全体をポロポロにする感じで」
「なるほど。よし、リア様に続け!」
「はいっ!」
なぜか料理人がこちらを見ながら真似をして同じように作り始めた。
トントントントン……と、バターをカットする心地良い音が響く。
お菓子の価値については、料理長が詳しく教えてくれた。
王都ではクリーム系とバター系のお菓子が少し高価らしい。単純に供給量の問題もあるけれど、冷蔵の経費が値段に影響するそうだ。
この世界には電力がなく、代わりに魔力がある。魔力は天人族しか使えないので、高価になりがちだ。
この宮殿には天人族の騎士が出入りしているので、大きな冷蔵室は常に冷えているし、氷も潤沢にある。けれども、ヒト族の一般家庭や商店でこの環境を整えて維持するには、かなりお金がかかるらしい。
冷蔵にかかる費用が商品代に転嫁されるので、まったく同じ商品を作ったとしても、商人によって高かったり安かったりするわけだ。
わたしはこの恵まれた環境に感謝をしなくてはいけない。
「で、ここで冷水を加えて生地をまとめます」
何層にもなるよう折り畳んでは伸ばす作業を繰り返す。
ここまでやれば、あとは冷蔵庫様にお任せだ。乾かないようにして、一時間ほど寝かせておく。
「あとでまた来ます!」と伝えてキッチンを飛び出すと、大慌てで来た道を引き返す。階段を一段飛ばしで駆け上がり、浴室のドアからズバッと滑り込んだら、ベランダで服に着いた粉をはたく……。
侍女とひそひそ声で首尾を報告し合った。
一時間後、再び四人の連携プレイで部屋を脱出し、猛ダッシュでキッチンへ。
アーモンドスライスなどを乗せて仕上げ、焼き窯に入れたら料理人チームにお任せしてシュバッと脱出。また走る走る走る! 大忙しだ。
しかし、苦労の甲斐あって、サクサクのアーモンドパイが三時のティータイムに並んだ。
香ばしいバターの香りが屋敷中に充満する中、パイとお茶を頂く……まさに至福の時間。
もちろん日本の名店の「あのパイ」には敵わないけれど、こちらには焼き立てという最強のアドバンテージがある。
わたしがキッチンへ行っている間、支度部屋でがんばっていた侍女三人も喜んでいる。
「こんなに素晴らしいご褒美があるなら何度でもやります」と絶賛してくれた。
料理人たちが一緒に作ったせいで大量のパイが完成しており、宮殿中のスタッフに振る舞われた。
皆の笑顔が見られてほっこり気分。
ティータイムは盛り上がり、今の王都ではこれ以上ないお礼の品だと太鼓判を押してもらえた。
キッチンへ行くことに猛反対していたオーディンス副団長と執事長のメガネブラザーズは「ついに隠れてやりやがった」と言わんばかりのコワーイ流し目でこちらをにらんでいた。
しかし、彼らはその現場を見てはいないので、わたしは推定無罪である。スーンとして、普段どおりにしていた。
結局、二人とも少し恥ずかしそうに「とても美味しかった」と言いに来た。今回もわたしの完全勝利である。ふぉーっふぉっふぉっふぉ。
パイは袋に入れてラッピングをし、小さなバスケットに入れた。料理長が乾燥剤を分けてくれたので、湿気対策もバッチリ。お礼の手紙も添えた。
これにてお礼の品は無事完成――でも、これをどうやってヴィルさんに届けるのだろう?
宅配便のようなサービスはあるのだろうか。
届け先が騎士団宿舎(社宅みたいなもの?)だったので、パイで陥落させたばかりのイケ仏様に相談をしてみた。
騎士団宿舎にいるヴィルヘルムさんという人に届けたいものがあると言うと、予想どおり「家名は?」と聞かれた。
「そうなりますよねぇ……」と、わたしは肩を落とした。
ヴィルさんは家名を名乗らなかったし、メモにも「ヴィルヘルム」としか書いていないのだ。
平民だと家名がないので、ただのヴィルヘルムさんになるのだけど、その場合はもっと詳しく住所を書くそうだ。それに、服装からしても彼は貴族だろう。
この名前はポピュラーで、平民にも貴族にも大勢いるとのこと。
「騎士団宿舎 ヴィルヘルム」だけだと、荷物の発送は難しい。
「事務所で調べるなどして探す方法はありますが、善行をして名を伏せたのであれば、詮索をしないのが作法です」と言われてしまった。
わたしは外国から来た貴族令嬢という設定になっている。この国の騎士が外国の貴族を助けた場合、本人からだけでなく、相手国からも褒賞をもらえることがあるらしい。
騎士はそれほどお給料が高い職業ではなく、褒賞は時に人生を変える大ボーナスになる。これ幸いと家名を名乗る騎士がほとんどだとイケ仏様は言った。
家名を伏せるのは、私欲を捨てて民に尽くす尊い騎士道精神であり、立派な行いとして受け止められるそうだ。つまり、ヴィルさんはそういうステキな騎士様なのだ。
興味本位で彼について根掘り葉掘り聞こうとするのは、彼の誇りを傷つける可能性がある。
気になるけれど、詮索はしないという選択をせざるを得ない。
しょんぼり……。
できれば猛ダッシュの二往復を無駄にしたくない。
「せめてお礼だけでもしたいと思うのですが、お届けするのは無理でしょうか」
ヴィルさんからもらったメモを見せると、イケ仏様は目を丸くした。
「これは本人が書いたものですか?」
彼は同じ名前の騎士を数人知っていると話していた。そのうえで「筆跡に見覚えがある」と言い、ヴィルさんの特徴を聞いてきた。
「えーと、背は副団長さまと同じくらいか、少し高いくらいです。体はがっしりしているけれど、くまんつ団長ほどではなく、髪は根元が濃い茶色で毛先が金色。エメラルドのような緑の瞳、それから……」
そこまでの答えで彼はわかったようだ。戸惑いの表情を浮かべている。
 




