独身貴族
「ヴィルさん、ここはどこですか?」
ぐるぐると回ってはいたものの、古めかしく重厚なエムブラ宮殿とは違い、モダンでお洒落な寝室に見えた。回っていなければもっと素敵だろうと思う。
「俺の部屋だよ。宿舎のほうのね」
「あれ? 騎士団宿舎は女人禁制だとお聞きしたような……?」
「ん。最初、執務棟にある医務室に運ぶことになって、運んだまでは良かったのだが、リアを見ようと人が群がって大混乱になり……」
「え、えええ~」
「とてもじゃないが危なくて寝かせられず、ここの事務所に相談して連れてきた」
「大変なご迷惑を……」
「いや、激怒したクリスが三人ぐらい野次馬を投げていて面白かったよ」
「投げ……?」
「ひょいと持ち上げてポーンとね。そのおかげで安全にリアを運べた」
くまんつ様がメジャーリーガーだったなら、打球をキャッチしたショートの選手ごと一塁に送球(?)する化け物ピッチャーになりそうだ。もしくはホームランのたびにオーロラビジョンを破壊する超パワー系ヒッターとか。
「あとで投げられた人にお詫びをしないと……」
「いや、リアを触ろうとして近づいた不届き者達だから必要ない。クリスがその場で団員の証明になるもの一式を没収しているから、もう騎士団から除名されている頃だろう」
わたしの知らない間に色々とあったらしく、話を聞いていると余計に頭がグルグルした。
「リア、すまなかった。焦ってあんな言い方をして……」
繋いだ手に、彼の頬と唇の感触が伝わってきた。
空いているほうの手で目元のタオルをずらし、彼の顔を見た。
「謝るのはわたしのほうです。ヴィルさんの立場のことも、魔法のことも、何も分かっていなくて……」
彼の顔が少し痩せたように見えた。
従者のキースさんから食生活がメチャクチャだという話を聞いて心配していたのだけれども、そのメチャクチャぶりはわたしの想像以上のようだ。
「追い出したりしてごめんなさい」
「リアは何も悪くない。俺は今回のことを猛省している」
「二人だけできちんと話をするべきだったとわたしも反省しています」
「リアは優しすぎる。わけも分からず男に怒鳴られたのだぞ? 俺がきちんと話すべきだった。本当にすまない」
彼はわたしの手にキスをすると大きな溜め息をついた。
「アレンを助けてくれてありがとう。かけがえのない友を失わずに済んだ」
「こちらこそ、ユミールさんに講師をお願いしてくださってありがとうございました」
話をしているうちに今日の目的を思い出した。
重要な話があった。これを言わなければ帰れないというほどに。
「あのぅ……ヴィルさん?」
「うん?」
「エムブラ宮殿に戻ってきてくださいますか?」
「もちろん。俺はリアさえ良ければ、いつだってそばに居たい」
「よかった……。わたし、婚約破棄されてしまうのではと不安で」
「それは俺の台詞だよ」
彼は笑いながらわたしの頭を優しく撫でた。
「少し眠るといい。すぐに良くなる」
「ヴィルさんは? お仕事に戻るのですか?」
「いいや、俺の代わりなんていくらでもいる。そばにいるよ」
眠かったわけではないけれども、頭を撫でられているうちにスッと眠れてしまった。
ヴィルさんが言ったとおり、小一時間の仮眠で眩暈はおさまった。
しかし、様子を見にきたくまんつ様から、大事をとってもうしばらく安静にしていたほうが良いとアドバイスをもらった。目覚めていきなり動き回るのはあまり良くないとのことだった。
ヴィルさんがルームツアーをやってくれたので、彼のお洒落なお部屋を見て回った。
一人暮らしにはだいぶ広い寝室、外の景色を眺めながらお風呂に浸かれる素敵なバスルーム……二十畳以上ありそうなリビングダイニングには対面式キッチンがついていた。
宿舎というより、これは高級マンションだ。一度でいいからこんなところに住んでみたい。これぞ本当の『独身貴族』というやつではないかしら。
ところが彼は「全体的にむさくるしいからリアの宮殿のほうが好きだ」と言う。
「特に一階の食堂と四階の大浴場はなるべく近寄りたくない。大浴場は必要ないが、食事は人が少なそうな時間を狙ってクリスと一緒に行くんだ。それすらも面倒な場合は、こういうので済ませる」
彼は小さなリンゴの山をビシッと指差し、照れ臭そうに微笑んでいた。わたしの宮殿の近くで買ったらしい。
二人でキッチンに入り、一緒にりんごを薄切りにしてアップルティーを淹れた。
彼が買い置いていたビスケットと一緒にテーブルへ運んでティータイムだ。
「ほとんど寝ていないと聞いたが大丈夫か?」と、彼が言った。
「昨日はたくさん寝ました。今日はお昼寝もしましたし。ヴィルさんこそ食生活がちょっと……と聞きましたよ?」
「俺も昨日、向かいのクリスの部屋でリアの料理をたらふく食べた。美味かったよ。好きなものばかりだった」
「アレンさんとは話しましたか?」
「ああ、俺に文句を言ったり、リアの浄化魔法を見たと自慢してみたり、体がなまっているから明日にでも訓練に出たいと言ったり、忙しい奴だ。さっきまでここに居たのだが、訓練の申し込みをしに行っている。そのうち戻ってくるよ」
「まだ数日は休んでいて欲しいのに」
「リアを守るのが彼の生き甲斐だ。思うように体が動かず、戦力にならないのは彼自身が耐えられないようだ。だから行かせてやってほしい」
「仕方ないですねぇ……」
指を絡めて手を繋ぐと、自然と視線が合った。手の甲にキスをしながら、エメラルドの瞳がじっと熱っぽくわたしを見ている。
最後に会った日から、わずか一週間。
寝る暇も惜しんで慌ただしく動き回った。文字通り激動の一週間だった。
必死で頭から追い出そうとしても、事あるごとに思い出していた美しい翠色は、やっぱりわたしをドキドキさせる。どちらからともなく吸い寄せられるように近づき、唇が重なろうかという時、ドアをノックする音が聞こえた。
はっとして玄関のほうを見ると、こちらの返事を待たずにドアの向こうから声がした。
「うおーいヴィル、そろそろ馬車を回すかぁ?」
のんびりとした癒し系の声が聞こえ、ズル……とソファーからずり落ちそうになった。
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