懇願
──白い女は一日に何度もやって来た。
魔道具で知らせなくとも、白い女は頻繁に様子を見にきていた。
食事の時間になると毎食違う味の粥とジュースを持ってきた。食事以外の時間も、不思議な味の水と絞り立てのジュースを運んできて俺に飲ませた。
俺が汗をかいていれば寝巻きを脱がせ、熱いタオルで体を拭いて清潔な寝巻きを着せてくれた。下半身を女性にやらせるのは悪い気がしたが、なにぶん体が言うことを聞かないし自分で浄化魔法を使う余裕もない。白い女に「やらなくていい」と伝えてやる気力すらもなかった。
しかし、白い女は俺の尊厳を守ってくれていた。
いきなり掛け布団をめくるようなことは決してせず、両側にクッションのようなものを差し込むと、俺の体と掛け布団の間に隙間を作った。
その中に手を挿し入れ、俺の肌を晒すことなく器用に体を清潔にして着替えさせてくれた。俺は寝たままで、ただ白い女に言われたとおり、わずかに体を浮かせたりするだけで良かった。
死の病に侵されながら、俺はまだ『生きている人』として扱ってもらえていた。
何が何でも他人の世話になりたくないトイレだけは、死に物狂いで起き上がって歩いていった。それでも白い女の肩を借りてようやくだ。頼りない華奢な肩に寄りかかるほど俺はボロボロだった。
洗面台で手を洗う際、これから死にゆく自分の顔は恐ろしくて見られなかった。
ノロノロと壁を伝い歩きで洗面所を出ると、白くぼやけた視界の中で白い女が手早くシーツを取り替えていた。俺に気づくと小走りでこちらへ来て、また肩を貸してくれた。
俺は多分、王国で最も優遇されたヘルグリン病患者だろう。
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熱にうなされ、ひどい夢をいくつも見た。
病で死んだ後なのに、父から「死んでしまえ」と小言を言われる夢、俺の不在中に神薙が暴漢に襲われる夢、白い女を神薙と間違えて抱く夢、俺だけ神薙の夫に選ばれない夢、神薙警護の任を解かれる夢……よくもこんなに思いつくものだ。
死ぬ前くらい幸せで穏やかな夢が見たい。
「リア……」
自分の声で目が覚めた。
また白い女がそばにいて、俺の腕をさすっていた。
「大丈夫、そばにいますよ」
白い女が神薙のふりをして答えたのでムカッとした。
白い女め、俺を騙そうとしても無駄だ。俺以上に詳しい人間はいないと断言できるほど、俺は神薙を良く知っている。
白い女よ、お前に助言をしてやろう。
お前はまず、服が駄目だ。俺の神薙はそんな真っ白でノペッとした服は着ない。真似をするならリボンの一つぐらい着けろ。
よく見えないが、頭に巻いている白い布は一体なんなのだ。帽子か? 顔まで真っ白だ。白い女は顔に包帯をグルグルと巻きつけているのだろうか。
包帯女よ、とにかくリボンだ。お前はリボンを着けて出直してこい。
腹の中で悪態をついている間にまた意識を失ったらしい。
気がつくと白い女はいなくなっていた。
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──時間の感覚がまるでなかった。
白い女は部屋に来ると必ず「換気をしますね」と言い、窓を開けた。
そして「今朝は良いお天気です」とか「日が暮れてきました」とか、何かしら時間を感じられるようなことを言った。
どうやら夜だけは「そろそろお休みの時間です」と言っているようだ。それを二回、いや三回聞いただろうか?
しかし、夢と現実の境目がよく分からない。もっと多く聞いているのかも知れないし、一度聞いただけであとは全部夢だった可能性もある。
俺は何日こうしているのだろうか。まるで長い長い悪夢を見ているようだ。
「俺の神薙はどうしている。どこに避難した」
白い女に訊ねた。
しばらく声を出していなかったせいか、自分でも驚くほど声がかすれていた。
白い女はなかなか返事をしなかった。
「まさか感染していないだろうな。無事なのだろうな……」
念を押して聞いたが、俺の声はグシャグシャで途切れ途切れだった。白い女に聞き取れたかどうかは分からない。
数秒の間があって、白い女が答えた。
「大丈夫ですよ。ここでアレンさんに浄化魔法をかけようとしています」
白い女は看病が上手かったが、人を励ますのも上手かった。
死にゆく俺に希望を持てと言いたいのか、神薙が浄化魔法とは考えたものだ。
リボンをいっぱいつけて、言われたとおり真面目に丁寧な詠唱をし、「えいっ」とやるに違いない。
想像しただけで口元が緩む。また団長が可愛い可愛いとうるさくなるぞ。本人に直接言っただけでは飽き足らず、居ないところでも可愛い可愛いと騒いでいるのだから、あの人にも困ったものだ。
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──死にたくない。
白い女、助けてくれ。
俺はまだ死にたくない。
あのメガネをかけていると、俺は細い岩に見えるらしい。
時折、外して話したことはあるものの、彼女が最後に見た姿がそれでは心残りだ。
自業自得ではある。しかし、俺は務めと約束を果たすためにあのメガネを必要としていた。ただそれだけだ。
せめて最期は人で在りたい。
「体、痛いですか?」と、白い女が聞いたので頷いた。
すべての関節を外されたかのように痛む。視界もぼんやりとしていて何一つはっきりと見えない。
死がひたひたと足音を立てて、こちらへ向かってきているのが分かる。
白い女が身体をさすり始めると、得も言われぬ気持ち良さを感じた。まだ生きていると実感できるのはこの瞬間だけだった。
「もう少しの辛抱ですよ、ちゃんと治ります」
「俺が死ぬときは……」
「アレンさんは死にませんよ」
「少しでいいから神薙に会わせてくれ……遠くからでいい」
「大丈夫、ずっとここにいますよ」
白い女はどことなく神薙に声が似ていた。
結局、彼女はどこへ避難したのだろう。王宮区画の中にある離宮あたりだろうか。
手狭なうえに、また団長が暴走などして困らせていないだろうか。
目の前が真っ白になった。
いよいよ死んだのかと思ったが、どうやら俺はそのまま眠ったらしい。




