大ゲンカ
必要なものが揃い次第、アレンさんの看病は本格化する。
この状態のヴィルさんが「ダメだダメだ」と喚き散らしたら皆も困るだろう。変に邪魔をされると、助かるものも助からなくなってしまう。
彼だってアレンさんを助けたいはずだ。ただ、ヘルグリン病が死の病だと信じ込んでいるし、彼自身も逃げたいのだろう。
この国の価値観だと、宮殿の皆が誰も逃げないことのほうが異常だ。彼が「普通」なのだ。逃げたい人は逃げたほうが良い。
「ヴィルさん、上で病人が寝ていますし、皆も二次感染の恐怖と闘う覚悟をもってここにいます。静かに冷静にお話しをする気遣いをお願いします。大事な人を失わないために、やりたい人だけで手を尽くします」
「ダメだ。リア、頼む」
「ヘルグリン病が死の病だと信じているならば、それは信じたままで構いません。ただ、わたしの邪魔はしないでください」
「俺が邪魔だと言っているのか?」
「逃げたい人は逃げればいいですし、戻りたくなったら戻ってきてくだされば結構です。それを責めたりはしません。わたしがここに留まるのも、そして魔法を学ぶのも、すべては自己責任です。誰にも強制はしませんし、ヴィルさんの同意も求めていません」
「なぜ俺の言うことが聞けない!」
彼は苛立って声を荒げた。
冷静に話はできそうになく、フィデルさんとマークさんがわたしの前に立って壁になってくれた。
なぜ言うことを聞けないのかと言われても、「わたしの質問に答えてくださらないからです」としか答えようがなかった。
ヴィルさんのオバカ。どうして話してくれないの? また陛下にこっぴどく叱られちゃいますよ?
彼の大声に多少驚きはしたものの、自分でも驚くほど冷静だった。周りに人がたくさんいて、一人きりで怒鳴られたわけではないからだろう。
ただし、それは彼が「俺よりもアレンが大事なのか!」と言い放つ前までのことだ。
その一言がリアちゃんお怒りメーターの針を動かした。ぐもももも……とレッドゾーンへ入ってゆく。
ああ、いけない。怒っちゃダメ、怒っちゃダメですよ。
笑顔笑顔。目を細めてぇ、口角上げてぇ、はい、そこで静止!
笑いながら怒りましょうね、笑いながら。あっ、ダメです。ヒクヒクしちゃう。うまくできません~っ。
並べて語るべきではないものを横ならびにして、どちらが大事かを問うような質問がわたしは嫌いだった。大体そういう質問は、目的が別のところにある。
例えば、彼氏から聞かれがちな「俺と犬が池で溺れていたらどっちを先に助ける?」などが良い例だ。
この質問には答えがない。どう答えてもわたしが不快になるようにできている。なぜなら、これはわたしを不快にさせることが目的だからだ。
質問者の目的は「あなたを助けるわ」と曇りなき眼で即答してもらうことにより優越感に浸って調子に乗ることだ。それ以外の返答には「俺より犬が優先なのか」とリアクションする気満々。巻き込まれるこちらの気持ちはまるで考えていない。
これもモラハラの隅っこのほうにある問題だろうと常々思っている。
「俺よりもアレンが大事か」
彼はわたしに「自分の機嫌を取る気があるのか」を確認しているのだ。人が一人、死ぬか生きるかというこの大事な局面で。
彼には話していないけれども、坂下家のルーツは江戸のサムライであり、一家揃って『静かなる戦闘民族』を自負している。
「俺と犬」の質問をしてきた彼氏にはもれなく「犬が最優先」と即答していたし、相手が王族の婚約者であっても自分のスタンスを変える気はない。
わたしはフィデルさんを押しのけて前に出ると、真正面からヴィルさんの緑色の瞳を見据えた。
「あれほど大騒ぎして婚約したのに、よくもそんなくだらないことが言えましたね。わたしの質問に答えず、一方的に怒鳴り散らす健康なあなたより、具合の悪いアレンさんのほうが圧倒的に大事です。当たり前でしょう?」
「リア、いい加減にしろ!」
「いい加減にするのはあなたです。大声を出せばわたしが言うことを聞くと思っているのなら大間違いですので、考えを改めてください」
調達から戻ってきた従業員がサロンに入るのを躊躇しているのが見えた。
もうこれ以上、時間を無駄にすることはできない。
婚約したばかりだというのに皆の前で大喧嘩をするなんて……恥ずかしいやら情けないやら。泣きたくなってくる。
大きく息を吸い込んだ。
「アレンさんが回復するまで……」
この先は言いたくない。言いたくないけれど、もう言うしかない。
ヴィルさんのオバカ。お豆腐の角っこに三回くらいぶつかっちゃえ。
「ヴィルヘルム・ランドルフ団長の出入りを禁じます。今すぐ彼をこの宮殿から排除してください。わたしの考えに賛同できない方は、一緒に出て頂いて構いません。それによる罰などは一切ありません。皆、自分の幸福のために行動をしてください。わたしもそうします」
フィデルさんが腕を掴むと、彼はそれを振りほどきながら大声でわたしの名前を呼んだ。
彼が何に追いつめられているのかは分からない。わたしの知っているヴィルさんは意見が合わない程度のことで冷静さを欠くような人ではなかった。だから、それなりの事情があることは分かっている。「俺よりもアレンが大事か」というのも、売り言葉に買い言葉で飛び出しただけだろう。
でも、わたしはここから出る気はない。
わたしはアレンさんの看病をする。
わたしはヴィルさんのご機嫌取りの道具じゃない。
いずれ、彼が抱えている事情を聞いてあげなくてはいけないとは思っているけれども、それはアレンさんが危機的状況に置かれている今ではなかった。
彼にかける言葉が見つからず、「お静かに」とだけ言った。
「リア!」
「ヴィル、お前が悪い。騒ぐな!」
彼はフィデルさんに叱られながら連れていかれた。
従者のキースさんが身の振り方に困ってオロオロしていたので、今までどおり気軽に出入りしてもらうよう声を掛けた。息抜きにお茶を飲みに戻ってきてもいいし、ご飯だけ食べにきてもいい。必要な荷物などがあれば運んであげて欲しいと伝えた。
彼はホッとしたように一礼して「では行って参ります」と言うと、ヴィルさんの後を追って出ていった。
入れ違いにサロンの入り口で足止めされていた従業員達がどっと入ってきて、各々の上長に報告をし始める。
わたしは皆に背を向けて深呼吸をした。また身体が震えだしたのだ。
自分で追い出したくせに、これが原因で婚約破棄になったら……なんて考え始めるとドツボだ。
マークさんがそっと肩に手を置き、「大丈夫ですか」と声を掛けてくれた。幸い、一緒に頑張ろうとしてくれている仲間が大勢いる。
少しの間でいい。ヴィルさんのことは忘れて、目の前のやるべきことに集中したい。
「大丈夫です。今はアレンさんのことだけ考えましょう」
菌との戦いが始まる。
日本人……いや、地球人の意地を見せてやる。
気合いを入れろ! 絶対に勝つ。
思い切り両手でバシッと頬を叩いて振り返った。
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